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カテゴリ:・意識の自立と進化( 36 )



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スギナは土筆(つくしんぼう)の親です。
その生命力の強さは驚くほどで、時に大変な厄介者として扱われています。

その広がりは根っこ「草の根」を通して広がって行きます。

草の根とは、表には容易に出てこない雑草が一生懸命に根をのばし最初生えた親草より遠い場所にポコンと生えて行くための「地下茎」の事です。

そして草の根の様な生き方とはこの生き方です。

この草がもし、畑や庭(もしくは社会)にとって疎ましいと見なされれば、その草はひっこ抜かれ駆除されてしまいます。

でも親草は抜かれても人(社会)の目から見えない所で既に根は張り巡らされています。
また親草は、自分が引っこ抜かれた時、その情報を根を通しすべての子供草に記憶を送ります。

スギナやドクダミ、コスモスや蕗などがどれほど強い生命力を持っているか、それを知っている人なら分かると思います。
抜かれても、掘り返されても、地下茎が1cmでも残っていたらそこからまた地下茎をのばし、知らぬ間に広がって行きます。

草の根の生き方も、草の根運動も同じと思います。

「一人一人の力や声は小さくとも多くの声が集まれば大きなうねりとなる」

そんな表現を耳にすることがあると思いますが、それは本当の草の根の生き方ではでは有りません。

ここでは一人一人の「力が弱い」と、否定的な言葉が語られてしまっている事に気がついて下さい。
この言葉は「あなた一人の力など取るに足らないのですよ、悪いことは言わないから素直に言う事を聞いていなさい」とも取れるのです。

でも私たち一人一人のパワーは決して弱いものではなく、自分自身を肯定し自分自身を信頼した時にその力の大きさを知る時が来ます。

また草の根の生き方や運動は、決して自分たちの活動や生き方を声にして多くを語らないはずです。
もし自分たちの活動を声にして仲間を募ってしまえば「草の根活動(運動)」ではなく「親草活動(運動)」になってしまいます。

スギナは先ず人の目に触れないように、最初はとても静かに地下茎を伸ばして行きます。
この時にはまだ根の広がりを地上に見る事はありません。

でも、すべての用意とタイミングが揃った時、一斉に芽を出して行きます。
それも驚くほどの広範囲で、しかも急速に。

雑草を警戒する者の目には映る事なく深く静かに広がり、芽を出した時にはすでに根は縦横に張り巡らされています。
その時に「しまった!」と思っても、もう全てを排除する事は出来ないほどに地下では強い絆で繋がっています。

でも、親草が芽を出したら次の芽をという広がり方では、すぐに見つかって引き抜かれてしまいます。

群れをなして声を上げれば目立ちます。

でも一人一人しっかりとした意識を持ち「寡黙」に「孤高」に行動するのであれば誰にも知られる事なく「自分の希望と思い」で生きる事が出来ます。
ここには「妥協、多数決、落とし所、摺り合わせ、民主主義」なんて胡散臭い言葉も生まれません。

声高に仲間を募りません。
一人で居る事を良しとします。
誰の誘いにも乗りません。
全ては自分自身の内なる声に従い、それを信じ行動して行きます。

それでも同じ意識、同じ周波数、同じエネルギーベクトル、同じ価値観を持つ者達はお互いのハイヤーセルフ同士が感知し合います。

そして必要があれば、その出会いを静かに取り持ってくれるでしょう。
遠く離れていても、偶然を装いながらも絶妙な出会いのタイミングを逃しはしません。

活動や運動、生き方は「多くを語らず自分を生きる」事でその真意と力を発揮するものです。

今は自分を信頼できる程の力も、仲間も見当たらないと思っていても、きっと地下茎は真の友との繋がりを強めている筈です。

自分自身を信じてみましょう。
自分の見えない力を信頼してみましょう。

その時見えない繋がりが地下茎を通し急激に広がり、その芽吹きを見る事になる筈です。


《余談》
生前の父が庭の世話が出来なくなるほど衰え、私が代わって実家の庭を手入れしていた時の事です。
それはもうすごい勢いでドクダミが庭に広がっていました。

除草剤など使いたく無いので最初は一本一本手で抜いていたのですが、しばらくするとまた直ぐに芽が出てきてうんざりしたことがあります。

そこで備中鍬で庭を掘り返して文字通り「根こそぎ」取り去ろうとした事があります。
掘り起こした土をふるいにかけ、一本一本つまみ出しました。

でも、それこそホンの少しの地下茎が残っていれば無駄で、やっぱりドクダミ君の勝ちとなります。
この時にはドクダミへの不快感MAXでした。

そんなある日、なんの根拠も脈絡もなく閃いたように
「そうか、ならドクダミに話しかけてみよう」
とダメ元で思ったのです。

「ねえドクダミさぁ、あのさ、いなくなってしまえとは言わないよ。でも他の庭木や草木とも仲良くしてくれる?」
「それと、ここのところにトマトを植えるから、こっちには来ないでほしいな」

と語りかけたんです。
そしたら、なんと本当にその通り、共存と遠慮をしてくれるようになったのです。
これは感動ものでした。

まだスギナには試していませんが、なんか聞いてくれるのではないかしらと思っています。

・駆除、排除、否定、嫌悪、強制。
・共存、不可侵、肯定、語りかけ、対等。

どちらも魂を持つものには届くのですね、というお話でした。









by farmemory | 2019-07-20 11:34 | ・意識の自立と進化 | Comments(0)



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今回は大島話題の割り込み記事です。

うちはニンニクNGな家庭ですので、餃子にはニンニクは入れません。
それだけでなくうちの人はニラがダメなので、代わりにワケギや万能ネギで代用です。

それ以外には通常の餃子の作り方(だと思います)です。(画像は今日の餃子です)
キャベツはできるだけ細かく刻んで軽く塩をして揉み込んで、水分を出し切るので、なんだかキャベツの栄養素を捨ててしまっているようで・・・
少し心苦しいです。

中国では水餃子が一般的で焼き餃子の割合はとても少ないそうで、また水餃子にはニンニクを入れないそうです。

日本で焼き餃子にニンニクを入れるようになったのには訳があって、日本に持ち帰られた当初の餃子は中国のレシピを参考にしていて、使う肉が羊の肉でした。
日本人にとって羊の肉は臭みを感じたので、臭い消しの目的でニンニクが使われたのだそうです。

ところで本来でしたら「フォロンの台所」に掲載するような画像と記事ですが、今回、人によっては瞑想と言うか高次とのコンタクトにも関わる(かもしれない)お話なのでこちらで取り上げました。

このニンニク、仏教修行の大敵としています。

五葷(ごくん)と言われる香味野菜の一つ。
この5種は時代や地域(もしかしたら宗派でも)によって若干種類が異なるようですが、その全てで(ニンニクとニラ)はNGとされています。

また本来の和食にニンニクを使うことはほぼなかった筈です。
少し前の日本では余りニンニクを使う機会がなかったのですね、今でも京のおばんざいにニンニクを使ったレシピは余り聞きません。

これも京都という土地柄。
僧院、僧侶がたくさん居ることも影響しているかもしれませんね。

一般的なところではニンニク、ニラ、ネギ、ラッキョウ、ギョウジャニンニク。
私は子供の頃、長ネギも玉ねぎもほぼダメでした(今は、まぁ大丈夫)

でもニンニク、らっきょう、行者ニンニクが苦手は変わりません。生の玉ネギは今でもちょっと・・・

ニンニクの効能は、誰でも知っているパワーの源ですね。
ピラミッド建設の頃、エジプトではニンニクを給料の一部として労働者に与えていたという逸話も残っています。

逆にニンニクには強い催淫作用があるため、修行をする仏教僧にとって非常に不向きな食材として避けられていたのです。

これは意識の覚醒(瞑想や高次とのコンタクトなど)を行う時には確かに困った効果があります。

私の感知力が、これら五葷をあまり好んで口にしないことで保たれているかはわかりません。
ただ瞑想の時には半覚醒(起きているか寝ているかの中間状態)で行う事が効果的ですが、ニンニクは「元気100倍、シャッキリ目覚める」になってしまいます。

瞑想やコンタクトを行う場合、安定した静かな精神状態が好ましいとすれば、その逆効果をニンニクは持ちますからね。

また人を興奮状態に持って行く効果があり、五葷の教えの中にも淫欲、憤怒(ふんぬ・攻撃的になるという事)を誘発すると明記されています。
また向上心という言葉以上に人が持つ強い執着や煩悩が起こりやすいとも言います。

ただ私は修行僧ではないので「教え」でニンニクを取らないのではないのです。

食べると胃が焼けて、ひどい時には七転八倒の苦しみを何度も経験したこともあるのです。
多分胃壁から出血するくらいの炎症を引き起こすのでしょう。

生のニンニクにはある種の化学成分(アリシン、ジアリルスルフィドなど)があり、それには強烈な除菌・抗菌作用があるために腸内の善玉菌を駆逐してしまい腹痛や下痢を起こす事があるそうで毒性もあると指摘されています。

ニンニクを口にするのは人間だけだそうで、他の動物にとっては命にさえ関わるとか・・
あ、、そうそう、アボガドも人間以外の動物には高い毒性があるそうです(余談)

今までに何度か人に言われた事があるのですが、ニンニクが苦手って「じゃあお前はバンパイアだ」って。
「イヤ~~ン」なのです。

多分私の体もこうした化学成分に敏感なため受け付けないんだろうと思います。
でも全くダメなわけではなくペペロンチーノや麻婆豆腐が食べれないとまではないのですが、その絶対量にリミットがあるんでしょう。
(それでもそうしたメニューは月1くらいかな)


この先「食」は大きくその意味が変わってくると思います。
ただ不食の次元に入って行くとは言え、今の次元数の段階では生体の維持を食に頼る必要もあります。

だからこそ食というものに、少しの注意を払う事は必要でもあると思います。

でもあまりに頭でっかちになりすぎてしまい
「あれがいい」「それがダメ」と言った ”情報” に振り回されてしまっては、自分の身を守るという点では逆効果になりかねません。

健康志向に過度に振り回されて、ストレスを引き起こしてしまったら食の安全以上に厄介な事となります。

「自分の体に聞く」
それも忘れないようにしたいと思います。

もう一つ重要なことは、自分自身の危険察知能力と、自己浄化能力をしっかり機能させておくことが何より安全につながるでしょう。
機能強化、維持のためには何が効果的か。

そのお話はまた機会を見てお話しして行きます。









by farmemory | 2019-06-28 00:00 | ・意識の自立と進化 | Comments(0)



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一つテストをしみましょう。

他者から何か納得の行かない対応を受けたとして。
その時自分はどういう意識(行動を)持つでしょう?

(A)その相手に面と向かってその納得のいかない対応に対して(非難するのではなく)なぜそうした行動や言動をとるのかとストレートに聞いてみますか?

(B)相手に対し心の中では不快感を持ちながら平静を保って対応しながらも心の中で
「正義は勝つ、そういうことをしていたら天の罰を受ける」
と、言葉にすることはなくても相手に対するジャッジをし、自分に向けてくる納得のいかない行動を飲み込んでモヤモヤしますか?

(A)は、喧嘩を買うように聞こえますが、相手の悪意に反応するのではなく、単に意味不明の不条理に対する疑問を相手に向けるだけです。
この場合はこちらの中にはネガティブな感情は生まれることはなく(あってもその場だけのムカッ!で終わりますね)しっかり相手の目を見て対応できます。

(B)の場合、怒りや不快感を感じていないと装いながらも心には大きな動き(動揺や相手に対する敵意)が起こっている。
そしてそのシコリがモヤモヤとなり、面と向かって相手の目を静かに見つめられず、目を逸らしながら話してしまうかもしれません。


モヤモヤしたままで確認することを避けてしまうと、当然ですが相手がどんな理由で自分に不条理を仕掛けてきているのかの判断ができませんね。

判断できないと相手が自分に対して「悪意がある」という自己判断だけが一人歩きをしてしまいその先では相手は自分に悪意を持つ者と認定されて行きます。

さらには、綺麗な言葉遣いをしながらも、その裏に強烈な批判や棘を隠しているのではないかという裏読みをしてしまったとしたら・・・
自分の中にも同じ棘があることを露呈してしまうということにもなるんですね。

なぜなら自分の中にそうした意地悪さが眠っているからこそ、誰もが言葉の裏には「見えない別の言葉」が潜んでいると思ってしまうからです。
相手が自分に対して悪意を持ってもいないのに自分からその悪意を作り上げてしまうのです。

「神様からバチを受けるよ!」

この表現できないモヤモヤ感情こそがネガティブそのものなんですね。

過度な潔癖症や他者を非難してしまう正義感(のような意識)これらもネガティブの一つだと言えるのかもしれません。
それが他者にであれ自分自身にであれ、批判やジャッジを向けてしまうことも・・・。

自分が眉をひそめてしまう相手の行動や意識は、鏡に映る自分の中にある隠された自分自身なのかもしれません。

でもそんな嫌な自分に気が着いたからと言って自己否定に入って、無理やり改善を急ぐ事はないと思うのです。
「気がつくこと」それだけで大きな変化が自分の中に起こってきます。

嫌な自分でいる事が嫌なら、それこそ放っておいてもそんな嫌な自分から離れて行きたくなるのですから。
だって嫌なんですから。








by farmemory | 2019-06-22 00:00 | ・意識の自立と進化 | Comments(0)



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パートナーとの関係で、心のすれ違いや無理解に傷つき、他の方の優しさに心を動かしてしまう事もあるでしょう。

きっとそこには自分の周波数と同期する人のエネルギーに触れることで安らぎや癒しを感じるからなのだと思います。

お付き合いや結婚は約束でも契約でもありません。

お互いの周波数の同期こそがその相手を選ぶポイントなのですね。
ただこれは、目に見え五感で理解する以上に、極めてメンタルで感情的なことです。

「口が悪くて短気だけど、心根の優しさが好き」
「無口で何を考えているのかわからない事もあるけど、ふと見せる仕草に癒される」
「人の悪口を聞いたことがない」

そんな相手のどこに自分は共感しているのか。
どこか同じ部分に共鳴する事があれば、それこそがエネルギーの同期という事なのです。

「心根の優しさが好き」と感じたのであれば、自分自身が「心根が優しい」という事。
「人の悪口を言わない人だから良い」と言うのであれば、自分自身もきっと人の悪口を言わない人なのでしょう。

一見粗野に見える人であっても、それはあくまで表面で判断する(誰にでもわかる)体裁にすぎないかもしれません。

相手の「エネルギーに触れる・理解する」と言うこと。
それは相手の言動、社会的地位や著名度で判断するのではなく、感情や感覚面での判断に委ねる事でしか、その本質は分からないのかもしれません。

そしてその同期するエネルギーこそが、自分自身と言うことになるのです。
相手を知ると言う事は、結局「自分自身を知る」「自分は何者かを知る」にも繋がって行くのでしょうね。

だからこそ、私たちは孤独である事を捨て、時にややこしい人間関係の輪に自ら進んで入って行くのかもしれません。

パートナーとは、自分を知り自分を進化させるために出会う人でもあるのでしょうね。
時には愛を持って寄り添い、時には厳しい反面教師として。









by farmemory | 2019-04-19 00:17 | ・意識の自立と進化 | Comments(0)



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今まで多くの方の前世を見てきましたが、過去世で人を殺傷したことのない方はほんの少しでした。
皆さん何らかの理由で、刃物や銃口を人に向けてきた人生がありました、私ももちろんそうです。

戦争を思うと、その不条理に心痛めてしまいますが、それがあまりに過度な場合、自分が行ってしまった過去世の見えない記憶が贖罪や後悔として浮き上がってしまい、より一層の反戦意識を生み出して行く事があります。

起こってもいない戦争の脅威に怯え、自宅シェルターを庭に作ったり、何かあったらどこに逃げようかとリスク管理に走ってしまう恐怖心もそこから生まれるのかもしれません。

ここには人は信用できないという意識が根底にあるからですね。
人を信用出来ないと言う事は自分自身、過去のどこかで人を裏切ってきた経験があるからなのかもしれません。

また常に外敵の脅威から国を守らなければならないという防衛意識も、過去のどこかで自分がその当事者として、相手国に攻め入って他国を蹂躙した経験をしてきたのかもしれません。
「人は信用できないもの、なぜなら自分自身が他国への侵略に手を貸したことがあるから」と言う流れです。

「人はもともと善なるもの」です。

戦いを口にし武器を国家の威信だとする為政者も個人も、人に対する信頼よりも前に「人は信頼できないもの」だという意識が先に立つから「防衛」と言う意識が生まれます。

また、人は善なるものであるとすれば、過去であろうと、この人生であろうと自分が行ってしまった過ちを知れば深い後悔と贖罪の意識に苛まれます。
それが遠い過去世の出来事であっても、見えない思いグセ(トラウマ)として胸の奥に潜んでいます。

これから先、高い周波数の時空に入り始めれば個人的な「感情」から生まれるすれ違いはあっても、人を傷つける暴力は起こりにくく、また人に対して絶対的な信頼を持てる時空に入って行くでしょうから、戦争が生まれる素地が極めて低くなって行く事でしょう。

もしその世界に変化して行きたいと願うのであれば、自分自身の中にある人への疑いや疑心を持つ自分が変化しなければ、いつまでたっても堂々巡りをするだけになってしまいます。

「自分が変われば、自分の(外の)世界が変わる」

この真実は、少し不安かもしれませんし、人が良すぎると言う誹りも受けてしまうかもしれません。
でも、それが真実である事を知るためには、体験しかないと思うのです。

そして何より人は皆元々「善なるものである」と言う事を信じる自分であるかと言う事です。

時空間は急激に変化し続けています。
自分が思った事、希望した事が現実化する時間も頻度も上がって来ているように感じています。

不安な未来をイメージしたり暗い方に意識を向けると、すぐにそれが現実(エネルギー)となって身の回りに纏わり付いて来ます。
重苦しい感覚や、晴れない心の状態も、もしかしたらそうしたエネルギーに纏わり付かれているのかも知れません。

そしてその先でそのエネルギーが、何らかの物理現象として具現化して行きます。
分かり易いところでは体調や人間関係、遠いところでは自分が生きる世界の未来への影響です。

これは因果律としても解釈できる事です。
ある思い(想念)を抱くと、その思いと同じエネルギーが返ってくる。

逆に、自分からプライドや損得、勝ち負けの世界から足を抜いて物事に対峙し行くと、そこに返ってくるのは穏やかで棘のないエネルギーなのです。

そうはいっても「人は善なるもの」と無条件で信じきることは、確かにハードルの高いことでしょう。
また身を守る事を無意識で行ってしまうことも、自己防衛本能として私たちにはデフォルトで備わっている事でもあります。

それでも因果律の適応が早くなってきている今、逆に「人は善なるもの」それを知る機会でもあり、チャンスでもあるということなのです。
おっかなびっくりでも、臆病なのろさでも、疑い深くてもいいから小さな事から「人は善なるもの」である事をより信じてみようと思っています。

そしてそうする事で帰ってくる因果律で、それを知ることができるのであれば・・・
最近それが「ほんとだ!」って体験が増えて来ているので、更に信じられる様になって来ました。









by farmemory | 2019-04-08 00:03 | ・意識の自立と進化 | Comments(1)



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エンパスという言葉の解釈ですが
「受けやすい体質」「憑依されやすい体質」「ネガティブエネルギーに対する過剰反応」そうした解釈をする事もあるでしょう。

でも本来のエンパス体質とはこの地球上(3次元)での学習をしっかりしてきた人、その卒業を目前にしている人を意味するのです。

例えば
「ネガティブな人の側に行くと、その重さに自分自身が絡め取られてしまいます」とか、
「誰かを助けたいと思うあまりその人の苦しみや痛みを自分に受け入れてしまう(代行してしまう)」
と言うような解釈は本来のエンパスでは無いのです。

受けやすくネガティブなエネルギーに纏わり付かれる事をエンパスとは言いません。
それは「憑依体質」と言い、自分自身のバリアに穴が開いたり、薄れてしまった状態です。

私たちは楽園と言われていた苦しみのない地球から自分たちの意思で、重く辛さを感じる地球を願い、そこでしか知ることの出来ない様々な煩悩や執着を身を以て体験するためにここに生まれて来ました。

ただ「修行」などという自己犠牲を強いる苦行などではなく、その苦しみというものの本質を知り、そこから生まれてくる感情を知ることにありました。

それらの苦しみが何からくるのか、なぜ人はその苦しみを辛いと感じるのか、さらにはその苦しみを知る事によりその対極にある喜びや幸せを知ることでもあったのです。

エンパスはそうした痛みを体験する事で、人の痛みを知る事を言います。

この次元に生きると言う事は、究極の恐れである死と隣り合わせに生き、いつかは朽ち果てる体と付き合いながら人生の終焉まで向かう事です。

ただ、3次元での過酷な日々の中で、たとえこの宇宙に自分一人しかいない(*注釈↓)と知ってはいても、辛く悲しく痛みを感じる時に、その辛さを理解してくれる人の存在は何よりの救いとなります。

エンパスとは、幾度もの人生を経験しながら、たくさんの痛みを経験してきた人の優しさや、暖かさなのです。

上辺だけのおべんちゃらや綺麗事を並べ立てられたり、薄っぺらでトンチンカンな応援ソングを耳元で歌われるより、同じ痛みを知る人の存在が何より癒されると言う事はお分かり頂けると思います。

本来のエンパスとは人に寄り添い、痛みを理解し、手助けを極力慎重にしつつも、相手の厳しさや痛みを心底理解できる人こそが本当のエンパスなのです。

何も出来なくても、何も持っていなくても・・・
エンパスの人の存在こそが、今の地球と次の次元に向かう人々の本当の救いになって行く事でしょう。



(*注釈)一人しかいないと言う意味は、個別に体験しているこの世界は一人一人の宇宙であり、自分を取り巻く全ては全て自分が作り上げているホログラムだという意味です。











by farmemory | 2019-03-09 00:00 | ・意識の自立と進化 | Comments(1)

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知人から面白い質問を投げられたので、記事にしてみます。

あるブログのURLやYoutube画像を「フォロンはどう思う?」とコメント付きで送られてきました。
それで、そのブログや、その人の顔写真、動画などを見てみようとそこにアクセスして見た時に
「うわっ!やな感じ」と言う不快な感覚を覚えすぐにそのサイトを閉じてしまいました。

で、その事を
「途中で見続けるのが嫌になって、閉じてしまった」
「このブログに書かれている内容は、私の理解とは違う気がする」
と返信したのです。

追伸で目眩、悪寒、不快感などを感じると付け加えました。

そしたら「その嫌悪感はどんな感じなのかを分かりやすく」と催促されたので、返事をしました。
それが今回の記事です。

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目眩はめまいですね。

読んでいるとクラクラするわけよ、足元さえフラつくとまではいかないまでも、小舟に乗って揺られているような感じかな。
この目眩は、必ずしも「悪」を感じる訳ではない。

その人が持つ、ある種の周波数の違いに自分自身の整体の周波数が不協和するって感じかな。
「ちょっと違うな」的な感じ。
なので、読むのが苦痛になったりするまではいかないけど、興味を持てない感じ。

一方不快感(嫌悪感)に関しては、背筋に走る悪寒や、湧き上がって来る吐き気、あとは少しの頭痛がある場合もあります。

背筋の悪寒は、例えば風邪を引きそうな時に背筋に走る悪寒に酷似している。
恐らく体内に入ろうとするウィルスに対する生体からのアラームと言う点ではほぼ同じなんだと思う。

それらの文章や動画を作成した人のエネルギーに対して、自分自身のアラーム機能が発動したのだと思う。

個人個人が持つ意識や想念エネルギーは、それなりの周波数を持っていて、またウィルスや細菌もあるレベルの周波数を発しているわけ。

文章を書いたり動画を作っている人に悪意はなかったとしても、その書き手の周波数に触れる事で、自分自身に不具合を起こしてしまいかねない寝れるギー周波数もあると言う事です。

ウィルスや病原菌は日常空間に飛び交っています、そして彼らの周波数はとても低いのです。

で、自分自身の周波数が落ちた時に、その低い周波数のウィルスや細菌が自分自身の周波数とドンピシャに同期してしまいブロックやバリアを突破して侵入してくる訳ですね。

また、すでに体内に取り込まれてしまったウィルや病原菌でも必ずしも病気を発症するとは限りません。

体内に取り込まれたウィルス病原菌(魂・・・スピリチュアル的な)が健常状態の時(自分を守る事の出来る周波数に留まっている場合)には発症しないが、せっかく自分を守れるレベルの周波数を保っていたのに、何かしらの低い周波数に変化した時にウィルスや病原菌が牙を剥いてくる。
そんな感じですね。

個々人が持つ想念エネルギー(周波数)とウィルスや細菌が持つ周波数、結果としてどちらも危険であれば、よく似たアラームが自分自身の中で鳴り響くわけです。

余談ですが、風邪のウイルスに限らず「ネガティブエネルギー」の侵入経路はほぼ決まっていて、それは首筋からです。
なので「背筋を走る悪寒とか背中がゾクゾクする」という表現になるんですね。

逆にポジティブエネルギーの侵入経路は一つではありません。
代表的な場所はクラウンチャクラ(頭の真上)、ハートチャクラ(心臓)、セイクラルチャクラ(女性=子宮、男性=睾丸)

・クラウンチャクラは宇宙的根源的なエネルギーを受け取る場所で、プラーナネルギーやセントラルサンからのエネルギーの流入経路でもある。
・ハートチャクラは優しさや親切、思いやりや相互の寄り添いなどから受けるエネルギーの流入経路。
・セイクラルチャクラは性的なエネルギーのシェアリングの場所(SEXにより男女のエネルギー交流が直接起こる場所)
女性であれば愛する人を想った時に子宮がキュンとし、男性であれば勃起をします。これは相手からのエネルギーシェアを受けている状態です。

低い周波数に変化してしまう引き金はとてもわかりやすいです。
「怒り、不安、恐怖、嫉妬、執着など」
そうした現世的なネガティブ状態に落ち込む事ですね。

またそうした意識状態にいる人が書く文章にはどうしても、その時の書き手側の意識が見えない形で込められてしまうわけです。

ある事象に関して怒りや恐れを過度に持っている人がある事象に触れた時、その事象のどの部分を汲み取ってしまうか。
例えば地球環境の変化を恐れと取るか、新しい未来への引くに引けない進化の過程と取るか。

それをどう受け取るかは各個人の周波数状態によって変わってくるんですね。

ですので文章やブログを書いている人の周波数が自分の周波数とかけ離れている場合、違和感や嫌悪感を感じることがあるのです。

また稀にブログや文章自体に何らかの呪詛をかけられている場合もあります。
この場合は極めて分かりやすい「意図的な悪意」な訳で、それがアラームとして、背筋に走る悪寒であったり吐き気に似た感覚を受けるんだと思いますね。

こちらは「意図的に入り込もうとするネガティブ」と解釈してもいいですね。
その場合はかなりはっきりとした「分かりやすい」アラームが鳴り響きます。

どんな感じかと言うと、稀だけど胸の奥に「避けろ、携わるな、向かうな」と具体的に響いて来るんです。
ただし言葉や文字のように伝わるのではなく、直感的にそう「感じる」のです。

響いて来た感覚を文字にしたり言葉に翻訳すると、そう言う文字に該当するってとこかな。

ではでは。











by farmemory | 2019-01-29 00:04 | ・意識の自立と進化 | Comments(0)

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今水道水の安全に意識が向いているかと思います。

そこで誰にでもできる簡単な実験をしてみましょう。
水道水の浄化と周波数の向上実験です。

まず水道水を汲んだガラスコップを2つ用意します。
そして、ますその両方を一口づつ飲んでみます。

同じ蛇口から汲んだ水ですので、きっと最初は同じ味(?)でしょう。

次にどちらか一つを選びます。
そして選んだ方に向かって「あなたは美味しい水ね、安全な水ね」と愛優しく思いを向けてみてください。
両手でコップを優しく掴んでもいいですね。

でも肝心なことは、どちらの水にも決して否定的な意識は向けないようにして下さい。
「浄化しなさい」「美味しくなりなさい」「安全になりなさい」

こうした言葉や思いはその水に対して「あなたは汚染されている、美味しくない、安全でない」と言っているのと同じなのです。

水は水として、いつでも無償で人類に貢献したいと思っていますので、決して否定を送らないで下さい。
悲しんでしまいますから。

そして、もういいかなと思ったところで、その2つの水を飲み比べてみてください。

とっても簡単な実験でしょ。

答えはご自分で感じて、自分で出して下さい。
その時「自分の力」を信じることができるかもしれません。

*もしどちらも変わらないと思ったら。
一つの理由として、すでにコップを手にした段階で無意識の内に蛇口から出る前の水を浄化してしまっている可能性もあります。

その時は自分の力を ”過信” しましょう(笑)

また、自分の力があるから浄水器など必要ないと思ったら、今度は浄水器を否定してしまう事になります。

何をどう選ぼうと選ぶまいと、自分の元にやって来てくれたものは皆あなたの役に立ちたいと、偶然を装って来てくれるのです。

全ての道具に、感謝だけではなく同じ目線の高さで「共に力を合わせましょ」と言ってあげて下さい。
もちろんそれは浄水器だけではなくて全てに対応する事です。











by farmemory | 2018-12-24 00:08 | ・意識の自立と進化 | Comments(1)

**可燃と不燃**

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パリでの暴動はフランス人の気質を見せている様に思います。

すでに死傷者が出始めていると言う事は又しても血の革命(フランス革命の二の舞)の様相を見せ始めています。
本来あるべき革命は、静かなるなる革命こそが大きな力を生み出す真の変革と信じます。

さて日本。

多くの人は不条理な出来事や、当局の思惑に対して表立って怒りを表すことなく、過激な不満を口にする事もなく、逆に当局からの強烈な締め付けも、情報遮断もなく箝口令も敷かれていない。

情報に関してもメディアが出さず語らないだけ(または情報を作為的に書き換えてもいるかもしれません)
でも個人個人が拾おうと言う意思さえあれば、様々な情報を得る事は決して難しくはない状況です。
でも多くの人はそれをしないし、その前に興味を示さないように思います。

中には真実に目を向けることをあえて避けたり、真実を知る事を恐れたりしている人もいるかもしれませんが・・

これを「愚民は大手メディアの洗脳によりコントロールされている」という見方もあるかもしれませんが、私はそうなのかな?と思うのです。
むしろコントロールされない国民なんじゃなかろうかと、そんな事さえ感じるのです。

ちょっと煽れば暴力に走る、これ欧米人の気質ですね。
これはアトランティスから来る性癖なんだろうと思うのです。

でも日本人は、よほど身の危険を感じる事がなければ、例え正義感や使命感があっても、そう簡単には集団的な暴動には走らない様に思うのです。
この点から見ると、どれほど煽っても渦中(火中)に飛び込まない臆病さと同時に、そう易々とコントロールされない(管理者側から見たら)厄介な存在かもしれないと感じるのです。

臆病であるという事は思慮深くもあるので、簡単な扇動には引っかかり難いのではないかとも思うのです。

今回のフランスの大騒ぎの発端は燃料税引き上げが引き金のようですが、その裏には高い失業率や経済優先(最優遇)の ”実業家上がりの大統領” による施策への不満が爆発しての事と言われています。
巨大企業と富裕層優遇政策への不満が積もりに積もった形での今回の出来事でしょう。

この、企業と富裕層優遇の流れは、決して一国のことではなく世界的時流なんですね。
日本でも同じ様な施策を見る事ができます。

そうした流れに対し、今までの日本人であれば自分から率先して不満を口に出したり、ましてや行動に出ることは稀で「誰かがなんかしてくれないかなぁ・・」と思いつつも何もせず聞こえないところで愚痴っているのが日本人だったように思うのです。

そして空気を読みつつ、その流れに逆らわずに流れて(流されて?)きた。
確かにこの点から見ると臆病者で覇気がなく、体制の言いなりになっていたかもしれません。

でも今は少し違ってきている様に感じるのです。

諦めムードで、俯いて「誰かにやってもらいたい」と思う前に、もうそんな事どうでもよくて興味がないから気にも留めない。
自分の世界に意識を向け、内向きの居心地の良さを追求し始めた様に感じています。

結果として国家としてのまとまりが薄れて行き、一人ひとり自分の世界の中に入り、自分というコミュニティーに帰属し始めたと見ることも出来るのではないかと思うのです。
とすると、これは逃げでも諦めでもなく「本質の追求」に向かい出したのかも知れません。

「国家の愚策によって国民が虐げられてきた」
これを暴力で元に戻したり不満を破壊的な行為で表現する事の方がより「扇動される国民」でしかない様に思うのです。

もしかすると、簡単に怒りの火が付きやすい人々を、どこか見えない裏の方で「ニヤリ」と見ている ”何者か” がいるかも知れません。

例えばメディアで新しい店舗やショッピングエリアの情報が流されたり、美味しいお店が紹介されると行列ができる。
そうした扇動には簡単に乗りますが、政治的なスキャンダルや失策に関しては牙を剥くほど怒りに燃えない様に見えます。

前者のような新店舗やグルメ紹介の誘導に乗ったとしても、その内容は極めて平和的で楽しい情報です。
でも後者のように胸が苦しくなり危険な匂いのする事には煽られません。

むしろ愚策を行えば行うほどに、国民が国家への依存から静かに離れて行き、個として生きる道を選んで行く。
そのほうが体制側にとっては脅威なのではなかろうか、なんて感じたりもします(深読みし過ぎ?)

簡単に言えば「大切な事、信じる者」は自分自身と自分の身の回りであり、大きな力に頼ることはしない。
「管理からの離脱」が起こり始めているのかしら、なんて事感じるのです。

18世紀のフランス革命は市民による凶暴な血の革命よって国家の形が変わった様に見えますが、ではその後フランスは楽園になったかと言えば・・・
ブルジョワジー(資本主義)の台頭を許しヨーロッパ一屈指の軍需大国であり、武器輸出を積極的に国策として行っている。

結果としてあまり変わっていない国の様に見えるのです。

本来の革命や改革、変容や進化は外力や暴力では何も変える事は出来ず「個としての自分」の中での変革こそが外の世界を変えて行くという事。
そしてそれこそが宇宙的真理であるという事に思い至るのです。

そして「直ぐに発火する怒りの導火線を持つ者と、いくら発火を煽ろうともそれには乗らない者」
この点も、更に今後それぞれの個人が希望する未来への道の違いとなって行くのだと感じているのです。











by farmemory | 2018-12-05 00:05 | ・意識の自立と進化 | Comments(0)

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幼子を育てている時には母の顔
子供が自分の明日を決め始めた日からは女性の顔

子供が自ら生きられる日まで糧を運んでいた時は父の顔
子供の一人歩きを見送ってからは男性の顔

パートナーとの静かな日々に戻るもよし
心震わせたあの日を思い出すもよし
振り返ることなく前に進むもよし

畳んでいたその羽を広げることを自らが許可します

何をしようか
どこに行こうか
誰と出会うか

母と父であった自分への労いと
尊厳ある翼の再生に祝福を











by farmemory | 2018-12-03 01:08 | ・意識の自立と進化 | Comments(0)