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カテゴリ:・意識の自立と進化( 33 )



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パートナーとの関係で、心のすれ違いや無理解に傷つき、他の方の優しさに心を動かしてしまう事もあるでしょう。

きっとそこには自分の周波数と同期する人のエネルギーに触れることで安らぎや癒しを感じるからなのだと思います。

お付き合いや結婚は約束でも契約でもありません。

お互いの周波数の同期こそがその相手を選ぶポイントなのですね。
ただこれは、目に見え五感で理解する以上に、極めてメンタルで感情的なことです。

「口が悪くて短気だけど、心根の優しさが好き」
「無口で何を考えているのかわからない事もあるけど、ふと見せる仕草に癒される」
「人の悪口を聞いたことがない」

そんな相手のどこに自分は共感しているのか。
どこか同じ部分に共鳴する事があれば、それこそがエネルギーの同期という事なのです。

「心根の優しさが好き」と感じたのであれば、自分自身が「心根が優しい」という事。
「人の悪口を言わない人だから良い」と言うのであれば、自分自身もきっと人の悪口を言わない人なのでしょう。

一見粗野に見える人であっても、それはあくまで表面で判断する(誰にでもわかる)体裁にすぎないかもしれません。

相手の「エネルギーに触れる・理解する」と言うこと。
それは相手の言動、社会的地位や著名度で判断するのではなく、感情や感覚面での判断に委ねる事でしか、その本質は分からないのかもしれません。

そしてその同期するエネルギーこそが、自分自身と言うことになるのです。
相手を知ると言う事は、結局「自分自身を知る」「自分は何者かを知る」にも繋がって行くのでしょうね。

だからこそ、私たちは孤独である事を捨て、時にややこしい人間関係の輪に自ら進んで入って行くのかもしれません。

パートナーとは、自分を知り自分を進化させるために出会う人でもあるのでしょうね。
時には愛を持って寄り添い、時には厳しい反面教師として。









by farmemory | 2019-04-19 00:17 | ・意識の自立と進化 | Comments(0)



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今まで多くの方の前世を見てきましたが、過去世で人を殺傷したことのない方はほんの少しでした。
皆さん何らかの理由で、刃物や銃口を人に向けてきた人生がありました、私ももちろんそうです。

戦争を思うと、その不条理に心痛めてしまいますが、それがあまりに過度な場合、自分が行ってしまった過去世の見えない記憶が贖罪や後悔として浮き上がってしまい、より一層の反戦意識を生み出して行く事があります。

起こってもいない戦争の脅威に怯え、自宅シェルターを庭に作ったり、何かあったらどこに逃げようかとリスク管理に走ってしまう恐怖心もそこから生まれるのかもしれません。

ここには人は信用できないという意識が根底にあるからですね。
人を信用出来ないと言う事は自分自身、過去のどこかで人を裏切ってきた経験があるからなのかもしれません。

また常に外敵の脅威から国を守らなければならないという防衛意識も、過去のどこかで自分がその当事者として、相手国に攻め入って他国を蹂躙した経験をしてきたのかもしれません。
「人は信用できないもの、なぜなら自分自身が他国への侵略に手を貸したことがあるから」と言う流れです。

「人はもともと善なるもの」です。

戦いを口にし武器を国家の威信だとする為政者も個人も、人に対する信頼よりも前に「人は信頼できないもの」だという意識が先に立つから「防衛」と言う意識が生まれます。

また、人は善なるものであるとすれば、過去であろうと、この人生であろうと自分が行ってしまった過ちを知れば深い後悔と贖罪の意識に苛まれます。
それが遠い過去世の出来事であっても、見えない思いグセ(トラウマ)として胸の奥に潜んでいます。

これから先、高い周波数の時空に入り始めれば個人的な「感情」から生まれるすれ違いはあっても、人を傷つける暴力は起こりにくく、また人に対して絶対的な信頼を持てる時空に入って行くでしょうから、戦争が生まれる素地が極めて低くなって行く事でしょう。

もしその世界に変化して行きたいと願うのであれば、自分自身の中にある人への疑いや疑心を持つ自分が変化しなければ、いつまでたっても堂々巡りをするだけになってしまいます。

「自分が変われば、自分の(外の)世界が変わる」

この真実は、少し不安かもしれませんし、人が良すぎると言う誹りも受けてしまうかもしれません。
でも、それが真実である事を知るためには、体験しかないと思うのです。

そして何より人は皆元々「善なるものである」と言う事を信じる自分であるかと言う事です。

時空間は急激に変化し続けています。
自分が思った事、希望した事が現実化する時間も頻度も上がって来ているように感じています。

不安な未来をイメージしたり暗い方に意識を向けると、すぐにそれが現実(エネルギー)となって身の回りに纏わり付いて来ます。
重苦しい感覚や、晴れない心の状態も、もしかしたらそうしたエネルギーに纏わり付かれているのかも知れません。

そしてその先でそのエネルギーが、何らかの物理現象として具現化して行きます。
分かり易いところでは体調や人間関係、遠いところでは自分が生きる世界の未来への影響です。

これは因果律としても解釈できる事です。
ある思い(想念)を抱くと、その思いと同じエネルギーが返ってくる。

逆に、自分からプライドや損得、勝ち負けの世界から足を抜いて物事に対峙し行くと、そこに返ってくるのは穏やかで棘のないエネルギーなのです。

そうはいっても「人は善なるもの」と無条件で信じきることは、確かにハードルの高いことでしょう。
また身を守る事を無意識で行ってしまうことも、自己防衛本能として私たちにはデフォルトで備わっている事でもあります。

それでも因果律の適応が早くなってきている今、逆に「人は善なるもの」それを知る機会でもあり、チャンスでもあるということなのです。
おっかなびっくりでも、臆病なのろさでも、疑い深くてもいいから小さな事から「人は善なるもの」である事をより信じてみようと思っています。

そしてそうする事で帰ってくる因果律で、それを知ることができるのであれば・・・
最近それが「ほんとだ!」って体験が増えて来ているので、更に信じられる様になって来ました。









by farmemory | 2019-04-08 00:03 | ・意識の自立と進化 | Comments(1)



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エンパスという言葉の解釈ですが
「受けやすい体質」「憑依されやすい体質」「ネガティブエネルギーに対する過剰反応」そうした解釈をする事もあるでしょう。

でも本来のエンパス体質とはこの地球上(3次元)での学習をしっかりしてきた人、その卒業を目前にしている人を意味するのです。

例えば
「ネガティブな人の側に行くと、その重さに自分自身が絡め取られてしまいます」とか、
「誰かを助けたいと思うあまりその人の苦しみや痛みを自分に受け入れてしまう(代行してしまう)」
と言うような解釈は本来のエンパスでは無いのです。

受けやすくネガティブなエネルギーに纏わり付かれる事をエンパスとは言いません。
それは「憑依体質」と言い、自分自身のバリアに穴が開いたり、薄れてしまった状態です。

私たちは楽園と言われていた苦しみのない地球から自分たちの意思で、重く辛さを感じる地球を願い、そこでしか知ることの出来ない様々な煩悩や執着を身を以て体験するためにここに生まれて来ました。

ただ「修行」などという自己犠牲を強いる苦行などではなく、その苦しみというものの本質を知り、そこから生まれてくる感情を知ることにありました。

それらの苦しみが何からくるのか、なぜ人はその苦しみを辛いと感じるのか、さらにはその苦しみを知る事によりその対極にある喜びや幸せを知ることでもあったのです。

エンパスはそうした痛みを体験する事で、人の痛みを知る事を言います。

この次元に生きると言う事は、究極の恐れである死と隣り合わせに生き、いつかは朽ち果てる体と付き合いながら人生の終焉まで向かう事です。

ただ、3次元での過酷な日々の中で、たとえこの宇宙に自分一人しかいない(*注釈↓)と知ってはいても、辛く悲しく痛みを感じる時に、その辛さを理解してくれる人の存在は何よりの救いとなります。

エンパスとは、幾度もの人生を経験しながら、たくさんの痛みを経験してきた人の優しさや、暖かさなのです。

上辺だけのおべんちゃらや綺麗事を並べ立てられたり、薄っぺらでトンチンカンな応援ソングを耳元で歌われるより、同じ痛みを知る人の存在が何より癒されると言う事はお分かり頂けると思います。

本来のエンパスとは人に寄り添い、痛みを理解し、手助けを極力慎重にしつつも、相手の厳しさや痛みを心底理解できる人こそが本当のエンパスなのです。

何も出来なくても、何も持っていなくても・・・
エンパスの人の存在こそが、今の地球と次の次元に向かう人々の本当の救いになって行く事でしょう。



(*注釈)一人しかいないと言う意味は、個別に体験しているこの世界は一人一人の宇宙であり、自分を取り巻く全ては全て自分が作り上げているホログラムだという意味です。











by farmemory | 2019-03-09 00:00 | ・意識の自立と進化 | Comments(1)

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知人から面白い質問を投げられたので、記事にしてみます。

あるブログのURLやYoutube画像を「フォロンはどう思う?」とコメント付きで送られてきました。
それで、そのブログや、その人の顔写真、動画などを見てみようとそこにアクセスして見た時に
「うわっ!やな感じ」と言う不快な感覚を覚えすぐにそのサイトを閉じてしまいました。

で、その事を
「途中で見続けるのが嫌になって、閉じてしまった」
「このブログに書かれている内容は、私の理解とは違う気がする」
と返信したのです。

追伸で目眩、悪寒、不快感などを感じると付け加えました。

そしたら「その嫌悪感はどんな感じなのかを分かりやすく」と催促されたので、返事をしました。
それが今回の記事です。

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目眩はめまいですね。

読んでいるとクラクラするわけよ、足元さえフラつくとまではいかないまでも、小舟に乗って揺られているような感じかな。
この目眩は、必ずしも「悪」を感じる訳ではない。

その人が持つ、ある種の周波数の違いに自分自身の整体の周波数が不協和するって感じかな。
「ちょっと違うな」的な感じ。
なので、読むのが苦痛になったりするまではいかないけど、興味を持てない感じ。

一方不快感(嫌悪感)に関しては、背筋に走る悪寒や、湧き上がって来る吐き気、あとは少しの頭痛がある場合もあります。

背筋の悪寒は、例えば風邪を引きそうな時に背筋に走る悪寒に酷似している。
恐らく体内に入ろうとするウィルスに対する生体からのアラームと言う点ではほぼ同じなんだと思う。

それらの文章や動画を作成した人のエネルギーに対して、自分自身のアラーム機能が発動したのだと思う。

個人個人が持つ意識や想念エネルギーは、それなりの周波数を持っていて、またウィルスや細菌もあるレベルの周波数を発しているわけ。

文章を書いたり動画を作っている人に悪意はなかったとしても、その書き手の周波数に触れる事で、自分自身に不具合を起こしてしまいかねない寝れるギー周波数もあると言う事です。

ウィルスや病原菌は日常空間に飛び交っています、そして彼らの周波数はとても低いのです。

で、自分自身の周波数が落ちた時に、その低い周波数のウィルスや細菌が自分自身の周波数とドンピシャに同期してしまいブロックやバリアを突破して侵入してくる訳ですね。

また、すでに体内に取り込まれてしまったウィルや病原菌でも必ずしも病気を発症するとは限りません。

体内に取り込まれたウィルス病原菌(魂・・・スピリチュアル的な)が健常状態の時(自分を守る事の出来る周波数に留まっている場合)には発症しないが、せっかく自分を守れるレベルの周波数を保っていたのに、何かしらの低い周波数に変化した時にウィルスや病原菌が牙を剥いてくる。
そんな感じですね。

個々人が持つ想念エネルギー(周波数)とウィルスや細菌が持つ周波数、結果としてどちらも危険であれば、よく似たアラームが自分自身の中で鳴り響くわけです。

余談ですが、風邪のウイルスに限らず「ネガティブエネルギー」の侵入経路はほぼ決まっていて、それは首筋からです。
なので「背筋を走る悪寒とか背中がゾクゾクする」という表現になるんですね。

逆にポジティブエネルギーの侵入経路は一つではありません。
代表的な場所はクラウンチャクラ(頭の真上)、ハートチャクラ(心臓)、セイクラルチャクラ(女性=子宮、男性=睾丸)

・クラウンチャクラは宇宙的根源的なエネルギーを受け取る場所で、プラーナネルギーやセントラルサンからのエネルギーの流入経路でもある。
・ハートチャクラは優しさや親切、思いやりや相互の寄り添いなどから受けるエネルギーの流入経路。
・セイクラルチャクラは性的なエネルギーのシェアリングの場所(SEXにより男女のエネルギー交流が直接起こる場所)
女性であれば愛する人を想った時に子宮がキュンとし、男性であれば勃起をします。これは相手からのエネルギーシェアを受けている状態です。

低い周波数に変化してしまう引き金はとてもわかりやすいです。
「怒り、不安、恐怖、嫉妬、執着など」
そうした現世的なネガティブ状態に落ち込む事ですね。

またそうした意識状態にいる人が書く文章にはどうしても、その時の書き手側の意識が見えない形で込められてしまうわけです。

ある事象に関して怒りや恐れを過度に持っている人がある事象に触れた時、その事象のどの部分を汲み取ってしまうか。
例えば地球環境の変化を恐れと取るか、新しい未来への引くに引けない進化の過程と取るか。

それをどう受け取るかは各個人の周波数状態によって変わってくるんですね。

ですので文章やブログを書いている人の周波数が自分の周波数とかけ離れている場合、違和感や嫌悪感を感じることがあるのです。

また稀にブログや文章自体に何らかの呪詛をかけられている場合もあります。
この場合は極めて分かりやすい「意図的な悪意」な訳で、それがアラームとして、背筋に走る悪寒であったり吐き気に似た感覚を受けるんだと思いますね。

こちらは「意図的に入り込もうとするネガティブ」と解釈してもいいですね。
その場合はかなりはっきりとした「分かりやすい」アラームが鳴り響きます。

どんな感じかと言うと、稀だけど胸の奥に「避けろ、携わるな、向かうな」と具体的に響いて来るんです。
ただし言葉や文字のように伝わるのではなく、直感的にそう「感じる」のです。

響いて来た感覚を文字にしたり言葉に翻訳すると、そう言う文字に該当するってとこかな。

ではでは。











by farmemory | 2019-01-29 00:04 | ・意識の自立と進化 | Comments(0)

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今水道水の安全に意識が向いているかと思います。

そこで誰にでもできる簡単な実験をしてみましょう。
水道水の浄化と周波数の向上実験です。

まず水道水を汲んだガラスコップを2つ用意します。
そして、ますその両方を一口づつ飲んでみます。

同じ蛇口から汲んだ水ですので、きっと最初は同じ味(?)でしょう。

次にどちらか一つを選びます。
そして選んだ方に向かって「あなたは美味しい水ね、安全な水ね」と愛優しく思いを向けてみてください。
両手でコップを優しく掴んでもいいですね。

でも肝心なことは、どちらの水にも決して否定的な意識は向けないようにして下さい。
「浄化しなさい」「美味しくなりなさい」「安全になりなさい」

こうした言葉や思いはその水に対して「あなたは汚染されている、美味しくない、安全でない」と言っているのと同じなのです。

水は水として、いつでも無償で人類に貢献したいと思っていますので、決して否定を送らないで下さい。
悲しんでしまいますから。

そして、もういいかなと思ったところで、その2つの水を飲み比べてみてください。

とっても簡単な実験でしょ。

答えはご自分で感じて、自分で出して下さい。
その時「自分の力」を信じることができるかもしれません。

*もしどちらも変わらないと思ったら。
一つの理由として、すでにコップを手にした段階で無意識の内に蛇口から出る前の水を浄化してしまっている可能性もあります。

その時は自分の力を ”過信” しましょう(笑)

また、自分の力があるから浄水器など必要ないと思ったら、今度は浄水器を否定してしまう事になります。

何をどう選ぼうと選ぶまいと、自分の元にやって来てくれたものは皆あなたの役に立ちたいと、偶然を装って来てくれるのです。

全ての道具に、感謝だけではなく同じ目線の高さで「共に力を合わせましょ」と言ってあげて下さい。
もちろんそれは浄水器だけではなくて全てに対応する事です。











by farmemory | 2018-12-24 00:08 | ・意識の自立と進化 | Comments(1)

**可燃と不燃**

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パリでの暴動はフランス人の気質を見せている様に思います。

すでに死傷者が出始めていると言う事は又しても血の革命(フランス革命の二の舞)の様相を見せ始めています。
本来あるべき革命は、静かなるなる革命こそが大きな力を生み出す真の変革と信じます。

さて日本。

多くの人は不条理な出来事や、当局の思惑に対して表立って怒りを表すことなく、過激な不満を口にする事もなく、逆に当局からの強烈な締め付けも、情報遮断もなく箝口令も敷かれていない。

情報に関してもメディアが出さず語らないだけ(または情報を作為的に書き換えてもいるかもしれません)
でも個人個人が拾おうと言う意思さえあれば、様々な情報を得る事は決して難しくはない状況です。
でも多くの人はそれをしないし、その前に興味を示さないように思います。

中には真実に目を向けることをあえて避けたり、真実を知る事を恐れたりしている人もいるかもしれませんが・・

これを「愚民は大手メディアの洗脳によりコントロールされている」という見方もあるかもしれませんが、私はそうなのかな?と思うのです。
むしろコントロールされない国民なんじゃなかろうかと、そんな事さえ感じるのです。

ちょっと煽れば暴力に走る、これ欧米人の気質ですね。
これはアトランティスから来る性癖なんだろうと思うのです。

でも日本人は、よほど身の危険を感じる事がなければ、例え正義感や使命感があっても、そう簡単には集団的な暴動には走らない様に思うのです。
この点から見ると、どれほど煽っても渦中(火中)に飛び込まない臆病さと同時に、そう易々とコントロールされない(管理者側から見たら)厄介な存在かもしれないと感じるのです。

臆病であるという事は思慮深くもあるので、簡単な扇動には引っかかり難いのではないかとも思うのです。

今回のフランスの大騒ぎの発端は燃料税引き上げが引き金のようですが、その裏には高い失業率や経済優先(最優遇)の ”実業家上がりの大統領” による施策への不満が爆発しての事と言われています。
巨大企業と富裕層優遇政策への不満が積もりに積もった形での今回の出来事でしょう。

この、企業と富裕層優遇の流れは、決して一国のことではなく世界的時流なんですね。
日本でも同じ様な施策を見る事ができます。

そうした流れに対し、今までの日本人であれば自分から率先して不満を口に出したり、ましてや行動に出ることは稀で「誰かがなんかしてくれないかなぁ・・」と思いつつも何もせず聞こえないところで愚痴っているのが日本人だったように思うのです。

そして空気を読みつつ、その流れに逆らわずに流れて(流されて?)きた。
確かにこの点から見ると臆病者で覇気がなく、体制の言いなりになっていたかもしれません。

でも今は少し違ってきている様に感じるのです。

諦めムードで、俯いて「誰かにやってもらいたい」と思う前に、もうそんな事どうでもよくて興味がないから気にも留めない。
自分の世界に意識を向け、内向きの居心地の良さを追求し始めた様に感じています。

結果として国家としてのまとまりが薄れて行き、一人ひとり自分の世界の中に入り、自分というコミュニティーに帰属し始めたと見ることも出来るのではないかと思うのです。
とすると、これは逃げでも諦めでもなく「本質の追求」に向かい出したのかも知れません。

「国家の愚策によって国民が虐げられてきた」
これを暴力で元に戻したり不満を破壊的な行為で表現する事の方がより「扇動される国民」でしかない様に思うのです。

もしかすると、簡単に怒りの火が付きやすい人々を、どこか見えない裏の方で「ニヤリ」と見ている ”何者か” がいるかも知れません。

例えばメディアで新しい店舗やショッピングエリアの情報が流されたり、美味しいお店が紹介されると行列ができる。
そうした扇動には簡単に乗りますが、政治的なスキャンダルや失策に関しては牙を剥くほど怒りに燃えない様に見えます。

前者のような新店舗やグルメ紹介の誘導に乗ったとしても、その内容は極めて平和的で楽しい情報です。
でも後者のように胸が苦しくなり危険な匂いのする事には煽られません。

むしろ愚策を行えば行うほどに、国民が国家への依存から静かに離れて行き、個として生きる道を選んで行く。
そのほうが体制側にとっては脅威なのではなかろうか、なんて感じたりもします(深読みし過ぎ?)

簡単に言えば「大切な事、信じる者」は自分自身と自分の身の回りであり、大きな力に頼ることはしない。
「管理からの離脱」が起こり始めているのかしら、なんて事感じるのです。

18世紀のフランス革命は市民による凶暴な血の革命よって国家の形が変わった様に見えますが、ではその後フランスは楽園になったかと言えば・・・
ブルジョワジー(資本主義)の台頭を許しヨーロッパ一屈指の軍需大国であり、武器輸出を積極的に国策として行っている。

結果としてあまり変わっていない国の様に見えるのです。

本来の革命や改革、変容や進化は外力や暴力では何も変える事は出来ず「個としての自分」の中での変革こそが外の世界を変えて行くという事。
そしてそれこそが宇宙的真理であるという事に思い至るのです。

そして「直ぐに発火する怒りの導火線を持つ者と、いくら発火を煽ろうともそれには乗らない者」
この点も、更に今後それぞれの個人が希望する未来への道の違いとなって行くのだと感じているのです。











by farmemory | 2018-12-05 00:05 | ・意識の自立と進化 | Comments(0)

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幼子を育てている時には母の顔
子供が自分の明日を決め始めた日からは女性の顔

子供が自ら生きられる日まで糧を運んでいた時は父の顔
子供の一人歩きを見送ってからは男性の顔

パートナーとの静かな日々に戻るもよし
心震わせたあの日を思い出すもよし
振り返ることなく前に進むもよし

畳んでいたその羽を広げることを自らが許可します

何をしようか
どこに行こうか
誰と出会うか

母と父であった自分への労いと
尊厳ある翼の再生に祝福を











by farmemory | 2018-12-03 01:08 | ・意識の自立と進化 | Comments(0)

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私たちはこの人生を始める前、まだ母の体内に宿る遥か前に、多くの約束を自分自身にしてきました。
人との出会いも、体験する様々も、見聞きする全ての事象も・・

そしてすれ違う風景も、街ですれ違う誰かも、何一つ偶然はなく皆自分の人生の舞台を構成する大道具小道具です。

でもその約束は単に体験する事象だけが必要な訳ではありません。

自分が約束して(願って)きた青写真は、行動や出会う相手、体験する困難や喜びにより自分の中に何が生まれ、何が湧き上がって来たかを知ることの方がはるかに重要なことなのです。

様々な体験をすることにより、自分自身が何を知り、何を感じ、何を理解したかが重要で、それこそが(離れて行こうとしている)3次元での大切な青写真だったと言えるのです。

そう考えると、出会う相手が違っても、同じ感情や同じ思いや、同じ感覚を得られる相手であれば、その相手を限定する必要もない場合もあります。

ただしこれはあくまで考え方ですので、多くの場合共に生きる相手や家族、友人知人ももちろん偶然の出会いではなく、生まれる前の魂の青写真に沿って出会って行く人々であることに違いはありません。

今回お話ししたいことは、青写真をなぜ決め、そそこにどんな目的があるのかを知っていただくためのお話です。
でも可能性としては十分あり得ることでもあるという事も覚えておいてください。

これはタイムラインの選択や時空間の歪みによって、今から先、人は別の次元の道に進む事もありえます。
そしてその選択も道が変われば出会う相手が変わる可能性もあります。

例えばある出来事に挫折を感じ、その理由が誰かに裏切られたとします。

その時人は
なぜこんな目にあうのだろ?
なぜあの人は私を信頼を裏切ったのだろう?
その出来事は一体何を自分に伝えてくれているのだろう?

そんな事が心に浮かんできます。
そしてその体験によってもたらされる様々な感情こそが、魂の青写真のとても重要な部分なのです。

とすると、自分を裏切る相手が別人に変わったとしても「裏切られ挫折する」と言う部分の変更はなく「感情の体験」としては約束を果たした事になります。

仮に生活に困るほどの裏切りを受けたとしても、生活に困る事以上に「裏切られた」と言うショックが自分にとって大きな衝撃であれば、出来事自体は二の次になります。
魂の青写真は、確かに人生のスケジュールではあっても「出来事」以上に、その体験がもたらす精神面へのインパクトスケジュールの方が大きなウェイトを占めるのです。

この点はカルマ(因果律)と同じ解釈なのです。

例えばAさんは過去世でBさんを裏切ったとします。
これを因果律(カルマ)に当てはめる時、思い違いをする事があります。

今回の人生ではその反対でBさんがAさんを裏切る、そんな風に思う事もあるかもしれませんが、その点が思い違いなのですね。
裏切ると言う行為のリターンでは無く、裏切られた事で受けるショックや痛みが重要なのであって、そのカルマのリターンが必ずしもBさんからである必要はなく、CさんでもDさんでもいいと言う事になります。

このお話はあくまで青写真が何をスケジュールし、そのスケジュールの目的は何かを理解するためも例えとして受け取っておいてください。

   ・

自分と共に進む人、共に時を過ごす人はかけがいの無い相手です。
そしてこの人生を選ぶ前、お互いこの人生で「どんな役割で、どんな立場で、でどんな条件下で」出会うかは既に約束してきている筈です。

でも、生まれ出た時人はその約束を「全て忘れる」と言う項目にOKのサインをして来ましたので、偶然を感じてしまうのですね。

今3次元の地球は次の次元に変容しようとしています。
その時には「忘れる」と決めた約束もまた、解除されてくると思います。

「あ!この人知ってる、初めて会った人だけど知ってる!」
そんな感覚が起こる頻度が高くなってくるでしょうね。

そして、それが進んで行けば、何を約束してきたのかも理解できてくるでしょう。
今、目の前にいる大切な人との魂の青写真も、近い将来思い出せる時空間に入って行く筈です。

そしてこれから出会う新しい出会いでは、その約束を知った上での出会いになるのかもしれません。
だったら面白い事になりますね。









by farmemory | 2018-11-20 00:17 | ・意識の自立と進化 | Comments(3)

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前回からの続きです。

よく頑張ってきた自分に安らぎと労いの言葉を贈ってあげることはできた。
さて、ではこれからどうしよう?

その前に次へのステップに入るその前に、心しておく事があります。

どこに身を置き、何をし、どう生きていようと、ますは自分自身を非難したり評価を下げたりする事だけは避けてください。

自己批判や、自虐的な意識は、例え仮面の社会を知ったとしても、次のステージに向かう時には不要なもので、時には足かせにもなり得ます。

魂の使命とは離れていると感じる自分にダメ出しは不要な事です。
生きる為致し方なく頑張っている自分に「本当によく頑張っているね」と言って上げなければ、自分の存在自体が無意味になってしまいます。

使命に進むために不条理な社会に足を踏み入れただけの事なのですから、自己批判は不要なんです。
大切なことは「理解」し「気がつく事」なんですね。

「ああ、そうなのね、自分がいる組織や社会って、こんなだったのか。ふ~~ん、なるほどね」

これだけでいい事なのに、人は得てして「襟を正さなければ、正義感を持たなければ」という、大して意味の無い謹言を自分に言い聞かせようという厄介な癖があるんですね。

「いつでも正しく生きるべき、人のために役立ち人に評価されるべき、常に自己批判を忘れるな」
これ、実ははある意味マインドコントロールなのかもしれないのです。

「正しい人、清廉潔白、人格者」
そういう人になるって、社会的に従順でルールを守る人ということですよね。

では今の社会が本当にまともで、そこで従順でいる事に誇りが持てる社会なの?
社会のルールはなんの目的で、誰が作ったの?
その社会ルールに従うことにどれほどの意味があるの?

人を傷つけ、引き摺り下ろし、踏みつける社会って気がついたのではないのですか?
ならば社会基準に従う人間でいることにどれほどの価値があるかは言うまでもない事ですね。

「ふ~ん、そういう会社だったんだね、それは興味深い」
そんな達観で、家族を守るためだけに対価をもらってお家に帰って家族と楽しい日々を送っていれば、そこに社会に翻弄されない自分が見えてきます。

自分は命がけで海を渡って子育てをしているツバメなんだと思いましょう。
ツバメたちは、子供を育てることだけが興味の対象、自分の仕事がどう評価を受けているかなど関係ないのです。

早い話、現行の社会の中での「仕事」に使命と呼べるものがあるのかな?と言う事でもあるんです。

でもこれはまあ、かなり極論。
もちろん仕事(対価をいただく事)と使命が一致しないのかといえば、そんなことはありません。

肝心なことは、どんな仕事をしているかではなく、すごく単純なことなんですが「その仕事を楽しんでいる?」その一点でしょう。
他者には分かりかねる事ですので、それはご自分に聞いてみてください。

「もう今の仕事が楽しくて楽しくて、毎日心はニッコニコ」
ならば、その人は使命の一つを果たしていることになるんです。

そうなんです、仕事という「行動」自体が使命なのではなく、何をしていようと自分に偽ることなく居られるかが、使命を果たしているかの重要な事なのです。

自分を偽っているとしたら、どれほど「人のために」と言おうと、人が評価しようと使命ではないということなんです。

仕事では毎日辛いし、ストレスがある。だとしたらその仕事は魂が約束してきた使命とは少しばかり違う。

でも趣味の世界にいたら、もう時間の経つのも忘れて心がニッコニコ。
なら”今”はそちらの方がより使命に近いのだと言う事なのです。
「今」はと言ったのは、これから先の使命はまた変化するかもしれないからです。

私たちは生きています、そしてこの地球からからこの体を借りている地球の子供達です。

そのためにすべきことは、自分の中に生まれるエネルギーを地球に還元する事なんです。

ストレスを産めば、自分自身を傷つける事になり、何よりお母さんである地球をとても悲しませてしまいます。
ご自分が人の親でしたらお分かりになると思います。

自分の子供達にどうあってもらいたいと思いますか?
世界中の子供達にどうあってもらいたいと思いますか?

ストレスに押しつぶされて、自分自信を非難し、自分自身を傷つけ、自分自身の存在なんかなくなってしまえばいい。
そんな子供達を見たらどうでしょう。

お母さんである地球は、私たち人類皆等しく可愛い子供達、そのおかあさんの思いに報いることも、きっと使命の一つになると思うんです。

とても観念的なお話のように聞こえるかもしれませんが、私たちはエネルギーで成り立った存在です。
そしてエネルギーを生み出す存在でもあります。

どんな種類のエネルギーを生み出す自分でいるかが、とても大切な「使命」なのです。











by farmemory | 2018-09-14 00:05 | ・意識の自立と進化 | Comments(1)

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自分はなんのために生まれてきたの?
自分の使命は何?

これを、仕事と繋げて考えたり、答えを出そうとしてもグルグル回って答えが出ないかもしれません。

私たちが生まれてきた大きな理由は、もちろんこの3次元世界でのいろいろな体験学習をするため。
それは「使命」ではなく、自分進化のためです。

じゃあ使命は?

今の社会は経済社会です。
経済社会はお金をたくさん稼ぐことが、まず一番に優れた事と評価されます。

古い企業人の中には、自分の仕事がどれほど社会に貢献出来ているか、その働きがどれほど人の役に立てるか、その点をビジネス面以上に目標にした方たちも多かったと聞いています。

でも今の企業理念は、どれ程人の為になれるかと言う言葉の前に「戦って勝ち取れ!人の隙をついて先にかすめ取れ!環境保護は企業イメージのためのリップサービス!」そんな暗黙の強制力を持っています。

ビジネスチャンス、ターゲット、企業戦略、保護主義、貿易摩擦、優先順位、評価、成果と結果、主導権、競合・・・

そうした言葉を日常口にする社会の中に、生まれる前に決めてきた ”天の摂理” に沿った「使命」が本当にあるの?
またデスクに座って、事務処理を行っている自分が、魂が決めてきた使命に向かっているのだろうかと疑問に感じる事もあるかもしれませんね。

でも、だからと言って生きるために仕事をすることを否定しているのではないのです。

仕事をする事は、この3次元の一つの側面ですので、社会に生きる為には受け入れなければならない事でもあるでしょう。
「社会って何?なんのために存在し、なぜ自分はそこに身を置いているの?そもそも社会の意義ってなんなの?」

それを知りたいと思ったのであれば、その早道が「就労」(自分から社会に飛び込むことです)です。

でも「仕事」に疑問や辛さを感じた時、そこに「仕事」の別の一面(自分にとっての役割)も見えて来ますね。
組織や社会の一員となれば、嫌でも半強制的な社会生活や社会的付き合いが始まることになります。

就職したばかりの時は希望とやりがいを持って取り組み始めた事でしょう。
そしてそのまま疑問もストレスもなく、職場や仕事を自分の居場所として充実し定年を迎える人もちろんいるでしょう。

ところが中には仕事を続けて行くうちに、漫然と日々を送りながら、でも「なんか、よくわからないけど、自分の毎日って何?」
と思い始める人もいるかもしれません。

そうすると、仕事にエネルギーを使っていることに気が抜けるほどの無意味さを感じてしまった、なんて事もあるかもしれませんね。

また自分が参加している会社や組織の理念が、自分の心の奥底の思いと乖離していることに気が付いたり、経営者の入れ替えによって大きくズレてしまったりすることもあるかもしれません。

そこで人は自分自身との「生まれる前にした約束」「魂が希望する人生」を果たすための試練にぶつかる事になります。

疑問に思いながらも、一方で家族を養い社会人としての生活を守る為、日々就業を続けている。

そして時には仕事で成果を上げ、結果を出し、スキルを身につけて社会人としての価値も上げて行く事もあるでしょう。
そうした日々の中には「自分は責任を果たしている」「人に認めてもらえる結果を出せた」と言う達成感や心地良さを感じることもあるでしょう。

でもそんな日々の中で、なぜか分からないまま心の奥がざわつき「本当に自分は満足しているの?」なんて心の声のようなものが、ふとした瞬間に聞こえた気がする。

そんな経験あるって人もきっといるのではないでしょうか。

利潤ファーストの資本主義社会の社会人としての自分。
片や、誰にも、何にも、遠慮せず(長い物に巻かれることなく)拘束を受けていない本当の自分。

その矛盾した辻褄の合わない日々の中で葛藤が始まり、その流れに入り始めてしまうと、確かに苦しさ感じ始めるのではないかなと思うのです。

でも、だからこそ身を以て社会(その仮面の裏に隠された本当の姿)というものを知る事になる訳です。
そして仕事に就く事によって「仮面の社会」の本質を理解し、なぜそうした社会に世界は向かったのかを知ろうとし始めるのです。

そして、そこに辿り着いた時、自分自身にこんな問いかけが始まります。

「社会というものがどう成り立っているかを知ったよね?」
「そんな社会でよく頑張って生きてきたね」

そしてその問いかけの先に、使命を知る手がかりが光り始めてきます。

続く











by farmemory | 2018-09-13 00:09 | ・意識の自立と進化 | Comments(0)