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カテゴリ:・意識の自立と進化( 47 )



**ありがとう2019年**_c0319737_10520797.jpg

皆様今年1年大変お世話になりました。
また乱筆乱文のこのブログを飽きもせずご拝読いただきました皆様にもお礼申し上げます。

また今年行ったイベント等にご参加いただいた皆様にも心から御礼申し上げます。
イベントを通して自分とは何者であり、何のためにここにいるかを実感していただいた方もおられた様です。
自分を知ると言うことが、明日への道を進むための大きな道標となって行く筈です。


そして今年、次元変化が始まった2012年12月21日から7年目を迎えました。
その時から2度と後には戻れない進化の道を地球と人類は辿り始めたのです。

でもその頃は本当に次元の変化など起きるのだろうかと思う事もありました。
しかし今年2019年は、その疑問を吹き飛ばす様な変化を目の当たりにした様に思います。

世界中の異常気象、海洋や海流の急激な変化、経済萎縮、各国の混乱とでたらめな施策、地殻の胎動、天文学的な不思議や疑問、そして私たち一人ひとりの中で始まって来た「継続し続ける変化」

目に触れる出来事の中には希望の未来にどう続くのか疑問になる事もあるかもしれません。

でも、次元変化という宇宙の歴史の中でもまれに見るイベントは、あまりに巨大であるが故にまるで嵐に翻弄される様な事も起こるでしょう。

地球は今まで体験した事のない進化に身構えながらも、覚悟を持って未来への道に進み始めています。

そして永遠を約束されたかに見えた「現行社会・資本主義経済という巨木」が今内部から崩壊し始め音を立てて倒れ始めようとしています。

そしてその朽ち果てた大木の跡に双葉が生えてくる。

次元の変化とはこんな事なのだと思います。
でも、きっとその双葉は「ジャックと豆の木」の様なスピードで成長して行く事でしょう。

今始まった変化は始まりの始まり、序盤に過ぎません。

だからこそ、今は穏やかな暮とお正月を過ごしておきましょう!

では、またすぐにお会いすると思います。
良いお正月を。









by farmemory | 2019-12-30 15:08 | ・意識の自立と進化 | Comments(0)



**免疫力について(2・スピリチュアル的免疫力)**_c0319737_22154076.jpg


前回からの続き。
**免疫力について1(子育てと免疫力)**

前回は体(肉体)の免疫についてお話ししいました。
今回はスピリチュアル的免疫力に触れてみます。

世の中には数々のスピリチュアルグッズというものがあります。
例えばクリスタルのブレスレットとか、意識覚醒を促進する電磁機器とか、霊験あらたかなお水とか・・・

こうしたグッズは確かに何らかのパワーを持ち、意識の覚醒に役立つ事は確かにあります。
また身を守るという力もあるでしょう。

ここでこれらのグッズを対処療法や化学薬剤と置き換えてみてみましょう。

西洋医学では体調を崩した時には対処療法として化学薬剤を処方される事があります。
中には極めて高い即効性を持った薬剤もたくさんありますが、効果・効能が著しいというのは、それだけ副作用も強いと言う場合もあります。

化学薬剤は必要最低限の薬剤を処方する、これが薬の本来の使い方ですよね。
(中には薬依存を目的にしているかどうかは分かりませんが、高血圧と称して長年降圧剤を処方される事もあるとか無いとか・・・)

しかし健康状態の日常においては化学薬剤は不要で、健康を持続させるため日々の生活習慣や適度な運動など、自分自身の自己修復能力を高めて行く事が好ましいですね。
この場合は健康維持のために頼るべきは化学薬剤ではなく、本来人間が兼ね備えている自分自身の治癒力を向上させて行くと言う事です。

スピリチュアルグッズもこうした使い方が望ましいように思うのです。

例えば初めて訪れる寺社やパワースポットなどに行く場合。
そこの磁場エネルギーが極めて低かったり、または逆に自分の持つエネルギー周波数より乖離するほど高かった場合、普段生活している場所の周波数と隔たりが大きいと、体調面や精神面に大きな動揺が起こったり、何らかの影響が出てしまう事も少なくありません。

もしその場所に行こうと思ったら、まずは自分の中に聞いてみます。
「この場所はどうかな?」
答えが「グッズを持って行くと良い」と言う「感覚や、メッセージが」返ってきたら、念の為に自分が信頼するグッズなどを身に付けるのは有効です。

また、返事がなかった場合は「念のため」持参する事も悪くは無いでしょう。
でも日常生活を送っている時に安易にグッズに自分自身の保護を頼ってしまうと、本来自分が持つ自己防衛能力やバリアの強化を阻害しかねない危うさを持っているのです。
私も必要な時にはクリスタルを利用する事がありますが、普段は身につけたりはしていません。

この辺り確かに身体の免疫機能向上によく似ています。

本来人類は皆、自分の力であまり好ましくないエネルギーや重いエネルギーから自分自身を守る事ができる力を持っているはずなのです。
またはハイヤーセルフと深くつながる事により目の前にある危険を見えない形で教えてくれたり、時には強制的に危険から遠ざける事もします。

このようにスピリチュアル面でも免疫力は存在しています。

「自分は自己修復機能やバリア機能を持っている」
そう信じる事がスピリチュアル免疫力を向上させる有効な方法でもあるのです。

薬に頼る生き方から出来るだけ離れるのが好ましい事は誰でも分かっていると思います。
スピリチュアル的免疫力も身体的な免疫力と同じで、できればモノや薬には頼らず自分自身の自己防衛能力や治癒力を高める事に意識を向けて行く方が望ましいのは言うまでもありません。

また「これが良い、あれが良い」と他者の勧めや知識だけで手当たり次第に色々なグッズを集めてしまう事も、場合によってはマイナスになってしまうこともあります。
言葉や文章だけを頼りに飛びつく前に、自分自身の内なる声(勘や感覚、感情など)を一番の判断基準にする習慣を付けて行く練習もしておきましょう。

これも薬に似ています。
この薬剤とこの薬剤は同時に服用してはいけないなんて、よくありますね(混ぜるな危険とか?・・ちょっと違うか)

同じように固有のエネルギーを持つグッズと、別のエネルギーを持つグッズを一緒にしてしまうと喧嘩してしまいネガティブエネルギーを発生させてしまう、なんてことも十分考えられるのです。
何でもかんでも手当たり次第は如何なものかと。

また薬剤は、同じ症状の患者に処方したとしても必ずしも同じ効果、効能を表すと限るものではありません。
病や不具合はそう単調なものではなく様々な因子が複雑に絡み合って、最終的に表面化してくる場合もあるからです。
それを単一な原因と決めつけて薬剤を処方しても、同じ結果が得られないのは、むしろ当たり前です。

それだけではなく患者の状態を生体エネルギーの面から掌握する事もとても重要かと思います。
しかしこの場合は医学でたどり着ける答えはありません。
個人という固有の生体が持つエネルギー周波数と、薬剤という個別の周波数。それが複雑なリンクを見せるので同じ処方箋を書いたとしても一律な効果が出ないということになります。

話を戻します。
意識や自分のエネルギー周波数や次元周波数の向上を目指すために、グッズに頼っていては残念ながら逆効果になってしまう事が多いものです。
霊力や御利益があると言われるグッズであっても、必要な時に必要な時間と必要なタイミングでピンポイントで使用する事をお勧めします。

そしていずれ何にも、そして何人にも頼らない強靭な自分になって行く事を目指したいものですね。

   ・

余談になりますがいつも大切に身につけていたスピリチュアルグッズが、気がついたら無くなってしまい、どこを探しても見つからないなんて事も珍しくないと思います。

今次元は変化していますので、モノも変化をしています。自分とモノとの次元周波数が離れてしまうと、そこにあるものが次元が違うために見えなくなって消えてしまったという事も起こります。
これが、これから頻発するかもしれない「モノの消失」の理由の一つです。
この消失の場合は、いずれ見つかったり、思いもしない所から出て来たりもします。

でもそうでない消失も今まで以上に起こってくるでしょう。

次元変化のすれ違いではない場合、自分自身のハイヤーセルフが不要になったり好ましくないと判断した時にグッズを隠したり消し去ったりしてしまう事もあるのです。
またはグッズ自体の意思で持ち主に別れを告げ立ち去る事もこれから起きてくるでしょう。

今、地球と人類はの高次元に向かって進化を続けています。
そんな中で今までの3次元で有用だったグッズも、次元が上昇して行くうちに持ち主にとっては不要になってくる場合も十分考えられます。

モノにも魂や意思があります。
「今までこの人の役に立っていたけど、この人は高次元に進化し始めたから私の役割は終わりました」
そう判断してグッズ自ら離れて行く事もこれから多くなってくると思います。

大事にしてきたモノがいくら探してもどうしても見当たらないなんて時はこのお話も思い出してみてください。

   ・

<今日のまとめ>
「スピリチュアルグッズは用法用量を守って正しく使いましょう!」ピンポ~ン









by farmemory | 2019-12-22 00:08 | ・意識の自立と進化 | Comments(0)



**免疫力について(1・子育てと免疫力)**_c0319737_00071129.jpg

よく旅行や初めての場所に行く時には「生水は気をつけましょう」と言われます。
特に衛生面で不安のある地域や東南アジやなどの亜熱帯地方など細菌類やウィルスの多い地域などに行く場合もこれに当たりますね。

こうした場所を訪れる時は「生水を飲まない」「場所によっては予防注射をして行く」と言った行動がリスク回避としてとても有効です。

ところが行く場所がこれから10年単位の長期間滞在する地であったっり永住を予定している場合は、生水を飲まないとか薬剤に頼ってばかりはいられません。

その地に同化して行く訳ですから、生水や現地の食材を全く口にしない訳には行かなくなるでしょう。
もちろん法定伝染病や危険な細菌やウィルスはなんとしても避けなければなりませんが、この地球上にはそれぞれの地域には土着の細菌類が無数に存在しています。

人は生まれた瞬間はそうした全ての細菌類に対しての免疫力を持っていません。

しかし赤ちゃんは成長するに従ってそれら土着の細菌類に触れ、お腹を壊したり熱を出したりしながらも自ら免疫力を獲得して行くのです。
そしてその土地の人間として、少しの細菌類などへっちゃらで生きれるようになって行くのです。

赤ちゃんや幼児はよく原因不明の熱を出すことが多いですね。
その原因の一つが、自らの意思(魂の選択)で土着の細菌などと折り合いをつけ、その子のハイヤーセルフはその地の細菌に触れさせ積極的に免疫力の強化を促しているからでもあるのだと思います。

もちろん命の危険に関わるような細菌類にはハイヤーセルフは別の方法で、その危険から遠ざけてくれるはずです。

インドのガンジス川で沐浴をする現地の人の真似をして、旅行者が川の水を口にしたりすれば一発でお腹を壊したりします。
でも現地の人は子供の頃からその水で育っていますので水(細菌だけではなく含まれる様々な不純物)に対する免疫を獲得していますから、たとえその水を大量に飲み込んだとしてもお腹を壊したりしません。

子育ても「免疫の獲得」という点では似ている面があります。

時に親御さんは過度な不安から子供を無菌状態で育てようとしてしまう方もいるかと思いますが、これは長い目で見たら逆のリスクも伴うものです。
せっかく成長過程でこれから先の長い人生を生きるために体が免疫をつけようとしているのに、それを阻害してしまうかも知れないのです。

これは何も細菌やウィルスといった病理面だけではなく、一人の人間という人間形成の面でも同じ事が言えるでしょう。

子供を育てる時に様々なリスクから過剰に子供を遠ざけてしまい、自分では何も判断できず、何か問題があった時に自分の力では何も解決もできない子にしてしまうかも知れません。
過保護の功罪ですね。

だったら国家や行政に頼って生きれば良い、と言う事ではないのです。
3次元の世界で生き続けるのであれば、国家に監視されコントロールされる生き方を受け入れれば、生かさず殺さずの柵の中で程々に生きて行けるかもしれません。

でも今、次の次元を目指す人にとっては変化の真っ最中で、先日の千葉や北関東の台風被害でも分かるように国家や行政には最早頼れないという事実を突きつけられています。
これこそが新しい次元を垣間見ている事なのだろうと思います。
次の次元は真の自由と、自分を信じ生きる覚悟が同時に存在する世界です。

また、何かを解決しよう、成し遂げようとしていても、自分の力では到底及ばないと知った時にはそこから潔く撤退する勇気もまた免疫力なのかもしれません。
自分には向いていないと分かった時も同じです。

無理と思ったらキリのいいところで方向転換する。
そのフレキシブルさは決して「負け」ではないのです。
むしろ「なんとしてでも成し遂げる」と言う過度な強烈さは「執着」と言う重たい周波数に陥りかねません。

子を思う親心は複雑だと思います。

苦しい思いをして成長して行く子をなんとか楽な生き方にしてあげたいと思うことは自然な思いでもあるでしょう。
でもその反面、過度な保護や手助けは免疫力をつけさせる事から遠ざけてしまうジレンマも生まれてしまいます。

また逆に社会は過酷なのだから自分の力で生きなければならないとの一方的な思いで、その子の人格や性格までも無視して「戦え、勝ち取れ」と強いる事もまた子供を追い詰めてしまいかねません。

ここは親としては本当に難しい判断を迫られる場面ですね。
何事もほどほどに、子供という一人の人間を少し離れたところから理解し、バランスを保って子供を見守るのも必要かもしれません。

むしろ親は子の辛さを目の当たりにしながらも「この子は自分の力で色々な事への免疫力をつけているんだ」と言う理解をして行く学習者なのかもしれません。
「この人生で誰も皆、様々な障壁に出会う事で成長して行き、自分の力を高めて行く」と言う天の厳しい「慈悲」を子供の成長から親が学んで行く事でもあるのかも知れません。

「子が親を育てる」と言う事もあるのですね。

免疫力の獲得は、肉体の強靭さとはまた別の身体強化です。

筋力や暑さ寒さに強い体というのは身体能力です。
でも免疫力は肉体的に非力な人であろうと筋肉質の人であろうと関係のない身体保全の重要な力です。
体を鍛えたからといって、細菌やウィルスへの耐性が万全になるわけではありません。

「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」これはとても子供じみた言葉に聞こえます。
体がひ弱であっても精神力の強い人はいるものです。逆に頑丈な体をしていながらも精神的に脆い人もいます。

肉体的な免疫力とメンタル面での免疫力。

どちらが上?ではなく、全てはバランスなのでしょうね。
これからの次元は均衡とかバランスが重要なキーワードになって行く筈です。

子育て時の子供への保護も手助けも、やはり程々のバランスが重要という事なのでしょうね。

これは人間だけに当てはまる事ではなく、地球環境も同じだと思います。
今後地球環境も「極寒の地は穏やかに」「灼熱の地は息のつける緩やかな気候に」そんな流れになって行くと思います。

   ・

<今日のまとめ>
免疫力は強い精神力と生きる覚悟で獲得して行く、なんて厳しい事は言いません。

・『あんまり先の事を心配したり不安になったりしないで、成るように成ると言う緩さで流れに任せ生きれば免疫力は何となく獲得できる』
・『グダグダのだらだらで生きるのも、時間に追われあくせく生きるのもどちらがいいかは自分の価値観(希望)が決める事』
・『引きこもっていても、社会に順応できない自分でもそれが楽ならそう生きればいいじゃん!』
・『でも結果がどこに向かおうとも、すべての責任は自分で取るんだよ、それが自由の代償』

   ・

次回はスピリチュアル面の免疫についてお話をしてみます。









by farmemory | 2019-12-19 00:11 | ・意識の自立と進化 | Comments(0)



**気の多い自分・飽きっぽい自分**_c0319737_00013988.jpg

いつもブレブレで、何をやっても「これだ!」と言う事に出会えないとしたら、それこそが今自分が進化を続けているその証なのかもしれません。

いつも楽しくいる事は意識や周波数をあげられます。
なんて言われるもんだから、自分が楽しいと思える事に出会いたくて色々探し回っているけど、出会えない。
そんなことありませんか?

近い未来に自分がどこに辿り着けるかを知ろうとするより、今、今日この時自分が何に心惹かれ何に興味を持っているかに集中することはとても重要なことです。

今まで自分は何をやっても、最初は没頭するけどその内に「違う気がする」と感じ始めると急激に熱が冷め長続きしない。
そう思って自分にダメ出しなどする必要はありません。

そうなる自分は進化の過程にあるからと言う解釈もあるでしょう、また別の見方をしたら自分自身の「個性」でもあると思うのです。

例えばある職人さんや何かに生涯をかけて取り組んでいるのを見ると、その人がとても輝いて優れていると思ったりする。

また、一つの事に時間をかけてじっくり行うことが「好き」な人もいるし、あるレベルのところまで上達するまでに時間のかかる人もいます。

そう言う人は一つの事に集中して取り組まなければ、あるレベルに達するまでに時間がかかるからなのかもしれません。

器用貧乏という人がいますが、何かに取り組むと、人一倍の集中力を持っているのであるレベルまで達するのに短時間で行き着けてしまう人もいるでしょう。

じっくり取り組む人と広く浅く色々と渡り歩く人。

この双方を比べる事は意味がありません、性格やタイプの違いなだけなのです。

また一つの事に生涯をかける生き方は、逆に広い視野を持つには不向きでしょう。
逆に広く浅くでいる事は、視野を広く持てるとも言えます。

この地球で自分は何を目指し、何をするためにこの地球に来たのかという深遠な判断に当てはめると、じっくり派と広浅派は、それぞれ別の役割を持っている事に気が付きます。

例えば色々な場所で、色々な人と接しながら人付き合いを多く行う人は、それだけ人の持つ多様性に触れているわけですから、人というものを見るために渡り歩いているとも言えます。

そしてその理由は、この地球において、人と人との関係性の中でその悩みや苦しみを知るためでもあるのです。これは知的好奇心から来ているのです。

これを研究者に置き換えてみましょう。

ある分野に特化した研究(例えばメダカの研究に一生をかける)に没頭している人は、多くの人との交流がないために人間関係が苦手な場合もあるかもしれません。

しかし広く浅くの人が、生涯部屋の外に出ることもなく窓もない研究室で水槽のメダカだけとの時間を過ごすことが平気かといえば、もしかしたら息が詰まってしまうかもしれません。

ここでこの2者の優劣をつけることの意味がどこにあるでしょう。
そう、タイプなだけなのです。

生涯をかけて何かに取り組む人にインタビューすればわかることです。
「あなたは長く一つの事に取り組んでいますね」と聞いたとしたら
ほぼ全ての人は「いえいえまだ勉強や修行の途中です、きっと死ぬまで」なんて答えが返ってきますよね。

それと全く同じなのです。

広く浅くを繰り返しながらも、自分の辿り着くゴールを目指している点では一つの事に打ち込む人も、生涯をかけ探し回ることも、結局は同じ道を進んでいるんです。

誰であろうと、この人生のゴールはこの人生を終えるその時である事に変わりはありません。
一つの事に生涯をかけている人が眩しく見えてしまうのは「隣の芝は青い」と言っているに過ぎないのです。
特に日本では「石の上にも3年」とかいうめんどくさい諺がありますね。
少し続けて見て違うと思ったら、さっさと結論を出して次に行く事が悪いように言われてしまいます。

愚直な人と社交性のある人の違いも、これに似ていますね。
また自然が好きな人と都会が好きな人、これも同じでしょう。

人はどこにいてもそこから必ず人生の大きなヒントや体験を獲得できるものなのです。

都会に暮らす人はどうとか
田舎暮らしの人はどうとか

どちらが正しいかなんてどうでもいい事です。

都会は雑踏で濃い人間関係もあるけど、人の多様性に興味があるとすればそれが答え
まして都会は苦しくて危険と知りながら逃げ出す事なくそこに留まる事にも意味があるでしょう。

田舎暮らしは不便で退屈といっても、その不便さが面白いと言うならそれが答え。
一旦災害があれば村が孤立してしまうかもしれなくともそこを離れない、それにも意味があるでしょう。

自分が「ここが好き、これがおもしい」
それこそが「今」の自分の答えなのです。
そしてそこにいて体験する全てが、自分の魂が決めたスケジュールに沿った日々であるのです。

隣の人がどんな人であろうと、何を考えていようと、その人の行動や言葉なんかに一々反応なんかすることはなく、自分がこれと思う道を「今は」進んで行きましょう。

でも明日はまた別の道に進みたくなったら、その自分の中なら湧いてくる指示に従えばいいことです。

まして自分と違う価値観や生き方をしている人であっても、その人をジャッジしたり判断したりしたら自分が薄っぺらだと宣言してしまう事と同じです。

人は人、秋の夕暮れ我楽し









by farmemory | 2019-10-29 00:02 | ・意識の自立と進化 | Comments(1)



<追記>
今回の台風19号ですが、今までにない体感があります。
少し注視しておくレベルのようです。
今回はなぜかスペースファミリーたちの介入が未だに見られません。
facebookの限定記事の方に方に感じた事を記載しておきます。

<追記2 11:20>
引き続き台風関連の記事です。
今回の追記はこちらに記事として記載しておきます。

このままのコースを通ると12日の午後辺りに、愛知から静岡の間ぐらいに上陸になりそうです。
そのあとやや内陸を通って東北から太平洋に抜けるコースのようで、台風の南東側に位置する首都圏がかなり影響を受けると思われます。

台風への備えは各自なさっていただくとして、一人ひとりができる事を記載しておきます。
明け方に台風に意識を向けてみたところ、今回の台風は女性性の意思を持った台風なのが分かりました。
そこで彼女(19号)に今回のエネルギーを地球の次元変化のエネルギーに変えて、地球に還元してもらうよう語りかけてみてください。

今回の台風はリラの魂を持った方との繋がりを感じますので、ご自身がリラと思われる方は是非エネルギーの地球還元を彼女(19号)に提案してみてください。
エネルギーとしてかなり大きなものですので、地球への還元はかなり効率的で有用なはずです。

もしこれで台風のエネルギーが低下すれば、彼らスペースファミリーたちが積極的にエネルギー解消に介入しない理由なのではと思います。

リラのライトワーカーの方の出番かもしれません。
よろしくお願いいたします。

*台風19号に関してはこれから注視して行こうと思っています。
お知らせすることがあればこちらのブログとfacebookの限定記事の方両方で記載して行きます。

**自分の変化を他者で知る(1)**_c0319737_00014314.jpg

◆では今回の記事です◆

自分の状態や変化は知りたいと思っても中々わからないものです。

「自分の事は自分が一番知っている」
なんていう人いますが、ホントでしょうか?

「自分の事が一番わからない」
こちらの方が多いように思います。

今、地球と共に進化している自分を知ることは案外難しいものです。
そんな時少し視点を変えて自分を知る方法があります。

それは鏡に映った自分に問いかけたり、瞑想して自分のハイヤーセルフを呼び出したりと言った高いハードルではありません。

すごく簡単な方法があります。
それは今回の表題にある「自分の変化を他者で知る」方法です。

その前に少しこの世界(宇宙)の成り立ち、その本質からお話ししてみましょう。
この宇宙は自分が作りがしている言う話は既に耳タコで言われている事ですし、実際その通りです。

少し寂しく感じてしまうかもしれませんが、一人一人の宇宙(世界)には自分一人しか存在していなくて、自分を取り巻く全ては自分が作り出している世界なのです。

つまり一人一人の宇宙に、実体として存在するのは自分だけであり全てはホログラムだと言う解釈です。
そう言われてしまうとなんだか寂しい感じがしますよね。

ただここも少しのパラドクスなのですが、一人一人の宇宙空間を持った人が集まって一つの宇宙を作り出していると言う事もまた真実でもあるのです。

少し難解でしょうか。
例えば今誰が自分以外の人が目の前にいるとします。

その人は自分の宇宙の中で(自分の意識や想念が)作り出したホログラムだとします。
でもその目の前にいる人から見たら、今度は自分がその人の作り出したホログラムと言う事にもにもなるのです。

また別の見方では、自分を中心としてみると目の前にいる人は自分の人生を彩り、そして様々な体験を運んできてくれる大切な「脇役」でもあるのです。
そして今度は目の前の人を中心に考えれば自分はその人の「脇役」になるのです。

そうして様々な人がこの宇宙空間に同時に存在し、複雑なリンクで世界を形成しているのです。
そう考えれば決して一人で生きていると言う寂しさもなくなりますね。

でもその繋がりは肉体を持つ者同士の繋がりと言うより、魂としてつながっている「ワンネス」の意識で見ての事なのです。

さて話を自分を知る手立てに戻しましょう。

ここからはもっと簡単なお話になります。
先ずはこの世界は自分が作り出している世界(宇宙)だという事を前提として始めます。

この世界は全て自分が作り出している世界として、目の前にいる家族友人も、たまに会う知人や仕事上の関係者も、全て自分の概念や意識が作り出している人なのです。

とすれば自分以外の他者は自分の創作物、作品でもあるんです。

「あれ?この人、今までこんな事言わなかったのにどうしたんだろう?すごく好意的な話をしてる!」

また、今までは「あの人に会うの気が重いな」
なんて思っている相手が久しぶりに会ったらすごく変わっていたし、なんだかあの棘がなくなっている!

なんて経験した事ありませんか。

自分が変われば世界も変わると言われてきましたが、これがその答えなのです。


長くなりそうなので次回に続きます。










by farmemory | 2019-10-09 00:02 | ・意識の自立と進化 | Comments(3)



**「そのままでいい」のプチ誤解**_c0319737_23063043.jpg

「そのままでいいよ」
「今のままでいいよ」

よくスピリチュアルメッセージなどでこんな事を言われることがあります。

「そうか、こんな自分でもいいんだ!」
普通ならきっとそう捉えることでしょう。

「何か今の自分ではダメなようで、前に進みたいけど自分はダメなのかしら?」
「次元変化という言葉を聞くけど、自分は全くそうした感覚もないし、どうすればいいかもわからない」

自分を否定することなく、情けない自分だって、見えない世界を知る感知力なんかない自分だって、人に褒められることのない自分だって、それでもいいんだ。

そんな風にポジティブに捉えたら良いという事が「そのままでいい」なんですね。
早い話「どんな自分だって、その自分を肯定し、受け入れ、いじけたりしないでね」と言うことですね。

これが一般的に言われる「そのままでいい」でしょう。

でもそのままでいいよという言葉は、文字通り「そのままでいいよ」なんです。

「今自分はものすごく体調が悪く、動くことも億劫だ」
「困ったことや悩みが山積しているのに、そのままでいい?」

そうなのです
「そのままでいいよ」は文字通りそのままでなんです。

今の自分の状況がどうであろうと、偶然でも誰かに仕掛けられたり降って湧いた事でもなく、自分自身の魂の約束によってその状態を経験しているのです。

日々の小さな出来事は、それこそ日々の自分自身の行いや意識が反映する因果律によって。
あるいは人生に影響のある事態であればそれは生まれる前に魂が約束したスケジュールによって。

全ては自分自身の魂の設定によって今の自分がここにいるのです。

とすれば「そのままでいいよ」と言う言葉より「その状態に意味があるのですよ」
という言い方に変えたほうがいいのかもしれません。

でも単純に言えば「そのままでいい」とも受け取れる事でもあるのですけどね。

「そのままでいいよ」と言われても今の自分の状態で「?」と思ってしまう事もあるでしょう。
「こんな苦しいのにこのままでいい?」

はい、その苦しい状態から逃げるのではなく面と向かってその苦しさの意味や、なぜそうなっているのかの意味を自分自身で探りなさいとのハイヤーセルからの問いかけなのでしょう。

その時、自分自身の今の状態(それが良くも悪くも)になった始まりがどこにあるのかを振り返る事ができ、因果律のなんたるかを知る事にもつながります。

またその考えではなく
「好ましいとは言えない」状態が必ずしも悪いとは限らない場合もあります。

例えば今家を出ようと車に乗ったところバッテリーが上がってしまっていて、車を動かす事がで出来なかったとします。

「チェッ!なんてツイてないんだ!」と思うのが普通かもしれません。
そんな時に「そのままでいいよ」ということを当てはめても「なにそれ?」ですね。

でも、もしかしたら車が問題なく動いたとしたら、車で出かけた先で何かのアクシデントに見舞われたかもしれません。

そうした事を察知したハイヤーセルフが強制的に車を動かなくした可能性も十分ありえるのです。
そんな時に「そのまあでいい」の言葉を当てはめれば、もしかしたら命拾いになったのかもしれません。

ツイていない時や、失敗続きの時に
「そのままでいい」
なんて言われたらどうにもモヤモヤしてしまうかも知れませんが・・・

こんなことも頭の隅に入れておいてもいいかもしれません。

これをもう少し拡大解釈すれば、体調面や生活面での不具合もまた、その時点でその状態がどこに繋がって行くかは見えなくとも、長い人生の中で重要なターニングポイント(方向転換や次の進化への始まり)の可能性もあるかもしれません。

この時でさえ「そのままでいい」と言う事はその状態である事に意味があわけです。

そんな時には「その状態に意味がある」と捉えてみると自分自身のハイヤーセルフ(魂)が自分に投げかけてきたその意味にたどり着ける道が拓けます。

付け加えておきますが、ハイヤーセルフの言葉や想いの全てを完全に理解する必要はありません。
意味を探ろうとし過ぎる事もまた迷路に入り込んでしまいます。

この世界、偶然はなく全て自分自身のスケジュールで成り立っている世界。
それを十分に理解できた時「このままでいい」の本当の意味がわかるのかもしれませんね。










by farmemory | 2019-10-05 00:03 | ・意識の自立と進化 | Comments(0)

**仕事の対価**



**仕事の対価**_c0319737_00205283.jpg

これから向かう高次元では仕事は「お金を得るため」
と言う呪縛から解き放たれて自分自身の希望と喜びのために行う事が本当の仕事となって行くでしょう。

でもその時代が来るのを待つのではなく、自分から向かわなければたどり着くことはできません。
ではどうやって?

そのために今出来る事は「意識を変える」から始めるといいと思います。
仕事とは
「生きるためでもお金を得るためではない」
「自分がその仕事をすることで喜びを感じることが仕事なのだ」

と言う事を理解する事です。
意識とは、具体的な行動よりも重要な事です。

意識を変化させることで現実が変わってくる。それが今後起こり得る次元に向かっているのです。

ですから今の自分の仕事がそこからかけ離れているとがっかりする事はありません。
確かに可能であれば、仕事と楽しみにが同一になって行くのが理想ですね。

でも必ずしもそうしなければならない訳ではありません。
まずはその「意識」を自分自身の中にしっかりと根付かせる事です。

しっかりと根付けば、その矛盾に自分自身が居心地悪くなり「どうにかしたい」と言う行動につながってゆくことになるでしょう。
行動が未来に向かう道となるのではなく、意識の変化こそが未来への道なのです。


さて、高次元になればなるほど、どれほどの金銭を得ているかが仕事の評価ではなく、どれほど自分自身が喜んでいるかがその仕事の本当の評価となる筈です。

つまり仕事とは、自分自身で自分に与える絶対的評価に他ならないのです。
またどれほど社会のために役立っているかでもなく、どれ程人のためになっているかでもないとも言えるのです。

まずは自分自身が仕事であれ趣味であれ、自分自身の意志によってそれを行なっているかどうかが大切なことです。

「生きるために仕事をする」これが自分の心からの渇望なのでしょうか?

もし生きるために働かなくても良い時が来たとして「それでもあなたはその仕事を続けますか?」
それにどう答えるかなのです。

3次元において「お金という労働への対価」は生きるために何者かに用意された人類コントロールのためのツールです。

お金という対価がなくても「もちろん続けたいと思います」
高次元ではきっとこれこそが真の「仕事」と言える事なのでしょう。

いえ、これは高次元での事ではなく、本来3次元でも通用する当たり前の事だったのです。

かつてエデンという時代がこの地球上には存在していました。
そこでは労働に対する対価などありません、その前に働く必要などないほど自然は人類に様々な恩恵を与えてくれていたからです。

でも今私たちは自然とともに生きる道から外れ、自然をコントロールし自然を搾取することで成り立っている時代に生きています。

これは因果律で判断出来ることですが、自然を人類だけのために利用しようとすれば、自然は人類には何も返してはくれません(因果律の適応により返したくても返せないのです)

自然も人類も全ては同じ視点に立っているからこそ、全ての生命体が等しくその自然から恩恵を受けることができ、自然の流れの中でその命を終えることがまた自然の摂理に従う事でもありました。

本来の楽園とは人類のためだけの楽園ではなく、生きとし生けるものすべてが等価値である事こそが楽園の真の意味です。

ただこの楽園に生きているだけでは3次元領域に生きる人類にとっての進化が停滞してしまうため、苦しみと言う体験学習が行えないと理解しオリオンに頼み人類の意識も肉体さえも振り回しコントロールできる「お金」と言うツールをもたらしてくれることを願い、今に至っています。

経済が3次元での一つの体験カリキュラムとなってきたという事なのです。

でも地球と人類は今、その3次元を離れようとしています。
だから「経済無くしては国家無し」と言う人類コントロールのシステムも大きく変化して行くでしょう。

仕事で得る対価とは「自分自身の満足と喜び」に他なりません。

もし誰かの喜ぶ顔が自分にとっての対価としてこれに勝るものはないのであれば、その人は喜んで介護のお仕事を続けるでしょう。
魚を取る事が無性に楽しいと感じれば埋め立てによる漁場崩壊のための補償金などには興味もなく、何があろうとその漁場を守り漁師を続けて行くでしょう。

「自分が作ったもの、採ってきたものを誰かが喜んでくれるから続ける」
これは2次的な「ご褒美」です。

例えばとにかく土と共に生き、土に触り作物が育ってくれる事が楽しくて仕方がないから農業を続けている。
これが本当の仕事の姿でしょう。

自分とは何者かの問いに「私はこれを行うことを喜びとしている人です」と言えるかどうか。
それがお金という対価を得ているかは2の次です。

仕事であれ趣味であれ誰かに褒めてもらうためではなく、自分自身が喜び楽しみ、そして至福を感じる事が「なすべき事」になって行く事なのですね。

よく「私の使命はなんだろう?」
と思われる方がいますが、その使命を仕事と限定してしまうと答えは返って来ないかもしれません。

また何か小綺麗な言葉に飾られたスピリチュアル活動こそ使命なのではないか?
そんな事を思うこともあるでしょう。

しかし使命とは現実世界の中での行動であれ、目に見えないスピリチュアルであれ、そのどちらが上かなんて解釈はなんの意味もありません。

もし使命は?
との問いに答えるのであれば、まず自分自身が今「私はこう言う者です」とためらいなく言える事なのかもしれません。

ただ「私はどこそこの会社の社員や役員です。この組織の一員です」
はちょっと違う気がします。

自分が所属している会社や組織をバックにつけている事は意味のない事なのです。
なぜならその会社や組織を離れた時にはもう何も残っていないのですから。

何もバックに付いていない、どこにも所属していない。
その裸の自分で「私はこういうものです」と言える事が真の自分をアナウンスする事なのです。

しかもその誇れるものが人より優れているかなどどうでもいい事です。
仕事も一緒です。

誰かに褒めてもらいたいと思う事は承認欲求に他なりません。

自分自身の行いを人に評価してもらう必要などありません。
ここが「人のため社会のためになっているか?」という善行強要の落とし穴なのです。

「人の迷惑になっていなければ、他者の身も心も傷付ける事がなければ」
それだけで十分人のためになっているのです。

しかも自分のしたい事を喜びながらやっていれば、その人の中に生まれてくる「エネルギー」はとても周波数が高く温かいエネルギーになり自分の外に向かって放出されて行きます。

もちろん外に向かって放出しているのであれば、そのエネルギーは同等のものとして自らに返って来る ”因果律” という物理現象でもあるのです。
(すでにこの辺りは科学的に量子論で説明が付くようになってきていますね)

これこそが本当の意味での「社会還元」になるのです。

私たちは今まで、そうした誰にでもできる単純な社会貢献をどれほど阻止されてきた事でしょう。

公園の掃除を市の職員さんが行えば仕事。
公園の掃除を早朝誰も知らないうちに近所の老人が毎日行なっている、これはボランティア。

お金が派生するから仕事で、無給なけらばボランティア。
結果として公園が綺麗になるという目的が達成される点では何の違いもないのに、何なんでしょうこのデタラメさ。

誰にも評価してもらえなくても、誰にも「いいね」をもらえなくても、自分から自分に「いいねを」贈る事が出来た時、その行動は自分自身の「生まれてきた意味と使命」にも繋がって行く筈です。

逆に言えば生まれる前に自分に約束してきた使命(仕事)とは、自分自身を偽らず裏切る事なく、自らに正直に生きているかなのでしょうね。

そしてその仕事の対価はお金には変えられない、珠玉のエネルギーとして受け取れると思うのです。

今回の記事、単なる宗教ドグマのような観念論と取りますか?
それとも自分の思いや行動から返ってくるエネルギーが極めて物理的な現象であり、その価値を感覚や体験として確信できますか?










by farmemory | 2019-09-21 00:26 | ・意識の自立と進化 | Comments(4)



**体験こそ進化の鍵**_c0319737_00271040.jpg

前回記事にした前世のお話
**前世の記録 No15-1**
**前世の記録 No15-2**
から続く話題になります。

最近の侍アニメや時代劇の中で「命を大切に」とか「友情や絆」なんてセリフを良く耳にしますが、本来江戸期以前の侍とは自分の主君(上司)の命は絶対的なものであり、そのために死する事を一つの美徳としていました。

もっと言えばどんな死に方をするかがこの人生の最大の意味であり、それが侍の生き方と教えられて来たのです。
そのため財産も土地も物さえも持たず、残すのは自分の生き様を伝えられる子供のみという、何ともストイックな人生観でした。

そして、子供に対して思う事はどれだけ幸せに生きてくれるかと言う以上に、どれほど侍の本分を尽くし生きて行ってくれるかが子に対する思いだったのです。
逆に言えば侍の本分を守り生きる事が幸せなのだと言う不動の価値観を持って生きることを賞賛されてきたのです。

戦国の時代など畳の上で家族に看取られながら死する事ほど情けない死に方はなく、若い内に戦さ場で討ち死にする事こそ武士の誇りとさえ言われていました。

一歩家を出たら、生きて家に戻れないという覚悟を持って日々を送っていたのが真の侍の生き方だと言われていました。

こんな侍という価値観は今の時代、それこそ前時代的な生き方であり人によってはあり得ない事と思うかもしれません。

まして夫や息子たちを戦場に送る妻や母たちは、侍の時代であっても必ずしもこの美徳を受け入れていた人ばかりではなかったのではないか、そう思うのです。
自らの分身としてこの世に生を受けた子供たちに、何があろうと生きて欲しい。そう願った人も、きっとたくさんいた事でしょう。

今も国際政治が戦いであり「真の解決は戦争によって」なんて事を平然と口にする人もいますが、そうした人は過去世において本当の戦場の地獄を知らずに来た人なのかもしれません。

でも私たち人類は、洋の東西を問わずそんな時代を「前世の自分」として生きてきた事は間違い無いと思います。

それを体験し、何を知り、何を得る事が出来たのか。
その答えこそ、今まで不条理の中で何度もの転生を繰り返してきた本当の意味なのだと思うのです。

まさに体験こそ進化の鍵。

人の意識や価値観は(社会や世界の価値観さえも)この様な時代を何度も生きてきたからこそ

「名誉やプライドという呪縛からの解放」
「命の尊さ、自由意志の大切さ」
「薄っぺらな言葉なんかでは伝えきれない真の温かさや優しさの獲得」

と言う進化を続けて来たのでしょうね。


それでも自分にとっての満足とは、人から羨まれる事でも人と比べる事でもなく、人に何と言われようと自分自身が「これがいい!」と感じた人生を生きるのが真の満足なのだろうなと思うのです。

ただ、これから先の次元では自分が決めた価値観に自分が縛られる事なく、常に変化(進化)する自分の思いに柔軟に従って行く。
それが新しい次元の生き方となるでしょう。

頑なに自分の信念を通す必要もなく、その時々で心に浮かんだ「希望」に素直に従って生きて行きたいものですね。

そしてどれ程緩く、へなちょこでヘタレでグダグダであろうと、それこそが数々の人生を体験してきたからこそ獲得できた寛容さでもあると知るのです。









by farmemory | 2019-09-10 00:31 | ・意識の自立と進化 | Comments(0)



**自分探しは混乱の元**_c0319737_22593160.jpg

自分探しの旅はそろそろ終えましょう
いくら探しても本当の自分を探し出す事は出来なかったのではありませんか?

それは当然の事です
昨日の自分はもう終わった自分

昨日の思いや感じてた事は全て終わってしまった古い時空
翌日の自分はもうリセットされているのです

それを昨日の自分に固執してしまうから自分が分からなくなってしまうのです

いくら探し回っても翌日の自分はもう違う自分なのです
ですからいくら進んでも辿り着けるわけはないのです

まるで幻を追い求めるようなものです
知るべき自分は今の自分以外いません

昨日の自分は終わった自分
明日の自分は今の自分が作り上げて行く自分

ならば今この時の自分こそが探し当てるべき自分に他なりません
実は自分探しは「簡単」な事

自分の中に昨日と違う考えや価値観が湧き上がると、人は混乱してしまいます

でも昨日の自分と今日の自分を切り離す事で本当の自分を見いだすことが出来るのです
探さなければならないと言う事は一貫した自分が居ないし見えないからでしょう

昨日の思いに引きずられる事はありません
今この時に思うことが全てです

筋の通った人である必要もなく
ブレブレの自分である事をむしろ面白がりましょう

常に一貫した自分など必要のない事なのです

極論:
一貫してブレない我慢の人=旧次元の人、頑固で変化を好まず脆い人・批判と否定と排除の人
ブレブレでグッダグダの人=新次元の人、フレキシブルでなんでも受け入れられる緩やかな人・寛容と肯定と受容の人

朝令暮改はむしろこれからの新しい次元を理解するためには否定するべき言葉ではありません

「あなたは昨日と違う事を言っている!」
「一貫性の無い人ですね」

そう言われる事を恐れない様にしましょう

「だって今はそうなんですから、何か?」
と微笑んでお返ししましょう

今この時の自分を受け入れてこその自分探しなのです
情けなくカッコ悪い自分を見てしまったとして、その自分を否定したって逃げようもない自分自身がそこにいるのです

気に入らない自分を否定し、無かった事にして隠し、その自分を置き去りにして自分の理想の素敵な自分を探しに行く?
どこか変だと思いません?
それは無い物探し、無い物ねだりでしかありません

そんな自分であっても受け入れる事が「自分を愛する、自分を大切にする」と言う事なのですね

情けない自分、カッコ悪い自分をしっかり認識し直視し受け入れる事で、人は進化して行くのです
だって情けない自分やカッコ悪い自分を知れば、進化したいと願う筈

まっ、難しい話はこれくらいにしましょうね
今日は厳しく生きるのは程々にして明日の事は明日考えましょ









by farmemory | 2019-08-31 00:01 | ・意識の自立と進化 | Comments(0)



**一部の能力を上げることの危険**_c0319737_00531359.jpg

ハイヤーセルフとのコンタクト、自分自身の過去生リーディング、高次元とからのメッセージ取得。
こうしたことは本来私たち人類にとっては特に特殊な能力なのではないのですが、ある時からその能力を封印することを人類の意思として今に至っています。

しかし変化が加速している今、その能力を思い出し始めた方が増えてきているように感じています。
これは次元の変化と、自ら仕掛けた封印の解除が同時に起こり始めているからでしょう。

でも、コンタクト能力とかリーディング機能とか、そうした能力は単独で伸ばすのは慎重にする必要があります。
そうした能力は自分自身の意識の変化や進化の過程で思い出して行くものなのです。

今までの3次元意識にいた自分を高次元の意識に向けるようにして行く過程で「おまけ」程度で解放されてくるものです。

逆に言えは意識の進化こそが重要で、高次元に向けた自分自身の変化を後回しにし「能力」だけを伸ばそうとすれば大きな歪みを生じてしまいかねません。

例えば機材やテクノロジーを利用して高次元とつながる機材ができたとして(実際にいくつかは存在しています)

自分自身の意識変化もなく機材に頼って単に一つの能力開発だけに集中してしまうと、自分自身の周波数が上がっていないので別の次元の存在とコンタクトを取ってしまう危険もあるのです。

高次元であってもポジティブ側もネガティブ側ももちろん存在しています。

3次元で言えば狐たちがオリオンの使いとして、お稲荷さんと言われ人に怖がられたりしています。
彼らには悪意は無いのですが、3次元で生きる人類を翻弄するという役割を担ってきました。

その彼らがもたらしてくれた依存心や執着、恐怖心や怒りという「感情」を私たちは知るためにここに来ています。
彼らオリオン(稲荷たち)は、その体験をしたいという人のために、悪名を承知で人に混乱をもたらす役目を担ってきました。

高次元においても(今の私たちには到底理解できないかもしれませんが)やはりネガティブは存在しているのです。

能力開発をしたい、優れた能力が欲しいというモチベーションは何でしょうか?

他の人より優れた自分になり羨まれたり高い評価をもらいたい?
もしそうであればそれは単なる選民意識であって「いいね」を欲しがる承認欲求と変わらない意識です。

また自分の能力を高め、未来を知りその危険を人のために役立たせたいとして。
それさえも高次元においては「大きなお世話」になかねないのです。

私たちは誰かの下に庇護されている存在ではありません
自分より優れたリーダーの元に集まって、その庇護下で安心していると言う事は、国家という檻の中に閉じ込められた羊でしかありません。

その柵を飛び越えて(意識と魂の)自由の野原に飛び込むことが高次元を生きる、もしくは高次元を早く理解して行く近道です。
でもそこには自分を守り指導してくれる者など存在しておらず、すべての責任と自由意志において生きて行かねばなりません。

自分の身に降りかかってくる現実は、自分自身が設定した「体験学習の設問」なのだと言う事を理解できば、人のために生きるとか人を救うと言う事が、時としてその人の成長を大きく阻害してしまう可能性もあるという事に気が付くはずです。

何かを身につけようとして、難しい問題に向かっている人に答えだけを教えてしまったとします。
ここで重要なのはその「問題の解き方」を自分自身で試行錯誤、紆余曲折を通りながら設問に向かい自分自身で獲得しなければ身につくものではありません。

苦しんでいる人を見るのは確かに心苦しく、こちらも辛いと感じる事もあるでしょう。
それが身近な人、大切に思う相手であればなおさらでしょう。

でもこれから自由の新天地に出て行こうと願う人に対して、過剰な手出しや助けは逆にその人の進化を妨げてしまう事もあるのです。
時に静かに遠くから見守るのもとても重要な事なのです。

どうしてもお節介になって
「そんな生き方や考えを持っていては周波数や波動が上がりませんよ」「天の心理とはこう言う事なのですよ!」

とそんな事をまだ理解の準備中の人にお話ししても伝わるものではありません。
むしろ「波動とかだって?怪しい宗教でもやっているの?」と疎まれるのが関の山です。

でもその人が自分から「知りたい」と願った時、初めて語り伝えるタイミングとなるのです。

でもその人が知りたいと願うタイミングは決して穏やかで緩い状態ではないはずです。
人は往々にして、大きな壁やハードルを目の前にした時こそ、進化のタイミングとなります。

それが分かると、今進化の途中にいる人の苦しみを見ても心苦しくはならないはずです。
「ああ、この人は先に進もうとしているんだね」
「でもその道は自分で見つけなければならないもんね」

という理解になるはずです。
そして自分自身にしっかり向き合っていると、知らず知らずの内にいつの間にかハードルを超えているものなのですね。

辛くはあっても厳しさや痛みみさえも肯定的に捉えられた時、意識や周波数の上昇期を迎える事になります。
大樹の下に集まり身を寄せ合って、人の言葉に右往左往している状態の人が、コンタクト能力だけを上げてしまう危険はここにあるのです。

今自分の状態をしっかり認識し、少しなりと天の心理を理解し始めてくると、感覚も自然と解放されてくる。
これは経験した人であればきっと理解出来る事かと思います。










by farmemory | 2019-08-13 00:53 | ・意識の自立と進化 | Comments(0)