カテゴリ:・意識の自立と進化( 29 )

**水道水のお楽しみ実験**

お便り・お問い合わせ>>宇宙からの歌声HP>>facebook>>


c0319737_00184971.jpg

今水道水の安全に意識が向いているかと思います。

そこで誰にでもできる簡単な実験をしてみましょう。
水道水の浄化と周波数の向上実験です。

まず水道水を汲んだガラスコップを2つ用意します。
そして、ますその両方を一口づつ飲んでみます。

同じ蛇口から汲んだ水ですので、きっと最初は同じ味(?)でしょう。

次にどちらか一つを選びます。
そして選んだ方に向かって「あなたは美味しい水ね、安全な水ね」と愛優しく思いを向けてみてください。
両手でコップを優しく掴んでもいいですね。

でも肝心なことは、どちらの水にも決して否定的な意識は向けないようにして下さい。
「浄化しなさい」「美味しくなりなさい」「安全になりなさい」

こうした言葉や思いはその水に対して「あなたは汚染されている、美味しくない、安全でない」と言っているのと同じなのです。

水は水として、いつでも無償で人類に貢献したいと思っていますので、決して否定を送らないで下さい。
悲しんでしまいますから。

そして、もういいかなと思ったところで、その2つの水を飲み比べてみてください。

とっても簡単な実験でしょ。

答えはご自分で感じて、自分で出して下さい。
その時「自分の力」を信じることができるかもしれません。

*もしどちらも変わらないと思ったら。
一つの理由として、すでにコップを手にした段階で無意識の内に蛇口から出る前の水を浄化してしまっている可能性もあります。

その時は自分の力を ”過信” しましょう(笑)

また、自分の力があるから浄水器など必要ないと思ったら、今度は浄水器を否定してしまう事になります。

何をどう選ぼうと選ぶまいと、自分の元にやって来てくれたものは皆あなたの役に立ちたいと、偶然を装って来てくれるのです。

全ての道具に、感謝だけではなく同じ目線の高さで「共に力を合わせましょ」と言ってあげて下さい。
もちろんそれは浄水器だけではなくて全てに対応する事です。











[PR]

by farmemory | 2018-12-24 00:08 | ・意識の自立と進化 | Trackback | Comments(1)

**可燃と不燃**

お便り・お問い合わせ>>宇宙からの歌声HP>>facebook>>


c0319737_22304714.jpg

パリでの暴動はフランス人の気質を見せている様に思います。

すでに死傷者が出始めていると言う事は又しても血の革命(フランス革命の二の舞)の様相を見せ始めています。
本来あるべき革命は、静かなるなる革命こそが大きな力を生み出す真の変革と信じます。

さて日本。

多くの人は不条理な出来事や、当局の思惑に対して表立って怒りを表すことなく、過激な不満を口にする事もなく、逆に当局からの強烈な締め付けも、情報遮断もなく箝口令も敷かれていない。

情報に関してもメディアが出さず語らないだけ(または情報を作為的に書き換えてもいるかもしれません)
でも個人個人が拾おうと言う意思さえあれば、様々な情報を得る事は決して難しくはない状況です。
でも多くの人はそれをしないし、その前に興味を示さないように思います。

中には真実に目を向けることをあえて避けたり、真実を知る事を恐れたりしている人もいるかもしれませんが・・

これを「愚民は大手メディアの洗脳によりコントロールされている」という見方もあるかもしれませんが、私はそうなのかな?と思うのです。
むしろコントロールされない国民なんじゃなかろうかと、そんな事さえ感じるのです。

ちょっと煽れば暴力に走る、これ欧米人の気質ですね。
これはアトランティスから来る性癖なんだろうと思うのです。

でも日本人は、よほど身の危険を感じる事がなければ、例え正義感や使命感があっても、そう簡単には集団的な暴動には走らない様に思うのです。
この点から見ると、どれほど煽っても渦中(火中)に飛び込まない臆病さと同時に、そう易々とコントロールされない(管理者側から見たら)厄介な存在かもしれないと感じるのです。

臆病であるという事は思慮深くもあるので、簡単な扇動には引っかかり難いのではないかとも思うのです。

今回のフランスの大騒ぎの発端は燃料税引き上げが引き金のようですが、その裏には高い失業率や経済優先(最優遇)の ”実業家上がりの大統領” による施策への不満が爆発しての事と言われています。
巨大企業と富裕層優遇政策への不満が積もりに積もった形での今回の出来事でしょう。

この、企業と富裕層優遇の流れは、決して一国のことではなく世界的時流なんですね。
日本でも同じ様な施策を見る事ができます。

そうした流れに対し、今までの日本人であれば自分から率先して不満を口に出したり、ましてや行動に出ることは稀で「誰かがなんかしてくれないかなぁ・・」と思いつつも何もせず聞こえないところで愚痴っているのが日本人だったように思うのです。

そして空気を読みつつ、その流れに逆らわずに流れて(流されて?)きた。
確かにこの点から見ると臆病者で覇気がなく、体制の言いなりになっていたかもしれません。

でも今は少し違ってきている様に感じるのです。

諦めムードで、俯いて「誰かにやってもらいたい」と思う前に、もうそんな事どうでもよくて興味がないから気にも留めない。
自分の世界に意識を向け、内向きの居心地の良さを追求し始めた様に感じています。

結果として国家としてのまとまりが薄れて行き、一人ひとり自分の世界の中に入り、自分というコミュニティーに帰属し始めたと見ることも出来るのではないかと思うのです。
とすると、これは逃げでも諦めでもなく「本質の追求」に向かい出したのかも知れません。

「国家の愚策によって国民が虐げられてきた」
これを暴力で元に戻したり不満を破壊的な行為で表現する事の方がより「扇動される国民」でしかない様に思うのです。

もしかすると、簡単に怒りの火が付きやすい人々を、どこか見えない裏の方で「ニヤリ」と見ている ”何者か” がいるかも知れません。

例えばメディアで新しい店舗やショッピングエリアの情報が流されたり、美味しいお店が紹介されると行列ができる。
そうした扇動には簡単に乗りますが、政治的なスキャンダルや失策に関しては牙を剥くほど怒りに燃えない様に見えます。

前者のような新店舗やグルメ紹介の誘導に乗ったとしても、その内容は極めて平和的で楽しい情報です。
でも後者のように胸が苦しくなり危険な匂いのする事には煽られません。

むしろ愚策を行えば行うほどに、国民が国家への依存から静かに離れて行き、個として生きる道を選んで行く。
そのほうが体制側にとっては脅威なのではなかろうか、なんて感じたりもします(深読みし過ぎ?)

簡単に言えば「大切な事、信じる者」は自分自身と自分の身の回りであり、大きな力に頼ることはしない。
「管理からの離脱」が起こり始めているのかしら、なんて事感じるのです。

18世紀のフランス革命は市民による凶暴な血の革命よって国家の形が変わった様に見えますが、ではその後フランスは楽園になったかと言えば・・・
ブルジョワジー(資本主義)の台頭を許しヨーロッパ一屈指の軍需大国であり、武器輸出を積極的に国策として行っている。

結果としてあまり変わっていない国の様に見えるのです。

本来の革命や改革、変容や進化は外力や暴力では何も変える事は出来ず「個としての自分」の中での変革こそが外の世界を変えて行くという事。
そしてそれこそが宇宙的真理であるという事に思い至るのです。

そして「直ぐに発火する怒りの導火線を持つ者と、いくら発火を煽ろうともそれには乗らない者」
この点も、更に今後それぞれの個人が希望する未来への道の違いとなって行くのだと感じているのです。











[PR]

by farmemory | 2018-12-05 00:05 | ・意識の自立と進化 | Trackback | Comments(0)

母から女性へ、父から男性へ(翼の再生)

お便り・お問い合わせ>>宇宙からの歌声HP>>facebook>>


c0319737_01080624.jpg

幼子を育てている時には母の顔
子供が自分の明日を決め始めた日からは女性の顔

子供が自ら生きられる日まで糧を運んでいた時は父の顔
子供の一人歩きを見送ってからは男性の顔

パートナーとの静かな日々に戻るもよし
心震わせたあの日を思い出すもよし
振り返ることなく前に進むもよし

畳んでいたその羽を広げることを自らが許可します

何をしようか
どこに行こうか
誰と出会うか

母と父であった自分への労いと
尊厳ある翼の再生に祝福を











[PR]

by farmemory | 2018-12-03 01:08 | ・意識の自立と進化 | Trackback | Comments(0)

**魂の青写真(体験と縁)**

お便り・お問い合わせ>>宇宙からの歌声HP>>facebook>>


c0319737_14432765.jpg

私たちはこの人生を始める前、まだ母の体内に宿る遥か前に、多くの約束を自分自身にしてきました。
人との出会いも、体験する様々も、見聞きする全ての事象も・・

そしてすれ違う風景も、街ですれ違う誰かも、何一つ偶然はなく皆自分の人生の舞台を構成する大道具小道具です。

でもその約束は単に体験する事象だけが必要な訳ではありません。

自分が約束して(願って)きた青写真は、行動や出会う相手、体験する困難や喜びにより自分の中に何が生まれ、何が湧き上がって来たかを知ることの方がはるかに重要なことなのです。

様々な体験をすることにより、自分自身が何を知り、何を感じ、何を理解したかが重要で、それこそが(離れて行こうとしている)3次元での大切な青写真だったと言えるのです。

そう考えると、出会う相手が違っても、同じ感情や同じ思いや、同じ感覚を得られる相手であれば、その相手を限定する必要もない場合もあります。

ただしこれはあくまで考え方ですので、多くの場合共に生きる相手や家族、友人知人ももちろん偶然の出会いではなく、生まれる前の魂の青写真に沿って出会って行く人々であることに違いはありません。

今回お話ししたいことは、青写真をなぜ決め、そそこにどんな目的があるのかを知っていただくためのお話です。
でも可能性としては十分あり得ることでもあるという事も覚えておいてください。

これはタイムラインの選択や時空間の歪みによって、今から先、人は別の次元の道に進む事もありえます。
そしてその選択も道が変われば出会う相手が変わる可能性もあります。

例えばある出来事に挫折を感じ、その理由が誰かに裏切られたとします。

その時人は
なぜこんな目にあうのだろ?
なぜあの人は私を信頼を裏切ったのだろう?
その出来事は一体何を自分に伝えてくれているのだろう?

そんな事が心に浮かんできます。
そしてその体験によってもたらされる様々な感情こそが、魂の青写真のとても重要な部分なのです。

とすると、自分を裏切る相手が別人に変わったとしても「裏切られ挫折する」と言う部分の変更はなく「感情の体験」としては約束を果たした事になります。

仮に生活に困るほどの裏切りを受けたとしても、生活に困る事以上に「裏切られた」と言うショックが自分にとって大きな衝撃であれば、出来事自体は二の次になります。
魂の青写真は、確かに人生のスケジュールではあっても「出来事」以上に、その体験がもたらす精神面へのインパクトスケジュールの方が大きなウェイトを占めるのです。

この点はカルマ(因果律)と同じ解釈なのです。

例えばAさんは過去世でBさんを裏切ったとします。
これを因果律(カルマ)に当てはめる時、思い違いをする事があります。

今回の人生ではその反対でBさんがAさんを裏切る、そんな風に思う事もあるかもしれませんが、その点が思い違いなのですね。
裏切ると言う行為のリターンでは無く、裏切られた事で受けるショックや痛みが重要なのであって、そのカルマのリターンが必ずしもBさんからである必要はなく、CさんでもDさんでもいいと言う事になります。

このお話はあくまで青写真が何をスケジュールし、そのスケジュールの目的は何かを理解するためも例えとして受け取っておいてください。

   ・

自分と共に進む人、共に時を過ごす人はかけがいの無い相手です。
そしてこの人生を選ぶ前、お互いこの人生で「どんな役割で、どんな立場で、でどんな条件下で」出会うかは既に約束してきている筈です。

でも、生まれ出た時人はその約束を「全て忘れる」と言う項目にOKのサインをして来ましたので、偶然を感じてしまうのですね。

今3次元の地球は次の次元に変容しようとしています。
その時には「忘れる」と決めた約束もまた、解除されてくると思います。

「あ!この人知ってる、初めて会った人だけど知ってる!」
そんな感覚が起こる頻度が高くなってくるでしょうね。

そして、それが進んで行けば、何を約束してきたのかも理解できてくるでしょう。
今、目の前にいる大切な人との魂の青写真も、近い将来思い出せる時空間に入って行く筈です。

そしてこれから出会う新しい出会いでは、その約束を知った上での出会いになるのかもしれません。
だったら面白い事になりますね。









[PR]

by farmemory | 2018-11-20 00:17 | ・意識の自立と進化 | Trackback | Comments(3)

**お仕事と使命(2)**

お便り・お問い合わせ>>
宇宙からの歌声HP>>
facebook>>



c0319737_00302910.jpg

前回からの続きです。

よく頑張ってきた自分に安らぎと労いの言葉を贈ってあげることはできた。
さて、ではこれからどうしよう?

その前に次へのステップに入るその前に、心しておく事があります。

どこに身を置き、何をし、どう生きていようと、ますは自分自身を非難したり評価を下げたりする事だけは避けてください。

自己批判や、自虐的な意識は、例え仮面の社会を知ったとしても、次のステージに向かう時には不要なもので、時には足かせにもなり得ます。

魂の使命とは離れていると感じる自分にダメ出しは不要な事です。
生きる為致し方なく頑張っている自分に「本当によく頑張っているね」と言って上げなければ、自分の存在自体が無意味になってしまいます。

使命に進むために不条理な社会に足を踏み入れただけの事なのですから、自己批判は不要なんです。
大切なことは「理解」し「気がつく事」なんですね。

「ああ、そうなのね、自分がいる組織や社会って、こんなだったのか。ふ~~ん、なるほどね」

これだけでいい事なのに、人は得てして「襟を正さなければ、正義感を持たなければ」という、大して意味の無い謹言を自分に言い聞かせようという厄介な癖があるんですね。

「いつでも正しく生きるべき、人のために役立ち人に評価されるべき、常に自己批判を忘れるな」
これ、実ははある意味マインドコントロールなのかもしれないのです。

「正しい人、清廉潔白、人格者」
そういう人になるって、社会的に従順でルールを守る人ということですよね。

では今の社会が本当にまともで、そこで従順でいる事に誇りが持てる社会なの?
社会のルールはなんの目的で、誰が作ったの?
その社会ルールに従うことにどれほどの意味があるの?

人を傷つけ、引き摺り下ろし、踏みつける社会って気がついたのではないのですか?
ならば社会基準に従う人間でいることにどれほどの価値があるかは言うまでもない事ですね。

「ふ~ん、そういう会社だったんだね、それは興味深い」
そんな達観で、家族を守るためだけに対価をもらってお家に帰って家族と楽しい日々を送っていれば、そこに社会に翻弄されない自分が見えてきます。

自分は命がけで海を渡って子育てをしているツバメなんだと思いましょう。
ツバメたちは、子供を育てることだけが興味の対象、自分の仕事がどう評価を受けているかなど関係ないのです。

早い話、現行の社会の中での「仕事」に使命と呼べるものがあるのかな?と言う事でもあるんです。

でもこれはまあ、かなり極論。
もちろん仕事(対価をいただく事)と使命が一致しないのかといえば、そんなことはありません。

肝心なことは、どんな仕事をしているかではなく、すごく単純なことなんですが「その仕事を楽しんでいる?」その一点でしょう。
他者には分かりかねる事ですので、それはご自分に聞いてみてください。

「もう今の仕事が楽しくて楽しくて、毎日心はニッコニコ」
ならば、その人は使命の一つを果たしていることになるんです。

そうなんです、仕事という「行動」自体が使命なのではなく、何をしていようと自分に偽ることなく居られるかが、使命を果たしているかの重要な事なのです。

自分を偽っているとしたら、どれほど「人のために」と言おうと、人が評価しようと使命ではないということなんです。

仕事では毎日辛いし、ストレスがある。だとしたらその仕事は魂が約束してきた使命とは少しばかり違う。

でも趣味の世界にいたら、もう時間の経つのも忘れて心がニッコニコ。
なら”今”はそちらの方がより使命に近いのだと言う事なのです。
「今」はと言ったのは、これから先の使命はまた変化するかもしれないからです。

私たちは生きています、そしてこの地球からからこの体を借りている地球の子供達です。

そのためにすべきことは、自分の中に生まれるエネルギーを地球に還元する事なんです。

ストレスを産めば、自分自身を傷つける事になり、何よりお母さんである地球をとても悲しませてしまいます。
ご自分が人の親でしたらお分かりになると思います。

自分の子供達にどうあってもらいたいと思いますか?
世界中の子供達にどうあってもらいたいと思いますか?

ストレスに押しつぶされて、自分自信を非難し、自分自身を傷つけ、自分自身の存在なんかなくなってしまえばいい。
そんな子供達を見たらどうでしょう。

お母さんである地球は、私たち人類皆等しく可愛い子供達、そのおかあさんの思いに報いることも、きっと使命の一つになると思うんです。

とても観念的なお話のように聞こえるかもしれませんが、私たちはエネルギーで成り立った存在です。
そしてエネルギーを生み出す存在でもあります。

どんな種類のエネルギーを生み出す自分でいるかが、とても大切な「使命」なのです。











[PR]

by farmemory | 2018-09-14 00:05 | ・意識の自立と進化 | Trackback | Comments(1)

**お仕事と使命(1)**

お便り・お問い合わせ>>
宇宙からの歌声HP>>
facebook>>



c0319737_00084725.jpg

自分はなんのために生まれてきたの?
自分の使命は何?

これを、仕事と繋げて考えたり、答えを出そうとしてもグルグル回って答えが出ないかもしれません。

私たちが生まれてきた大きな理由は、もちろんこの3次元世界でのいろいろな体験学習をするため。
それは「使命」ではなく、自分進化のためです。

じゃあ使命は?

今の社会は経済社会です。
経済社会はお金をたくさん稼ぐことが、まず一番に優れた事と評価されます。

古い企業人の中には、自分の仕事がどれほど社会に貢献出来ているか、その働きがどれほど人の役に立てるか、その点をビジネス面以上に目標にした方たちも多かったと聞いています。

でも今の企業理念は、どれ程人の為になれるかと言う言葉の前に「戦って勝ち取れ!人の隙をついて先にかすめ取れ!環境保護は企業イメージのためのリップサービス!」そんな暗黙の強制力を持っています。

ビジネスチャンス、ターゲット、企業戦略、保護主義、貿易摩擦、優先順位、評価、成果と結果、主導権、競合・・・

そうした言葉を日常口にする社会の中に、生まれる前に決めてきた ”天の摂理” に沿った「使命」が本当にあるの?
またデスクに座って、事務処理を行っている自分が、魂が決めてきた使命に向かっているのだろうかと疑問に感じる事もあるかもしれませんね。

でも、だからと言って生きるために仕事をすることを否定しているのではないのです。

仕事をする事は、この3次元の一つの側面ですので、社会に生きる為には受け入れなければならない事でもあるでしょう。
「社会って何?なんのために存在し、なぜ自分はそこに身を置いているの?そもそも社会の意義ってなんなの?」

それを知りたいと思ったのであれば、その早道が「就労」(自分から社会に飛び込むことです)です。

でも「仕事」に疑問や辛さを感じた時、そこに「仕事」の別の一面(自分にとっての役割)も見えて来ますね。
組織や社会の一員となれば、嫌でも半強制的な社会生活や社会的付き合いが始まることになります。

就職したばかりの時は希望とやりがいを持って取り組み始めた事でしょう。
そしてそのまま疑問もストレスもなく、職場や仕事を自分の居場所として充実し定年を迎える人もちろんいるでしょう。

ところが中には仕事を続けて行くうちに、漫然と日々を送りながら、でも「なんか、よくわからないけど、自分の毎日って何?」
と思い始める人もいるかもしれません。

そうすると、仕事にエネルギーを使っていることに気が抜けるほどの無意味さを感じてしまった、なんて事もあるかもしれませんね。

また自分が参加している会社や組織の理念が、自分の心の奥底の思いと乖離していることに気が付いたり、経営者の入れ替えによって大きくズレてしまったりすることもあるかもしれません。

そこで人は自分自身との「生まれる前にした約束」「魂が希望する人生」を果たすための試練にぶつかる事になります。

疑問に思いながらも、一方で家族を養い社会人としての生活を守る為、日々就業を続けている。

そして時には仕事で成果を上げ、結果を出し、スキルを身につけて社会人としての価値も上げて行く事もあるでしょう。
そうした日々の中には「自分は責任を果たしている」「人に認めてもらえる結果を出せた」と言う達成感や心地良さを感じることもあるでしょう。

でもそんな日々の中で、なぜか分からないまま心の奥がざわつき「本当に自分は満足しているの?」なんて心の声のようなものが、ふとした瞬間に聞こえた気がする。

そんな経験あるって人もきっといるのではないでしょうか。

利潤ファーストの資本主義社会の社会人としての自分。
片や、誰にも、何にも、遠慮せず(長い物に巻かれることなく)拘束を受けていない本当の自分。

その矛盾した辻褄の合わない日々の中で葛藤が始まり、その流れに入り始めてしまうと、確かに苦しさ感じ始めるのではないかなと思うのです。

でも、だからこそ身を以て社会(その仮面の裏に隠された本当の姿)というものを知る事になる訳です。
そして仕事に就く事によって「仮面の社会」の本質を理解し、なぜそうした社会に世界は向かったのかを知ろうとし始めるのです。

そして、そこに辿り着いた時、自分自身にこんな問いかけが始まります。

「社会というものがどう成り立っているかを知ったよね?」
「そんな社会でよく頑張って生きてきたね」

そしてその問いかけの先に、使命を知る手がかりが光り始めてきます。

続く











[PR]

by farmemory | 2018-09-13 00:09 | ・意識の自立と進化 | Trackback | Comments(0)

**お裾分**

お節介と思われたらごめんなさい、でも一曲だけお裾分け。


フルバージョンはこちら>>>

   ●

いつかあなたに会う日を夢に見て
今日も私はこの街で生きて行きます

でも私は諦めません
でも私は知っています

全ての記憶と温もりを決して忘れることなく出会えるその時を

今はその日を待ちつつも
今の私を生きて行きます

そう
あなたのその笑顔をもう一度見るために
私は鏡に映る自分から
決して目を逸らさずに自分を生きて行きます

それがあなたとの再会と知っているから
どうぞその時を待っていてね











[PR]

by farmemory | 2018-07-01 00:06 | ・意識の自立と進化 | Trackback | Comments(0)

**今年もお世話になりました**

お便り・お問い合わせ>>
宇宙からの歌声HP>>
facebook>>



c0319737_00485943.jpg

今年1年このブログにお越しいただいた皆様、大変お世話になりました。
またよく飽きもせずお通い下さりありがとうございました。

新しいブログタイトルに変更したのが今年の3月。
それからどのくらいの時間が経ったのか、最近になって時間の経過感覚がものすごく混乱して来ています。

遠い過去だったのか、つい最近だったのか・・・

少し前までは1年くらい前を思い起こす時、つい最近という感覚が多かったように思います(時間が早く進む感覚)
ですので、1年前をとても近い過去と感じていました。

でも最近は1年前を思い起こす時、その記憶がとても薄く(思い出せないこともあります)遠い遠い過去と感じることもあります。
また過ぎ去った時間に興味を持つことも減ってきて「ああ、そうだったっけ?」と言う感じで、想いを馳せることが少なくなって来たからかもしれません。

思い出せない過去の時間は、単に出来事だけではなく、その時に自分自身の中に生まれて来たはずの「感情」にもあまり興味を向ける事もなくなって来ています。

「その時、その時にしっかり味わって魂に刻むことができたよね」
「だからもうそのカリキュラムからは卒業だね」
そんな感じなのです。

数年前ですと「3年前の自分」を思い出せと言われれば、案外簡単にその時間に立ち返る(思い出す)ことができました。
ところが最近では1年どころか3ヶ月前の自分でさえ、その時の自分を記憶や意識の中でさぐり当てられなくなって来ているんです。

で、思い出せないと言う事になると過去の自分に立ち返ってそこから時間が経った「今」の自分や世界を比べて見ることができないのですね。

時間は「今」しか無いと言う感覚になって「昨日と違う今日」という認識力が薄れて、今見ている事象は変化したものなのか、今まで通りなのかの判断がつかなくなります。
あるいはそれがどれほど大きな変化なのかを認識できなくなると言うことです。

これは、すでに大きな時間の崩壊が起こって来ている証しと感じています。

また、今の自分の現状(良し悪しは問わず)を受け入れられないと、過去の自分に戻りたいとか、どの様な内容であっても変化自体を受け入れず、無かった事にし「何も変化なんかない」
と自分自身に思いこませてしまうかもしれません。

もしくは未知な事や想定外の出来事に出会った時「恐怖心」を起点とした見方に偏ってしまい、眼に映る変化の多くを「良からぬ事」と受け取ってしまいかねません。


さて、私ごとですが過去に対する想いの薄さと言う一連の感覚は今まで以上に強くなっていて、何か自分の中が変化してきていることを感じています。

ところが面白いことに、今まで忘れたり離れていた事象や人が、逆に意識の中に踊りこんでくることも起こって来るのです。
とても興味深い事です。

そして体験している様々な事象の中で、いままでの「時間や感覚」のセオリーや常識が明らかに変化して来ていることを実感しています。
そう見て行くと今年1年は、来年に向けての緩衝期間だったのかな?とも感じています。

来年は今まで言われていた二極化が、より激しく進むでしょう。

この二極化は人の意識と周波数の中でも乖離が進むと思うので、今まで近しかった人が速いスピードで離れて言ったり、また逆に疎遠だった人が「戻ってくる」ことも今までになかったスピードで起こって来るかもしれません。

またある対象物に対する感覚や見え方にも人によって乖離(もしくは変化)が起こってくると思います。
この現象は今年の後半になって多くの場所や人の間で起こってきているようで、多くの人の声として届いてきています。

次元の変化に関しても、それを肌で感じたり薄っすらとでも理解できる方と、全く感じられない方との乖離も起こってきていますが、この点も違いが更に顕著になって来るでしょう。

自分が変化するのは辛くて怖いので、誰かがこの世界を変えてくれると願う意識。
国家や社会、霊能者、弥勒やメシア、宇宙人の降臨願望やハルマゲドンへの依存など、そのいい例ですね。

救世主は何処かにいるのではありません、世界を自分の思う世界に変えて欲しいために彼らの降臨を願うことは単なるエゴイズムになってしまいます。
正しさや正義は、あくまで自分だけの価値基準です。
仮に弥勒がいるとしても個々人の願い(自分の価値判断に基づいた正しさや良い世界)には、残念ながら耳を貸すことはないでしょう。

また、どれほど優れたイデオロギーを持つ国家であろうとなかろうと、頼るものではなく国民が必要な時に利用するサービス提供者に過ぎません。

国民と政府が絶対的対等に、お互いをリスペクトしてこその国家です。
一方的に国を頼ろうとする国民も、横暴と強権を発動し国民主権を忘れた政府も、結果として自分自身を否定するに等く、自らを成長の道から離脱させていしまいかねません。

いずれ国境の意味も無くなって行くでしょうし、ことによっては国家という概念さえも。
そこにあるのは「銀河太陽系地球国」の中の日本という一地域に住む、日本民族という固有のメンタリティを持つ1部族として生きて行く世界が新しい世界地図となるかもしれません。

それよりも、私たちこそが神(宇宙そのもの)の細胞の一部であり、その自分を信頼し自分の足で前に進まなければ、なんの変化も得る(または感じる)ことは出来ないでしょう。

でも新次元への扉は既に開いてきていますので、高次に向かう人かそうでないかの判断は不要です。
新しい地球とともに進むと魂が決めているのであれば、皆進むことでしょう。

そしてこれから個々人に個別にやって来る(来ている)「変容のための設問」は進化への大きなスピードアップチャンスですので、先送りせずしっかりその課題に向かえば、早ければ早いほどそのハードルは低く超えられます。

「そろそろ本気で自分と向き合っておかないと、時間はあまりありませんよ」とハイヤーセルフがせっついて来てはいませんか?
ちなみに私にも大小含め、問いかけは常にやって来ます。

来年からは大きな変容のための「試練2020」に向けて、その前哨年に入って行くでしょう。
新しい時空という「ちょっと気合のいる日々」が待っているかも・・

数年前ミカエルから
「これから先本格的になる地球進化、次元移行のための、希望という厳しさを受け入れますか?」
と問われ
「はいっ!」
と返事をしました。
同時に進化と変容のための自分自身との戦いの「見えない剣」を受け取った事を忘れてはいません。

皆さんも覚悟よろしくって?

ではまた新年にお会いしましょう!












[PR]

by farmemory | 2017-12-30 00:31 | ・意識の自立と進化 | Trackback | Comments(5)

**三つの袋の残念**

お便り・お問い合わせ>>
宇宙からの歌声HP>>
facebook>>



c0319737_01150930.jpg

最近の結婚式ではほとんど聞かなくなった教訓的お話に「3つの袋」という、聞いていると思わず苦笑いが出てしまうお話がありますよね。

この中に「堪忍袋が破れたら縫い」という言葉がありますが、これはもうどうにも困ったお話だと思うのです。

これ「自分に嘘をつけ」と仕向けている言葉です。

「怒る」と言う自分の奥底から生まれてくる感情をなかったことにし、蓋をして、さも自分は何があっても怒らない人格者を「演じろ」と強制することになります。
もちろん夫婦間の「関係」を良好に保つ方法としてのことでしょうが、これって自分の感情に嘘をついてでも夫婦間に軋轢を生じさせてはなら無いと言ってるんですね。

何言ってるんだろう?って思います。

お互いの全てを出し、見せ合い、その全てを受け入れ理解して行くためには、自分の感情を隠しあってしまっては、長い人生逆効果となってしまいます。

もちろん怒りは自分自身の周波数を高くはしません。
でも自分を偽って演じてしまえば、感情的になる以上の低周波数である「ストレス」をもたらしてしまいます。

怒りを溜め込まない人(怒りだけではなく嬉しいこと、楽しいと感じたことなどもストレートに自分の感情を表現する人)
そう言う人ってストレス溜まりにくいですよね。

だからいつも体調がすこぶるいい。
でも自分の感情を押し殺してしまう「ストレス」がどんな危険な化学物質や食べ物より人体を蝕んでしまうかは、もう多くの人が知っている事実ですね。

怒りという自分の中から湧き上がってくるネガティブな感情を表現することで周波数を下げてしまうかもしれません。
でも、それを我慢し押さえつけ、目を背けても、本当の自分は怒りの中にある訳で、そこに生じる見えないストレスの方がはるかにダメージはあると言うことです。

怒りという感情が浮かんだ時こそ、自分を進化させ変容を促すチャンスなんです。

その怒る自分をしっかり見つめ、その本質にたどり着き「なんで自分はそこに怒りを感じるの?」と内向し、自分とは何者かを探り当てるための切っ掛けにもなるのですね。

そこを覆い隠し我慢し「良い人振れ」とは、困った教訓です。

人格者になるより、人に対してヒール役になろうが反面教師になろうが、自分をストレートに表現してゆく人を、天は微笑みながら見つめています。

なんで「憎まれっ子世に憚る」かわかりますか?
憎まれっ子って、自分に正直で湧き上がる感情をストレートに口にするから、嫌われるけどストレスないんです。
だから世にはびこる(長生きする)のですね。

で、そんな人を影で「あんな生き方や言動をしていたら今に神様のバチが当たる」と陰口言ったり、口に出さずとも心に浮かべたら・・
陰口って陰湿で、暴言吐く人より周波数は明らかに低いです。

天は「人前でいい顔をする人」を褒めることはしません。
それよりその人が無理をしてストレスを溜め込んで、結果自分自身を蝕んでしまうことや、自分自身で自分を低い周波数に引きずり込んでしまうことを悲しく思うことでしょう。

確かに怒りをストレートに表現すると、社会性という面から、その場や人に与えるマイナスはもちろんあります。
なので、怒りを肯定しているわけではないのです。

怒りが湧かない自分になるために、怒りが湧いた時にはそれを押し殺したり留めたりしない。
何やらパラドクスに聞こえるかもしれませんが、これお分かりになるでしょうか?

怒りを持った時、自分がその怒りの発信者であり、その根源が自分の中にある嫉妬心やエゴや執着から来ていると言うことをしっかり理解できれば、そこから怒りの本質が変わって行くはずです。

これは、売り言葉に買い言葉のバトルシーンであっても同じ事です。
相手が振って来た言葉に怒りを返し、その言葉にまた怒りで答える。
どちらも怒ってるんですよね。
喧嘩の最中に自分だけ一人冷静にはなれない事もあるでしょうから、少し落ち着いてから内向してもいいですね(笑)

でもこの時、自分自身を嫌ったり叱ったり、断罪しジャッジし、反省などすることは脇に置いておかないと、その本質に辿り着けなくなります。

「ああ、これは常識的に私が悪いな」と反省したとします。
これ、とても冷静で良い人のように見えるでしょ?

でもこれも、自分を進める進化の過程の中では取り敢えず後回しにしてください。

先ずは自分を第三者の目で静かに見つめ、自分がどんな人間かをしっかり見極めることが大切です。
そして自分を見出した時「自分ってそんな人だったの!?」と気がつきます。

この世界に完璧な人間などいるはずありません。
完璧ではない自分だからこそ今ここに生きて、その自分を進化させる目的を持って生まれてきています。

怒りや恐れを抱いた時、堪忍袋が破れたという「事実」をしっかり受け止め、そう感じる自分の「感情」に嘘なんかつかない。

例えばお子さんと面と向かっている時。
感情を抑え無理やり冷静さを装って、誰かが唱えた学習論や子育て論を元に子供の教育をしようとしても、そんなものお子さんに伝わるはずありません。

子供の感性は大人の常識を超え、感覚的に真実を見極める力を持っているので、速攻見抜かれてしまうはずです。
その教育論がどこかで聞きかじった受け売りで、本当に自分自身の奥から「そうだよ」という自信の元に口にしてなければ尚更ですね、女の子だったら尚のことかもしれません。

「なめんなよ!」って思われちゃうかも。

「三つ子の魂百まで」の通り、3歳にもなれば人としての意識が芽生え、精神面では大人と同じなんですよね。

それより、自分のエゴからくる怒りであっても、日常のイライラが尾を引いて語気が荒くなってしまっても、感情的にお子さんを怒鳴ってしまったとしても、その方が自分自身が「そうだ」と感じてもいない教育論なんかよりず~~っと愛があると思うのです。

人に「心」を伝える時には、感情を抑えていては伝わらないんですね。

悪い人、憎まれっ子万歳、とは言いません。

でも人に良く思われたい、評価されたい、好かれたいと言う理由から「自分を偽ること」は、如何なものかと。
今回はそう言うお話でした。

今日はちょっと辛口。













[PR]

by farmemory | 2017-12-22 01:22 | ・意識の自立と進化 | Trackback | Comments(3)

**天からの設問**

お便り・お問い合わせ>>
宇宙からの歌声HP>>
facebook>>



c0319737_00022423.jpg

前回の記事「 **興味深い記事のご紹介** 」から派生し、更に思うことがあり追記します。

先にも書いた通り、今私たち人類は天に示された大きな設問の中に生きているのではないか、そう思うのです。
今まで私たちの社会には、正義や社会ルールという「秩序」から作られるファイヤーウォール(バリア)が存在して来ました。

そのため、人の意識や理解を超えた不可解な出来事が起こり難く、事故や事件も、その原因や理由にたどり着け、それを起こした人がいたとしたらその心理面にも理解が及ぶものでした。

これは人格教育や道徳概念をもとに作られ、人々がそれに従い生きて来たことで、あるボーダーを超える「不条理」がそのバリアの手前で遮断されて来たともいえるでしょう。

安全を社会や集団意識が共に作り上げて来たとも言えます。
しかしこれは逆に見れば、個々人が深く「考える」ということを置き去りにし、そのルールに疑問も持たず従って来たとも言えます。

でも今、私たちは社会的ルールから徐々に離脱し、自分自身のルールを作り上げ生きる次元に入りつつあるのかもしれません。

仮にその自分自身のルールが、天を悲しませるような暴力的なものや偽りであったとしても、そのルールが通用してしまう「自分自身が作り出す世界(宇宙)」に自分自身が放り込まれることを意味するのかもしれません。

自分のルールがどのようなものかを、自分で決め、結果としてそのルール(意識)と同じ時空に自分は進むということになるのだろうと思うのです。
この点は、すでに「因果律」として周知のことだとは思います。

例えば「人は皆生まれながらに罪人」と言う性悪説を自身の論理とするのであれば、人は皆恐ろしく信じることの出来ない社会を作り上げて行くことを意味します。

しかし人は皆、本来極めてピュアで、優しさを持つ性善説が自身のルールであれば、その道に自分自身は進んで行くと言う事になります。

ここで私たちに突きつけられることは「すべては自己責任と自己判断」そして「自己決定」ということになります。

昨今、今まででは考えられない不条理で不快な事件や、国家や社会の暴走?が見受けられますが、それを次元移行と言う面で見れば、今私たちはそうした人類の奥底に潜む深いネガティビティーの解放とファイヤーウォールの解除を経験しているのではないかと思うのです。
まさに天から示された設問です。

あらゆる不条理と危険を遮ることなく全てを展開する世界が、この次元移行期に現れてきているのではないかとも思っています。
ただし、この危険とは身体的危険やキナ臭い危険と言うよりも、個々人に向けた意識や精神面の危険を指します。

今までの人類は、これはいけない事、悪い事、受け入れ難い事、を「社会が作った知識やルール」から判断するように教育されてきました。

しかし、新しい次元に向かい始めると社会が決めたルールが徐々に後退して行き、自分自身のルールが即自分自身の道を決めて行くという、極めて分かりやすい世界への移行を意味すると思っています。
ただしそれが高次に向かう時空であれば、世界を壊滅させるような危険は先ず一番に回避される筈です。

私たちは、何があろうと未来を目指すと決めた筈なので、いっ時の生半可ではない厳しさも受け入れる約束をしたと思っています。

今までは有名な人、影響力のある人や社会が言うから受け入れるという数の論理とイデオロギー、社会的価値観、宗教観、そして付和雷同の世界に(自分自身の魂の意思で)生きてきました。
今その時空から、自分自身を信じ自分自身で全てを決め、自分自身がそう言うからそれに従う、その時期に入って来たと思います。

これから更に
「今自分が見聞きしているこの現実は一体全体なんなのだろう?何を意味しているのだろう?どう解釈すればいいのだろう?」
と言う、今までの社会概念や社会通念では判断できない「奇妙」な出来事を目にして行く事になると思います。

時には狼狽えてしまうほどの混乱や不安を抱いてしまうこともあるかもしれませんが、今私たちが目にしたり体験し始めていることは、高次元を目指す自分を確立してゆく ”強制的変容” への道なのだと感じています。

そして何より、そうした不条理を目の当たりにしつつ

「今自分が体験している事象を見てどう感じ、どう思い、どう行動する?」
「その上で、思慮深く、そして何より自分自身の感覚に従い自分の道は自分で決め進んで行きますか?」

それが始まったと言う事なのだろうと感じています。
そして、これこそが避けて通れない、未来への架け橋・・なのかも。

そんなことを思う今日この頃です。

PS.
今日から京都に行きます、八坂さんと建仁寺に詣出ようと思っています。

鎌倉時代の一時期、私は建仁寺で僧侶として過ごしていた記憶があります。
この時代の生まれは今の神奈川県湘南地域、幼くして仏門に入りその後中国に仏教留学をしています。
帰国後京都建仁寺に入り、また鎌倉に戻って建長寺に入ったと言う記憶です。

建長寺は近いこともあり若い頃から何度となく訪れているのですが、建仁寺には京都に何度も足を運びながら伺う機会を逸してきましたので、今回は是非とも。










[PR]

by farmemory | 2017-11-12 00:03 | ・意識の自立と進化 | Trackback | Comments(5)