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**小渕沢・八ヶ岳イベントの報告(6)**

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前回からの続き。
**小渕沢・八ヶ岳イベントの報告(1)**
**小渕沢・八ヶ岳イベントの報告(2)**
**小渕沢・八ヶ岳イベントの報告(3)**
**小渕沢・八ヶ岳イベントの報告(4)**
**小渕沢・八ヶ岳イベントの報告(5)**

翌日は早朝から雨がかなり激しく降っていて、景色のいい場所に行く予定でしたので残念な思いでホテルを後にしました。

と、その前に。
この日の朝の不思議を一つ。

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昨夜ベッドに入る前に、備え付けの時計のアラームを7:00にセットしました。
鳴らないといけないと思いテストもしておきました。

少しの間寝られずにいましたが、その後ぐっすりと寝たのでしょう、途中一回も起きることなく朝になりました。
でも起きたのはアラームで、ではなかったのです。

いきなりテレビがついたんです。
「え!?」
と思って時計を見ると6:55。

テレビのリモコンは遠くテレビの横にあります、もちろん自動設定などないリモコン。

「なにこれ?ベッドのアラームと連動しているの?」と思ったけど、それほどの設備ではないことは一目瞭然。
その時には、しっかり目が覚めてしまっていました。

「なんだなんだ?」と思っていたところ7:10になった途端、点いていたテレビがいきなりOFFに!

そうなんです。
テレビが起こしてくれて、役目が終わったから自分から電源OFFにしてくれたんですね。

「なんだよ~テレビ、お前いいやつじゃん!」なんて思っていたら、また一瞬だけスイッチが入って、NHKのアナウンサーの顔が写ってまた消えるという「お返事」さえしてくれたのです。

夕べの事を思い解すと、少しだけ思い当たる事がありました。

普段私はあまりTVを見ません、見ても自然を扱った番組くらいで地上波はまず見ません。

でも昨晩テレビの地上波をなんとなく見ていて、そのテレビが身近に感じ内容は忘れましたが、確かテレビに親近感を覚え一言二言声をかけた記憶があります。

多分ありがとうとか、面白いねとか、そんたわいも無い言葉だったと思います。

これが理由でテレビが起こしてくれたのだとしたら、機械であるテレビモニターにも間違いなく魂が宿っているという事の証明な気がします。

まるで鏡の国のアリスの世界の様で、テレビが喋ったり、カップが踊り始めたり、電気ポットが歌い始めたり。

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そんな楽しげな次元がこの土地だとしたら・・
もう八ヶ岳、面白過ぎです。


さてホテルを後にしてまず最初に、ホテル近くのパノラマ市場で地の野菜などを皆さんとワイワイ言いながらお買い物。
そして清里の清泉寮に向かい車を走らせていたのですが、途中ものすごい霧に包まれます。

それこそ10m先さえよく見えないほどの霧でしたが、それよりこの霧自体なんとなく自然現象とは思えない不思議な感覚がありました。
それは同乗している人たちも一様に感じていたようです。

霧に意思を感じました。

そしてこの時にいきなり浮かんだのが「霧は異次元へのトンネル」と言うフレーズです。

まるでミルクのような深く濃い霧に包まれると、感覚器官が鈍ると言うか、いつもと違う感覚になると言うか・・
明らかに時空間自体、不思議な変化をする感覚があったのです。

今回もそれと同じ感覚を覚えました。またこうした深い霧は前日、野辺山の電波天文台に向かう途中にも経験し、その後にカーナビの異常動作がありました。
まるでこの霧を抜けた時、別の次元に入り込んだ様でした。

おそらく、その感覚は間違いではないと思います。

今私たち人類が経験し始めた次元移行は、ある日いきなり見たこともない別の次元にジャンプしてしまうと言うことではなく、毎日毎日ほんの少しの次元の階段を登るように、小刻みに進んで行く様なものです。

霧の中を抜けた時点で「数段高い次元」に進んだとは言え、その段数では見た目にはほとんど違いがわからない程の微弱な変化なので「何と無く程度」の感覚でしかかないのだと思います。

それでも、その少ない段数でも登り続ければ、いずれ大きな進化となって行くはずですね。

「霧は異界への入り口」
古来から言われているその伝承を体験したのだと思います。


その霧の中、清里への途中、無理かなと思いながらも八ヶ岳高原ライン途中にあるまきばレストランの展望場所に立ち寄ってみました。

駐車スペースに車を入れた途端、いきなり霧が晴れ始め(本当に有り得ないほどの唐突さで)下に広がる牧場が一望出来ました。
それには皆さんもビックリ。

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次の清泉寮では人気のソフトクリームを頂き、昼食を取りに小淵沢に向かいます。

途中思い立って「八ヶ岳倶楽部」に立ち寄って軽くお茶をしました。
そしたらオーナーの柳生博さんがおられ、皆さん記念撮影をしてもらっていました。

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そしてこの辺りで空が晴れ始め、ランチに向かう頃にはピーカンに晴れ渡ります。

ランチは小淵沢の「奏樹」
八ヶ岳のお野菜をふんだんに使ったお料理で大満足でした。

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そしてランチ後、最後の目的地大滝神社に向かいます。


次回に続きます(次回で完結です)











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by farmemory | 2018-09-30 00:12 | ・イベントメモリー | Trackback | Comments(0)

**小渕沢・八ヶ岳イベントの報告(5)**

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前回からの続き。
**小渕沢・八ヶ岳イベントの報告(1)**
**小渕沢・八ヶ岳イベントの報告(2)**
**小渕沢・八ヶ岳イベントの報告(3)**
**小渕沢・八ヶ岳イベントの報告(4)**

井戸尻遺跡の駐車スペースを出るのに手間取ったので、もう一台は先に出発しました。
「別々でもちゃんと帰れるだろう」
と思い、車を発信させたのですが、すぐに一人の方が

「今クラクションの音がしましたよね!?」
と言うのです。

でも私にはそのクラクションの音が聞こえませんでした、別の同乗者の方にも確認しましたが、やはり誰もその音を聞いていません。
しかもそこは、地元の車さえめったに通らず、車のライトを消したら真っ暗な場所です。

それでも「いや、間違い無くハッキリと聞こえた」
と言うので、これはなにか意味があるんだと思い、車をUターンさせ念のため逆の道を取る事にしました。

ここでもう一度しっかりとカーナビを確認し、再出発したのですが、又してもナビはよくわからない道に私たちをどんどんと連れて行くのです。

その時にはハッキリと
「さっきの狐だね」
と言うことは分かっていましたので、どんな遠回りをしても車は必ずホテルに私たちを運ぶと言う確信があったので、振り回されることをむしろ楽しみながらようやくまたホテルに辿り着きました。

もう一台はすでに帰っていましたが、皆さんが集まって車がどう走ってきたかを確認したところ同じ場所を何度か通ると言う、まさに狐に化かされた状態だったことがわかり一同「やっぱり!」と、妙に納得してその日を終えました。

ただ今回の出来事は、感覚的になんらかの保護が入った気がしてなりませんでした。
特にクラクションの件に関してそれが感じられました。

結果として、何もなくホテルに帰着できたので保護下にあったかどうかは証明もできませんが、自分には聞こえなかったクラクションの話を真実と受け取り、道を変えた事に大きな意味があったのだろうと思うのです。

またこの保護は、クラクションの音を聞いた方のハイヤーセルフからのメッセージに加え、この場所で行った弥生の帰還と縄文の解放により、その双方の古い文明からのプレゼントではなかったかと・・

それを思ったのは東京に戻ってから参加者の方から
「祈りの時、5つの光がユラユラ喜んで地上に出てきたのを見ました」
というメールを頂きそれで確信できました。

帰還と解放を願い井戸尻遺跡の夜の闇の中で全員で祈っていた時、あの重苦しい土地が徐々に軽さを増してきたことを私も感じていましたので、頂いたメールの意味もはっきりと理解できました。

この日の予定はこれで終了。
各自部屋に戻り就寝となるのですが、疲れているはずなのにベッドに横になっても何故か目が冴えて眠れません。

そこで窓を全開にして夜の空気に触れようとしたところ、いきなりメッセージを受けたのです。
おそらくそれはオリオンから。

「前回行って頂いた小樽のイベントにより、かの地に留まっていた仲間たちの帰還が叶いました。そして北海道の封印が解けることで、この地のカルマの解放も起こるはずです」
そういった内容でした。

c0319737_00201023.jpgそして東京に帰った3日後に北海道胆振東部地震が起こったのも、偶然とは思えませんでした。

八ヶ岳の縄文と小樽の縄文には何か深いつながりがあるのではないかと思うのです。

見えないレイラインの繋がりが一瞬見えたようにも感じました。
そのラインを直線で結ぶと小樽→新潟→八ヶ岳→(少しズレて)富士山が一直線上に並び、その南の先が遠州灘(東海・東南海)に至ります。

今のところ、そのライン上に何が控えているかはわかりませんが、少し意識しておこうかなと思っています。

ちなみに首都圏の縄文にもほんの少し「揺らぎ」のようなものを感じます(余談でした)


続きます。










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by farmemory | 2018-09-28 00:22 | ・イベントメモリー | Trackback | Comments(2)

**小渕沢・八ヶ岳イベントの報告(4)**

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前回からの続き。
**小渕沢・八ヶ岳イベントの報告(1)**
**小渕沢・八ヶ岳イベントの報告(2)**
**小渕沢・八ヶ岳イベントの報告(3)**

井戸尻遺跡を後にし、次は野辺山の電波天文台に向かいます。
この天文台は光学天体望遠鏡の施設ではなくて、たくさんの天体から送られてくる、様々な「電波」をパラボラアンテナでキャッチして、それを分析する天文台です。

ですから見学と言っても望遠鏡を覗けるわけではありません。
重要な施設に立ち入事もできないので、あくまで施設見学ということで伺いました。

こちらの訪問は3度目ですが、何度来てもその度に大きなパラボラアンテナに驚きます。

そんな中、今回は少し興味深い屋外プレートを発見しました。(下の画像)

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この電波望遠鏡により宇宙空間には18種類もの分子があることを発見したとのことです。
そして興味深いのがこちら。

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この画像は、先頃まで地球に大接近していた火星を撮影したもの(左側)ですが、右側はその一部を拡大したものです。
ここにある規則性を持った白い点は、プラーナエネルギーの可視化したものだと思いますが、上の天文台の屋外プレートにある図とよく似ていますね。

もちろん火星の方は(プラーナ)エネルギーですので、分子とは言い難いでしょうが・・・
なんかよくわかりませんが「面白い!」と思ったのでアップしておきます。

さて見学を終え宿泊先に向かいます。

乗用車3台で移動していたのですが、各クルマにホテルの場所を伝えカーナビで各自向かってもらう事にしました。

私の車もカーナビを頼りにホテルに向かったのですが、不思議な事に想定した時間を大幅に過ぎてもホテルに行き着く事ができません。

しかもナビで指示される道を走って行くと、明らかに林道なのか農道なのか狭く車も通らないような、草ぼうぼうの雑草が生えまくった小道を示します。

車に同乗の人たちも、その明らかにおかしな道を指示するナビに首を傾げています。

それでもしっかり到着場所を示しているのですが、あまりに長い時間かかるので、一旦車を止めて再確認したら・・・

なんとホテルとは180度真逆の、特に何もない場所が到着地点になってるではないですか!
ナビへの設定時には電話番号と到着地点をしっかり確認してから出発したのに、なんともおかしなことでした。

ただこの時には「このカーナビ使えないね」という事で済ましたのですが、この後それがナビの不具合なんかではない事が分かるのです。それはまた後で。

ようやくホテルに到着、先に着いていた2台の人たちも首を長くして待っていました。

ホテルでの到着後、すぐに夕食の時間。
1時間ほどかと思っていたら、皆さん思いの外話が弾みあっという間に夜間観測の時間となります。

希望者だけという自由参加でしたが、ほぼ全員が参加し、昼間行った井戸尻遺跡で夜間観測会をする事に。

今度は2台に全員が分乗し場所が場所だけに、街灯もろくにない暗い道を走っていると道の脇を猫が歩いています。
「人家もないようなところにいるって、野良かな?」

などと話していると、また前方に何やら動物が、でも猫にしては少し大きく色が茶色、私はすぐに

c0319737_00005989.jpg「あ、狐だ」
と声に出しました。
その狐は悠然と車の前を横切って林の中に消えて行きました。

この時すぐ「間違いなく化かされるな」と思いそれを皆さんに伝えました。

でも行きの車は迷うことなく真っ暗な井戸尻遺跡の駐車スペースに着きました。


遺跡に着いた時には、残念なことに厚い雲に覆われた空は星影一つ見ることができません。

それならそれでやるべきミッションがありましたので、全員で遺跡に体を向け悲しみの縄文の癒しと、封印の解除を行いました。

地中深く埋められた「縄文のクリスタル」に、ベールのように覆い被された「弥生のクリスタル」を剥がす事を参加者全員で昼間以上に意識を集中しイメージしました。

しばらく意識を集中してると数名の方が「地中からの感謝を受けた」「ベールが剥がれた」「悲しみから解放された」というメッセージを同時に受けたことを教えてくれました。

私も弥生が、故郷であるオリオンへの帰還を全うできるよう願うと、今まで故郷に戻りたくても戻ることを阻止されていた苦しみを伝えてくれたのです。

「ああ、ここでも弥生は帰るべき道を閉ざされていたんだね」と思い、しみじみしてしまいました。

そしてそれと同時に、閉じ込められていた縄文の解放も(もちろん全てではありませんが)少しなりと役立てたかなと感じたのです。
これで今回のメインとなる井戸尻の解放ワークは終了となりました。

下の画像はオマケ。
星空が見えなかったので、暗闇を撮影し、そこに写り込んでいたオーブたちです。

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さて遺跡でのミッションを終え、また2台の車に分乗しホテルへの帰路につきます。
ところがまた2台は離れ離れになってしまい、別々の道から帰ることとなったのですが・・・・・

先ほどの狐のお話が、やっぱり現実となりました。

続きます。











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by farmemory | 2018-09-24 00:08 | ・イベントメモリー | Trackback | Comments(0)

**小渕沢・八ヶ岳イベントの報告(3)**

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前回からの続き。
**小渕沢・八ヶ岳イベントの報告(1)**
**小渕沢・八ヶ岳イベントの報告(2)**


縄文には大きな争いや、奪い合いのない平和な楽園が続いていました。
しかし私たち人類はある時にこの地球をネガティブを体験するための地球として生まれ変わる事を願ったのです。

2年前に行った茅野市の尖石(とがりいし)遺跡も、この井戸尻遺跡に匹敵する悲劇の場所でした。
しかし両方の遺跡からは遺物が多く発掘されていますが、人骨は発見されていません。

おそらく縄文人達の遺体は、この井戸尻や尖石の平原で灰にされのでしょう。
そしてその地に染み込んだ縄文人の夥しい血が地中深く染み込んで行った事も感じました。

また弥生が来る前に縄文人達は、自分たちの文明が終焉することを覚悟し、それまで自分たちが使用してきた大切な「縄文水晶(クリスタル)」をこの遺跡の奥深く埋めました。

そしてその悲劇の後、弥生人は縄文の水晶を掘り出そうとした様なのですが、縄文人自らが張った結界を破る事が出来ませんでした。

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それほどまでに縄文クリスタルは強い力を持ち、掘り出す事ができなければ、常に縄文のエネルギーが地表に滲み出てきてしまい、せっかく人々に様々なネガティブを体験させるという弥生の願いが叶わなくなります。

そこでやむおえず弥生人達は、自分たちが使用する「弥生水晶(クリスタル)」の欠片を、縄文の封印としてその地に振り撒いたのです。

今回伺った井戸尻遺跡の悲しみと胸の奥底に感じた重さは、まさにこれが理由だった様です。

そこで参加された皆さんと、縄文の上に覆いかぶされたベールの様な弥生の封印を解き放つミッションを行って来ました。

このミッションはかなりヘビーなものでしたが、奇しくも雨の中(実際には濡れることはありませんでしたが)での浄化ミッションとなりました。

また今回の参加者はプレアデス、リラ、そしてシリウスと様々な故郷を持つ参加者(混成部隊)で行わなければならない重要なものだった様に思います。

それだけ重い活動だったため、水による浄化も大きなバックアップだったのだろうと思うのです。

また今回のミッションは縄文の解放と同時に、この地に染み込んだ縄文人の血と悲しみにより、もたらされた「カルマ」の解消も意味する事でもありました。

最近行う縄文解放とオリオンの帰還ミッションはどちらか1日は必ずと言って良いほど雨が降ります。

それは雨による浄化というバックアップを受け、更には参加者の安全(雨=水 により参加者を重いエネルギーから保護する役割を持つ)と、効果アップのために降らしてくれているとの確信を今回持ちました。

イベント時に雨が降るということは、それだけ重要な意味を持つミッションであると言う事なのだろうなという自負も持てました。

確かに水は、ネガティブな重いエネルギーから人体と精神を確実に守ることは以前から理解していました。

また水の持つパワーだけではなく、膨大な記憶の掘り出しとアカシックレコードへのつながりを促進する役割もあるようなのです。

水の結晶は水晶です(科学的には氷ですが・・)
そして水晶は、欠片一つでも半径20キロの土地を消滅させるだけのパワーを持ち、またそこに記憶されるデータ量は、想像を絶するほどのストレージ(容量)を持つ記憶メディアでもあるのです。

雨は地を固め、汚れを流し、浄化し、潤いを与え、多くの感情を記憶します。

それでも気持ちの中では「たまには晴れたら良いのに」と思う事も無いではなく(笑)
特に自然の中での夜間観測会でしたら、満点の星空を見るという楽しさもあるんですけどね。

でもヨクヨク思えば、空を飛ぶ故郷の仲間たちの光やシップを目撃することと、雨に守られながら重要なミッションを遂行するのと、どちらが優先事項かを思えば贅沢は言えないですね。

遺跡広場の後、近くの水田に植えられている縄文蓮(大賀ハス)を見学しました、もう時期は過ぎていると考古学館の学芸員の方は言っていましたが、ほんの数本ですが健気に咲く綺麗なハスの花を見ることが出来ラッキーでした。

縄文の人々の魂を上昇させるミッションの場所に咲いた蓮の花、まるで絵に描いたようでした。


次回に続きます。



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by farmemory | 2018-09-22 00:18 | ・イベントメモリー | Trackback | Comments(0)

**解体作業**

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宇宙の法則は「無常」です。(この世界は常に変化して行くもの、永遠は存在せず移ろい行くものという意味)

どれほど安定していたと思われれることも必ず変化して行くと言う不変の法則。

イエス誕生以来2000有余年、人類はある法則やルールに則ってこの社会を秩序ある世界として安定を図ってきました。
その安定は5つの力により支えられてきました。

金融
軍事
医療
教育
宗教

※この100年の間には、これに「マスメディア」が加わります。

今この全てに大きな変化が見て取れるようになって来ました。

特に経済(金融)が大きなターニングポイントに差し掛かって来ていると思います。
安定の反対は不安定です。

変化は不安定な姿を晒し始めたら、それが合図となって加速して行きます。

また「正義や人道、扶助や責任、誠実や平等」が、その理念のトップに来るはずの各国の政治も、今は見る影もない残念さを呈しています。

これも正に不安定を物語っていると思います。
つまり変化の始まりです。

そしてその変化の促進を担うグループがその頂点にいる事に、実は大きな意味があるかもしれません。

つまり「壊し屋さん」の役割です。
安定した世界をぶっ壊して行く汚れ役が、長い目で見ればこの2000年を終わらせる解体屋の役割を担っていると思います。

今までの2000年間、安定してきた世界も、見方によっては虚像の世界であり、堅牢な城だとの思い込みや刷り込みだけで成り立っていた砂上の楼閣でもあるのかもしれません。

おそらく現行の貨幣制度や資本主義は、一番にその変化に晒され、嫌でも次の次元に沿う形のものに変化を続けて行かざる得ないでしょう。
人類一人一人の意識が、金融に振り回されない生き方をするようになればなるほど、その存在意義に大きな変化が起こって来ます。

今、若い人を中心にお金自体の価値観の変化が起こっています。
実際、若い世代は必要以上に稼ぐことに意味を見出さなくなっているように思います。
必要なものが必要な時に、最低限あればいいという意識です。

もちろんその対極にいる若い人たちも「都会」を中心にいる事も間違い無く、その2極化は限界に近付きつつあるように思います。

蓄財を持つ事がステータスだった時代は終わろうとしています。
そしてそれと同時に行政サービス(社会保障制度)を対価に人々を囲い込むシステムの大きな変化も、年金制度の危うさや保険制度の後退がそれを物語っています。

安定した世界に生きて来た人類にとってこれらの変化は「良からぬ変化」と映るのは当然でしょう。
しかし次の次元は誰にも責任転嫁できない次元を意味します。

その次元では全ては自分自身の力と責任で切り抜け、国家は存在していても頼るものではなく従うものでもないと気がつく為の解体作業を担う人。

人々に、政治や国家は幻想なのだと言う事に気付かせ、そこから立ち去るよう仕向ける役割を担うリーダー。
心当たり、ありますか?

独り言です。











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by farmemory | 2018-09-21 01:19 | ・今日の日記 | Trackback | Comments(0)

**小渕沢・八ヶ岳イベントの報告(2)**

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c0319737_01295639.jpg

前回からの続き。
**小渕沢・八ヶ岳イベントの報告(1)**

この八ヶ岳の地は無数の縄文の遺跡や遺構が点在する、日本でも稀に見る縄文天国と言われています。
確かにこの地域は「最後の縄文」の地であったのは間違いありません。

しかし・・・
2年前にも同じ八ヶ岳の山麓である茅野で縄文の解放ワークを行ったのですが、その時と同じような深い悲しみと、痛みと、重さを感じたのです。

かつて日本のエデンであった縄文は弥生に蹂躙され、その地を明け渡したという経緯があります。
大陸から半島を渡り九州、中部地方から日本に侵入してきた弥生は、怒涛の勢いで本州を東進して来ました。

ところが南アルプスと、この八ヶ岳で、その進撃が止まります。
自然の盾となった南アルプスと八ヶ岳、そして縄文が命がけでこの地を死守したためです。

そのため弥生は作戦を変え、半数が北に向かい松本から糸魚川沿いを通り日本海に出て、そこから海路日本海を北上し津軽に上陸。
このルートは、まさに過日糸魚川での大火災のあった場所で、縄文の封印解き(血による争いのカルマの清算)と繋がったと思うのです。

そこから今度は南進し、この八ヶ岳で挟み撃ちにし縄文を殲滅しました。
その戦いのビジョンを私もスキャンしてみた事があるのですが、とても悲劇的な場面でした。

またさらに少数の弥生は津軽海峡を越え北海道にまで足を伸ばし、石狩湾にも上陸を果たしています。
ちなみに小樽で生まれたというソーラン節がヘブライ語で解釈出来るという話からも。その軌跡をうかがい知ることが出来て興味深いです。

しかし北海道では函館、小樽周辺を別として、全道に弥生が根付くことがありませんでした。
何故なのかな?
と思って意識を集中してみたところ、とても面白い答えが返ってきました。

アイヌの人々は本来の日本人として縄文を受け継いで生きて来ました、その文化はまさに自然と一体となって生きるというライフスタイルです。

そしてアイヌの人々は、遠くネイティブアメリカンと同じ意識を持ち、万物には全て魂が宿るという考え方を持ち暮らしていました。

だから北海道に住む全ての生き物は自分たちともワンネスの関係であるという意識を持っていたわけで、その中でもヒグマも神として崇めていました。
同じようにエゾオオカミも犬神として畏敬を持ち、共に暮らしていました。

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彼ら動物たちもまたアイヌの人々を共に生きる者たちであると理解していた筈なのです。

そこに人間優位(第一)の概念を持った弥生が踏み込んできたのです。
そのため自然のバランスが大きく崩れ、彼ら動物たちは人間と敵対する「野獣」となって弥生人達に襲いかかったと思われます。

流石に神としての力を持つヒグマととオオカミ達には手を焼いた事でしょう。

さらに、万物に魂が宿り、全てが天のシナリオに従い繋がっているという生き方をするということは、土地も山も森も、冬の厳しさ(気候)さえも魂を持った者として共存するということであり、そのバランスを崩す意識を持った弥生には北海道という生命体がNGを突きつけたのだろうと思うのです。

こいうして北海道は江戸・明治に至るまで縄文の意思を継承するアイヌ文化が守られてきたのだと思います。

そんなことを思っていた時、これと同じことが琉球(沖縄)でも起こったのではないかと感じました。
弥生が縄文を駆逐し、逃げ延びた縄文は北海道と琉球に追いやられたと言う話は誰もが知ることです。

沖縄の方言とアイヌの方言に幾つも共通するものがあることもまた、大変に興味深いものです。

そして琉球に追いやられた人々は、熊や犬神に変わりハブの毒に守られ、高い精神性を持つ沖縄という生命体もまた北海道と同じ力を持ち、弥生を容易に近づけなかったのではないかと思うのです。

因みに北アメリカに住んでいたネイティブアメリカンの人々が、白人文明により崩壊に追いやられたのも、時代の違いはあれど、ネガティブを願う人類たちの総意によってもたらされた事なのだろうと思うのです。

新天地を求め海を渡って来た西武開拓の本来の(深い裏の)意味は、この辺りにも有るのでは?と思ったりもします。


縄文と弥生のお話はもう少し続きます。











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by farmemory | 2018-09-20 01:30 | ・イベントメモリー | Trackback | Comments(0)

**小渕沢・八ヶ岳イベントの報告(1)**

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今回から先日行いました小淵沢・八ヶ岳イベントの報告を記事にして行きます。

大変面白い不思議な体験や縄文の記憶、意識で見た縄文時代のビジョンなど、とても興味深く深いイベントでした。

この報告記事には、今回の北海道の地震にもつながるお話も含んでいます。
さらには次元のお話などを交えてお話しして行くため、7回程に分けての大変長い記事となります。

途中別の記事や緊急性のあるお話などある時には、それも挟んで続けて行ききますので、のんびりお付き合い下さいませ。

今回はイントロで、2回目以降不思議体験や次元のお話などがが散りばめられて行きますのでお楽しみに。

   ・

1日目JRの小淵沢駅で皆さんと待ち合わせ、この日は台風21号の影響で空はどんよりと曇っていました。

皆さんが集まったので、近くに古民家カフェにてランチを頂きました。

ご夫婦で営まれているこのカフェ 「DeuxChats(ドゥシャ)」は、古い古民家をリノベーションした雰囲気あるお店です。
メニューは無農薬・有機野菜を中心として体に優しいメニューを心がけておられるとの事で、今回いただいた日替わりランチも地元のお野菜を踏んだんに使った優しいランチでした。

食後に頂いたケーキセットも、とてもシンプルで素朴なケーキ達。
また小渕沢に寄ることがあればぜひリーピートしたいと思うカフェでした。

その後に遅れて合流された方達と車で井戸尻考古学館へ。

途中パラパラと雨が降っていましたが、考古学間に着いた時にはほぼ上がっていました。
博物館に展示されている主なものは縄文の土器と土偶、そして復元した縄文の生活グッズがたくさん展示されていました。

みなさんでワイワイと入館したら、館内でビデオを見ていた爺様に「静かに!」と叱られてしまいました。

ここに展示されているものは主にすぐ目の前にある井戸尻遺跡から出土したものがメインで、その中の幾つかが、先日上野の縄文展で展示されていたものがあり「貸出中」のプレートでアナウンスされていました。

でも私が一番見たいと思っていた「水煙渦巻文深鉢」はしっかり展示されていて有り難かったです。

また展示物の中に当時の弓矢を再現したものがありました。

遺物ではなく再現された現行品なのですが、私は高校、大学と弓道部に所属していましたのでとても興味深かったです。
矢尻は黒曜石で作られていますが、むしろその方が鉄器よりも軽く、矢羽を小さくすることもでき「理にかなっているんじゃない」なんて思いました。
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矢は篠竹、矢羽はキジ、弓は藤、弓弦は麻。だと思います。
できればこの弓を一度「引いて」みたいなと思って眺めていました。

考古学館の見学を終え井戸尻遺跡に向かいます。
館の目の前に広がる遺跡には、竪穴住居が復元され、見る限りのどかな芝生が広がっています。

この縦穴には入ることが出来るので薄暗い中に入って見ました、すると後から入ってきた皆さんが「うわ、気持ち悪い」と直ぐに外に出て行きます。

実は私もこの住居のある広場に立った時に、なんとも言えない「重さと、悲しみ」を感じたのです。
その出どころは明らかに足元からです。
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その中には救い難い「血」の匂いさえありました・・・

では次回からイベントのお話を始めます。











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by farmemory | 2018-09-19 00:16 | ・イベントメモリー | Trackback | Comments(0)

**リラ物語13(リラの魂と恋愛)**

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これまで、天の摂理における愛に関してお話ししてきました。

温かい想い、慈愛、受け入れる寛容さ、そして無償の愛によって生まれるポジティブなエネルギーが、まるで漢方薬のようにこの地球の次元移行に緩やかで、しかし強い効力を見せるというお話でした。

無償の愛とは、見返りを求めない愛です。

ただただ相手に対し「あなたの愛を得る前に私はあなたを愛したいのです」
そう向ける愛の形とでもいいましょうか・・
見方によればとてもストイックにも感じられる愛の形となります。

これとは対照的に即効性と強い物理的エネルギーを生み出すのがリラが担当する「愛」の形です。

それはマリアのような慈母に満ちた愛とは対照的に、パートナーを受け入れ愛するという異性愛を指します(この異性愛は同性愛を一部含みます)

相手への過度な執着もなく、作為もなく、駆け引きもなく、ゲームでもなく、今目の前にいる愛すべき者と心から求め合う「愛の時、愛の喜び」

その時に生まれるエネルギーの事を言います。
このエネルギーは時に強大なパワーを生み出し、それが異性間の「無垢な愛」という根元から生まれたものであれば、それこそ一瞬にして暗闇の隅々に強烈な光を振り注げる力を持っています。

今回からリラのエネルギーの根源である「愛」
恋愛、異性愛、性愛のパワーについて触れ行くことにします。

この順番は、いわば地球に還元できるエネルギーの強度でもあります。

まずは恋愛という緩やかなエネルギーからお話しして行きましょう。

◆リラの魂と恋愛

まだまだ幼い少女と少年が、体の成長とともに異性への淡い恋心や友情の学年から恋愛という学年に入って行きます。

この段階で幼い者たちが相手への執着を知り始めます。
そして疑心暗鬼や、切なさ、不安さえこの教科から学んで行きます。

また異性を想う時の胸を締め付けられるほどの痛みや至福感も同時に知り始めます。
しかし、この段階では残念ながらまだ地球に還元できるパワーを生み出すには程遠く、幼い者たちの成長の一過程にすぎません。

しかし恋愛は幼い者たちの特権ではありません。

彼ら以上に長く人生を送ってきた男女、老成した者であっても恋愛意識は衰えることなく心の中にしまいこんでいます。

まして、リラを故郷とする魂の持ち主は、日々の生活の中で忘れていただけではなく、それ以上に愛というパワーを使いこなせる人々であったがために、古い時代には命さえ狙われるという過酷な日々を送っていました。

そのためそのパンドラの箱(自分の中で眠り込んでいる恋愛への憧れ)を開けることを恐れ、心の奥深くにしまい込んでいる人も決して少なくはないでしょう。

恋愛から結婚、そして親となり子育てにかかりっきりになっていた日々が終わり始めると、人は箱に入れて静かにしまい込んでいた恋愛という小箱の存在を思い出し始めます。

ただ、この恋愛とは確かに異性を想うエネルギーには違いはありませんが、愛する伴侶を悲しませてまで走ることを推奨しているわけではありません。
(でも推奨はしませんがが否定もしません)

恋心を持つという事は、心の中に言い知れぬ温かさを生み出します。それが大人の恋愛です。

子供の恋愛では、相手への執着や束縛意識を持ってしまい、まずは自分の心の満足に意識が向いてしまいます(大人になってもそこから抜けきれない方もいますが・・)

しかし恋愛という学習単位をある程度取ってきた大人の恋愛は幼い者たちの見境もない驀進するような恋愛ではありません。
相手の身になってものを考えられるようになってきていますので「配慮」という事も身につけています。

また幼い恋愛で知った相手への「拘束や執着」が過度になれば何をもたらしてしまうかも学習しますので、どれ程相手を好ましく思おうと”ここから先”というボーダーを超えることなく静かに相手を想う恋愛表現となります。

※この「配慮」ということを社会常識や理性、教育や道徳としては捉えてはいません。

自分が体験した(たとえそれがこの人生でなく、遠い過去の人生であっても魂にその記憶が刻まれていますので)痛みを知るものは、相手に対し”配慮”なく痛みを伴う行為を仕掛けることはできない、してはならないのではなく「出来ない」という意識と捉えています。

逆に言えば、その痛みを知らなければ相手への配慮に至らない(知らないからしてしまう)こともあるでしょう。

リラの根源からの恋愛感は、一見このように控えめな行動パターンを示しますが、逆に激しさや爆発力はない反面、相手への想いそのものの重さがとても強く、簡単なことでは相手を見限ったり離れたりしないことも特徴です。

この段階の恋愛エネルギーになると、それが少なからぬパワーを生み出して行きます。

   ・ 

リラの愛という範疇から少し離れますが、恋愛は異性だけへの恋心を指すのではない時もあります。

中には自分のライフワークとして行っている行動や仕事、興味を持つあらゆる対象に対し恋愛感情(自分ではそれとはわからないでしょが)を持ってしまうことも、見方によれば「恋愛」と解釈しても大きく違ってはいないでしょう。

「あなたの恋人って、仕事?」
「舞台に立つ君を見ていると、まるで舞台に恋をしているみたいだね」

こんな言葉を耳にすることもあるかと思いますが、まさにこの状態が「その人」にとっての恋愛といってもいいかもしれません。

つまり、自分が思う対象物を想い、焦がれ、至福を感じた時、それは恋愛と同義なものなのでしょう。

幾つになっても結婚しない、相手がいない、一人でいることに不満がない。
社会的に見れば奇異なことと写ってしまおうが、その人にとってその状態が心地よければ、間違いなくそこからゆるやかで暖かいエネルギーが生まれ、そして地球に還元されて行きます。

これはリラの持つ恋愛エネルギーとは少し異質なものですが、しかし同じように地球は喜んでその人が作り出してくれるポジティブなエネルギーを甘受してくれるでしょう。











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by farmemory | 2018-09-17 00:44 | ・リラ物語 | Trackback | Comments(0)

**トラウトサーモンの謎**

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よくスーパーなどで「サーモントラウト」なる名前で切り身として売られていますし、回転寿司などではサーモンの名前でクルクルしていることもありますが・・
日頃私はなんとも釈然としない事があるのです。

「サーモントラウト」なんて言う魚この地球上には存在しない魚なんですよね。
本来サケ(鮭=サーモン)、マス(鱒=トラウト)は、水産学的にはそれぞれ別の魚なのですよね。

しかもスーパーなどで売られている「安価な」サーモントラウトという魚の多くはニジマスの品種改良「ヤシオマス」が殆どのようです。

ただ遺伝子操作をして誕生させた魚ではありませんが、それでも人口交配によって作り出された、自然界には存在しない魚であることには違いないでしょう。(私は特に気にしないで口にしていますが)

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(この画像がヤシオマスです、わかる人ならこの画像を見てニジマスって分かりますよね)

じゃあなんで存在もしない魚名を発明?して市場に出しているのでしょう?
「どうせみんな魚の種類も名前も知らないのだから、勝手に名前つけて売ってしまいましょう」

だとしたら経済優先で、食文化や食の安全後回しな様に思えて、なんだかとても残念です。

最近魚、特にスーパーに並ぶ魚の切り身のネーミングに違和感がありまくりです。

とろサーモンとか白身のトロとか、トロってマグロの腹身の限定名なんですよね~
しまいにはトロ豚とか・・
もうどうなっちゃってるの?って感じです。

まあそれでも美味しいと思って食べる限りは「そんな細かいこといいじゃん!」かもしれませんが・・・

ニジマスって寄生虫持ってる可能性が100%無いとは言えないと思っているので、鱒類の生食は一旦冷凍してから口にするようにしています。(Top画像です)

ちなみに「アトランティックサーモン」と言う、同じように身の赤い鮭科のお魚は「大西洋鮭」と言うれっきとした鮭の仲間でニジマスの改良品ではありません。

また鮭鱒類は身が赤くても「白味魚」の分類なんですね、なので鮮魚であれば調理も白身魚と同じようなレシピがとても合うわけです。

またヨーロッパの内陸地域ではブラウントラウトという鱒が代表格で、料理も油を使うのが一般的で、この点も白身魚として扱われていることが感じられます。

ちなみにシューベルトの「鱒」で扱われている魚はこの種類(ブラウントラウト)と言われています。


さてアトランティックサーモンは主にノルウェーやチリで養殖された輸入魚ですね。

日本でも「銀鮭」が宮城県などで養殖されていますがこれも鮭の仲間、この2種は海での養殖なので淡水魚のニジマスに比べ生色のリスクは低い筈です。

銀鮭も、日本人が好む「鮭」ではなくコーホサーモンという別種の鮭です。

因みに鮭缶として一般に売られているものは、鮭ではなく「カラフトマス」が主流なんですね。
このマスは北海道でも秋になると川を遡上しますけど、絶対数は鮭に比べれば圧倒的に少ないので、鮭缶に使うカラフトマスの多くが外国産、もしくは外国でカンズメされた物なんですよね。


さて、鮭といえば、やっぱり荒巻(塩鮭)、また新潟の村上の塩引き鮭もよろしゅうございますね。
先日もアメ横で時鮭を一本買ってきました。
時鮭はまだ産卵のため川を遡上する時期よりずっと前に(まだ完全な成熟前の個体)、海で取れる鮭です。まだ遡上の時期より前ですよ、だから時を知らない「時知らず、時鮭」なんて言うのだそうです。

確かに河川への遡上前の時鮭は、鮭鱒類特有の微妙な臭みというか香りが殆ど感じられませんね。

荒巻鮭も塩を控えるなんて残念ですね、しっかりと天然の粗塩を刷り込んで風干しした鮭はなんとも言えず美味しゅうございます。

できればグリルや焼き網でしっかり焼いて頂きたいですね。
岩塩とローズマリーを振りかけて網焼き、最後にオリーブオイルをかけて頂くなんてのもいいですね。

魚はレンジでチンなんてしたら、生臭くなってしまうので、最低でもフライパンでしっかり焼け目をつけて頂きたいですね。
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私は、魚が大好きで自分で魚をおろします(鰻もおろせます)ので、魚には詳しくなりました。
今度魚の検定を受けようと本気で思っています。

そうそう秋刀魚は今年豊漁なんですってね。
隣の国が公海上で秋刀魚の大量捕獲をしているから秋刀魚は近年不漁と言われていましたけど、どうなのでしょうその辺?

今海産資源の大きな変化が言われ続けています。

以前海をスキャンして感じたこととシリウスへのコンタクトをして受け取ったお話では次元移行中の今、地球上のいくつかの生物群が役割を終え帰郷し始めていると言う事です。
その生物群の中でも海の生物が顕著なようです。

その真意もいずれ近い将来解明されて行くと思うのです。











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by farmemory | 2018-09-16 00:00 | ・今日の日記 | Trackback | Comments(0)

**お仕事と使命(2)**

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前回からの続きです。

よく頑張ってきた自分に安らぎと労いの言葉を贈ってあげることはできた。
さて、ではこれからどうしよう?

その前に次へのステップに入るその前に、心しておく事があります。

どこに身を置き、何をし、どう生きていようと、ますは自分自身を非難したり評価を下げたりする事だけは避けてください。

自己批判や、自虐的な意識は、例え仮面の社会を知ったとしても、次のステージに向かう時には不要なもので、時には足かせにもなり得ます。

魂の使命とは離れていると感じる自分にダメ出しは不要な事です。
生きる為致し方なく頑張っている自分に「本当によく頑張っているね」と言って上げなければ、自分の存在自体が無意味になってしまいます。

使命に進むために不条理な社会に足を踏み入れただけの事なのですから、自己批判は不要なんです。
大切なことは「理解」し「気がつく事」なんですね。

「ああ、そうなのね、自分がいる組織や社会って、こんなだったのか。ふ~~ん、なるほどね」

これだけでいい事なのに、人は得てして「襟を正さなければ、正義感を持たなければ」という、大して意味の無い謹言を自分に言い聞かせようという厄介な癖があるんですね。

「いつでも正しく生きるべき、人のために役立ち人に評価されるべき、常に自己批判を忘れるな」
これ、実ははある意味マインドコントロールなのかもしれないのです。

「正しい人、清廉潔白、人格者」
そういう人になるって、社会的に従順でルールを守る人ということですよね。

では今の社会が本当にまともで、そこで従順でいる事に誇りが持てる社会なの?
社会のルールはなんの目的で、誰が作ったの?
その社会ルールに従うことにどれほどの意味があるの?

人を傷つけ、引き摺り下ろし、踏みつける社会って気がついたのではないのですか?
ならば社会基準に従う人間でいることにどれほどの価値があるかは言うまでもない事ですね。

「ふ~ん、そういう会社だったんだね、それは興味深い」
そんな達観で、家族を守るためだけに対価をもらってお家に帰って家族と楽しい日々を送っていれば、そこに社会に翻弄されない自分が見えてきます。

自分は命がけで海を渡って子育てをしているツバメなんだと思いましょう。
ツバメたちは、子供を育てることだけが興味の対象、自分の仕事がどう評価を受けているかなど関係ないのです。

早い話、現行の社会の中での「仕事」に使命と呼べるものがあるのかな?と言う事でもあるんです。

でもこれはまあ、かなり極論。
もちろん仕事(対価をいただく事)と使命が一致しないのかといえば、そんなことはありません。

肝心なことは、どんな仕事をしているかではなく、すごく単純なことなんですが「その仕事を楽しんでいる?」その一点でしょう。
他者には分かりかねる事ですので、それはご自分に聞いてみてください。

「もう今の仕事が楽しくて楽しくて、毎日心はニッコニコ」
ならば、その人は使命の一つを果たしていることになるんです。

そうなんです、仕事という「行動」自体が使命なのではなく、何をしていようと自分に偽ることなく居られるかが、使命を果たしているかの重要な事なのです。

自分を偽っているとしたら、どれほど「人のために」と言おうと、人が評価しようと使命ではないということなんです。

仕事では毎日辛いし、ストレスがある。だとしたらその仕事は魂が約束してきた使命とは少しばかり違う。

でも趣味の世界にいたら、もう時間の経つのも忘れて心がニッコニコ。
なら”今”はそちらの方がより使命に近いのだと言う事なのです。
「今」はと言ったのは、これから先の使命はまた変化するかもしれないからです。

私たちは生きています、そしてこの地球からからこの体を借りている地球の子供達です。

そのためにすべきことは、自分の中に生まれるエネルギーを地球に還元する事なんです。

ストレスを産めば、自分自身を傷つける事になり、何よりお母さんである地球をとても悲しませてしまいます。
ご自分が人の親でしたらお分かりになると思います。

自分の子供達にどうあってもらいたいと思いますか?
世界中の子供達にどうあってもらいたいと思いますか?

ストレスに押しつぶされて、自分自信を非難し、自分自身を傷つけ、自分自身の存在なんかなくなってしまえばいい。
そんな子供達を見たらどうでしょう。

お母さんである地球は、私たち人類皆等しく可愛い子供達、そのおかあさんの思いに報いることも、きっと使命の一つになると思うんです。

とても観念的なお話のように聞こえるかもしれませんが、私たちはエネルギーで成り立った存在です。
そしてエネルギーを生み出す存在でもあります。

どんな種類のエネルギーを生み出す自分でいるかが、とても大切な「使命」なのです。











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by farmemory | 2018-09-14 00:05 | ・意識の自立と進化 | Trackback | Comments(1)