カテゴリ:・意識の自立と進化( 25 )

**お仕事と使命(2)**

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前回からの続きです。

よく頑張ってきた自分に安らぎと労いの言葉を贈ってあげることはできた。
さて、ではこれからどうしよう?

その前に次へのステップに入るその前に、心しておく事があります。

どこに身を置き、何をし、どう生きていようと、ますは自分自身を非難したり評価を下げたりする事だけは避けてください。

自己批判や、自虐的な意識は、例え仮面の社会を知ったとしても、次のステージに向かう時には不要なもので、時には足かせにもなり得ます。

魂の使命とは離れていると感じる自分にダメ出しは不要な事です。
生きる為致し方なく頑張っている自分に「本当によく頑張っているね」と言って上げなければ、自分の存在自体が無意味になってしまいます。

使命に進むために不条理な社会に足を踏み入れただけの事なのですから、自己批判は不要なんです。
大切なことは「理解」し「気がつく事」なんですね。

「ああ、そうなのね、自分がいる組織や社会って、こんなだったのか。ふ~~ん、なるほどね」

これだけでいい事なのに、人は得てして「襟を正さなければ、正義感を持たなければ」という、大して意味の無い謹言を自分に言い聞かせようという厄介な癖があるんですね。

「いつでも正しく生きるべき、人のために役立ち人に評価されるべき、常に自己批判を忘れるな」
これ、実ははある意味マインドコントロールなのかもしれないのです。

「正しい人、清廉潔白、人格者」
そういう人になるって、社会的に従順でルールを守る人ということですよね。

では今の社会が本当にまともで、そこで従順でいる事に誇りが持てる社会なの?
社会のルールはなんの目的で、誰が作ったの?
その社会ルールに従うことにどれほどの意味があるの?

人を傷つけ、引き摺り下ろし、踏みつける社会って気がついたのではないのですか?
ならば社会基準に従う人間でいることにどれほどの価値があるかは言うまでもない事ですね。

「ふ~ん、そういう会社だったんだね、それは興味深い」
そんな達観で、家族を守るためだけに対価をもらってお家に帰って家族と楽しい日々を送っていれば、そこに社会に翻弄されない自分が見えてきます。

自分は命がけで海を渡って子育てをしているツバメなんだと思いましょう。
ツバメたちは、子供を育てることだけが興味の対象、自分の仕事がどう評価を受けているかなど関係ないのです。

早い話、現行の社会の中での「仕事」に使命と呼べるものがあるのかな?と言う事でもあるんです。

でもこれはまあ、かなり極論。
もちろん仕事(対価をいただく事)と使命が一致しないのかといえば、そんなことはありません。

肝心なことは、どんな仕事をしているかではなく、すごく単純なことなんですが「その仕事を楽しんでいる?」その一点でしょう。
他者には分かりかねる事ですので、それはご自分に聞いてみてください。

「もう今の仕事が楽しくて楽しくて、毎日心はニッコニコ」
ならば、その人は使命の一つを果たしていることになるんです。

そうなんです、仕事という「行動」自体が使命なのではなく、何をしていようと自分に偽ることなく居られるかが、使命を果たしているかの重要な事なのです。

自分を偽っているとしたら、どれほど「人のために」と言おうと、人が評価しようと使命ではないということなんです。

仕事では毎日辛いし、ストレスがある。だとしたらその仕事は魂が約束してきた使命とは少しばかり違う。

でも趣味の世界にいたら、もう時間の経つのも忘れて心がニッコニコ。
なら”今”はそちらの方がより使命に近いのだと言う事なのです。
「今」はと言ったのは、これから先の使命はまた変化するかもしれないからです。

私たちは生きています、そしてこの地球からからこの体を借りている地球の子供達です。

そのためにすべきことは、自分の中に生まれるエネルギーを地球に還元する事なんです。

ストレスを産めば、自分自身を傷つける事になり、何よりお母さんである地球をとても悲しませてしまいます。
ご自分が人の親でしたらお分かりになると思います。

自分の子供達にどうあってもらいたいと思いますか?
世界中の子供達にどうあってもらいたいと思いますか?

ストレスに押しつぶされて、自分自信を非難し、自分自身を傷つけ、自分自身の存在なんかなくなってしまえばいい。
そんな子供達を見たらどうでしょう。

お母さんである地球は、私たち人類皆等しく可愛い子供達、そのおかあさんの思いに報いることも、きっと使命の一つになると思うんです。

とても観念的なお話のように聞こえるかもしれませんが、私たちはエネルギーで成り立った存在です。
そしてエネルギーを生み出す存在でもあります。

どんな種類のエネルギーを生み出す自分でいるかが、とても大切な「使命」なのです。











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by farmemory | 2018-09-14 00:05 | ・意識の自立と進化 | Trackback | Comments(1)

**お仕事と使命(1)**

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自分はなんのために生まれてきたの?
自分の使命は何?

これを、仕事と繋げて考えたり、答えを出そうとしてもグルグル回って答えが出ないかもしれません。

私たちが生まれてきた大きな理由は、もちろんこの3次元世界でのいろいろな体験学習をするため。
それは「使命」ではなく、自分進化のためです。

じゃあ使命は?

今の社会は経済社会です。
経済社会はお金をたくさん稼ぐことが、まず一番に優れた事と評価されます。

古い企業人の中には、自分の仕事がどれほど社会に貢献出来ているか、その働きがどれほど人の役に立てるか、その点をビジネス面以上に目標にした方たちも多かったと聞いています。

でも今の企業理念は、どれ程人の為になれるかと言う言葉の前に「戦って勝ち取れ!人の隙をついて先にかすめ取れ!環境保護は企業イメージのためのリップサービス!」そんな暗黙の強制力を持っています。

ビジネスチャンス、ターゲット、企業戦略、保護主義、貿易摩擦、優先順位、評価、成果と結果、主導権、競合・・・

そうした言葉を日常口にする社会の中に、生まれる前に決めてきた ”天の摂理” に沿った「使命」が本当にあるの?
またデスクに座って、事務処理を行っている自分が、魂が決めてきた使命に向かっているのだろうかと疑問に感じる事もあるかもしれませんね。

でも、だからと言って生きるために仕事をすることを否定しているのではないのです。

仕事をする事は、この3次元の一つの側面ですので、社会に生きる為には受け入れなければならない事でもあるでしょう。
「社会って何?なんのために存在し、なぜ自分はそこに身を置いているの?そもそも社会の意義ってなんなの?」

それを知りたいと思ったのであれば、その早道が「就労」(自分から社会に飛び込むことです)です。

でも「仕事」に疑問や辛さを感じた時、そこに「仕事」の別の一面(自分にとっての役割)も見えて来ますね。
組織や社会の一員となれば、嫌でも半強制的な社会生活や社会的付き合いが始まることになります。

就職したばかりの時は希望とやりがいを持って取り組み始めた事でしょう。
そしてそのまま疑問もストレスもなく、職場や仕事を自分の居場所として充実し定年を迎える人もちろんいるでしょう。

ところが中には仕事を続けて行くうちに、漫然と日々を送りながら、でも「なんか、よくわからないけど、自分の毎日って何?」
と思い始める人もいるかもしれません。

そうすると、仕事にエネルギーを使っていることに気が抜けるほどの無意味さを感じてしまった、なんて事もあるかもしれませんね。

また自分が参加している会社や組織の理念が、自分の心の奥底の思いと乖離していることに気が付いたり、経営者の入れ替えによって大きくズレてしまったりすることもあるかもしれません。

そこで人は自分自身との「生まれる前にした約束」「魂が希望する人生」を果たすための試練にぶつかる事になります。

疑問に思いながらも、一方で家族を養い社会人としての生活を守る為、日々就業を続けている。

そして時には仕事で成果を上げ、結果を出し、スキルを身につけて社会人としての価値も上げて行く事もあるでしょう。
そうした日々の中には「自分は責任を果たしている」「人に認めてもらえる結果を出せた」と言う達成感や心地良さを感じることもあるでしょう。

でもそんな日々の中で、なぜか分からないまま心の奥がざわつき「本当に自分は満足しているの?」なんて心の声のようなものが、ふとした瞬間に聞こえた気がする。

そんな経験あるって人もきっといるのではないでしょうか。

利潤ファーストの資本主義社会の社会人としての自分。
片や、誰にも、何にも、遠慮せず(長い物に巻かれることなく)拘束を受けていない本当の自分。

その矛盾した辻褄の合わない日々の中で葛藤が始まり、その流れに入り始めてしまうと、確かに苦しさ感じ始めるのではないかなと思うのです。

でも、だからこそ身を以て社会(その仮面の裏に隠された本当の姿)というものを知る事になる訳です。
そして仕事に就く事によって「仮面の社会」の本質を理解し、なぜそうした社会に世界は向かったのかを知ろうとし始めるのです。

そして、そこに辿り着いた時、自分自身にこんな問いかけが始まります。

「社会というものがどう成り立っているかを知ったよね?」
「そんな社会でよく頑張って生きてきたね」

そしてその問いかけの先に、使命を知る手がかりが光り始めてきます。

続く











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by farmemory | 2018-09-13 00:09 | ・意識の自立と進化 | Trackback | Comments(0)

**お裾分**

お節介と思われたらごめんなさい、でも一曲だけお裾分け。


フルバージョンはこちら>>>

   ●

いつかあなたに会う日を夢に見て
今日も私はこの街で生きて行きます

でも私は諦めません
でも私は知っています

全ての記憶と温もりを決して忘れることなく出会えるその時を

今はその日を待ちつつも
今の私を生きて行きます

そう
あなたのその笑顔をもう一度見るために
私は鏡に映る自分から
決して目を逸らさずに自分を生きて行きます

それがあなたとの再会と知っているから
どうぞその時を待っていてね











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by farmemory | 2018-07-01 00:06 | ・意識の自立と進化 | Trackback | Comments(0)

**今年もお世話になりました**

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今年1年このブログにお越しいただいた皆様、大変お世話になりました。
またよく飽きもせずお通い下さりありがとうございました。

新しいブログタイトルに変更したのが今年の3月。
それからどのくらいの時間が経ったのか、最近になって時間の経過感覚がものすごく混乱して来ています。

遠い過去だったのか、つい最近だったのか・・・

少し前までは1年くらい前を思い起こす時、つい最近という感覚が多かったように思います(時間が早く進む感覚)
ですので、1年前をとても近い過去と感じていました。

でも最近は1年前を思い起こす時、その記憶がとても薄く(思い出せないこともあります)遠い遠い過去と感じることもあります。
また過ぎ去った時間に興味を持つことも減ってきて「ああ、そうだったっけ?」と言う感じで、想いを馳せることが少なくなって来たからかもしれません。

思い出せない過去の時間は、単に出来事だけではなく、その時に自分自身の中に生まれて来たはずの「感情」にもあまり興味を向ける事もなくなって来ています。

「その時、その時にしっかり味わって魂に刻むことができたよね」
「だからもうそのカリキュラムからは卒業だね」
そんな感じなのです。

数年前ですと「3年前の自分」を思い出せと言われれば、案外簡単にその時間に立ち返る(思い出す)ことができました。
ところが最近では1年どころか3ヶ月前の自分でさえ、その時の自分を記憶や意識の中でさぐり当てられなくなって来ているんです。

で、思い出せないと言う事になると過去の自分に立ち返ってそこから時間が経った「今」の自分や世界を比べて見ることができないのですね。

時間は「今」しか無いと言う感覚になって「昨日と違う今日」という認識力が薄れて、今見ている事象は変化したものなのか、今まで通りなのかの判断がつかなくなります。
あるいはそれがどれほど大きな変化なのかを認識できなくなると言うことです。

これは、すでに大きな時間の崩壊が起こって来ている証しと感じています。

また、今の自分の現状(良し悪しは問わず)を受け入れられないと、過去の自分に戻りたいとか、どの様な内容であっても変化自体を受け入れず、無かった事にし「何も変化なんかない」
と自分自身に思いこませてしまうかもしれません。

もしくは未知な事や想定外の出来事に出会った時「恐怖心」を起点とした見方に偏ってしまい、眼に映る変化の多くを「良からぬ事」と受け取ってしまいかねません。


さて、私ごとですが過去に対する想いの薄さと言う一連の感覚は今まで以上に強くなっていて、何か自分の中が変化してきていることを感じています。

ところが面白いことに、今まで忘れたり離れていた事象や人が、逆に意識の中に踊りこんでくることも起こって来るのです。
とても興味深い事です。

そして体験している様々な事象の中で、いままでの「時間や感覚」のセオリーや常識が明らかに変化して来ていることを実感しています。
そう見て行くと今年1年は、来年に向けての緩衝期間だったのかな?とも感じています。

来年は今まで言われていた二極化が、より激しく進むでしょう。

この二極化は人の意識と周波数の中でも乖離が進むと思うので、今まで近しかった人が速いスピードで離れて言ったり、また逆に疎遠だった人が「戻ってくる」ことも今までになかったスピードで起こって来るかもしれません。

またある対象物に対する感覚や見え方にも人によって乖離(もしくは変化)が起こってくると思います。
この現象は今年の後半になって多くの場所や人の間で起こってきているようで、多くの人の声として届いてきています。

次元の変化に関しても、それを肌で感じたり薄っすらとでも理解できる方と、全く感じられない方との乖離も起こってきていますが、この点も違いが更に顕著になって来るでしょう。

自分が変化するのは辛くて怖いので、誰かがこの世界を変えてくれると願う意識。
国家や社会、霊能者、弥勒やメシア、宇宙人の降臨願望やハルマゲドンへの依存など、そのいい例ですね。

救世主は何処かにいるのではありません、世界を自分の思う世界に変えて欲しいために彼らの降臨を願うことは単なるエゴイズムになってしまいます。
正しさや正義は、あくまで自分だけの価値基準です。
仮に弥勒がいるとしても個々人の願い(自分の価値判断に基づいた正しさや良い世界)には、残念ながら耳を貸すことはないでしょう。

また、どれほど優れたイデオロギーを持つ国家であろうとなかろうと、頼るものではなく国民が必要な時に利用するサービス提供者に過ぎません。

国民と政府が絶対的対等に、お互いをリスペクトしてこその国家です。
一方的に国を頼ろうとする国民も、横暴と強権を発動し国民主権を忘れた政府も、結果として自分自身を否定するに等く、自らを成長の道から離脱させていしまいかねません。

いずれ国境の意味も無くなって行くでしょうし、ことによっては国家という概念さえも。
そこにあるのは「銀河太陽系地球国」の中の日本という一地域に住む、日本民族という固有のメンタリティを持つ1部族として生きて行く世界が新しい世界地図となるかもしれません。

それよりも、私たちこそが神(宇宙そのもの)の細胞の一部であり、その自分を信頼し自分の足で前に進まなければ、なんの変化も得る(または感じる)ことは出来ないでしょう。

でも新次元への扉は既に開いてきていますので、高次に向かう人かそうでないかの判断は不要です。
新しい地球とともに進むと魂が決めているのであれば、皆進むことでしょう。

そしてこれから個々人に個別にやって来る(来ている)「変容のための設問」は進化への大きなスピードアップチャンスですので、先送りせずしっかりその課題に向かえば、早ければ早いほどそのハードルは低く超えられます。

「そろそろ本気で自分と向き合っておかないと、時間はあまりありませんよ」とハイヤーセルフがせっついて来てはいませんか?
ちなみに私にも大小含め、問いかけは常にやって来ます。

来年からは大きな変容のための「試練2020」に向けて、その前哨年に入って行くでしょう。
新しい時空という「ちょっと気合のいる日々」が待っているかも・・

数年前ミカエルから
「これから先本格的になる地球進化、次元移行のための、希望という厳しさを受け入れますか?」
と問われ
「はいっ!」
と返事をしました。
同時に進化と変容のための自分自身との戦いの「見えない剣」を受け取った事を忘れてはいません。

皆さんも覚悟よろしくって?

ではまた新年にお会いしましょう!












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by farmemory | 2017-12-30 00:31 | ・意識の自立と進化 | Trackback | Comments(5)

**三つの袋の残念**

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最近の結婚式ではほとんど聞かなくなった教訓的お話に「3つの袋」という、聞いていると思わず苦笑いが出てしまうお話がありますよね。

この中に「堪忍袋が破れたら縫い」という言葉がありますが、これはもうどうにも困ったお話だと思うのです。

これ「自分に嘘をつけ」と仕向けている言葉です。

「怒る」と言う自分の奥底から生まれてくる感情をなかったことにし、蓋をして、さも自分は何があっても怒らない人格者を「演じろ」と強制することになります。
もちろん夫婦間の「関係」を良好に保つ方法としてのことでしょうが、これって自分の感情に嘘をついてでも夫婦間に軋轢を生じさせてはなら無いと言ってるんですね。

何言ってるんだろう?って思います。

お互いの全てを出し、見せ合い、その全てを受け入れ理解して行くためには、自分の感情を隠しあってしまっては、長い人生逆効果となってしまいます。

もちろん怒りは自分自身の周波数を高くはしません。
でも自分を偽って演じてしまえば、感情的になる以上の低周波数である「ストレス」をもたらしてしまいます。

怒りを溜め込まない人(怒りだけではなく嬉しいこと、楽しいと感じたことなどもストレートに自分の感情を表現する人)
そう言う人ってストレス溜まりにくいですよね。

だからいつも体調がすこぶるいい。
でも自分の感情を押し殺してしまう「ストレス」がどんな危険な化学物質や食べ物より人体を蝕んでしまうかは、もう多くの人が知っている事実ですね。

怒りという自分の中から湧き上がってくるネガティブな感情を表現することで周波数を下げてしまうかもしれません。
でも、それを我慢し押さえつけ、目を背けても、本当の自分は怒りの中にある訳で、そこに生じる見えないストレスの方がはるかにダメージはあると言うことです。

怒りという感情が浮かんだ時こそ、自分を進化させ変容を促すチャンスなんです。

その怒る自分をしっかり見つめ、その本質にたどり着き「なんで自分はそこに怒りを感じるの?」と内向し、自分とは何者かを探り当てるための切っ掛けにもなるのですね。

そこを覆い隠し我慢し「良い人振れ」とは、困った教訓です。

人格者になるより、人に対してヒール役になろうが反面教師になろうが、自分をストレートに表現してゆく人を、天は微笑みながら見つめています。

なんで「憎まれっ子世に憚る」かわかりますか?
憎まれっ子って、自分に正直で湧き上がる感情をストレートに口にするから、嫌われるけどストレスないんです。
だから世にはびこる(長生きする)のですね。

で、そんな人を影で「あんな生き方や言動をしていたら今に神様のバチが当たる」と陰口言ったり、口に出さずとも心に浮かべたら・・
陰口って陰湿で、暴言吐く人より周波数は明らかに低いです。

天は「人前でいい顔をする人」を褒めることはしません。
それよりその人が無理をしてストレスを溜め込んで、結果自分自身を蝕んでしまうことや、自分自身で自分を低い周波数に引きずり込んでしまうことを悲しく思うことでしょう。

確かに怒りをストレートに表現すると、社会性という面から、その場や人に与えるマイナスはもちろんあります。
なので、怒りを肯定しているわけではないのです。

怒りが湧かない自分になるために、怒りが湧いた時にはそれを押し殺したり留めたりしない。
何やらパラドクスに聞こえるかもしれませんが、これお分かりになるでしょうか?

怒りを持った時、自分がその怒りの発信者であり、その根源が自分の中にある嫉妬心やエゴや執着から来ていると言うことをしっかり理解できれば、そこから怒りの本質が変わって行くはずです。

これは、売り言葉に買い言葉のバトルシーンであっても同じ事です。
相手が振って来た言葉に怒りを返し、その言葉にまた怒りで答える。
どちらも怒ってるんですよね。
喧嘩の最中に自分だけ一人冷静にはなれない事もあるでしょうから、少し落ち着いてから内向してもいいですね(笑)

でもこの時、自分自身を嫌ったり叱ったり、断罪しジャッジし、反省などすることは脇に置いておかないと、その本質に辿り着けなくなります。

「ああ、これは常識的に私が悪いな」と反省したとします。
これ、とても冷静で良い人のように見えるでしょ?

でもこれも、自分を進める進化の過程の中では取り敢えず後回しにしてください。

先ずは自分を第三者の目で静かに見つめ、自分がどんな人間かをしっかり見極めることが大切です。
そして自分を見出した時「自分ってそんな人だったの!?」と気がつきます。

この世界に完璧な人間などいるはずありません。
完璧ではない自分だからこそ今ここに生きて、その自分を進化させる目的を持って生まれてきています。

怒りや恐れを抱いた時、堪忍袋が破れたという「事実」をしっかり受け止め、そう感じる自分の「感情」に嘘なんかつかない。

例えばお子さんと面と向かっている時。
感情を抑え無理やり冷静さを装って、誰かが唱えた学習論や子育て論を元に子供の教育をしようとしても、そんなものお子さんに伝わるはずありません。

子供の感性は大人の常識を超え、感覚的に真実を見極める力を持っているので、速攻見抜かれてしまうはずです。
その教育論がどこかで聞きかじった受け売りで、本当に自分自身の奥から「そうだよ」という自信の元に口にしてなければ尚更ですね、女の子だったら尚のことかもしれません。

「なめんなよ!」って思われちゃうかも。

「三つ子の魂百まで」の通り、3歳にもなれば人としての意識が芽生え、精神面では大人と同じなんですよね。

それより、自分のエゴからくる怒りであっても、日常のイライラが尾を引いて語気が荒くなってしまっても、感情的にお子さんを怒鳴ってしまったとしても、その方が自分自身が「そうだ」と感じてもいない教育論なんかよりず~~っと愛があると思うのです。

人に「心」を伝える時には、感情を抑えていては伝わらないんですね。

悪い人、憎まれっ子万歳、とは言いません。

でも人に良く思われたい、評価されたい、好かれたいと言う理由から「自分を偽ること」は、如何なものかと。
今回はそう言うお話でした。

今日はちょっと辛口。













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by farmemory | 2017-12-22 01:22 | ・意識の自立と進化 | Trackback | Comments(3)

**天からの設問**

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前回の記事「 **興味深い記事のご紹介** 」から派生し、更に思うことがあり追記します。

先にも書いた通り、今私たち人類は天に示された大きな設問の中に生きているのではないか、そう思うのです。
今まで私たちの社会には、正義や社会ルールという「秩序」から作られるファイヤーウォール(バリア)が存在して来ました。

そのため、人の意識や理解を超えた不可解な出来事が起こり難く、事故や事件も、その原因や理由にたどり着け、それを起こした人がいたとしたらその心理面にも理解が及ぶものでした。

これは人格教育や道徳概念をもとに作られ、人々がそれに従い生きて来たことで、あるボーダーを超える「不条理」がそのバリアの手前で遮断されて来たともいえるでしょう。

安全を社会や集団意識が共に作り上げて来たとも言えます。
しかしこれは逆に見れば、個々人が深く「考える」ということを置き去りにし、そのルールに疑問も持たず従って来たとも言えます。

でも今、私たちは社会的ルールから徐々に離脱し、自分自身のルールを作り上げ生きる次元に入りつつあるのかもしれません。

仮にその自分自身のルールが、天を悲しませるような暴力的なものや偽りであったとしても、そのルールが通用してしまう「自分自身が作り出す世界(宇宙)」に自分自身が放り込まれることを意味するのかもしれません。

自分のルールがどのようなものかを、自分で決め、結果としてそのルール(意識)と同じ時空に自分は進むということになるのだろうと思うのです。
この点は、すでに「因果律」として周知のことだとは思います。

例えば「人は皆生まれながらに罪人」と言う性悪説を自身の論理とするのであれば、人は皆恐ろしく信じることの出来ない社会を作り上げて行くことを意味します。

しかし人は皆、本来極めてピュアで、優しさを持つ性善説が自身のルールであれば、その道に自分自身は進んで行くと言う事になります。

ここで私たちに突きつけられることは「すべては自己責任と自己判断」そして「自己決定」ということになります。

昨今、今まででは考えられない不条理で不快な事件や、国家や社会の暴走?が見受けられますが、それを次元移行と言う面で見れば、今私たちはそうした人類の奥底に潜む深いネガティビティーの解放とファイヤーウォールの解除を経験しているのではないかと思うのです。
まさに天から示された設問です。

あらゆる不条理と危険を遮ることなく全てを展開する世界が、この次元移行期に現れてきているのではないかとも思っています。
ただし、この危険とは身体的危険やキナ臭い危険と言うよりも、個々人に向けた意識や精神面の危険を指します。

今までの人類は、これはいけない事、悪い事、受け入れ難い事、を「社会が作った知識やルール」から判断するように教育されてきました。

しかし、新しい次元に向かい始めると社会が決めたルールが徐々に後退して行き、自分自身のルールが即自分自身の道を決めて行くという、極めて分かりやすい世界への移行を意味すると思っています。
ただしそれが高次に向かう時空であれば、世界を壊滅させるような危険は先ず一番に回避される筈です。

私たちは、何があろうと未来を目指すと決めた筈なので、いっ時の生半可ではない厳しさも受け入れる約束をしたと思っています。

今までは有名な人、影響力のある人や社会が言うから受け入れるという数の論理とイデオロギー、社会的価値観、宗教観、そして付和雷同の世界に(自分自身の魂の意思で)生きてきました。
今その時空から、自分自身を信じ自分自身で全てを決め、自分自身がそう言うからそれに従う、その時期に入って来たと思います。

これから更に
「今自分が見聞きしているこの現実は一体全体なんなのだろう?何を意味しているのだろう?どう解釈すればいいのだろう?」
と言う、今までの社会概念や社会通念では判断できない「奇妙」な出来事を目にして行く事になると思います。

時には狼狽えてしまうほどの混乱や不安を抱いてしまうこともあるかもしれませんが、今私たちが目にしたり体験し始めていることは、高次元を目指す自分を確立してゆく ”強制的変容” への道なのだと感じています。

そして何より、そうした不条理を目の当たりにしつつ

「今自分が体験している事象を見てどう感じ、どう思い、どう行動する?」
「その上で、思慮深く、そして何より自分自身の感覚に従い自分の道は自分で決め進んで行きますか?」

それが始まったと言う事なのだろうと感じています。
そして、これこそが避けて通れない、未来への架け橋・・なのかも。

そんなことを思う今日この頃です。

PS.
今日から京都に行きます、八坂さんと建仁寺に詣出ようと思っています。

鎌倉時代の一時期、私は建仁寺で僧侶として過ごしていた記憶があります。
この時代の生まれは今の神奈川県湘南地域、幼くして仏門に入りその後中国に仏教留学をしています。
帰国後京都建仁寺に入り、また鎌倉に戻って建長寺に入ったと言う記憶です。

建長寺は近いこともあり若い頃から何度となく訪れているのですが、建仁寺には京都に何度も足を運びながら伺う機会を逸してきましたので、今回は是非とも。










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by farmemory | 2017-11-12 00:03 | ・意識の自立と進化 | Trackback | Comments(5)

**神秘的な自分**

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自分を全てさらけ出した事で、自分から離れて行く人がいたら。
その人は、今まで本当ではない自分を見て、評価し、好きでいてくれた事になります。

深いところで、人には知られたく無い自分に気がついていて、それを出す事で人に去られてしまう事を恐れているのだとしたら。
気に入られるため、去られたく無いため、いつも本当の自分を見せず、自分を偽っていたことになりますね。

でも逆に本当の自分をさらけ出して、それでも自分を温かく見てくれる人もいるかもしれません。

今までその自分を知らなかった人が
「あなたって、そんな弱くて情けない部分があったんですね、とても好感持てます」
と逆に、本当の自分を知って近くに来てくれる人もいるでしょう。

その人たちの前では、自分を隠すことなく、本当の自分でいられます。
そこでは自分を偽るストレスは生まれません。

例えば恋愛の始めは誰でも皆多かれ少なかれ、無理した自分を演じてしまう事もあったでしょう。
でも人生を共にし始めると、そこには隠すことのできない日常が始まり、今まで隠して来た自分が白日の下に晒されます。

人生を共にするって、そういう事なのですよね。

これは何もパートナー同士の事に限りません。
本当の自分を見せない生き方をしていても、長く深く付き合えばいつかは本当の自分を知られる事になります。

・この人生は自分の責任と意思で生きる場所なのだから、人との関係に必要以上期待をせず、頼らず、深入りしない?
・それとも、本当の自分を知られたくないから深入りしない?

どちらであっても「人の目に神秘的に映る自分」かもしれませんが、その本質は似て非なるものなのかもしれませんね。










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by farmemory | 2017-11-05 01:34 | ・意識の自立と進化 | Trackback | Comments(0)

**ネガティブってなに?**

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ネガティブって外から自分に向けられる攻撃とか悪意のことではありません。
折り合いの悪い相手に不当な扱いをされたとか、上司からのパワハラや納得のいかない仕事のストレスとか、国家の横暴とか・・

そういうものは、突き詰めてみたら自分を成長させてくれる反面教師なわけで、ネガティブなどではないのですね。

でじゃあネガティブって?

それは個人的に自分の中から湧き上がる「感情」なのですね。

仮に相手が悪意を自分に向けたとしても、そうしたエネルギーを受けても意に介すこともなく、それすらも感じることなくいられればそれはネガティブなどではなく、
「えっ!なにそれ?」
程度のことで、自分の心が乱れることでもないのです。

でも、そのために「心を強くし、外からの攻撃や悪意に立ち向かえることのできる強固な自分となって行く」
ということは意味ないかも。

むしろそれは目には目をの意識とおんなじ、結局自分の中に攻撃に対応するディフェンスを築くということになってしまいます。
外からの攻撃に反応してしまうということは、自分の中にも気に入らない相手や物に対して攻撃心を持つ自分が存在するからかもしれません。

往往にして人は自分の中にあるそうしたネガティブを持っていることを認めたくないもの。
まさか自分がそんな嫌な部分を持っている、そんなはずないと最初から自分の中のそうしたネガティブ部分に自分からベールをかけ、表面に出てくることを避けたとしても、まぁ仕方ないかも。

真のネガティブって自分の中に生じる(元々持っている好ましくない)「感情」を言います。

進化って、こうした自分の中にあるドロドロとした部分を表に引き出し、たとえ人から眉をしかめらても、その自分を認めることから始まります。
そして、自分が嫌う部分が自分の中にあることに気がついてしまって
「そ、そんなぁ!!」
と愕然と膝を折ることから進化が始まるんですね、ちょっと厄介かもしれませんが(笑)

自分(嫌な自分)を知ることで、その自分であることを理屈抜きでやめたいと思うようになります。
だって知ってしまったら、そういう自分が嫌に決まってるのだから、そこから先に進んで行けるということになります。

私たちの進化は「穏やかで、にこやかで、平和で、嬉しい」ところにはなくって、自分の苦手とする悩みや悲しみに、逃げることなく向かうことによって進化して行くことになります。

でも、そんな自分を見てしまったとしても、その自分を「決して否定しないで、反省なんかも横に置いて」そのままの自分をしっかり受け止めることが一番にすべきこと。

ジャッジはしない、それが何より大切なところなのです。
だって、完璧な人間なんかこの次元にいるはずありません、だから人間やってるんですから。

ただ、苦しいという行為や体験自体が進化を促すのではありません。
その体験がもたらす「感情」に目を向けた時に始まるんですね。

真冬の滝行は苦行ですよね、じゃあ日常にある苦悩は?
それだって苦痛の一つ、滝行の辛さと自分に向かって来る試練。
どれほどの差があるのでしょう。

滝行は肉体にはとてもキツイことですけど苦悩は伴わないでしょう。
つまり「感情」と言う心の動きはそれほど大きいものではない筈。

それよりも日々の中で、信じる人に裏切られたり、亀裂が起こったり、攻撃されたり、生活やプライベートのシーンでのトラブルとか、そうした感情面でのキツさは、滝行の感情的苦しさに比べたらはるかに大きいものです。

そう、はるかに大きいからこそ、その出来事が更に大きな進化のチャンスにもなると言う事です。

ただ、感情を知るための様々な試練で、そこに進化のヒントがあるよと言ってもストイックな意識に無理やり自分を向けることは逆効果になってしまうかも。

むしろ、相手を恨んでしまったり、嫌ってしまったり、そうしたネガティブな意識が湧き上がった時こそ、重要なタイミングなのです。

その感情を見ないようにしたり「そんなことではいけない」と良い人ぶって流してしまっては、何の意味もありません。
「そんな感情を持つ自分だったのだぁ、でもそうかもしれない」
って素直に認め受け入れることが進化の始まりになります。

よく新しい次元になったら、こんな苦しく痛いことなどない時代が待っていると期待してしまうかもしれませんけど、それはどうでしょうか。
確かに3次元の中で繰り広げられ、体験してきた執着や煩悩といった3次元的なキツさは激減するでしょうね。

でも次の次元に行っても、そこでしかできない進化や変容といったカリキュラムはきっとあるはず。

私たちは今「3次元での地球の人生」の完了を目にしようとしているのかもしれません。
今人も社会も自然界さえも今まで溜め込んできたネガティブが、隠すことが出来ずに表層に現れ始めています。

一見「最悪じゃん!」と思うような社会や世界が見えたとしたら、それは地球が今までのネガティブを全て表に出して、陽の目に晒しているのかもしれません。

そう見れば、今目の前にある自分個人の課題だって新しい次元に向かう自分の浄化のためだって分かってきますね。
でも、キツイと思ったとしても、それも大切な感情。

たまにはヘコタレて「やってらんないよ!」って天に向かって悪態吐いちゃいましょう。

でも、この進化(して行くって事)は、3次元を生きるための成長なんかではありません。
新しい次元に向かうための変容なんだって、ご理解くださいませ〜









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by farmemory | 2017-10-13 00:08 | ・意識の自立と進化 | Trackback | Comments(3)

**希望**

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この道の先に希望があると聞いたから進んでいるのではありません

希望を願って今を耐えているのではありません

与えられる希望には興味はありません

教えられる希望にも興味はありません

人の言葉にも希望を見る事はありません

「希望」は「期待」からは生まれません

今を生きる自分こそが「希望」そのもの

希望は自らを信じた時

その身の内に湧き上がるもの

内なる声はそう伝えてきます

自らの中にこそ希望があると信じます

   ●

上の画像は今日の記事とは全く持って関係ありません!(きっぱり)

先日上野の博物館に行った帰りに “じゃぱにーずとらでぃしょなるすいーつぱーらー” にでも行くか。
と、言う事で上野の老舗「みはし」さんで頂いた杏クリームあんみつ、クリーム白玉ぜんざい、ザンス。

だからどうした!?

って言われても・・・なんとなく。オマケっす。









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by farmemory | 2017-10-10 00:01 | ・意識の自立と進化 | Trackback | Comments(4)

**困ったちゃんのお花畑理論**

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googl+の方に先ほどの福島沖の地震のコメントを載せてありますのでよろしければどうぞ。
Googl+「far memoryの独り言」ページ>>>>

   ●

さて今回の記事です。

人は今まで長い長い、何度もの人生を、その時々の社会とともに転生を繰り返してきました。

暗黒の封建時代
戦いに明け暮れた戦国時代
多くの不信を抱かせる現代社会

こんな困った社会早くまともな世界に入れ替わればいいんだ、なのでしょうか?
でもちょっと待って。

困った社会に私たちは間違って産み落とされたの?
いえいえ、それは違うでしょう。
自分の強い意志で、自分の希望で「ここ」に生まれてきたことは間違いがありません。

では何のためにそうした困ったちゃんの社会に生まれてきたの?
そこにこそ、幾つもの人生を繰り返し生まれてきた大きな理由が隠されています。

困ったちゃんが蔓延する様々な時代や社会に生まれその不条理の中から、自分自身どのような体験をし、その体験からどんな感情を知ってゆくかが、生まれてきた目的の一つなのだと思うのです。
時には命がけで取り組んだ時代もあったでしょう。

痛い思いをしたからこそ、人の辛さが理解できてくる。
とっても簡単ですね
「我が身つねって人の痛さを知る」
ということです。

人の痛みを理解できるのは、その同じ痛みを知った人にしかできないとても簡単なこと。
道徳教育の本から「慈愛」って項目をいくら読み漁っても、一回の体験に勝るものはありませんね。

だとすると困ったちゃん時代であればあるほど、私たちはそこから多くの有用な体験ができるということになります。

社会が悪いから自分は辛いのだと思ってしまうと、せっかく体験しにきた意味が薄くなってしまいますね。
辛く困ったと感じた時こそ自分の大きな進化のタイミングに差し掛かった時なのかもしれません。

自分がその辛さを得たとき、なんで自分はそれを辛いと感じるのか?
辛いとは一体どういう感情で、どこからそれが湧き上がってくるの?

そして辛いということが自分の中にあるどの部分に反応して起こってくるのかを、しっかり見つめてゆくと、その辛さの出所にたどり着くことだ出来てきます。

そこに至ったらしめたもの。
その時点で、この人生を選んだ大きな意味が輝きだします。


また、社会や自分を取り巻く様々な「困ったちゃん」に触れた時、こんなことを自分に言い聞かせていませんか?

「そこに怒りを感じたり、恐怖したりしてはいけません」
「辛い気持ちを抑え横に置き、常に正しく清い心で朗らかに生き “ねば” なりません」

一見前向きで力強さの様なものを感じるかもしれませんが
「それをなかったこと、見ない様にすること、避けてしまうこと」
なので、せっかく困ったちゃんが気がついてねと言っている本質から外れてゆくことになります。

「正しい事」の判断、ルールは時にはその時代時代、宗教観やイデオロギー、社会の思惑、国家のあり様によって簡単に変化してしまいますので、社会的な善悪の判断はとても微妙ですね。

でも人の心に灯る「感情」には洋の東西も時代背景も超越して、誰にでも通用する心ある言葉です。

痛みや辛さ、切なさや苦しみ、恐れや怒り。
この感情をしっか味わってゆくことで自分の中の「感情というボキャブラリー」を増やしてゆくことに繋がってゆきます。

地球外の高い次元の天体に暮らす人々や、この地球に同時に生きている「高次元の先輩たち」にはもはや、私たちが生きてきた3次元の「ネガティブ感情」は存在しないでしょう。

そうなんです、この地球という厄介で不可思議な地球だからこそ体験できる困ったちゃんのいろいろ。
その体験を願った私たち自身「ドMの存在」かもしれませんね (^_^;)
でもそこで手にできる大いなる感情こそが他の次元では得ることの出来ない、それはもう珠玉の「体験」なのだと思うのです。

この社会を選んだのは紛れもなく自分自身なのだという事さえ思い出せれば、生まれてきた大きな意味にたどり着けるって事なんですね。

では「今まで社会に対して向けてきた意識、今後どう向ければ?」

それは、今までの「困ったちゃん」が退場して、新しい「正しいちゃん」に入れ替わることを思い描くのではなく、今までの困ったちゃん社会が自分の意思で変化し、進化してゆくイメージを抱くほうがより高次的意識でしょう。

私たち自身だって、表に現れない困ったちゃんを抱えています。
そしてその困ったちゃんを受け入れ、そしてその自分が変化し進化してゆく過程を体験することが高次を目指すという事なのかも・・

社会もまた生き物。
同じように苦しみながらも高次元を目指しているはずです。
今、高次を目指す人も社会も必死になって進化してゆく過程にあると感じています(置いて行かれないようにしないとね!)

そして自分の観念と意識が作り上げているこの仮想現実社会を、その感情一つで変化させて行けることを信じて行こうと思います。

それって甘ちゃんの、能天気なお花畑理論ですか?











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by farmemory | 2017-10-07 00:07 | ・意識の自立と進化 | Trackback | Comments(3)