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カテゴリ:・意識の自立と進化( 40 )



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前回記事にした前世のお話
**前世の記録 No15-1**
**前世の記録 No15-2**
から続く話題になります。

最近の侍アニメや時代劇の中で「命を大切に」とか「友情や絆」なんてセリフを良く耳にしますが、本来江戸期以前の侍とは自分の主君(上司)の命は絶対的なものであり、そのために死する事を一つの美徳としていました。

もっと言えばどんな死に方をするかがこの人生の最大の意味であり、それが侍の生き方と教えられて来たのです。
そのため財産も土地も物さえも持たず、残すのは自分の生き様を伝えられる子供のみという、何ともストイックな人生観でした。

そして、子供に対して思う事はどれだけ幸せに生きてくれるかと言う以上に、どれほど侍の本分を尽くし生きて行ってくれるかが子に対する思いだったのです。
逆に言えば侍の本分を守り生きる事が幸せなのだと言う不動の価値観を持って生きることを賞賛されてきたのです。

戦国の時代など畳の上で家族に看取られながら死する事ほど情けない死に方はなく、若い内に戦さ場で討ち死にする事こそ武士の誇りとさえ言われていました。

一歩家を出たら、生きて家に戻れないという覚悟を持って日々を送っていたのが真の侍の生き方だと言われていました。

こんな侍という価値観は今の時代、それこそ前時代的な生き方であり人によってはあり得ない事と思うかもしれません。

まして夫や息子たちを戦場に送る妻や母たちは、侍の時代であっても必ずしもこの美徳を受け入れていた人ばかりではなかったのではないか、そう思うのです。
自らの分身としてこの世に生を受けた子供たちに、何があろうと生きて欲しい。そう願った人も、きっとたくさんいた事でしょう。

今も国際政治が戦いであり「真の解決は戦争によって」なんて事を平然と口にする人もいますが、そうした人は過去世において本当の戦場の地獄を知らずに来た人なのかもしれません。

でも私たち人類は、洋の東西を問わずそんな時代を「前世の自分」として生きてきた事は間違い無いと思います。

それを体験し、何を知り、何を得る事が出来たのか。
その答えこそ、今まで不条理の中で何度もの転生を繰り返してきた本当の意味なのだと思うのです。

まさに体験こそ進化の鍵。

人の意識や価値観は(社会や世界の価値観さえも)この様な時代を何度も生きてきたからこそ

「名誉やプライドという呪縛からの解放」
「命の尊さ、自由意志の大切さ」
「薄っぺらな言葉なんかでは伝えきれない真の温かさや優しさの獲得」

と言う進化を続けて来たのでしょうね。


それでも自分にとっての満足とは、人から羨まれる事でも人と比べる事でもなく、人に何と言われようと自分自身が「これがいい!」と感じた人生を生きるのが真の満足なのだろうなと思うのです。

ただ、これから先の次元では自分が決めた価値観に自分が縛られる事なく、常に変化(進化)する自分の思いに柔軟に従って行く。
それが新しい次元の生き方となるでしょう。

頑なに自分の信念を通す必要もなく、その時々で心に浮かんだ「希望」に素直に従って生きて行きたいものですね。

そしてどれ程緩く、へなちょこでヘタレでグダグダであろうと、それこそが数々の人生を体験してきたからこそ獲得できた寛容さでもあると知るのです。









by farmemory | 2019-09-10 00:31 | ・意識の自立と進化 | Comments(0)



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自分探しの旅はそろそろ終えましょう
いくら探しても本当の自分を探し出す事は出来なかったのではありませんか?

それは当然の事です
昨日の自分はもう終わった自分

昨日の思いや感じてた事は全て終わってしまった古い時空
翌日の自分はもうリセットされているのです

それを昨日の自分に固執してしまうから自分が分からなくなってしまうのです

いくら探し回っても翌日の自分はもう違う自分なのです
ですからいくら進んでも辿り着けるわけはないのです

まるで幻を追い求めるようなものです
知るべき自分は今の自分以外いません

昨日の自分は終わった自分
明日の自分は今の自分が作り上げて行く自分

ならば今この時の自分こそが探し当てるべき自分に他なりません
実は自分探しは「簡単」な事

自分の中に昨日と違う考えや価値観が湧き上がると、人は混乱してしまいます

でも昨日の自分と今日の自分を切り離す事で本当の自分を見いだすことが出来るのです
探さなければならないと言う事は一貫した自分が居ないし見えないからでしょう

昨日の思いに引きずられる事はありません
今この時に思うことが全てです

筋の通った人である必要もなく
ブレブレの自分である事をむしろ面白がりましょう

常に一貫した自分など必要のない事なのです

極論:
一貫してブレない我慢の人=旧次元の人、頑固で変化を好まず脆い人・批判と否定と排除の人
ブレブレでグッダグダの人=新次元の人、フレキシブルでなんでも受け入れられる緩やかな人・寛容と肯定と受容の人

朝令暮改はむしろこれからの新しい次元を理解するためには否定するべき言葉ではありません

「あなたは昨日と違う事を言っている!」
「一貫性の無い人ですね」

そう言われる事を恐れない様にしましょう

「だって今はそうなんですから、何か?」
と微笑んでお返ししましょう

今この時の自分を受け入れてこその自分探しなのです
情けなくカッコ悪い自分を見てしまったとして、その自分を否定したって逃げようもない自分自身がそこにいるのです

気に入らない自分を否定し、無かった事にして隠し、その自分を置き去りにして自分の理想の素敵な自分を探しに行く?
どこか変だと思いません?
それは無い物探し、無い物ねだりでしかありません

そんな自分であっても受け入れる事が「自分を愛する、自分を大切にする」と言う事なのですね

情けない自分、カッコ悪い自分をしっかり認識し直視し受け入れる事で、人は進化して行くのです
だって情けない自分やカッコ悪い自分を知れば、進化したいと願う筈

まっ、難しい話はこれくらいにしましょうね
今日は厳しく生きるのは程々にして明日の事は明日考えましょ









by farmemory | 2019-08-31 00:01 | ・意識の自立と進化 | Comments(0)



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ハイヤーセルフとのコンタクト、自分自身の過去生リーディング、高次元とからのメッセージ取得。
こうしたことは本来私たち人類にとっては特に特殊な能力なのではないのですが、ある時からその能力を封印することを人類の意思として今に至っています。

しかし変化が加速している今、その能力を思い出し始めた方が増えてきているように感じています。
これは次元の変化と、自ら仕掛けた封印の解除が同時に起こり始めているからでしょう。

でも、コンタクト能力とかリーディング機能とか、そうした能力は単独で伸ばすのは慎重にする必要があります。
そうした能力は自分自身の意識の変化や進化の過程で思い出して行くものなのです。

今までの3次元意識にいた自分を高次元の意識に向けるようにして行く過程で「おまけ」程度で解放されてくるものです。

逆に言えは意識の進化こそが重要で、高次元に向けた自分自身の変化を後回しにし「能力」だけを伸ばそうとすれば大きな歪みを生じてしまいかねません。

例えば機材やテクノロジーを利用して高次元とつながる機材ができたとして(実際にいくつかは存在しています)

自分自身の意識変化もなく機材に頼って単に一つの能力開発だけに集中してしまうと、自分自身の周波数が上がっていないので別の次元の存在とコンタクトを取ってしまう危険もあるのです。

高次元であってもポジティブ側もネガティブ側ももちろん存在しています。

3次元で言えば狐たちがオリオンの使いとして、お稲荷さんと言われ人に怖がられたりしています。
彼らには悪意は無いのですが、3次元で生きる人類を翻弄するという役割を担ってきました。

その彼らがもたらしてくれた依存心や執着、恐怖心や怒りという「感情」を私たちは知るためにここに来ています。
彼らオリオン(稲荷たち)は、その体験をしたいという人のために、悪名を承知で人に混乱をもたらす役目を担ってきました。

高次元においても(今の私たちには到底理解できないかもしれませんが)やはりネガティブは存在しているのです。

能力開発をしたい、優れた能力が欲しいというモチベーションは何でしょうか?

他の人より優れた自分になり羨まれたり高い評価をもらいたい?
もしそうであればそれは単なる選民意識であって「いいね」を欲しがる承認欲求と変わらない意識です。

また自分の能力を高め、未来を知りその危険を人のために役立たせたいとして。
それさえも高次元においては「大きなお世話」になかねないのです。

私たちは誰かの下に庇護されている存在ではありません
自分より優れたリーダーの元に集まって、その庇護下で安心していると言う事は、国家という檻の中に閉じ込められた羊でしかありません。

その柵を飛び越えて(意識と魂の)自由の野原に飛び込むことが高次元を生きる、もしくは高次元を早く理解して行く近道です。
でもそこには自分を守り指導してくれる者など存在しておらず、すべての責任と自由意志において生きて行かねばなりません。

自分の身に降りかかってくる現実は、自分自身が設定した「体験学習の設問」なのだと言う事を理解できば、人のために生きるとか人を救うと言う事が、時としてその人の成長を大きく阻害してしまう可能性もあるという事に気が付くはずです。

何かを身につけようとして、難しい問題に向かっている人に答えだけを教えてしまったとします。
ここで重要なのはその「問題の解き方」を自分自身で試行錯誤、紆余曲折を通りながら設問に向かい自分自身で獲得しなければ身につくものではありません。

苦しんでいる人を見るのは確かに心苦しく、こちらも辛いと感じる事もあるでしょう。
それが身近な人、大切に思う相手であればなおさらでしょう。

でもこれから自由の新天地に出て行こうと願う人に対して、過剰な手出しや助けは逆にその人の進化を妨げてしまう事もあるのです。
時に静かに遠くから見守るのもとても重要な事なのです。

どうしてもお節介になって
「そんな生き方や考えを持っていては周波数や波動が上がりませんよ」「天の心理とはこう言う事なのですよ!」

とそんな事をまだ理解の準備中の人にお話ししても伝わるものではありません。
むしろ「波動とかだって?怪しい宗教でもやっているの?」と疎まれるのが関の山です。

でもその人が自分から「知りたい」と願った時、初めて語り伝えるタイミングとなるのです。

でもその人が知りたいと願うタイミングは決して穏やかで緩い状態ではないはずです。
人は往々にして、大きな壁やハードルを目の前にした時こそ、進化のタイミングとなります。

それが分かると、今進化の途中にいる人の苦しみを見ても心苦しくはならないはずです。
「ああ、この人は先に進もうとしているんだね」
「でもその道は自分で見つけなければならないもんね」

という理解になるはずです。
そして自分自身にしっかり向き合っていると、知らず知らずの内にいつの間にかハードルを超えているものなのですね。

辛くはあっても厳しさや痛みみさえも肯定的に捉えられた時、意識や周波数の上昇期を迎える事になります。
大樹の下に集まり身を寄せ合って、人の言葉に右往左往している状態の人が、コンタクト能力だけを上げてしまう危険はここにあるのです。

今自分の状態をしっかり認識し、少しなりと天の心理を理解し始めてくると、感覚も自然と解放されてくる。
これは経験した人であればきっと理解出来る事かと思います。










by farmemory | 2019-08-13 00:53 | ・意識の自立と進化 | Comments(0)



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今自分は何もしていない、しようと思っても自分が何をしていいのかがわからない。
または自分がしたいことが何なのかがわからない。

そんな事ありませんか?

そんな時に是非今回の記事を参考にしてみて下さい。


自分の行動に対する責任をしっかり真っ直ぐに持って正しく生き、しっかり熟考し・・・
ではなくて責任感とか正義感とか、人の迷惑になるとか考えずに行動する事を試してみましょう。

誰かに頼まれたからとか、だれかのために生きるとかそういうややこしい事も棚の上に放り投げて、自分は何を希望しているの?
と自分にいつも聞く癖を着けるといいです。

そうしているうちに、自分が何を希望しているのか
何がいらないことなのかが、うっすらと分かって来るかもしれません。

また人の目に流されることもなく、善悪・優劣・白黒に心奪われることなく本当に自分が何をしたいのかがわかって来ます。

そしてその答えが
「今は何もしないでだらしなく日々を送りたい、それが希望だと自分が言っている」
そう答えがかえってきたら、それに従ってみると良いでしょう。

自分を信じるとは、そうした自分の中から帰ってくる感覚や思いに従うことを言います。

何もしない時間が「何も生み出さない時間」とは限りません。
何もしない時間が、見えないどこかで何かを生み出すその準備をしている事もあります。

そんな重要な時期に、何もしていな事に不安や自分へのダメ出しをして、無理やり自分が望まないような行動をしてしまうと、せっかく何かを生み出そうとしている重要な時間を無駄にしてしまう事もあります。


何かをしなければ、そう焦って行動してもそれは自分の希望とはかけ離れてしまうかもしれません。
時には ”待つ”事も必要なのです。


今の自分がどのような状態であっても、本当の自分(深層自我)は必ず先に進む準備をしています。
そうしている自分に信頼を向けて下さい。

その時、自分の道を歩いていることに気がつくでしょう。

そして何より「心の声を聞いて暮らす事」がいかに大切かにたどり着いたら(理解できたら)何よりラッキーな事なのです。








by farmemory | 2019-07-24 00:01 | ・意識の自立と進化 | Comments(1)



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スギナは土筆(つくしんぼう)の親です。
その生命力の強さは驚くほどで、時に大変な厄介者として扱われています。

その広がりは根っこ「草の根」を通して広がって行きます。

草の根とは、表には容易に出てこない雑草が一生懸命に根をのばし最初生えた親草より遠い場所にポコンと生えて行くための「地下茎」の事です。

そして草の根の様な生き方とはこの生き方です。

この草がもし、畑や庭(もしくは社会)にとって疎ましいと見なされれば、その草はひっこ抜かれ駆除されてしまいます。

でも親草は抜かれても人(社会)の目から見えない所で既に根は張り巡らされています。
また親草は、自分が引っこ抜かれた時、その情報を根を通しすべての子供草に記憶を送ります。

スギナやドクダミ、コスモスや蕗などがどれほど強い生命力を持っているか、それを知っている人なら分かると思います。
抜かれても、掘り返されても、地下茎が1cmでも残っていたらそこからまた地下茎をのばし、知らぬ間に広がって行きます。

草の根の生き方も、草の根運動も同じと思います。

「一人一人の力や声は小さくとも多くの声が集まれば大きなうねりとなる」

そんな表現を耳にすることがあると思いますが、それは本当の草の根の生き方ではでは有りません。

ここでは一人一人の「力が弱い」と、否定的な言葉が語られてしまっている事に気がついて下さい。
この言葉は「あなた一人の力など取るに足らないのですよ、悪いことは言わないから素直に言う事を聞いていなさい」とも取れるのです。

でも私たち一人一人のパワーは決して弱いものではなく、自分自身を肯定し自分自身を信頼した時にその力の大きさを知る時が来ます。

また草の根の生き方や運動は、決して自分たちの活動や生き方を声にして多くを語らないはずです。
もし自分たちの活動を声にして仲間を募ってしまえば「草の根活動(運動)」ではなく「親草活動(運動)」になってしまいます。

スギナは先ず人の目に触れないように、最初はとても静かに地下茎を伸ばして行きます。
この時にはまだ根の広がりを地上に見る事はありません。

でも、すべての用意とタイミングが揃った時、一斉に芽を出して行きます。
それも驚くほどの広範囲で、しかも急速に。

雑草を警戒する者の目には映る事なく深く静かに広がり、芽を出した時にはすでに根は縦横に張り巡らされています。
その時に「しまった!」と思っても、もう全てを排除する事は出来ないほどに地下では強い絆で繋がっています。

でも、親草が芽を出したら次の芽をという広がり方では、すぐに見つかって引き抜かれてしまいます。

群れをなして声を上げれば目立ちます。

でも一人一人しっかりとした意識を持ち「寡黙」に「孤高」に行動するのであれば誰にも知られる事なく「自分の希望と思い」で生きる事が出来ます。
ここには「妥協、多数決、落とし所、摺り合わせ、民主主義」なんて胡散臭い言葉も生まれません。

声高に仲間を募りません。
一人で居る事を良しとします。
誰の誘いにも乗りません。
全ては自分自身の内なる声に従い、それを信じ行動して行きます。

それでも同じ意識、同じ周波数、同じエネルギーベクトル、同じ価値観を持つ者達はお互いのハイヤーセルフ同士が感知し合います。

そして必要があれば、その出会いを静かに取り持ってくれるでしょう。
遠く離れていても、偶然を装いながらも絶妙な出会いのタイミングを逃しはしません。

活動や運動、生き方は「多くを語らず自分を生きる」事でその真意と力を発揮するものです。

今は自分を信頼できる程の力も、仲間も見当たらないと思っていても、きっと地下茎は真の友との繋がりを強めている筈です。

自分自身を信じてみましょう。
自分の見えない力を信頼してみましょう。

その時見えない繋がりが地下茎を通し急激に広がり、その芽吹きを見る事になる筈です。


《余談》
生前の父が庭の世話が出来なくなるほど衰え、私が代わって実家の庭を手入れしていた時の事です。
それはもうすごい勢いでドクダミが庭に広がっていました。

除草剤など使いたく無いので最初は一本一本手で抜いていたのですが、しばらくするとまた直ぐに芽が出てきてうんざりしたことがあります。

そこで備中鍬で庭を掘り返して文字通り「根こそぎ」取り去ろうとした事があります。
掘り起こした土をふるいにかけ、一本一本つまみ出しました。

でも、それこそホンの少しの地下茎が残っていれば無駄で、やっぱりドクダミ君の勝ちとなります。
この時にはドクダミへの不快感MAXでした。

そんなある日、なんの根拠も脈絡もなく閃いたように
「そうか、ならドクダミに話しかけてみよう」
とダメ元で思ったのです。

「ねえドクダミさぁ、あのさ、いなくなってしまえとは言わないよ。でも他の庭木や草木とも仲良くしてくれる?」
「それと、ここのところにトマトを植えるから、こっちには来ないでほしいな」

と語りかけたんです。
そしたら、なんと本当にその通り、共存と遠慮をしてくれるようになったのです。
これは感動ものでした。

まだスギナには試していませんが、なんか聞いてくれるのではないかしらと思っています。

・駆除、排除、否定、嫌悪、強制。
・共存、不可侵、肯定、語りかけ、対等。

どちらも魂を持つものには届くのですね、というお話でした。









by farmemory | 2019-07-20 11:34 | ・意識の自立と進化 | Comments(0)



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今回は大島話題の割り込み記事です。

うちはニンニクNGな家庭ですので、餃子にはニンニクは入れません。
それだけでなくうちの人はニラがダメなので、代わりにワケギや万能ネギで代用です。

それ以外には通常の餃子の作り方(だと思います)です。(画像は今日の餃子です)
キャベツはできるだけ細かく刻んで軽く塩をして揉み込んで、水分を出し切るので、なんだかキャベツの栄養素を捨ててしまっているようで・・・
少し心苦しいです。

中国では水餃子が一般的で焼き餃子の割合はとても少ないそうで、また水餃子にはニンニクを入れないそうです。

日本で焼き餃子にニンニクを入れるようになったのには訳があって、日本に持ち帰られた当初の餃子は中国のレシピを参考にしていて、使う肉が羊の肉でした。
日本人にとって羊の肉は臭みを感じたので、臭い消しの目的でニンニクが使われたのだそうです。

ところで本来でしたら「フォロンの台所」に掲載するような画像と記事ですが、今回、人によっては瞑想と言うか高次とのコンタクトにも関わる(かもしれない)お話なのでこちらで取り上げました。

このニンニク、仏教修行の大敵としています。

五葷(ごくん)と言われる香味野菜の一つ。
この5種は時代や地域(もしかしたら宗派でも)によって若干種類が異なるようですが、その全てで(ニンニクとニラ)はNGとされています。

また本来の和食にニンニクを使うことはほぼなかった筈です。
少し前の日本では余りニンニクを使う機会がなかったのですね、今でも京のおばんざいにニンニクを使ったレシピは余り聞きません。

これも京都という土地柄。
僧院、僧侶がたくさん居ることも影響しているかもしれませんね。

一般的なところではニンニク、ニラ、ネギ、ラッキョウ、ギョウジャニンニク。
私は子供の頃、長ネギも玉ねぎもほぼダメでした(今は、まぁ大丈夫)

でもニンニク、らっきょう、行者ニンニクが苦手は変わりません。生の玉ネギは今でもちょっと・・・

ニンニクの効能は、誰でも知っているパワーの源ですね。
ピラミッド建設の頃、エジプトではニンニクを給料の一部として労働者に与えていたという逸話も残っています。

逆にニンニクには強い催淫作用があるため、修行をする仏教僧にとって非常に不向きな食材として避けられていたのです。

これは意識の覚醒(瞑想や高次とのコンタクトなど)を行う時には確かに困った効果があります。

私の感知力が、これら五葷をあまり好んで口にしないことで保たれているかはわかりません。
ただ瞑想の時には半覚醒(起きているか寝ているかの中間状態)で行う事が効果的ですが、ニンニクは「元気100倍、シャッキリ目覚める」になってしまいます。

瞑想やコンタクトを行う場合、安定した静かな精神状態が好ましいとすれば、その逆効果をニンニクは持ちますからね。

また人を興奮状態に持って行く効果があり、五葷の教えの中にも淫欲、憤怒(ふんぬ・攻撃的になるという事)を誘発すると明記されています。
また向上心という言葉以上に人が持つ強い執着や煩悩が起こりやすいとも言います。

ただ私は修行僧ではないので「教え」でニンニクを取らないのではないのです。

食べると胃が焼けて、ひどい時には七転八倒の苦しみを何度も経験したこともあるのです。
多分胃壁から出血するくらいの炎症を引き起こすのでしょう。

生のニンニクにはある種の化学成分(アリシン、ジアリルスルフィドなど)があり、それには強烈な除菌・抗菌作用があるために腸内の善玉菌を駆逐してしまい腹痛や下痢を起こす事があるそうで毒性もあると指摘されています。

ニンニクを口にするのは人間だけだそうで、他の動物にとっては命にさえ関わるとか・・
あ、、そうそう、アボガドも人間以外の動物には高い毒性があるそうです(余談)

今までに何度か人に言われた事があるのですが、ニンニクが苦手って「じゃあお前はバンパイアだ」って。
「イヤ~~ン」なのです。

多分私の体もこうした化学成分に敏感なため受け付けないんだろうと思います。
でも全くダメなわけではなくペペロンチーノや麻婆豆腐が食べれないとまではないのですが、その絶対量にリミットがあるんでしょう。
(それでもそうしたメニューは月1くらいかな)


この先「食」は大きくその意味が変わってくると思います。
ただ不食の次元に入って行くとは言え、今の次元数の段階では生体の維持を食に頼る必要もあります。

だからこそ食というものに、少しの注意を払う事は必要でもあると思います。

でもあまりに頭でっかちになりすぎてしまい
「あれがいい」「それがダメ」と言った ”情報” に振り回されてしまっては、自分の身を守るという点では逆効果になりかねません。

健康志向に過度に振り回されて、ストレスを引き起こしてしまったら食の安全以上に厄介な事となります。

「自分の体に聞く」
それも忘れないようにしたいと思います。

もう一つ重要なことは、自分自身の危険察知能力と、自己浄化能力をしっかり機能させておくことが何より安全につながるでしょう。
機能強化、維持のためには何が効果的か。

そのお話はまた機会を見てお話しして行きます。









by farmemory | 2019-06-28 00:00 | ・意識の自立と進化 | Comments(0)



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一つテストをしみましょう。

他者から何か納得の行かない対応を受けたとして。
その時自分はどういう意識(行動を)持つでしょう?

(A)その相手に面と向かってその納得のいかない対応に対して(非難するのではなく)なぜそうした行動や言動をとるのかとストレートに聞いてみますか?

(B)相手に対し心の中では不快感を持ちながら平静を保って対応しながらも心の中で
「正義は勝つ、そういうことをしていたら天の罰を受ける」
と、言葉にすることはなくても相手に対するジャッジをし、自分に向けてくる納得のいかない行動を飲み込んでモヤモヤしますか?

(A)は、喧嘩を買うように聞こえますが、相手の悪意に反応するのではなく、単に意味不明の不条理に対する疑問を相手に向けるだけです。
この場合はこちらの中にはネガティブな感情は生まれることはなく(あってもその場だけのムカッ!で終わりますね)しっかり相手の目を見て対応できます。

(B)の場合、怒りや不快感を感じていないと装いながらも心には大きな動き(動揺や相手に対する敵意)が起こっている。
そしてそのシコリがモヤモヤとなり、面と向かって相手の目を静かに見つめられず、目を逸らしながら話してしまうかもしれません。


モヤモヤしたままで確認することを避けてしまうと、当然ですが相手がどんな理由で自分に不条理を仕掛けてきているのかの判断ができませんね。

判断できないと相手が自分に対して「悪意がある」という自己判断だけが一人歩きをしてしまいその先では相手は自分に悪意を持つ者と認定されて行きます。

さらには、綺麗な言葉遣いをしながらも、その裏に強烈な批判や棘を隠しているのではないかという裏読みをしてしまったとしたら・・・
自分の中にも同じ棘があることを露呈してしまうということにもなるんですね。

なぜなら自分の中にそうした意地悪さが眠っているからこそ、誰もが言葉の裏には「見えない別の言葉」が潜んでいると思ってしまうからです。
相手が自分に対して悪意を持ってもいないのに自分からその悪意を作り上げてしまうのです。

「神様からバチを受けるよ!」

この表現できないモヤモヤ感情こそがネガティブそのものなんですね。

過度な潔癖症や他者を非難してしまう正義感(のような意識)これらもネガティブの一つだと言えるのかもしれません。
それが他者にであれ自分自身にであれ、批判やジャッジを向けてしまうことも・・・。

自分が眉をひそめてしまう相手の行動や意識は、鏡に映る自分の中にある隠された自分自身なのかもしれません。

でもそんな嫌な自分に気が着いたからと言って自己否定に入って、無理やり改善を急ぐ事はないと思うのです。
「気がつくこと」それだけで大きな変化が自分の中に起こってきます。

嫌な自分でいる事が嫌なら、それこそ放っておいてもそんな嫌な自分から離れて行きたくなるのですから。
だって嫌なんですから。








by farmemory | 2019-06-22 00:00 | ・意識の自立と進化 | Comments(0)



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パートナーとの関係で、心のすれ違いや無理解に傷つき、他の方の優しさに心を動かしてしまう事もあるでしょう。

きっとそこには自分の周波数と同期する人のエネルギーに触れることで安らぎや癒しを感じるからなのだと思います。

お付き合いや結婚は約束でも契約でもありません。

お互いの周波数の同期こそがその相手を選ぶポイントなのですね。
ただこれは、目に見え五感で理解する以上に、極めてメンタルで感情的なことです。

「口が悪くて短気だけど、心根の優しさが好き」
「無口で何を考えているのかわからない事もあるけど、ふと見せる仕草に癒される」
「人の悪口を聞いたことがない」

そんな相手のどこに自分は共感しているのか。
どこか同じ部分に共鳴する事があれば、それこそがエネルギーの同期という事なのです。

「心根の優しさが好き」と感じたのであれば、自分自身が「心根が優しい」という事。
「人の悪口を言わない人だから良い」と言うのであれば、自分自身もきっと人の悪口を言わない人なのでしょう。

一見粗野に見える人であっても、それはあくまで表面で判断する(誰にでもわかる)体裁にすぎないかもしれません。

相手の「エネルギーに触れる・理解する」と言うこと。
それは相手の言動、社会的地位や著名度で判断するのではなく、感情や感覚面での判断に委ねる事でしか、その本質は分からないのかもしれません。

そしてその同期するエネルギーこそが、自分自身と言うことになるのです。
相手を知ると言う事は、結局「自分自身を知る」「自分は何者かを知る」にも繋がって行くのでしょうね。

だからこそ、私たちは孤独である事を捨て、時にややこしい人間関係の輪に自ら進んで入って行くのかもしれません。

パートナーとは、自分を知り自分を進化させるために出会う人でもあるのでしょうね。
時には愛を持って寄り添い、時には厳しい反面教師として。









by farmemory | 2019-04-19 00:17 | ・意識の自立と進化 | Comments(0)



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今まで多くの方の前世を見てきましたが、過去世で人を殺傷したことのない方はほんの少しでした。
皆さん何らかの理由で、刃物や銃口を人に向けてきた人生がありました、私ももちろんそうです。

戦争を思うと、その不条理に心痛めてしまいますが、それがあまりに過度な場合、自分が行ってしまった過去世の見えない記憶が贖罪や後悔として浮き上がってしまい、より一層の反戦意識を生み出して行く事があります。

起こってもいない戦争の脅威に怯え、自宅シェルターを庭に作ったり、何かあったらどこに逃げようかとリスク管理に走ってしまう恐怖心もそこから生まれるのかもしれません。

ここには人は信用できないという意識が根底にあるからですね。
人を信用出来ないと言う事は自分自身、過去のどこかで人を裏切ってきた経験があるからなのかもしれません。

また常に外敵の脅威から国を守らなければならないという防衛意識も、過去のどこかで自分がその当事者として、相手国に攻め入って他国を蹂躙した経験をしてきたのかもしれません。
「人は信用できないもの、なぜなら自分自身が他国への侵略に手を貸したことがあるから」と言う流れです。

「人はもともと善なるもの」です。

戦いを口にし武器を国家の威信だとする為政者も個人も、人に対する信頼よりも前に「人は信頼できないもの」だという意識が先に立つから「防衛」と言う意識が生まれます。

また、人は善なるものであるとすれば、過去であろうと、この人生であろうと自分が行ってしまった過ちを知れば深い後悔と贖罪の意識に苛まれます。
それが遠い過去世の出来事であっても、見えない思いグセ(トラウマ)として胸の奥に潜んでいます。

これから先、高い周波数の時空に入り始めれば個人的な「感情」から生まれるすれ違いはあっても、人を傷つける暴力は起こりにくく、また人に対して絶対的な信頼を持てる時空に入って行くでしょうから、戦争が生まれる素地が極めて低くなって行く事でしょう。

もしその世界に変化して行きたいと願うのであれば、自分自身の中にある人への疑いや疑心を持つ自分が変化しなければ、いつまでたっても堂々巡りをするだけになってしまいます。

「自分が変われば、自分の(外の)世界が変わる」

この真実は、少し不安かもしれませんし、人が良すぎると言う誹りも受けてしまうかもしれません。
でも、それが真実である事を知るためには、体験しかないと思うのです。

そして何より人は皆元々「善なるものである」と言う事を信じる自分であるかと言う事です。

時空間は急激に変化し続けています。
自分が思った事、希望した事が現実化する時間も頻度も上がって来ているように感じています。

不安な未来をイメージしたり暗い方に意識を向けると、すぐにそれが現実(エネルギー)となって身の回りに纏わり付いて来ます。
重苦しい感覚や、晴れない心の状態も、もしかしたらそうしたエネルギーに纏わり付かれているのかも知れません。

そしてその先でそのエネルギーが、何らかの物理現象として具現化して行きます。
分かり易いところでは体調や人間関係、遠いところでは自分が生きる世界の未来への影響です。

これは因果律としても解釈できる事です。
ある思い(想念)を抱くと、その思いと同じエネルギーが返ってくる。

逆に、自分からプライドや損得、勝ち負けの世界から足を抜いて物事に対峙し行くと、そこに返ってくるのは穏やかで棘のないエネルギーなのです。

そうはいっても「人は善なるもの」と無条件で信じきることは、確かにハードルの高いことでしょう。
また身を守る事を無意識で行ってしまうことも、自己防衛本能として私たちにはデフォルトで備わっている事でもあります。

それでも因果律の適応が早くなってきている今、逆に「人は善なるもの」それを知る機会でもあり、チャンスでもあるということなのです。
おっかなびっくりでも、臆病なのろさでも、疑い深くてもいいから小さな事から「人は善なるもの」である事をより信じてみようと思っています。

そしてそうする事で帰ってくる因果律で、それを知ることができるのであれば・・・
最近それが「ほんとだ!」って体験が増えて来ているので、更に信じられる様になって来ました。









by farmemory | 2019-04-08 00:03 | ・意識の自立と進化 | Comments(1)



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エンパスという言葉の解釈ですが
「受けやすい体質」「憑依されやすい体質」「ネガティブエネルギーに対する過剰反応」そうした解釈をする事もあるでしょう。

でも本来のエンパス体質とはこの地球上(3次元)での学習をしっかりしてきた人、その卒業を目前にしている人を意味するのです。

例えば
「ネガティブな人の側に行くと、その重さに自分自身が絡め取られてしまいます」とか、
「誰かを助けたいと思うあまりその人の苦しみや痛みを自分に受け入れてしまう(代行してしまう)」
と言うような解釈は本来のエンパスでは無いのです。

受けやすくネガティブなエネルギーに纏わり付かれる事をエンパスとは言いません。
それは「憑依体質」と言い、自分自身のバリアに穴が開いたり、薄れてしまった状態です。

私たちは楽園と言われていた苦しみのない地球から自分たちの意思で、重く辛さを感じる地球を願い、そこでしか知ることの出来ない様々な煩悩や執着を身を以て体験するためにここに生まれて来ました。

ただ「修行」などという自己犠牲を強いる苦行などではなく、その苦しみというものの本質を知り、そこから生まれてくる感情を知ることにありました。

それらの苦しみが何からくるのか、なぜ人はその苦しみを辛いと感じるのか、さらにはその苦しみを知る事によりその対極にある喜びや幸せを知ることでもあったのです。

エンパスはそうした痛みを体験する事で、人の痛みを知る事を言います。

この次元に生きると言う事は、究極の恐れである死と隣り合わせに生き、いつかは朽ち果てる体と付き合いながら人生の終焉まで向かう事です。

ただ、3次元での過酷な日々の中で、たとえこの宇宙に自分一人しかいない(*注釈↓)と知ってはいても、辛く悲しく痛みを感じる時に、その辛さを理解してくれる人の存在は何よりの救いとなります。

エンパスとは、幾度もの人生を経験しながら、たくさんの痛みを経験してきた人の優しさや、暖かさなのです。

上辺だけのおべんちゃらや綺麗事を並べ立てられたり、薄っぺらでトンチンカンな応援ソングを耳元で歌われるより、同じ痛みを知る人の存在が何より癒されると言う事はお分かり頂けると思います。

本来のエンパスとは人に寄り添い、痛みを理解し、手助けを極力慎重にしつつも、相手の厳しさや痛みを心底理解できる人こそが本当のエンパスなのです。

何も出来なくても、何も持っていなくても・・・
エンパスの人の存在こそが、今の地球と次の次元に向かう人々の本当の救いになって行く事でしょう。



(*注釈)一人しかいないと言う意味は、個別に体験しているこの世界は一人一人の宇宙であり、自分を取り巻く全ては全て自分が作り上げているホログラムだという意味です。











by farmemory | 2019-03-09 00:00 | ・意識の自立と進化 | Comments(1)