カテゴリ:・イベントメモリー( 34 )

**小渕沢・八ヶ岳イベントの報告(2)**

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前回からの続き。
**小渕沢・八ヶ岳イベントの報告(1)**

この八ヶ岳の地は無数の縄文の遺跡や遺構が点在する、日本でも稀に見る縄文天国と言われています。
確かにこの地域は「最後の縄文」の地であったのは間違いありません。

しかし・・・
2年前にも同じ八ヶ岳の山麓である茅野で縄文の解放ワークを行ったのですが、その時と同じような深い悲しみと、痛みと、重さを感じたのです。

かつて日本のエデンであった縄文は弥生に蹂躙され、その地を明け渡したという経緯があります。
大陸から半島を渡り九州、中部地方から日本に侵入してきた弥生は、怒涛の勢いで本州を東進して来ました。

ところが南アルプスと、この八ヶ岳で、その進撃が止まります。
自然の盾となった南アルプスと八ヶ岳、そして縄文が命がけでこの地を死守したためです。

そのため弥生は作戦を変え、半数が北に向かい松本から糸魚川沿いを通り日本海に出て、そこから海路日本海を北上し津軽に上陸。
このルートは、まさに過日糸魚川での大火災のあった場所で、縄文の封印解き(血による争いのカルマの清算)と繋がったと思うのです。

そこから今度は南進し、この八ヶ岳で挟み撃ちにし縄文を殲滅しました。
その戦いのビジョンを私もスキャンしてみた事があるのですが、とても悲劇的な場面でした。

またさらに少数の弥生は津軽海峡を越え北海道にまで足を伸ばし、石狩湾にも上陸を果たしています。
ちなみに小樽で生まれたというソーラン節がヘブライ語で解釈出来るという話からも。その軌跡をうかがい知ることが出来て興味深いです。

しかし北海道では函館、小樽周辺を別として、全道に弥生が根付くことがありませんでした。
何故なのかな?
と思って意識を集中してみたところ、とても面白い答えが返ってきました。

アイヌの人々は本来の日本人として縄文を受け継いで生きて来ました、その文化はまさに自然と一体となって生きるというライフスタイルです。

そしてアイヌの人々は、遠くネイティブアメリカンと同じ意識を持ち、万物には全て魂が宿るという考え方を持ち暮らしていました。

だから北海道に住む全ての生き物は自分たちともワンネスの関係であるという意識を持っていたわけで、その中でもヒグマも神として崇めていました。
同じようにエゾオオカミも犬神として畏敬を持ち、共に暮らしていました。

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彼ら動物たちもまたアイヌの人々を共に生きる者たちであると理解していた筈なのです。

そこに人間優位(第一)の概念を持った弥生が踏み込んできたのです。
そのため自然のバランスが大きく崩れ、彼ら動物たちは人間と敵対する「野獣」となって弥生人達に襲いかかったと思われます。

流石に神としての力を持つヒグマととオオカミ達には手を焼いた事でしょう。

さらに、万物に魂が宿り、全てが天のシナリオに従い繋がっているという生き方をするということは、土地も山も森も、冬の厳しさ(気候)さえも魂を持った者として共存するということであり、そのバランスを崩す意識を持った弥生には北海道という生命体がNGを突きつけたのだろうと思うのです。

こいうして北海道は江戸・明治に至るまで縄文の意思を継承するアイヌ文化が守られてきたのだと思います。

そんなことを思っていた時、これと同じことが琉球(沖縄)でも起こったのではないかと感じました。
弥生が縄文を駆逐し、逃げ延びた縄文は北海道と琉球に追いやられたと言う話は誰もが知ることです。

沖縄の方言とアイヌの方言に幾つも共通するものがあることもまた、大変に興味深いものです。

そして琉球に追いやられた人々は、熊や犬神に変わりハブの毒に守られ、高い精神性を持つ沖縄という生命体もまた北海道と同じ力を持ち、弥生を容易に近づけなかったのではないかと思うのです。

因みに北アメリカに住んでいたネイティブアメリカンの人々が、白人文明により崩壊に追いやられたのも、時代の違いはあれど、ネガティブを願う人類たちの総意によってもたらされた事なのだろうと思うのです。

新天地を求め海を渡って来た西武開拓の本来の(深い裏の)意味は、この辺りにも有るのでは?と思ったりもします。


縄文と弥生のお話はもう少し続きます。



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by farmemory | 2018-09-20 01:30 | ・イベントメモリー | Trackback | Comments(0)

**小渕沢・八ヶ岳イベントの報告(1)**

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今回から先日行いました小淵沢・八ヶ岳イベントの報告を記事にして行きます。

大変面白い不思議な体験や縄文の記憶、意識で見た縄文時代のビジョンなど、とても興味深く深いイベントでした。

この報告記事には、今回の北海道の地震にもつながるお話も含んでいます。
さらには次元のお話などを交えてお話しして行くため、7回程に分けての大変長い記事となります。

途中別の記事や緊急性のあるお話などある時には、それも挟んで続けて行ききますので、のんびりお付き合い下さいませ。

今回はイントロで、2回目以降不思議体験や次元のお話などがが散りばめられて行きますのでお楽しみに。

   ・

1日目JRの小淵沢駅で皆さんと待ち合わせ、この日は台風21号の影響で空はどんよりと曇っていました。

皆さんが集まったので、近くに古民家カフェにてランチを頂きました。

ご夫婦で営まれているこのカフェ 「DeuxChats(ドゥシャ)」は、古い古民家をリノベーションした雰囲気あるお店です。
メニューは無農薬・有機野菜を中心として体に優しいメニューを心がけておられるとの事で、今回いただいた日替わりランチも地元のお野菜を踏んだんに使った優しいランチでした。

食後に頂いたケーキセットも、とてもシンプルで素朴なケーキ達。
また小渕沢に寄ることがあればぜひリーピートしたいと思うカフェでした。

その後に遅れて合流された方達と車で井戸尻考古学館へ。

途中パラパラと雨が降っていましたが、考古学間に着いた時にはほぼ上がっていました。
博物館に展示されている主なものは縄文の土器と土偶、そして復元した縄文の生活グッズがたくさん展示されていました。

みなさんでワイワイと入館したら、館内でビデオを見ていた爺様に「静かに!」と叱られてしまいました。

ここに展示されているものは主にすぐ目の前にある井戸尻遺跡から出土したものがメインで、その中の幾つかが、先日上野の縄文展で展示されていたものがあり「貸出中」のプレートでアナウンスされていました。

でも私が一番見たいと思っていた「水煙渦巻文深鉢」はしっかり展示されていて有り難かったです。

また展示物の中に当時の弓矢を再現したものがありました。

遺物ではなく再現された現行品なのですが、私は高校、大学と弓道部に所属していましたのでとても興味深かったです。
矢尻は黒曜石で作られていますが、むしろその方が鉄器よりも軽く、矢羽を小さくすることもでき「理にかなっているんじゃない」なんて思いました。
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矢は篠竹、矢羽はキジ、弓は藤、弓弦は麻。だと思います。
できればこの弓を一度「引いて」みたいなと思って眺めていました。

考古学館の見学を終え井戸尻遺跡に向かいます。
館の目の前に広がる遺跡には、竪穴住居が復元され、見る限りのどかな芝生が広がっています。

この縦穴には入ることが出来るので薄暗い中に入って見ました、すると後から入ってきた皆さんが「うわ、気持ち悪い」と直ぐに外に出て行きます。

実は私もこの住居のある広場に立った時に、なんとも言えない「重さと、悲しみ」を感じたのです。
その出どころは明らかに足元からです。
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その中には救い難い「血」の匂いさえありました・・・

では次回からイベントのお話を始めます。











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by farmemory | 2018-09-19 00:16 | ・イベントメモリー | Trackback | Comments(0)

**縄文展の報告(2)**

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前回からの続き**縄文「1万年の美の鼓動」展の報告(1)**<

縄文人たちは明らかに神との距離がとても近く、あえて神として畏敬すると言うより、神とはなんであるかを理解していた事も、今回の展示物が教えてくれました。

また縄文人達が持つ宇宙観も、今まで何人かの被験者の方のリーディングで確認してきています。
それは自分たちも神の一部であると言うワンネス意識のような概念を理解していたと言うことです。

むしろ儀式や宗教的ドグマ、祭事や神事を重要視したのは、アトランティスを起源とし、海を渡ってきたシュメール・ヘブライ文化(弥生文明)からではないかと感じているのです。

そして神という存在を遠く遥かな手の届かない存在とし、過度に畏れ敬い、また政治的な駆け引きにさえ「神を利用して」してきたのでしょう。

そんな事を考えながら眺めていた時、不意に
「ああ、これ自然のエネルギーというか気の流れというか、そういうエネルギーをこの土器に流し込むための呼び水的な装飾なのだね」
と感じたのです。

単に熱によって食品を加熱調理するだけではなく
「自然界にあるエネルギーも、この炎の流れに乗せて食品に流し込むためなんだ!」
とわかったんです(あくまで私判断)

また縄文のビーナス達が、文字通り女性崇拝であることも良く分かるのですが「性」に関してとてもおおらかな意識を持っていることが、直感で感じられるのです。

これは世界各地に残るストーンサークルや信仰の場に建てられた「リンガ(男性器)」と、女神崇拝をしてきた縄文土偶(縄文のビーナツ達にはしっかり女性器が表現されています)からも伺えます。(Top画像)

出産に関しても「畏敬」という見方もあるでしょうし、その点では今も昔もと尊く神聖なものとし扱ったのは理解できます。

でも現代社会ではどちらかというと性に対するタブーが多く、それに引き換え縄文の人々の性に対するおおらかさや楽しみ、喜びがストレートに伝わってきたんです。

国立博物館では、あまりそういう切り口は出来ないのでしょうね、とても残念だなと感じました。

話が少しずれますが、弥生以降の生活雑器には遊び心というかやアート性があまり感じられず、生活に余裕がなくなってきている気がします。

また土器のフォルムなどもシンメトリー(左右対称)で「整然、整頓、シンプル、潔癖」が伝わってきます。
これを社会に当てはめると「管理、統一、一元的」が感じ取れます。

また埴輪が着る甲冑なども、機能美はあるものの精神性や感情、心の思いを伝えるためというより様式美や銅像的な自己顕示が感じられます。
(下の画像)
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また土偶、埴輪類と縄文のそれとを見比べると、そこには女性性と男性性の大きな隔たりが生まれていることが感じられます。

縄文の土偶には争いや武器、武力の匂いがほとんどありません。しかし弥生や古墳時代になると「武人や武器」をかたどった埴輪が数多く出土しています。

いかに縄文が平和で緩くおおらかで女性性全面だったかを彷彿とさせ、反面、弥生は争いと男性性社会を強く感じさせます。

さて展示されている縄文土偶の中には手の平に収まるようなかわいいサイズのものも展示されていて、それらのキャプションとして「祭事」に関わるという解説があったのですが・・・
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「何でもかんでも神聖視して、それは違うんじゃない?この小さい完成度の低い土偶は間違いなく子供のおもちゃだよ!」
というものにも出会え、なんとも頬が緩んだのです。

確かに縄文という、一見プリミティブな生活をしていたように感じる古代文明も、実際その片鱗に触れただけでも、かなり高い精神性と文明を持っていたことはガンガンと伝わってきました。

また人々が持つ喜怒哀楽も、今の私たちとなんら変わらない感情を持っていた事も十分に伝わってくるようでした。

いや、むしろ多くのタブーにがんじがらめにされている現代社会からみると、全てが解放され自由に自己表現をしてきた彼らのアート意識も、これらの遺物から時の隔たりを超えストレートに伝わってきました。

本当に行ってよかったねと、展覧会の後のお茶の時間にみなさんと再確認しました。
そして日曜日から予定している縄文の最後の砦と言われたや八ヶ岳イベントに続きます。

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そちらもまた、後日報告いたします。

ではでは!











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by farmemory | 2018-08-31 00:03 | ・イベントメモリー | Trackback | Comments(1)

**縄文「1万年の美の鼓動」展の報告(1)**

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先日上野の博物館で開催されている「縄文・1万年の美の鼓動」展に行って来ました。
前回台風のため順延し、この日に変更したのですが、それはもう鬱陶しいくらいの快晴(この表現でいいのかしら?)で、気温35度超え。

今回はご希望者7名の方とご一緒しました。
上野の不忍口で待ち合わせ、表参道に本店のある野菜専門店でのランチから始まりました。

私は「ゴーヤとナスの麻婆豆腐」、他の方は「夏御前」「季節野菜のデミ味噌豆腐つくねハンバーグ」「長芋とろろとお野菜天ぷら」など色とりどりのランチを召し上がりました。
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とにかくお野菜の美味しいお店で大満足。

ランチの後に博物館に向かいましたが、短い距離なのに着いた頃には汗びっしょり。

途中参加者の皆さんとワイワイ話しながら展示会場に向かっていた時「擬態飛行機」に関してのお話を降られましたので、皆さんも興味のある内容だったようで聞き耳を立てられました。

c0319737_01033597.jpg少し話をしていた時、お一人の方が上空に目をやりながら「あれは?」と指を指されました。
促されてカメラを向け望遠で確認したら「ビンゴ!」でした。

確かに擬態の航空ウキのようでした。
敢えて言えばこの白さが(真っ白です)判断基準かも・・・


10分待ちと言われましたが5分も待たないで場内に入れました。
博物館の中のなんとも涼しいこと!しかしかなりの混み様。
もしかしたらNHKあたりで取り上げたのかもしれません、平日でしたが年齢層の高いお客さんがたくさんでした。

流石に国立博物館、展示されているものの数とクオリティは今までになかった充実ぶりで、圧巻でした。
特に火炎型土器と縄文のビーナス達や、社交土偶など、国宝もワンサカで、見終わってクラクラするほどエネルギー当りの様な感じで少し疲れました。

縄文の土器や土偶がメインの「アート中心」でしたので、それもまた楽しさ倍増です。

ただ展示に際し「国立」と言う事もあるのでしょう、展示内容やコンセプト、それぞでの土器土偶の解釈が少々アカデミック過ぎる様に感じました。

火炎土器などは祭事に使われたという解釈は頷けはするのですが、でも生活雑器としての見方をする解説があまりに少なく、その辺にも違和感を感じました。

確かにこのデザイン(岡本太郎が腰を抜かしたとされる)からは、現在の生活様式に当てはめると確かに過度な装飾だとは思います。

それでも縄文人たちが毎日の生活を祭事や神事的な生活を基盤にしていたとは思えないのです。
そう考えると、展示される土器のほとんどが、その時代の人々の一般的な精神性(価値観や感情など)の上に作られた生活雑器がほとんどなのではないかと思うのです。


次回に続く











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by farmemory | 2018-08-30 01:06 | ・イベントメモリー | Trackback | Comments(0)

**余市・小樽イベントの報告(4)**

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小樽イベント最終回(4)です。
**余市・小樽イベントの報告(1)**
**余市・小樽イベントの報告(2)**
**余市・小樽イベントの報告(3)**


このイベントの間に撮影された光の画像を紹介します。

【画像1】
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まずこれは、羽田から新千歳に向かう飛行機の窓から写したものです。
何気なく窓の外を見ていたところ、何か目の端にキラキラっと光るものがあることに気がつきました。

目視ではその光をよく確認できませんでしたが、とりあえずカその辺りの空間にカメラを向け写したところ、後でこの光が写っていることに気がつきました。

スペースシップではなく意思を持つ「エネルギー体」だろうと思います。
まるでwellcomライトみたいで、ほんの少しレインボーカラーに見える嬉しい一枚です。



【画像2】
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次の画像は1日目の夜間観測会で、小樽水天宮の境内から小樽港を写した時に写り込んでいた光体です。

これは参加者の方が写してくださった一枚です。
当日は曇り空で、霧雨が降るような悪条件でしたが、それを物ともせず、低い雲のさらに下に現れてくれた光です。
参考までに同じような位置で、私が夜間モードで写した画像を↓添付しておきます。数分程度時間が違うだけで、こちらの方にはこの光は写り込んでいません。
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見事な「シップ」と言っていいと思います。
所属はおそらくオリオンだろうと思います。

地球での長い使命を終えた仲間たちを迎えに来た船でしょう、正にかぐや姫を迎えに来た月の使者のようなミッションを持っているのでしょうね。

ご本人曰く「何も考えずに無心に港の夜景を移しただけなんですよ」そうおっしゃっていました。
そうなんですよね、彼らは私たちの周波数より高い「次元差カモフラージュ」のようなもので身を包んでいるので、容易に目に触れることがありません。

ただ無心のまま、何の欲もなくカメラを向けたら写っていたというのは、その時の撮影者の次元が「無欲」な周波数だったから写ったということなのでしょう。

「見たい見たい、撮影したい、写したい!」
そう思っている時にはなかなか目に映らず、欲が消えた時に「フッと」目に映ったり、スマホに映り込んだりするのですね。



【画像3】
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さてこちら、同じような位置から、同じように港を写した画像です。

何気なく港の夜景をファインダーで確認していたところ海上にやや強い光があるのが分かり写しました。

上の画像にはフェーリーが写っていますが、下はすでにフェリーが接岸した後で写っていません。ただこの光がある筈の同じ位置に光が写っていません。
日中に観光船で小樽港巡りをした時に確認しましたが、この位置にはブイや浅瀬などはなかったと記憶しています。また画像を明るくして拡大して見ても船影らしきものも一切確認できません。

うっすらと水平線が見えていますが、堤防突端の白灯は位置的にもっと左に位置していた筈です。
またこの離れの堤防には釣り人などは渡ることはないと観光船の乗員の方から聞いています。

画像では小さな光で見落としてしまいそうですが、間近で見たらこの光の強さと大きさはかなりのもので海面にも光の反射があると思うのですが・・。
この光に関しては、ちょっと謎なのです。マリーナから出入りするヨットやクルーザーかもしれないので判断は保留しておきます。



【画像4】
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こちらは、同じ場所で私が写した拝殿直上に見えていた「光」です。

前に写した シリウスの光によく似ています。
屋根の直上にある、ぼんやりした矢印の先のような光です。

左下にあるやや鮮明なグリーンもシリウスのエネルギーだと思いますが、こちらはオーブ的なエネルギー体でしょう。
ただこの光は乱舞するようなことはありませんでしたが、微妙にその位置を変えたり、光の強弱がありました。



【画像5】
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最後はこちら。
これも参加者の方が写してくださった「光体」です。

朝食時にカウンターに座って小樽港をご覧になっていた時に、この光を見つけスマホで写したものだそうです。
この時も、撮影された方は何気なく窓の景色を見ていた時にこの光が見えたそうです。
無欲のなせる技ですね。

この光は位置的に昨晩出現した場所にやや近いところのように思います。また上の【画像4】の光の上空にも思えます。
ただ光の違いなどから、このシップはシリウスだろうと思います。


今回のイベントは、縄文の解放をメインとしたイベントでしたが、そこに現れてくれた意識体やオリオン、シリウスのシップたち。
正に「関係者」たちが一堂に姿を表してくれたんだな~と、しみじみしてしまいました。

東京に戻って数日間は、特に強い感覚や感情値の変化はありませんでしたが、梅雨のない北海道に大雨が降るという異例の気象状況が始まっていることを受け「北海道」もようやく、本来の縄文の目覚めを迎えることになったという確信を持ちました。

今回のミッションの意味は、北海道の縄文の解放と、北海道そのものの目覚めを促すミッションの一環になったと思っています。

以上4回に分けて記事にした「余市・小樽~縄文の解放」の報告でした。

ではでは!











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by farmemory | 2018-07-20 01:52 | ・イベントメモリー | Trackback | Comments(0)

**余市・小樽イベントの報告(3)**

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前回からの続き
**余市・小樽イベントの報告(1)**
**余市・小樽イベントの報告(2)**

余市のイベントミッションを終え、函館本線で小樽に戻りホテルにチェックイン。

夜のお食事は小樽の鮨ストリートにある「日本橋」で夕食を頂きました。
もう美味しくてワイワイ、今日の遺跡巡りでワイワイ、あっと今にお店が終わる頃まで居座ってしまいました(小樽のお寿司屋さん、どこも閉めるの早いですね)
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流石に小樽、絶品のお鮨を堪能し、その足で少し離れた「水天宮」に夜間観測に向かいました。

雨模様の空でしたがここで、参加者の方がとても興味深い光の画像を撮影されました。
また私も、上空に光る不思議な雲を撮影しました。
この2点は、最後の記事でまとめて紹介しますのでお待ちください。


さて翌朝の集合後、小樽市内にある「龍宮神社」に参拝に行きました。
この神社は幕末の有名人「榎本武揚」が創建した神社ということで、近代に建てられた新しい神社です。
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この神社のある場所は古来アイヌ民族の祭場「イナホ」だったところと言われており、その場所に神社の拝殿を創建したと言うことなのです。
つまりかつての縄文の祭場の上に、弥生の神社を建立したと言うことになります。

まさに今回のミッションである、弥生(オリオン)の帰還、縄文の解放そのものだった訳です。

敷地が幼稚園の庭にもなっていて、伺った時には屋外で遊ぶヒヨコ達が所狭しと走り回っていて、足の踏み場もないくらいでした(大げさですが)

敷地内には現財務大臣の名が入った植樹「オンコの木」がありました。
神社のHPには「大久保利通の子孫である麻生さんが、幕末の仇敵であった榎本武揚公との100年目の仲直り」と言うことで参拝・植樹されたとの話が載っていました。

ちなみに、私の母校である國學院大学は有栖川幟仁親王により始められた大学で、この龍宮神社も明治天皇北海道御巡幸の折、随行された有栖川幟仁親王より龍宮殿の名を賜ったとの事です。
何ともご縁のある事だなと・・

そのあとに各自小樽の散策をしました。
2グループに分かれ、A班は小樽港周遊の観光船、B班は小樽市内の観光と分かれました。
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その後駅近くにある小樽の日本蕎麦の名店「藪半」で昼食を頂き、次いで市民会館で縄文のワークショップを行いました。

参加者の方の中に、この会館の中に入った途端、言い知れぬ重さを感じた方がいました。
私も初めて伺ったこの場所に重さのようなものを感じました。
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おそらくこの場所はレイラインのクロスポイントで、その場所だからこそ何らかの意図を持った施設なり、活動拠点としたのではないかと思うのです。
ちなみに小樽市のマークは六芒星なのですね。さらにはあの「ソーラン節」発祥の地だと言うことなのです。

かつて大陸を通り日本にやって来た弥生(ヘブライ)は、九州に上陸すると鉄と争い、稲作という「農耕」を武器に日本(縄文)を席巻して行きました。

しかしその東進が八ヶ岳の強大な縄文に阻まれ、進撃が止まります。
そして弥生は陸路を諦め、富山湾から海路で北を目指し、青森から南下し八ヶ岳を挟み撃ちにし縄文を駆逐したと言います。

その北進のグループのいくつかが津軽海峡を渡り函館へ、または石狩湾に上陸したのかもしれないと思うのです。

事によると竜宮神社と同じように、レイクロスポイントに六芒星をシンボルにした行政施設を意図的に建設したのかもしれません。
縄文の封印と、レイクロスポイントに何らかの意図を持ったな施設を置く事とは同じ意味合いを持ちます。

そう思うと、ここでのワークショップ自体も、押さえつけられてきた縄文を解放する一助になった事になりますね。

以上で2日間のイベントを終了し小樽駅での解散となりました。

次回、参加者の方が写してくださった光の画像などをご紹介します。











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by farmemory | 2018-07-18 00:40 | ・イベントメモリー | Trackback | Comments(2)

**余市・小樽イベントの報告(2)**

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前回からの続き
**余市・小樽イベントの報告(1)**

フゴッペ洞窟の見学の後3箇所のストーンサークルに向かいました。


●西崎山環状列石
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山と名がついていますが、実際には少し小高い丘程度の場所で、木々に囲まれたその場所はなんともいいエネルギーを感じる場所でした。
参加者のお一人は「なんだか踊りだしたくなるような軽快さを感じる」とおっしゃっていましたが、私もこのストーンサークルはとてもポジティブなエネルギーを感じました。

何本かの背の低い石柱が立っていますが、恐らくこれはリンガ(男根)信仰なのではないかと思います。
SEXは生きるエネルギーをストレートに表現する神事と捉えると、この場所がかつておおらかな愛を表現した祭りの場所(祭場)だったろうと思います。

シリウスとリラを感じたことからも、その確率は高いのではないかなと感じました。

このサークルの地下にはかなりの数のクリスタルが埋められていることをビジョンで確認しました、しかもそのクリスタルは今までの眠りから覚め始めたことを感じました。

敷地に手をかざしていると1箇所、とても熱を感じる場所がありました(石柱ではなく、何もないところでした)
その暖かさはとても柔らかく、来訪者にとても優しいエネルギーを感じさせるものでした。(上の画像で皆さんが手をかざしている場所です)



●地鎮山環状列石
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ここも山と名がついていますが、やはり小高い場所にある遺跡です。

西崎山よりは少し行程のある坂道をもぼり詰めたところに、鬱蒼とした木々に覆われ、ひっそりと佇むこの場所。ここは、坂道を登っている時から「重さ」を感じました。

到着してその場所を確認した時、ここが西崎山の遺跡とは全く趣が異なる場所という体感がありました。
石柱もいくつか並んでいましたが、ここから受けるエネルギーはどんよりとした重さを感じました。

地下をスキャンしてみたところ、人骨を確認はできないものの墓所的な場所であり、しかも何らかの封印を感じました。

今この記事を書いている時に、その封印の意味がわかりました。
「閉じ込められた縄文とオリオン」なのではないかと・・・

縄文とオリオンは、いわば相反するエネルギーでありながらこの場所に封印されている事がとても不思議でした。
もしかしたらお互いを牽制しないながら数千年の間、この場所でエネルギー的な筒仮愛があったのではないかと感じたのです。

ちなみに画像にある四角い穴は、近年コンクリートで作られた枠のようでした。
不思議と誰もこの中(敷地)に足を踏み入れようとしなかったのが興味深かったです。

ただ、この場所自体が自らにかけられた封印の解除を強く願っていることはよくまかりました。
恐らく今回の参加者の皆さんが、見えない鍵を持ってここに集まってくれたのではないかと思うのです。



●忍路環状列石
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最後は平地に展開されているストーンサークルです。
管理があまり行き届いていないようで、かなり雑草が生えていて、その場所がよく判別できませんでした。
ちなみに画像の左側は、冬近くに撮影されたもので、全容がなんとなくお分かりいただけると思います。

ここにも敷地内の各所に石柱が置かれ、その石柱を囲むように石が丸く敷き詰められています。
まさに縄文を代表するサークルだと思います。

ただこの場所は、西崎山環状列石のような祭場だろうことはわかったのですが、西崎山ほどのエネルギーを感じません。
むしろ「抜け殻」のような拍子抜けする、草っ原としか感じられませんでした。

ただ、草むらの中に立つ、一本の石柱だけは触れると手にしびれを感じるほどの、上昇エネルギーを感じたことから、決して「終わった」場所ではない事だけは確かのようです。

もしかしたらリラが、この場所を管理しているのではないか・・・
そんなことを感じました。

さて、1日目のミッションはフゴッペ洞窟と3箇所のストーンサークル巡りで完了となりました。

次回に続きます。











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by farmemory | 2018-07-16 00:13 | ・イベントメモリー | Trackback | Comments(0)

**余市・小樽イベントの報告(1)**

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少し時間が経ってしまいましったが先日北海道で行なったイベントの報告です。

北海道はご存知のように日本に残された縄文が今も息づく雄大な地です。
本州以南は弥生に席巻されましたが、最後まで縄文を静かに継承してくれました。

その北海道には各地に残る縄文の遺跡が人知れず点在しています。

今回はその中でも余市にフォーカスしきました。

古代文字として知られたプリミティブな壁画が描かれたフゴッペ洞窟、そして3箇所のストーンサークルを巡り、封印されてきた縄文の解放を参加者の皆さんと行うミッションでした。

縄文のエネルギーのある遺跡群はそれはそれは強いエネルギー磁場であることを感じ「まるで呼ばれるようにここに来た」という感覚が強くありました。

また北海道に向かう飛行機の中で見た光や、参加者の方が写された光など、興味深い画像もありますので、そちらも追って紹介させていただこうと思っています。

今回は2日間のイベントを数回に分けての報告となります。


◆1日目ーニッカウイスキーと縄文遺跡。

まず手始めに余市のニッカウイスキー工場の見学からです。
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あいにく晴天とはいかない天候でしたが、雨に降られることなく敷地内の散策をしました。
NHKの連続テレビ小説「マッサン」のモデルとなったのがこのニッカウイスキーです。
広い敷地に可愛く素敵な建物が点在し、まるで日本の風景ではないようです。


その後フゴッペ洞窟に向かいました。
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この洞窟は昭和25年に、札幌から海水浴に訪れた中学生により発見された遺跡です。
洞窟は風化から守るため、建屋の中に保護されています。

中に入るなり、いきなり縄文のエネルギーを感じ、少し体が暑くなる感覚がありました。

思ったほど広さはありませんが、苔の生えることを避けるため薄暗い、最低限の照明に映し出された壁画は、シンプルな「線画」で描かれた稚拙さのある壁画です。

当初はヒエログラフのような絵文字(古代文字)と認識されていたようですが後に儀式的(シャーマニズム)色合いのある、一種の宗教画であるとの説に移行してきたそうです。

この中にある特徴的な絵がこの「羽の生えた人・鳥人」を模ったような線画です。
この絵の判断は確定しておらず、様々な推測がなされているようです。
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私には明らかに羽根と感じましたが、中には「背中に渡した棒にワカメをかけて乾かしている図」なんて解釈を聞き、大笑いをしてしまいました。

しかもこの人物が、他の人々と比べ身長が高く見えます。
おそらくシリウス人、もしくはそのハイブリットの人なのではないかと感じました。
「鳥人」伝説は世界各地に残っていますが、その多くがシリウスとの繋がりがあるとかねがね思っていたので、その答合わせができたように思います。

今回その超人を目にした時、それが確信として感じられました。
まるで「そうだよ、分かった?」
と語りかけてくれたようでした。

そして丸木舟を表しているという線画もあったのですが「そうなの?」と首を傾げます。
ところが同じ時期にロシア北部で発見された壁画に酷似するものがあり、かなりの距離のはずのロシア北部との交流をうかがわせ、とても驚きでした。


次回に続きます。











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by farmemory | 2018-07-14 00:14 | ・イベントメモリー | Trackback | Comments(0)

**小さなピラミッド紀行(川場村と愛宕山)(3)**

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「**小さなピラミッド紀行(川場村と愛宕山)(1)**」
「**小さなピラミッド紀行(川場村と愛宕山)(2)**」
からの続きです。

   ・

翌日、川場村にはよく行く釣りのエリアがあって、今回もフライフィッシングをしてきました。
ロケーションがとても良くて、なんだかメルヘンな国に行ったようでお気に入りの場所です。

今回はサクラマスやヤシオマスを釣ってきました。
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上が「ヤシオマス」下は「サクラマス」

ちなみにこのヤシオマスもそうですけど、世の中にサーモントラウトなる名前で売られている魚がありますけど、そんな名前のお魚はこの地球上に存在しません。

サーモントラウトってニジマスの品種改良魚なんですよね。
なのでヤシオマスもサーモントラウトもニジマスなので、個人的には生食は出来れば避けています(淡水魚ですから)
生でいただくのなら一旦冷凍します(家庭用の冷凍庫なら24時間以上で寄生虫はほぼ死滅します)

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さてこの画像ですが、カメラに偶然写り込んだ、降下して来たエネルギー体です。
左右縦に2本の光が写り込んでしますね。

この光からは特にメッセージ性は感じられませんが、可視では確認できなかった光が写り込んだのだと思います。

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早朝から釣りをして、昼過ぎに近くにある古民家ベーカリー「グリエッツィ」に行って見ました。
日によってはすぐに売り切れてしまうほど人気のパン屋さんですが、この日はまだ売り切れていませんでした。

特に目新しい種類のものがあるのではなく、昔ながらの酵母パンです。
でもここのパンが早い時間に売り切れてしまうのも頷ける優しい美味しさを感じるのです。

最後に、川場村の有名寺院「吉祥寺」に参拝して来ました。
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このお寺さんは川場村の方にとっててはとても大切なお寺だそうで、また四季折々のお花が咲くということで、どの季節に伺っても目を楽しませてくれる寺院です。

この吉祥寺参拝を最後に、今回の小さなピラミッドの旅を終えました。


<オマケ>
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帰りがけ、関越自動車道の赤城高原手前で、車中から写した「あれってもしかしたら、ピラミッド!?」のような山を見つけたのでパチリ。

もしかしたら、日本中、まだ誰にも知られずひっそりと佇む、自然の山にカモフラージュしたピラミッドが数多く存在しているのでは・・?
そう感じたのであります。

ピラミッドのお話はまた別途、機会を見てお話ししてみようと思っています。

またピラミッドに関するお話は、はるか超古代に終わってしまった遠い過去のレクイエムとして、でなく、また遠い昔に活動を停止した遺物などでは決してありません。

今現在、世界中にあるピラミッドが長い眠りから覚め「起動」し始めています。
その起動コマンドは遠い宇宙空間からのエネルギー波の形を借り、今地球に届き始めています。

遥か地球創生の頃から始まったスペースファミリーたちによって手がけられ、作られてきた重要な「デバイス」であるピラミッド。
今以降しっかりと注目して行くべき存在だと改めて思っています。

おそらくピラミッドが目を覚ますのに呼応して、本来の目的に目覚める人も増えて来るだろうと確信しています。
すでにそれを感じさせる若い世代の人たちが私を尋ねて来てくれます。

自分が何者であり、なぜここに居るのかを思い出すために。


おしまい。









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by farmemory | 2018-05-29 00:29 | ・イベントメモリー | Trackback | Comments(2)

**小さなピラミッド紀行(川場村と愛宕山)(2)**

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前回の 「**小さなピラミッド紀行(川場村と愛宕山)(1)**」からの続きです。

   ・

次に田園プラザのほど近くにある、今回目的の「愛宕山(小さなピラミッド)」に向かいました。

ここは以前伺った時「何あの小山は!?」と思いながら足を運べないまま帰宅した謎の場所です。

初めて見た時は秋口で、緑も枯れて山の形がよく分かり、見るからにピラミッドだと感じたのです。

確認出来ていないだけかもしれませんが、この小山をピラミッドだと断定した書き込みや情報は見当たりません。
きっとあまりの何気なさに、見逃されてきたのかもしれません。

今回はこの小山に登ってそれを確認しようと思ったのです。

「その昔、武尊山から歩いてきた大きな鬼が、持っていた金棒で地面を突いた時に、金棒の泥が落ちてできた」という伝説が残っている小山です。

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国道から入った場所に静かに佇む愛宕山(標高は604.5mですが、一の鳥居から山頂までは40mくらい)
登り口には一の鳥居があります(画像1)

それを潜り、二の鳥居をくぐると目の前に「諏訪神社」(画像2)の祠が二本の杉の木に守られるように鎮座しています。

左脇にも祠が二つ「スサノオ」を祀ってあります。
諏訪社に柏手を打ってから、右手に進むと愛宕山山頂への階段が見えます(画像3)

愛宕社の額束が架けられた鳥居をくぐり、枕木廃材の階段を登って行きます。
軽い運動になる106段の階段です。

一気に山頂まで登ると目の前に愛宕社の祠が建っています(画像4)

愛宕社に参拝し、狭い山頂をぐるりと一周して見ました。

そこで「ああここはやっぱりピラミッドだね」と、感じたのです。

地下から湧き上がってくるエネルギーをしっかり感じ、ここが「シリウス」由来のピラミッドだと教えてくれます。
またこの周辺は、とても良い水が湧く湧水や川がいくつも走り、正に「川場」の名の通りの場所であることからも、水と深い関係を持つシリウスを強く感じます。

自宅に戻ってからネットでこの愛宕山を上空から見ると、少し面白いことに気がつきました。

この小山が立つのは谷戸(谷の始まり)辺り、ここと同じような立地のピラミッドが長野県にあることに気がつきました。
「「皆神山(みなかみやま)」です。

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(左が愛宕山、右が皆神山)

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(皆神山全景)

皆神山は愛宕山から西に50km程の場所にある、有名なピラミッド伝承のある大きな山です。
地図で見ると同じような立地にあるなと言う事がわかります(谷の方向は皆神山は北西、愛宕山は南方向に伸びています)

谷の真ん中に立つということは、これらピラミッド山の地下には間違いなく大量の伏流水が走っている筈で、その点も良く似ているなと思います。

皆神山は地質学的には単なる溶岩ドームとして扱われていますが、なぜこれがピラミッドと言われているかを次回以降、いくつかのピラミッドを取り上げて考察して行こうと思うのでお待ちください。

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さてこちらの愛宕山の山頂には見ていただけるような大岩がゴロゴロと、その上に小さな祠や石碑が謎のように置かれています。
この巨石群もまた、シリウス系統のピラミッドである事を伝えてきてくれますね。

二の鳥居にはスサノオが祀られています、ということはこの小さなピラミッドは、あのギザのピラミッド群と深いつながりがあると言う事になりますね、とても面白いです。
<ピラミッドはシリウス、その前に置かれたスフィンクス(スサノオ)はオリオン>

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こちらは山頂から見た川場の風景、川場村の多くのエリア(平地部)が正にこの小山の影響下にあることが感じられます。

愛宕山が仮にピラミッドでなかったとしても(私にはピラミッドである確信はあります)
とても高く良いエネルギーを感じる小山であることには違いがありません。

愛宕山参拝の後、すぐ近くにある温泉宿「悠湯里庵」の露天風呂でゆっくりゆったりでこの日を終えました。
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by farmemory | 2018-05-23 00:24 | ・イベントメモリー | Trackback | Comments(0)