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スギナは土筆(つくしんぼう)の親です。
その生命力の強さは驚くほどで、時に大変な厄介者として扱われています。

その広がりは根っこ「草の根」を通して広がって行きます。

草の根とは、表には容易に出てこない雑草が一生懸命に根をのばし最初生えた親草より遠い場所にポコンと生えて行くための「地下茎」の事です。

そして草の根の様な生き方とはこの生き方です。

この草がもし、畑や庭(もしくは社会)にとって疎ましいと見なされれば、その草はひっこ抜かれ駆除されてしまいます。

でも親草は抜かれても人(社会)の目から見えない所で既に根は張り巡らされています。
また親草は、自分が引っこ抜かれた時、その情報を根を通しすべての子供草に記憶を送ります。

スギナやドクダミ、コスモスや蕗などがどれほど強い生命力を持っているか、それを知っている人なら分かると思います。
抜かれても、掘り返されても、地下茎が1cmでも残っていたらそこからまた地下茎をのばし、知らぬ間に広がって行きます。

草の根の生き方も、草の根運動も同じと思います。

「一人一人の力や声は小さくとも多くの声が集まれば大きなうねりとなる」

そんな表現を耳にすることがあると思いますが、それは本当の草の根の生き方ではでは有りません。

ここでは一人一人の「力が弱い」と、否定的な言葉が語られてしまっている事に気がついて下さい。
この言葉は「あなた一人の力など取るに足らないのですよ、悪いことは言わないから素直に言う事を聞いていなさい」とも取れるのです。

でも私たち一人一人のパワーは決して弱いものではなく、自分自身を肯定し自分自身を信頼した時にその力の大きさを知る時が来ます。

また草の根の生き方や運動は、決して自分たちの活動や生き方を声にして多くを語らないはずです。
もし自分たちの活動を声にして仲間を募ってしまえば「草の根活動(運動)」ではなく「親草活動(運動)」になってしまいます。

スギナは先ず人の目に触れないように、最初はとても静かに地下茎を伸ばして行きます。
この時にはまだ根の広がりを地上に見る事はありません。

でも、すべての用意とタイミングが揃った時、一斉に芽を出して行きます。
それも驚くほどの広範囲で、しかも急速に。

雑草を警戒する者の目には映る事なく深く静かに広がり、芽を出した時にはすでに根は縦横に張り巡らされています。
その時に「しまった!」と思っても、もう全てを排除する事は出来ないほどに地下では強い絆で繋がっています。

でも、親草が芽を出したら次の芽をという広がり方では、すぐに見つかって引き抜かれてしまいます。

群れをなして声を上げれば目立ちます。

でも一人一人しっかりとした意識を持ち「寡黙」に「孤高」に行動するのであれば誰にも知られる事なく「自分の希望と思い」で生きる事が出来ます。
ここには「妥協、多数決、落とし所、摺り合わせ、民主主義」なんて胡散臭い言葉も生まれません。

声高に仲間を募りません。
一人で居る事を良しとします。
誰の誘いにも乗りません。
全ては自分自身の内なる声に従い、それを信じ行動して行きます。

それでも同じ意識、同じ周波数、同じエネルギーベクトル、同じ価値観を持つ者達はお互いのハイヤーセルフ同士が感知し合います。

そして必要があれば、その出会いを静かに取り持ってくれるでしょう。
遠く離れていても、偶然を装いながらも絶妙な出会いのタイミングを逃しはしません。

活動や運動、生き方は「多くを語らず自分を生きる」事でその真意と力を発揮するものです。

今は自分を信頼できる程の力も、仲間も見当たらないと思っていても、きっと地下茎は真の友との繋がりを強めている筈です。

自分自身を信じてみましょう。
自分の見えない力を信頼してみましょう。

その時見えない繋がりが地下茎を通し急激に広がり、その芽吹きを見る事になる筈です。


《余談》
生前の父が庭の世話が出来なくなるほど衰え、私が代わって実家の庭を手入れしていた時の事です。
それはもうすごい勢いでドクダミが庭に広がっていました。

除草剤など使いたく無いので最初は一本一本手で抜いていたのですが、しばらくするとまた直ぐに芽が出てきてうんざりしたことがあります。

そこで備中鍬で庭を掘り返して文字通り「根こそぎ」取り去ろうとした事があります。
掘り起こした土をふるいにかけ、一本一本つまみ出しました。

でも、それこそホンの少しの地下茎が残っていれば無駄で、やっぱりドクダミ君の勝ちとなります。
この時にはドクダミへの不快感MAXでした。

そんなある日、なんの根拠も脈絡もなく閃いたように
「そうか、ならドクダミに話しかけてみよう」
とダメ元で思ったのです。

「ねえドクダミさぁ、あのさ、いなくなってしまえとは言わないよ。でも他の庭木や草木とも仲良くしてくれる?」
「それと、ここのところにトマトを植えるから、こっちには来ないでほしいな」

と語りかけたんです。
そしたら、なんと本当にその通り、共存と遠慮をしてくれるようになったのです。
これは感動ものでした。

まだスギナには試していませんが、なんか聞いてくれるのではないかしらと思っています。

・駆除、排除、否定、嫌悪、強制。
・共存、不可侵、肯定、語りかけ、対等。

どちらも魂を持つものには届くのですね、というお話でした。









by farmemory | 2019-07-20 11:34 | ・意識の自立と進化 | Comments(0)



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前回からの続き。
**熊野三山八咫烏(1)**
**熊野三山八咫烏(2)**
**熊野三山八咫烏(3)**
**熊野三山八咫烏(4)**
**熊野三山八咫烏(5)**


この方(被験者)は室町時代に戦乱の都から混乱の中、幼い我が子を抱いて熊野の山奥に逃げてきたビジョンを見たのでしょう(おそらく応仁の乱に関わること)

そこでなぜ熊野に逃げたのかなのですが、玉置神社にはリラである木花咲耶姫がいて、それを頼ったのだろうと思うのです。

もちろん木花咲耶姫と言う女神が実際にいるわけではなく、リラの人々(木花咲耶姫はリラ星人の総称)がいる場所なのです。

その後でこの方が熊野本宮の左から2番目に入って行った事が語られていますが、ここには熊野速玉大社が祀られています。
そして熊野速玉大社の奥宮である「神倉神社」は、宗像三女神である「田心姫神(タキリヒメ)・多岐都比売命(タギツヒメ)・市寸島比売命(イチキシマヒメ)」が降臨したと伝えられています。

これを神話ではなく、現実の話に置き換えると、この場所にアンドロメダ、リラ、アークトゥールスという天体の人々が、今でも恒常的に訪れている場所という事になります。

この被験者の方はこの3名の女神である女性性を強く持った方であり、なぜ自分が熊野との繋がりがあるかをこの覚醒誘導で確認されたとの事です。
(現行社会でも女性たちに寄り添う人生を送っておられます)

そして先にお話しした熊野本宮での不思議もこれに関わるのです。

本来の熊野本宮である「大斎原」のエリアに、短い時間であっても誰の邪魔も入る事なくたった一人で立つために、自らの(魂の)意思で次元のタイムホールを通り、誰もいない時空間に入り込み、一人「大斎原」に向かったというのが真実なのだろうと思います。


また速玉大社の神と同化するなど、そんなこと有り得るのかと思われるかもしれませんが、私たちは神の細胞の一つ一つでもあるのです。
つまり私たち一人ひとりが神の細胞の一つであるのなら、私たちも神と言う事になるのです。

ただ今回この被験者の方が絶対神である「宇宙」と同化したという事とは違い、この方と関係のとても深い地球外生命体(もしくは故郷の天体)との繋がりを指しています。

日本神話に言われる神々は弥生による縄文排除の後に、この国を作ったという真の歴史を寓話化したものです。

そして弥生人たちは超人的な生命体である地球外生命体たちの威光(パワー)を利用し神とすり替え、自分たちが行なった縄文への蛮行を正当化するために利用した面もあるのでしょう。
つまりこの方はアンドロメダ、リラ、アークトゥールスという幾つかを故郷とする魂をお持ちだという事になるのです。

でも彼ら地球外生命体たちにとっては自分たちが神の威光として利用される事など意に介していないでしょう。
どのような事であれ、地球人類が魂の進化をするためであれば自分たちをどう扱い、どう認識しているかなどどうでもいい事だと思うのです。
彼らは「天の摂理」の元この地球に関わっている筈だからです。

その「天の摂理」ですが、私たち人類には理解しがたい高度な概念なのだと思います。
3次元の良心や正義感と言った価値観が宇宙の真理に当てはまるか、それは一概に判断できない事なのです。

覚醒誘導のお話はここまで、お話を大斎原に戻しましょう。


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さて日本一と言われる大鳥居をくぐり全員で「大斎原」の敷地内に入って行きます。
太い立木の参道を通っている間、小雨でしたが小鳥たちの声が聞こえます。進んで行く参道は不思議なことに「無臭」なのです。

地肌に木が生える場所で梅雨のひと時。
全くといえば大袈裟なのです、ほんの少しの雨や土の匂いがないわけではありませんが無臭と表現してもいいほどに微々たる程度です。

進んで行くと右手に芝生の広場が見えてきます、その広場を進む右手に小さな祠が3つ並んだ祭壇のようなものがあります。
ここが明治以前に拝殿もしくは神殿のあった場所でしょう。

その3祠に柏手を打ってから、今回の熊野行きのもう一つの目的
「玉置神社の木花開耶を解放するミッション」
を行いました。

この時に先ほど迷い子になった方が、今回の熊野参拝のキーパーソンだった事が改めて分かるのです。

全員で玉置神社の方角を向き遥拝。

各自で閉じこもっている木花咲耶姫を解放するビジョンを胸に描いてもらいました。
でも各自の思いは個別に玉置神社に届くのではなく、今回のキーパーソンである方に一度送られ、そこから全員の想念エネルギーをまとめて送ってくれたのです。
(そのことは本人は認識していなかったかもしれません・・・)

そして、帰ろうとした時にまた別の方が興味深いことを話されます。

別の日に宿の方から伺った話では、この祠の角から2mのところに強いエネルギーが感じられる場所があると教えられたと言うのです。
ならばと言うことで、全員で「ここ」と思われる位置に立ち手をかざしたところ、確かに足裏にも手のひらにも明らかに「熱」を感じます。

そして、不意に「極めて低いレベルの放射線?らしきもの」を感じたのです。
生物に影響するほどのレベルでない微弱なものです。

そこで、この地下に何かあるのかなと思ってスキャンしたら、思った通り。
大きなシップ(地球外生命体の巨大シップ)の存在が感じられたのです。

でも高い次元の存在なので、仮に掘り返したところでそれを確認することなど出来る筈はありません。
何より硬質な金属質の実態など持たない ”エネルギー体” ですので「発掘」などしても無駄なのです。

そのシップはシリウスかリラ、もしくは両方だと感じました。

そして、眠ってなどいないのです。
生きているシップをすぐ近くに感じて少し感動しました。
この「大斎原」改めてすごいところですね!

さてこれで大斎原を終えることになります。

次回、神倉神社と熊野速玉大社、そしておまけのお話で最終回です。








by farmemory | 2019-07-19 00:02 | ・イベントメモリー | Comments(0)



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前回からの続き。
**熊野三山八咫烏(1)**
**熊野三山八咫烏(2)**
**熊野三山八咫烏(3)**
**熊野三山八咫烏(4)**


<熊野本宮大社>
阿須賀神社から熊野本宮まで車で1時間弱。その間あの篠笛の音色が胸の奥でリフレインします。
駐車場に到着し、やや急な石段を登ります。

石段を登り切ってから拝殿まではそう距離はなく、境内も広大と言うほどではありませんがその雰囲気からは威厳のようなものを感じます。

参加者の方はみなさんそれぞれのペースと場所で参拝をされていました。また他所の参拝の方も何人か境内に散らばっていました。

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ところが概ね参拝を終わらせ人数を確認した所、お一人がいくら待っても来ないのです。

境内ではそれぞれの場所をそれなりに確認していました。途中この見えなくなった方とも何度か言葉を交わしていたのですが・・・
集まった時には見当たらない。

少し心配になり数名の方が電話をかけ連絡が取れると、その方はすでに長い参道の階段を降り少し離れた「大斎原(おおゆのはら)」の参道にいると言うのです。

これが今回の一番の不思議でした。


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場所が分かったので一安心でしたが、みなさんがとても不思議がるのです。

〇〇さんは皆と離れるこ事なく境内にいたはずだと口々に言うのです。
私も、そうだと確信していたのですが・・・

やがてその方が待つ「大斎原」の参道につくと、ぼんやりと田んぼを眺めていました。
皆さん口々に「どこにいたの?どうやってここにきたの?」とマシンガン質問。

当の本人の答えが本当に不思議でした。

「そうなの、みなさんが参拝しているなと思っていたのですが、ある時に境内に人っ子一人見えなくなって」
「そこで、きっと皆は先に大斎原に向かったと思い、急いでここに来たのだけれど誰もいないのですよ」
と言われるのです。

これには全員「え~~~???」
でした。

と言うのは、私もしっかり確認していたのですが、どの場所でも私たちの仲間も別の参拝者も必ずどこかにいて「人っ子一人いない境内」状態はあり得なかったのです。
でも「いえいえ、そんなことないです、本当に誰もいなくて、境内にも参道にも、石段にも誰もいなくて一人ぼっち」

ここで前のお話「熊野の地では人が迷ったり、同じ道を何度も通ったり、神隠しにあったり、そんな場所だ」と言うお話につながるのです。

普通ならこの件は単に気のせいとか思い違いとして済まされ、いずれ忘れ去られる様な事なのかもしれません。

でも私も過去にこうした不思議を何度か経験していますので、素直にその方のお話を真実と思いました。
それだけではなく、この方と熊野本宮との関係がどれほど深いかを確認していましたので、決して思い違いではなく「時空間の歪み」によって起こった事例だという確信があるのです。


ここからは前の晩、この方の覚醒誘導を行った時のお話です。
古い古い時代、熊野の山奥にいる自分のビジョンが見えてきた所から始まります。

F=フォロン
Y=被験者さん

Y「小袖を着て、かけ湯巻きを腰に巻きつけた女性が見えます(おそらく自分の姿)」
F「ご自分一人ですか?」
Y「子供?赤ちゃんか幼児がいます、男の子」
F「誰の子ですか?」
Y「私の子供だと思います」
F「その場所が詳しくわかりますか?」
Y「多分奈良の山・・十津川村・・玉置神社が近い?」
F「なぜそんな山奥に、こんな時代に?」
Y「多分都(京都)から逃げて、この子を連れて」
F「危険だったのですか?命」
Y「そうだと思います」
F「それ以外に玉置神社との繋がりを感じますか?」
Y「はい、その場所に呼ばれたことは確実のようです」
F「何か役割がありますか?」
Y「そう感じます」
・・・
少し時間を進める
・・・
F「その子は大きくなりました、それからどうしますか?」
Y「都に敵討ち?に行きます」
F「帰ってきましたか?」
Y「いえ、そのままもう戻りませんでした」
F「あなたはそこで暮らし続けましたか?」
Y「はい、ここで生涯を終えます」「玉置神社には木花開耶姫が居ます(問わず語りでした)」
F「あなたはその山深い地に木花開耶のために向かったのですか?」
Y「はい!そうです」
・・・
次のステージに進みます
・・・
F「あなたは今肉体を着ていますか?」
Y「着ていません、エネルギーのような状態」
F「まだそこにいますか?どこかに移動しますか?」
Y「空を移動しています、熊野本宮が見えます」
F「それから?」
Y「並んでいる、5つ並んでいるお社の左から2番目に入って行きます」
F「そこには神がいますか?」
Y「私はその人(神?)と同化します」
F「あなたも神となりますか?」
Y「はい」
・・・
また少し時間を進める
・・・
F「それから長い月日が経ちます。今私にはあなたのいるお社の前に何人かの配下を連れた水色の直垂(ひたたれ)姿の若い武将が見えますが、わかりますか?」
Y「ああ、はい、今の私の息子です」
・・・
この後更にセッションはしばらく続くのですが、プライベートな事に入って行きますので話を記事に戻します。


次回に続きます。









by farmemory | 2019-07-17 00:00 | ・イベントメモリー | Comments(1)



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前回からの続き。
**熊野三山八咫烏(1)**
**熊野三山八咫烏(2)**
**熊野三山八咫烏(3)**


<阿須賀神社>
翌朝は本降りの雨。
そこでルートを変更し最初に「阿須賀神社」に向かう事にします。

でも神社に着く頃には雨も小振りとなって、傘がなくてさして困らないほどになりました。
この神社は世界遺産熊野の中に入るのですが、あまり多くの参拝の方が来ないようで、社務所のカーテンも閉まり、人っ子一人いない静かな神社でした。

拝殿の右には稲荷社があり、反対側に行くと、そこには小さな祠と、何故か子を抱く母の像があります。

見るからにマリア像。
何故ここにあるかは分かりませんが、神社の脇に置かれたマリア像からは悲しみと切なさが伝わってくるようです。

かつて(平安から江戸にかけて)多くの母と子がこの神社を頼り、それでも報われない人生を送った遠い昔の人々の思いが伝わってくるのです。
静かに心向けてみると、古い時代の阿須賀神社が見えてきました。

そこには苦しい生活を彷彿させる憔悴しきった母子が、履物もなく裸足でこの神社を訪ねてくる姿が見えます。
古い時代はそうした人たちに門戸を開いていた神社なのでしょう。

ただこのマリア像はそう古いものではなく昭和の感じがします、過去の歴史を感知した方が置かれたでしょうか。

拝殿で参拝をしていると、拝殿の中から作業服を服を着た男性が現れます。
そして
「自分はここの宮司で、皆さんに自分の篠笛をお聞かせしたい」
と言われるのです。

何か不思議な雰囲気を持つ宮司さんで、その雰囲気につられ演奏をお聞かせ頂く事にしました。

プロとまでは言えない篠笛の演奏ですが、むしろその素朴な音色が何か心の奥底に響いてくるような圧倒的な癒しの音色なのです。
聞いていた参加人者の中には涙を流される方もいて、私もその音色に引き込まれて行きました。

しかもこの演奏、拝殿の中でお聞かせ頂いたのですが、本当に不思議なのですがその数分間だけ本降りの雨となったのです。

篠笛の音色と背景に響く雨音。
まるでセッションをしているようで、何かとても不思議な時空に引き込まれて行く、そんなひと時でした。

*音源をアップしましたのでお聞きください、4分弱の演奏です。


演奏の後、宮司さんが「御朱印をご希望でしたら、みなさんの思いを受けて全てその場で手書きでお渡します」と言われるのです。
そこで、私もお願いすることにしました。

書いている間に「ご自分の願いを心に浮かべてください」と言われるのです。
そこで私はこの地球の次元変化が加速し、光の地球になって行くビジョンを思い描きました。

c0319737_22471353.jpgすると、宮司さんは時折息を詰まらせながら「龍の御朱印」を描いてくれるのです。

参加者の皆さんも描いて頂き、宮司さんの話題とともに移動中の車中はとても盛り上がりました。

なんでも他の皆さんも、自分の思いを心に描いている時に宮司さんがなんらかの反応をされたのだというのです。

しかもその反応は一人ひとり違っていて、どれほど感知しているかはわかりませんが、明らかに願いを心に描く人の意識にこの宮司さんが触れながら龍の御朱印を描いていたのだと分かりました。


車の移動中、不意に
「あの宮司さんは時折自分自身の中に高い周波数の魂をウォークインしている」
と閃きました。
今回もやはり、それが起こっていたのでしょう。

あの宮司さんの不思議さ、演奏中だけの本降りの雨、そして篠笛の音色。
その全てが答えだと思うのです。
何か心の中が清められたような思いで、次の熊野本宮に向かいます。

次回に続きます。








by farmemory | 2019-07-15 00:00 | ・イベントメモリー | Comments(2)



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前回からの続き。
**熊野三山八咫烏(1)**
**熊野三山八咫烏(2)**


<夜間観測>
ホテルに戻り、夕食を取ってから海に向かったテラスで夜間観測を行いました。

雨はほぼ上がっていましたが、暗さに目が慣れてくると雲がかなり低い所に滞空しているのが分かります。
この状態では星や、高高度を飛ぶ光体などを見つけるのは出来ません。

そこで暗闇に向けて思い思いにスマホやデジカメで夜の空を写してみました。
その中には、夜のプラーナや、群れる小鳥のような光のツブツブを移された方もいて、この地の周波数の高さを実感したのです。

こちら↓の動画がそれです。



これは(前半の17秒ほど)私が任意の空間にデジカメを向け、ストロボや光源なしの動画モードで撮影したものです。
また後半の4秒ほどの光の乱舞は、参加者の方が写された動画です。この動画は後日、自宅付近で写したものとの事ですが熊野でもこれとほぼ同じ動画が撮れていたことを私も確認しています。

私の画像の方は暗闇の屋外での撮影で、液晶画面ではただ暗い画面しか確認できなかったのですが帰って動画を確認していて気がつきました。
時たま光る小さな白い発光やうねる様に動く薄い光の集合体など、まるで意思を持つ生き物のようです。

また少し暗いマリンブルーのようなものが揺れ動くのも確認できますが、これは明らかに時空間の歪みが写り込んだものと思われます。
恐らくこの熊野という場所は、常に時空間が移り行く場所なのでしょう。

少し話がそれますが、かつて熊野の山や森には神隠しや狐に化かされる話、修験道や登山家が体験したと言うリングワンデリング現象(同じ場所をグルグルと回ってしまうこと)などが頻発する場所として知られています。
山深い場所を通るバスの運転さんも何人もそうした不思議を体験されている事が実際に伝えられています。

そのためにこの地が神々の山であると言う伝承が古来より語られて来たのでしょう。

もちろん伝承だけではなく、私もその激しいエネルギーの動きを肌で感じる事ができたのです。
だからこそ真に「聖域」なのだと実感してきました。

今回は梅雨の大雨予報と言う「幸運」が重なった事で、参拝者も少なく、雨がもたらした霧と言う幾つかの好条件も重なった事で、より深い体験となった事は確実だと思います。

それに加え今回の参加者がどれほど熊野と関係が深いかも重要なファクターだったとの確信もあるのです。

しかし、この条件は偶然に整ったのではなく、全て、それぞれの魂やハイヤーセルフの深い繋がりが設定したスケジュールであることは間違いありません。
それは夜間観測会の後、私が覚醒誘導を行った参加者の方のビジョンでもしっかりと確認できた事なのです。

このお話は熊野本宮と関わるお話なので後ほど。








by farmemory | 2019-07-13 00:14 | ・イベントメモリー | Comments(0)



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前回からの続き。
**熊野三山八咫烏(1)**

<飛瀧神社>
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1日目、最初に伺ったのが那智の滝を御神体とする飛瀧神社(ひろうじんじゃ)


数日間雨続きだった那智の滝は、大変な水量の瀑布となっていて、近くでも人の声が聞き取れないほどの激しさです。

しばらく滝を眺めていたのですが、その水の流れが龍体のエネルギーに変わって行くビジョンが見えました。
これが最初の不思議。

*「見えた」と書きましたが目視で確認が出来るかと言えばそうと限る訳ではありません。
流れ落ちる滝が龍に見えるのではなく、その光景にオーバーラップする様に龍体のエネルギーが松果体にダイレクトにビジョンとして投影されるのです。(少し難しい表現ですが・・)

「ホラ見てごらん、あそこに龍がいるよ」と言ってもその姿を全ての人が確認出来るとは限らないのです。
エネルギー体としては確実にそこに居るのですが、龍という実在しない存在を自分の脳内(松果体)で具現化するのでしょう。

私には明らかに龍体が嬉しそうに身をよじって歓迎してくれたと確認出来たのです。

雨の熊野三山詣での意味が、この水量による龍神の出現とするのなら悪天候などではなく、意味ある雨だったと言う事になります。

こうした感覚や表現を多くの方が様々な寺社の参拝時に感じたりされますね。
(自分が来た事を龍が喜んでいるとか、雨も悪天候ではないなんて表現です)

でもその場所には見知らぬ多くの参拝者の方もいるはずですね。
とすれば

「仮に龍が喜んでいるとして、あなたの到来を喜んでくれているとは限らないのでは?」
「雨なんて紀伊半島では日常の事ですよ」

そんな疑問も当然浮かんでくるでしょう。

でも、この世界(自分の身の回りに展開する世界)は自分自身が作り上げている世界であり、自分が中心となった時空間だと言う天の摂理を当てはめて考えれば「自分を歓迎してくれている」と信じ、疑わない事も決して傲慢な事ではないのです。

自分がそう感じたとしたら、ぜひその自分を信じてみてください。
それを繰り返して行く事で「自分を信じる」その意味が分かって来ると思います。

ただし、その感覚を他者と共有出来るとは限りません。
自分がそう感じた事を人に伝えるのは良いとして、でも伝えた相手が同じ感覚を持つとは限りません。

また見えるか感じるか、見えないか感じないか、その違いに優劣などありません。
それぞれが持つ周波数により違いがあるか、もしくは自らのハイヤーセルフが「今は見えない事にしておこう」と決めたのであれば感知できないだけなのです。
ですから、そうしたお話をする場合も他者への強引な押し付けや同意を求めすぎる事は控えた方が良いでしょう。

でもその相手が自分と近い周波数を持つ人であれば、その感覚を共有できる可能性は十分にあります。

さてしばらく滝に見とれていましたがそうそう滝ばかりに時間は取れないので、その場を離れる事にしました。

その時です、もう一度飛瀧神社の敷地から滝を見上げた時の事。
これが2番目の不思議です。

周りの木々たちが身を踊らせるようにユラユラと、まるで踊っているように一斉に歪んで見え始めたのです。
目の錯覚やめまいなどでは決してありません、明らかに時空間の歪みが見えたのです。

時空間の歪みを目視で確認した事は今までにも何度かありますが、今回の揺らぎはかなり明確なものでした。

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この画像はイメージですが、ほぼこの様に歪んで見えたのです。しかもその歪みは強弱を繰り返し数秒間続きました。

この事により私の中で滝=龍体(エネルギー)が意思を持って喜んでくれたと言う答え合せともなったのです。
名残惜しい気持ちを残しつつ、その先の那智大社に向かいます。


<那智大社と青岸渡寺>
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那智大社の拝殿まで470段の石段を登って行くうちに徐々に霧が出始めてきます。
そしてようやく辿り着いた時には境内はとても濃い霧で覆われていました。

霧は異次元へのトンネルと言われています。
まさしくこの日私は少し高い次元の那智の滝と那智大社に迷い込んだのだという感覚が強くありました。

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境内の建物のいくつかは改修ため天幕に覆われていましたが、拝殿とその横にある八咫烏神社には参拝する事が出来ました。

その時、この神社に住む八咫烏が、那智の龍と同じように羽を広げて嬉しそうに踊りまくるビジョンが浮かんだのです。
そのシーンからは、こちらも一緒に踊ってしまおうと思うほどに嬉しそうな「感情」が伝わって来たのです。

広げた羽を腰に当て、数羽の八咫烏がラインダンスを踊る。そんなシーンなのです。
もう可愛くて仕方ありません。

その時「龍と八咫烏の姿を絵本にしよう」と思い立ったのです。
(実現はいつの事か、ですが・・・)

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今回私自身の希望は、この「八咫の烏」にコンタクトし今までの長い年月の役割を一旦終えた事を伝え、労いを贈る事でした。
ですから、八咫烏の嬉しそうな姿を確認でき、役割を遂行できた様で嬉しく感じたのです。


<大門坂>
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那智大社の参拝を終え長い参道を降り、続けて大門坂を下る事にしました。
この道は熊野古道の一部として知られた石畳です。

下ってる間、この大門坂の時空が明らかに現世界(俗界)とは明らかに違うという感覚がはっきりありました。
これは参加者の皆さんも同時に感じていた事らしく、その不可思議さは言葉や文字で語れるものではありません。
それを知るには体験する事が一番ですが、ブログでその感覚をお伝え出来ない事が残念です。

雨と参加者と日時と地場。

その全てが絶妙にリンクし、条件が整った事で入り込んだ異空間(プチ次元ホール)だったのでしょう。
古来から言われている「神隠し」が起こる時など、この様な霧や雰囲気があるなと思ったのです。

さらに下り「振ヶ瀬橋」に着く頃には霧がすっかり消えていました。
この橋は俗界(3次元)と聖域(高次元)を隔てる橋と言われていますが、なるほどその通りだと感じたのです。

ここで1日目を終えます。
ホテルに戻り食事を済ませ、ホテルの敷地内で夜間観測をしました。

その時に不思議な動画を撮影したのですが、そのお話は次回に続きます。








by farmemory | 2019-07-11 00:13 | ・イベントメモリー | Comments(0)



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今月の初めに熊野三山巡りに行ってきました。
初めて伺ったのですが、聞きしに勝る森の国ですね。

今回の目的は、今まで神の(というより地球外生命体の)遣いとして、物語の中で作り出された幻鳥「八咫烏」に会いに行く事でした。
鳥類学から見ればそんなカラスは実在しないでしょうが、エネルギー体として存在しているはず。

私が初めて八咫烏(らしき)エネルギーを感知したのは、群馬県と長野県の県境にある碓氷峠。
そこに鎮座する「熊野神社」の境内裏の森の中です。

その次に八咫烏の存在を確信したのが京都の下鴨神社でです。

八咫烏は自然霊が具現化したものでしょう。
天狗や河童、フェアリー(妖精)に近いのだろうと思います。

また八咫烏は弥生の始まりである神武天皇が九州から海路熊野の地に降り立った時、橿原までの道案内をしたと言われています。
とすると縄文から八咫烏はこの地に存在していたと言う事になります。

その縄文の幻鳥が弥生の始まりに手を貸した事になりますが、その弥生も今幕を閉じ新しい次元に地球は向かおうとしています。

そんな時、今まで大変な苦労をしてきた八咫烏に
「今までお疲れ様でした!」
を伝えたいと思ったのが今回熊野三山に来ようと思ったきっかけでした。

「ようやく次元も変化を始めたので、熊野の象徴という重責も、スポーツ団体に使われる事もなく早く自由になってください」
「今までパワフルモンスターや役立つ妖怪のように祭り上げられ、使いまくられて来たと思いますが、もうそれもお終いにしましょうね」

そんな思いを持って名古屋から新宮に向かいました。

この日ちょうど九州に災害級の雨との警報が出た梅雨前線の真下にある新宮市でしたので、最初はどうなるかと心配でした。
でも新宮駅に着いてみたら雨模様ではあるものの、決して参拝ができないほどの悪天候ではありません。

しかも車で移動中は土砂降り、でも各神社に参拝という時になると小ぶり、になるというナイスな状況が続きました。
また、無理かと諦めていた神倉神社にも難なく登ることができました。

この世界は自分の想念が創り出す世界とすれば、雨をコントロールすることも決して難しいことではないと思うのです。
でも今回の雨のコントロールは、自分以外の何かの動きを感じました。
八咫烏のお陰?みたいな・・・

という事で今回巡った熊野三山のハイライトを記事にして行きます。
出来るだけコンパクトしたいと思っていますが、それでも7回ほどになると思います。

今回も小さな不思議を体験する事となりました。
そんな体験のお話と、撮影して来た画像や動画を織り交ぜて進めて行こうと思っています。

長くなりますのでまた途中、別の記事も入ると思いますがよろしくお付き合い下さいませ。


*サブブログ「フォロンの台所」の方で、熊野フォト日記を書いて行きますので、そちらもどうぞ。







by farmemory | 2019-07-10 00:03 | ・イベントメモリー | Comments(0)

**リラの文様**



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知人からこんな画像をお送りいただきました。

子供達がいたずら描きで描く様な文様ですが、これがリラに関わる事なのではないかとと感じたので記事にしてみます。

しばらく眺めていたら、ある記憶が蘇ってきました。
この文様、ジャンヌダルクが乗っていた愛馬にかけられていたタペストリーに描かれていたと言う遠い記憶を思い出したのです。

もしかしたら馬にかけられていたのではなく、手に持った旗印だったかもしれません。
あるいはその両方かも。

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*この絵はアルバート・リンチの作品ですが、ジャンヌダルクの背景に白い百合が描かれています。
なぜリンチが白百合の花を描いたのか。
リラ物語をお読みいただいている方であればその理由がお分かりになると思います。後ろに描かれているのはノートルダム大聖堂ですね、今となればこれもとても象徴的です。


さて、ジャンヌダルクはアンドロメダの魂を持ち正義を目指す女性騎士でした。
ただ彼女の中にはリラのエネルギーも同じくらい強く存在していました。

生涯処女で独身を通した彼女ですが、その胸の奥には恋に憧れ恋に身を焼きたいと願う乙女の意識もそれはもう大きく燃えていました。

そのエネルギーもまた、彼女を戦場に駆り立てたモチベーションの一つだったのではないかと思っています。
そしてその愛おしいほどの想いや願いこそが、リラそのものなのです。

さてこの文様。
しばらく眺めていたら身を守るリラのバリア文様だという事が不意に理解できてきました。

リラを故郷にする人、リラのエネルギーを強く持つ人にとって、この文様はある種の「お守り」として機能するのだろうと思うのです。

でも全ての人に効果があるとは限りません。
やはりリラとのエネルギー同期によって、この幾何学文様が機能するのだと思います。

こうした幾何学文様は膨大な数存在しますが、その多くが何らかの力(パワー)や効果、効能を持っています。

この文様はそうしたものの一つでしょう。

これをお送りいただいた方もリラのエネルギーを持つ方で、メールには
「実は私も子供の頃描いてたんです」
と記されていました。

今地球上に封印されたり眠るについていたリラのグループが、急速な目覚めを始めています。
リラの目覚めは地球自体の目覚めも意味します。

冬眠に入った動物達の代謝は極めて低く、種によってはまるで仮死状態の様な眠り方をしているものもいます。
その動物達が目覚めれば、当然鼓動も平常に戻り、新陳代謝も活発になってきます。

今地球上で見られる「地球の息吹」も、眠りから覚めつつあるリラの仲間達に呼応して起こっているのは間違い無いと思います。
そして眠りから覚めるということは、さらなる地球活動の増加すると言う事でしょう。


そんな時にお送り頂いたこの文様。
全ては生きとし生けるものすべてが繋がっている事を示し、そこから生まれるエネルギーを表しています。

地球も人類も、個別の存在ではなく全ては魂として繋がっているワンネスである。
たった一人の体験であろうと、その経験は時空を超え全ての命と共有し合う。

地球も人類も個別のものではなく「一蓮托生」なのだということも表している文様なのでしょう。

自分の庭は綺麗にし、人のいない山奥にゴミを投棄する。
この一連の行動は、個別の行動に見えても自分の宇宙の中でしっかり繋がっているので、結果として自分自身を汚すことになります。

これは因果律を表してもいますね。

ただし、こうした文様が効果を発揮するのは3次元という限定されて周波数帯の中でです。
いずれ次の高次元に到達した時には、この文様は飾り程度のデザイン文様として存在するだけになるでしょう。

これは次元変化の解釈の一部でもあります。
でも、今はまだ完全に高次元に移行しているわけではありませんので、この文様は今少しの間効果を発揮することでしょう。







by farmemory | 2019-07-08 00:29 | ・リラ物語 | Comments(3)

**次の次元のこと**



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ある読者の方から頂いたお便りに、返信した内容です。
一部加筆修正をしています。

・・・・・

〇〇様、こんにちは。
フォロン高橋です。
お便りありがとうございます、お問い合わせの件返信申し上げます。


今後今までの世界が大きく変わることが予想されます。
それは既存の社会の変更(崩壊とも取れかねない)が来ると予想されています。

今の経済社会の終焉、もしくは大きな転換に向かう可能性です。
そこでは今までの経済概念はきっと役には立たないはずです。

また大切で愛する家族や友人たちと、真の離別を迎えようとも新しい次元に一人となっても向かう意思はありますか。
孤高である事とはその覚悟を言います。
失う事の恐れを持っていては孤高という言葉は似合いません。

これから先未来は自分一人で作り上げ行くものです。
誰かと手を組み共に進むという次元は3次元の生き方となります。

誰かのために生きる、人のために生きる。
この言葉もまた3次元を引きずっている事を意味します。

これからは一人一人、誰にも理解される事がなくとも、語り合う人が一人として身の回りにいなくてもそれを日常として受け入れ生きる事が次の次元です。

共に生きる人を求めない、求められない。
ただ横を向いた時、その時だけ同じ道を歩む人が目に入る可能性もありますが、その人も自分自身の道を歩いていますので、常に横を歩くとは限りません。

いつかその人も自分の道を自分の目指す道に向かい自分のスピードで進んで行くものです。
その時にはもう、その人は横を歩いているとは限りません。

「一期一会」の真の意味はここにあります。
日々を大切に生きると言うような難解なことではなく、その時その時の一瞬の時間こそが全てであり時間は継続しないと言うことが「一期一会」です。

また今後来る自然の変化は誰にも止められない大きな事となるでしょう。

この宇宙に人間ほど乱暴で自分勝手な生き物は見当たりません。
もし人類が宇宙の安定を破壊する可能性があり、宇宙の安定のため排除すると天が決めていたら、その選択に私たちは争うことができません。

もし宇宙の平和を願うのであれば私は人類の消滅も選択肢として十分にあると思っています。
つまり人類にとっての大難は宇宙にとってのより良い出来事(選択)とも解釈できるのです。

ただ私自身は楽観しています。
なぜなら自分がその混乱をくぐり抜けた先にある高次元を目指していると確信しているからです。


今後の生き方としては行政にも国家にも頼らず、自分自身の力を信じ生きて行く”意思” をお持ちになる事をお勧めします。
もう既にどこかで、この生き方を始めている人が、草の根のように増えてきている事を肌で感じています。

どんな生き方をすればいいかよりも、そう生きるのだという意思です。
その意志さえ固まれば、自分自身のハイヤーセルフはしっかりその道に自分を進めてくれますので、どう生きればいいかと迷う前に進むべき道への段取りが整ってくるでしょう。

社会人として生きろ、社会の一員として生きろ、そう言われ続けてきた「真の(裏の)意味」を知れば社会に迎合する事の無意味さが理解できると思います。
その時には自分の意思と価値観を持ち、たった一人でも生きると言う「孤高」の意味が見えて来るはずです。

それこそ、この真実を理解する人は必ずいるはずです、その人こそが「隣を歩く人」でしょう。

そしてその人たちの存在を知れば、孤高であっても決して孤独では無い事がお分かりになるはずです。
真に語り合う友はその人たちなのだと言う事です。


高次元移行の事に関してですが、生体を持ったまま向かう人、一旦肉体を脱ぎ去り(でも天界には行かず)すぐに用意されている高次元の肉体に入る人など様々です。
別の肉体にな行ったとしても全ての記憶を持ったままその肉体に入ると思われます。
ここが輪廻転生との大きな違いでしょう。

また生体を持ったまま行く人は、その次元に合う体に変化しなければなりませんので、いっとき体調変化や悪化を通過する方もいるでしょう。
生体の変化は徐々に起こってくる人もいれば、短期間に起こる人もいます(後者の場合はかなり厳しいと思います)

また3次元に留まる方は、近い将来3次元の地球は崩壊して行くでしょうから、人類として生き残ることは出来ないでしょう。
その場合は全ての記憶を書き換えて、別の天体に転生して行く事になる筈です。

自分が3次元にとどまる場合、地球環境の悪化は一過性のものではなく崩壊に向かうことを体験して行く事になると思います。

逆に高次元に向かう人も地球環境が悪化していると感じる状態を目にする事になるでしょうが、こちらは一過性のもので、いずれ高次元に到達すれば新しい地球として一変する事でしょう。

実際は悪化ではなく、次元移行に必要な変化で、言ってみたら地球が変化するための好転反応とみていいと思います。

高次元への変化の過程は自分の宇宙時間として各自が皆違う時間内で起こりますので「どのくらいの時間?」という解釈は難しいかもしれません。


・・・・・・

以上です。
腑に落ちる部分があれば是非参考になさってください。








by farmemory | 2019-07-06 00:08 | ・新次元への道 | Comments(0)



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今回で伊豆大島のお話の最終回です。

前回からの続き。
**伊豆大島・リラの不思議(1)**
**伊豆大島・リラの不思議(2)**
**伊豆大島・リラの不思議(3)**
**伊豆大島・リラの不思議(4)**

でもやっぱりそれだけでは終わりませんでした。
前日行けなかった波浮港にもう一度向かいます。

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かつては風待ちの港として栄えたと言われている波浮港ですが、今ではその面影もなくきれいな水をたたえる静かな港としてひっそりとしています。

ここで感じたことなのですが、経済は永遠ではなく、一旦退いた後には落差の大きな破壊すらもたらすのだと感じたのです。

栄華盛衰、今は昔。
経済第一主義をはじめとする、人の持つ「欲」ががもたらすものは、結果としてその地の荒廃なのだなととしみじみしたのです。
それが経済ではなく文化の継承という面であれば、その地はきっと末長く平均的な地として続いたのではないかと思ったのです。

例えば世界遺産に登録されるという事を見ても、その始まりは人類の遺産として継承すべきとの思いから始まったはず。
自国の文化に真っ直ぐな矜持、プライドを持って「文化を伝え守る」というスタンスで観光に力を入れている地域は決して廃れる事はないでしょう。

・経済を第一目的とすれば文化ではなくイノベーションと経済を信望する人、流行や話題に反応する人が来る。
・文化を守り伝えることを第一に願えば、その国や地域の歴史や文化をリスペクトし、そこに生きる人のメンタリティーに敬意を払う人が来る。

至極単純な、これも因果律の一つなのでしょう。

・綺麗な海岸に重機の爪を立て、根こそぎ開発し建てられた素敵なリゾートホテルがある。
・何もない海岸には人工物の影さえ見えず、自然のままの ”何もない” がある。

世界遺産としての「誇り」とは何であるかを今一度考えてみたいなと思ったのです。


さて、しみじみしながら波浮港を離れようと車を走らせていたら、港が一望できる場所にこじんまりとした神社が目に入りました。
早速車を止め参拝をする事にします。

ここで6個目のプチ不思議。

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鳥居には「波布比咩命神社」と書かれています。
神社の下に広がる波浮港は火山の噴火により生まれたカルデラ湖が大津波によって海とつながったとされています。

神社のご祭神は波布比咩命(はぶひめのみこと)、建御名方富命(タケミナカタ)、八阪刀売命(さかかとめのかみ)とのことですが、噴火口を望む神社である事からまさにリラを祭る神社に思えます。

境内は静まり返っていて、人の気配もなく閑散としていました。

その場所で参加者の方が何気なく境内を写した一枚をお送りいただいたのですが(下の画像)
まるでクリスマスモールのような色とりどりの光たちが写っていました。

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こうした光はその場の次元エネルギーと写した人のエネルギーとが同期した時に起こります。

その後は同じ道を辿りあの白い十字架の見える場所まで再度足を運んでみました。
しかし、思った通り一番最初に来た時のような重苦しさも暗さもなく、単に白い十字架があるだけの景勝地となっていたように感じました。

ジュリアは帰ったのでしょう、真上に滞空している巨大なリラの宇宙船に。

そして島を周回する道路を走り椿園でリス達に出会い、椿オイルを買って昼食のために元町に戻りました。
そのあとに皆さんでお茶をしてから帰りの船に乗ることにしようという事になりました。

お茶を済ませ船の時間が近づいたため元町港まで車を走らせた時の事。

ここで最後の不思議に出会います。

大島空港のトンネルをくぐり海岸道路に出て左折をしようとした時、その脇の空き地に1台の白い軽車両が止まっていました。
そして何げなく運転席を見て息を飲みました。

前日の老婆ではなかったのですが、運転席に座った金髪のおばあさんがこちらを凝視しているのです。

車が止まっていたのは小さな空き地、そしてそこには人家ひとつなく車も余り通らない場所。
でもこれだけでしたら、取り立ててどうということではないのですが・・・

車に乗っていた全員が「あれは!」と口にします。

そう、昨日の木花咲耶姫が姿を変え老婆となって私たちに姿を現したことを忘れてはいない全員。
その事があったからだけではなく、確信としてその金髪のおばあさんが「ジュリアだ!」と思ったのです。

通り過ぎた後、それでもどうにも気になるので思い切って引き返してみました。
その間数分。

それほどの距離でもありませんでしたので直ぐにその場所に戻りましたが・・・
思った通りその車はいませんでした。

私たちの後ろを走って来てはいません、そして遠く見晴らしのきく反対車線や自分が通ってきた道も確認しましたが「忽然」とという言葉がしっくりするほど綺麗さっぱりいなくなっていたのです。

もう車の中は大騒ぎ。

でも確実に感じた事は、私たちを見送るために(その時だけ)女性の肉体を借りその場に来てくれたことを感じました。
ジュリアと咲夜からの「お礼」なのだろうなと、そう受け取りました。

興奮冷めやらぬままにTime upとなり元町港に向かいました。

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帰りの船は元町港からの出船。
高速船の中では、何か拍子抜けしたようにグッタリ。
でもその疲れには不快感はなく、むしろ何か達成感のような気持ちすら感じたのです・・・

以上、今回の伊豆大島での体験記です。
長い記事、おつきあい頂きありがとうございました!

*サブブログ「フォロンの台所」の方で、大島フォト日記を書いていますので、そちらもどうぞ。








by farmemory | 2019-07-04 00:17 | ・リラ物語 | Comments(4)