カテゴリ:・ハイヤーセルフ・天使・ガイドたち( 6 )

**見えること、見えないこと(2)**

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私のワークショップに「夜間観測」というカリキュラムがあります。

簡単に言うと、夜間空を飛ぶ高次元の存在やスペースファミリーを観測、観察すると言うワークショップです。
まあ、そんな大げさなことではなく「わぁ~あれなんだろう!?」と言って面白がるイベントなんですけど。

でも彼らが見えたからと言って、でもだから何なのでもあるのですよね。

だって、彼らの存在はすでに否定しようのない事ですので「いま目の前を子猫が通り過ぎた」と言う事と何ら変わらないんです。

でも猫に興味のない人なら、そこに猫が歩いていても気にも留めないでしょう。
逆に猫が好きな人にとっては、猫が歩いていただけでもすぐ目を向けてしまいます。
(ちなみに私も猫大好きで、実家にいた時にはたくさん野良猫拾って来ては家の人に怒られていました)

そう置き換えれば、彼らが空を飛んでいたってなんの不思議でも無いのですよね。

さて、そんな空を行くスペースファミリーに、とても興味がある人が一緒にいれば
「ほらあそこ!」
「あ!ホントだ、わ~い」
ですね。

また、彼ら高次元の人々やシップ、エネルギー体などが見える人と見えない人もがいます。

これは他界した父の話ですが、彼が若い頃、東京の市ヶ谷と言う所に勤めていた時期があり、終業後同僚数名と駅に向かっていた時の事。

市ヶ谷駅にはホームに並行して旧江戸城の掘(外堀)が残っていて、そこに緑が植えられた斜面があります。
父が何気なくその方角を見ていた時、いきなり上空から銀色に光る平べったい円形の何かが降りてきたのを見たそうなのです。

そこで一緒にいた8名ほどの同僚に「あれはなんだ!」と指をさしたのですが、そこに居た8名のうち3名の人には見えたのですが、残りの5人の人には全く見えなかったそうなのです。

これは、前回お話しした「周波数」の違いで見える人と見えない人に分かれたと言う解釈でいいと思うのです。


ところが・・・

見えているのに見えないと言う人が意外と多いと言う事に最近気がついたのです。

また、見えていることを、何か別のものにこじつけて「未知のもの、不思議なもの」であることを受け入れず「なかったこと、なんでもないこと」もしくは「誰にでも理解の出来る普通の事」に置き換えて終わらせようとする人が結構たくさんいる様なのです。

またもう一つの恐れは、自分が持っている(基準としている)価値観や常識、知識や概念のかなり主要な部分が崩れて行く様に感じ、自分そのものの否定につなげてしまう事もあるのではないかとも思うのです。

単に「受け入れれば良いこと」なのだと思うのですが・・・

先日セッションに来てくださったクライアントの方から、そうしたお話を聞かせてもらいました。

その方は、一緒にいた知人の方と不思議なものをはっきりと見ていて、しっかり確認してもらったと言います。

「ほら、あれ何?なんだろう?」とその人に問いかけると
「本当だ、何あれ」

と言った直ぐ後に「私見たけど、見えなかった、見えないことにする」「何もなかった」
と言ったそうなのです。

このお話、私も初めてではなく何度か同じ様な反応をする方に出会ったり、そんな話を聞かせれることも幾度かありました。
最初の頃は「なんでこんな反応するの?」と思っていたのですが、最近それがようやく理解できて来ました。

「怖い」のだと。

未知のものや理解を超えるもの、自分が知らない説明の付かない事は、漠然と怖くなるので「無かった事にして、終わらせる」と言う方法を取っているのだと分かったのです。

人にとって一番の恐怖は何と言っても「命」にまつわる事です
それに次いで「未知なもの、想定外の出来事、理解を超えるもの」に対する恐怖を人類は持っているのですね。

かつて私も、そうした人に出会った時は「目の前に示しているのに受け入れないってなんなの?」と感じたり、なんて傲慢な人だろうと思っりした事もありました。
でも徐々にその理由が「恐れや恐怖」なのだと分かって来たのです。

今までと違う「未知や不思議」に触れた時、先ずは強い興味を示す人と、不安や恐れが先行してしまう人に分かれる様なのですね。

そして不安になる人の中には自分に「なかったこと、見なかったこと」と言い聞かせ、その話を強制的に終わらせようとする人もいる様なのです。
そう理解すると「見えているのに(証拠を示しているのに)なぜ受け入れないの?」という疑問の答えが一つ見えた様に思います。

これは社会体制の変化、現状や伝統、継承から離れることを極端に避け「今まで通り」に固執しようとする意識と同じなのかもしれません。

今の状況を打開するために、変化を受け入れるくらいなら(未知の道に向かうくらいなら)今まで通りでいいから自分が理解できる「知っている」世界に居続けたい、という事なのかもしれません。

これ、見えているけど見えなかったことにする、によく似ていいますね。

今、変化は待った無しで始まっていますし、これから先どんどん変化が増してくるでしょう。

もし身の回りの変化に戸惑いを持つ人がいたら緩やか~に「気楽に変化を受け入ても大丈夫なんだよ、怖くなんかなよ」って言ってあげてくださいね。
でも、無理矢理に聞いてもらおうとはしないでください、皆一人一人自分の「受け入れ態勢」の準備をしている筈ですから。


「知らない世界への道」を地球は既に歩き始めているはずです。











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by farmemory | 2018-06-25 00:08 | ・ハイヤーセルフ・天使・ガイドたち | Trackback | Comments(0)

**見えること、見えないこと(1)**

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高次元の存在を私たちは日頃あまり目にすることはありませんし、そう簡単に目にできるわけではありません。
ただ彼ら高次元の人たちがとても少ないから目にすることが無い、と言うわけではないのです。

彼らはいつも、どこにでも存在しています。

そんな何処にでもいる彼らを見ることができないのは、単に私たちの持つ周波数の違いからなんですね。

犬笛ってご存知ですか?

その笛の音はとても高い音で、その笛を私たち人間が聞いていても「聞こえない」のです。
でも犬にはよく聞こえる。

これと同じで、目に見える高い周波数の存在を、低い周波数しか持たない私たちは「そこにいる」にも関わらず彼らを認識できないのです。

で、見えなくても聞こえなくてもそこに何かある、誰かがいると言うことを感覚で感じ取ることがありますね。
こうした五感を超えた感覚は、まさに高い周波数のセンサーなのだと言うことなのです。

今、地球と人類が徐々に周波数をあげてきていることから、今まで見えなかった・聞こえなかった・気がつかなかった事が、徐々に理解できてきています。

見える聞こえる、と言うこの2つは五感ですが、自分自身の周波数が上がれば視覚も聴覚も同時にセンサー能力が上がって来るでしょう。
でもそれだけではないんです。
「気が付かなかった事」が「気が付いてくる」
それも同じように周波数によって変化して来るのですね。

よく、高い次元に進んで行くと嘘が付けなくなって行くと言われていますが、付けないのではなく、嘘が簡単にバレてしまう。
つまり「嘘が見えてしまう」のですね。

今までの周波数帯に多くの人がいた時には、誰かがその周波数帯の中でデタラメなことをしていても簡単に人を騙すことも出来たかもしれません。
でも皆なの周波数が上がってくると、それを見聞きしている人が「嘘でしょ、それ」って簡単に分かってしまうのですね。

これ、見えないものが見えて来るのと同じなのです。

根拠やエビデンス、論理や知識を借りて相手の嘘を見破ると言うローテクではなく、相手がどんなに理路整然として隙のない論理武装をしていようと、感覚的に「それはホントじゃないですよね?」と感じ取ってしまう訳です。

最近、一生懸命に自己正当化しようとあの手この手で詭弁を使って逃げまくろうとしている立派な大人たちがいますが、今まではそんな詭弁を、人々は詭弁と気がつかず、丸め込まれていたかもしれません。

でも周波数の上昇によって「何、その子供じみた嘘は」と言うことがすぐに分かってしまうのですね。

で、今まででしたら、それが嘘と分かると、それに対する批判や攻撃をする事もあったでしょう。

でも周波数が上がってきた人にとっては、そうした嘘が分かっても、それに対する過度な反応はしなくなり、静かにその場を離れて行く事を選ぶ人が増えて来ているように思うのです。
とても平和的ですね。

高い周波数の次元に行く人にとっては、低い周波数に留まる人が薄れてくる可能性もあります。
文字通りその存在が見えているのに見えていない状態になっ行くと言う事です。

「半透明になって、そのうち見えなくなるとか?」

そう言う解釈もあるのですが、その前に相手に対する興味が徐々に薄れて行き、自分から(あるいはお互い同士)コンタクトを取らなくなって忘れ去って行く状態も同じ様に「見えなくなって行く」と同じ事なのかもしれません。

これが最初にお話しした「いるのに見えない、見えなくなって行く」と同じなのです。


でも、決定的に違う事もあるのです。
低い周波数から高い周波数は見えない、でも高い周波数から低い周波数は見えると言う事です。

小学校1年生には大学院の勉強は理解できないけど、大学院生は小学生の授業は簡単に理解できる(見える)と置き換えると分かり易いでしょうか。

で、大学院生が小学生の授業が見える(理解できる)からと言って、じゃあその授業に食いつくかといえば、それは無いでしょう。だってもう自分のものになって居るのだから、すでに興味の対象外になって居ると言う事なのです。

でも、デタラメを行なって居る人を見て、そこに不信感や怒りを感じたりすると言うことは、その相手の周波数帯に自分も止まって居る、もしくは引き摺り込まれて居ると言う事でもあるんですね。

「見えて居るけど興味ない」これが高次に先に進む人の有り様なのだろうなと思うのです。

でも、見えて居るけど目を向けないようにすると言うことは全然違うと思うのです。
「見ないようにする、目を背ける」は「無理してそうして居る」になりますね。

見えていても特に感情も変化なく、興味の対象ではなくなって行く。
これが3次元教室のカリキュラムを終えて卒業する人の姿かもしれませんね。











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by farmemory | 2018-06-23 00:04 | ・ハイヤーセルフ・天使・ガイドたち | Trackback | Comments(0)

**一乗院のミカエル**

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先日、クライアントさんから興味深い画像をお送りいただきましたのでシェアします。

今年のお正月に茨城県那珂市にある毘沙門天が祀られている一乗院というお寺さんに行かれた時の画像とのことです。

上の画像は毘沙門天の上を飛ぶ、擬態航空機と思われる機体です。

ご本人は、この航空機を目視で確認して撮影されたということですが、半分くらい透明になりかかっていますね。
ほぼ間違いなく擬態でしょう。

その後にその航空機を追いかけて更に写そうとされたようですが、見失って空だけを写したということです。
ところがその後お家で、その空だけの画像を確認したところ、2枚目のようなものが写っていたと言うことです。

ご自分では何かがわからないけど
「何でしょう?」
というご質問とともにお送り下さいました。

すぐに、単なるレンズの汚れやほこりなどではなく何らかのエネルギー体だと言うことはわかりました。

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(下は部分拡大)

最初プラーナエネルギーが写り込んだのかなと思って眺めていたのですが・・

「いや、これプラーナじゃないな」
そう感じて、更に眺めていたら、いきなり「エンジェル!」と響いてきました。

このお寺さん、毘沙門を祀っているのですよね。

で、「ああ!毘沙門(ミカエル)」のエネルギーだ!

ってわかりました。
たくさんの白い点が、たくさん写っています、ばらけていますがミカエルのエネルギー体に、ほぼ間違いないと思います。

ミカエルが、このクライアントさんに言葉にならないメッセージを送ってきたんですね。
最初に擬態航空機を見せ空に注目させ、その後に空を写させて、自分のエネルギーを(カメラを通して)目で確認させた。

そう言う小粋なやり方ですね。
やるね、ミカエル!

   ・

ちなみに、日本でミカエルの一番強いエネルギーが降りているのが(私が知る限りですが)京都の鞍馬寺です。
ここには毘沙門天が祀られています。

また、ご存知のように鞍馬には天狗がいますね。
天狗は、宇宙からやってきたという伝説もありますが、それを辿ると地球外生命体なのだろうと思います。
ただ、あの姿の天狗が一人でやってきたというより、あるグループの総称でしょう。
今度しっかり彼らにコンタクト取ってみようと思っています。


さて、仏である毘沙門天は、仏教界で「天部」と言う次元に存在しています。
帝釈天に仕え仏教帰依の衆生を守護をするとされる仏です。

方やミカエルはキリスト教でグランドエンジェルとされ、天使界と言う次元の存在です。
どちらも「天」なんですね。

そして双方ともに
「甲冑を身につけ、手には剣(もしくは鉾)を持ち、かたや天邪鬼を踏みつけ、かたやドラゴンを踏みつけている」

よく似た構図として描かれています。
毘沙門もミカエルも同じ存在で、天部もしくは天使界と言う高い次元に存在する、私たちよりも遥かに高い次元の先輩たちなのです。


でも「天」の名を冠しながらも、とても厳しい方です。
常に私たちに寄り添いながらも、私たちを決して甘やかすことはしません。

そしてどのような体験(それがどれほど厳しく辛くとも)であろうと全ては自分が自分に仕向けた、進化を促す体験だと言うことを伝えてきます。

そして「誰にも頼らず自分の力で進むよ!」
そう覚悟した時、私たちに目に見えない「ミカエルの剣」を、意識下で手渡してくれるのです。

今までにも、個人セッションでの覚醒誘導でこの剣を受け取られた方がたくさんいます。

みなさん一様に
「毎日なんだかんだとシビアだけど、グダグダ言ってる暇ないね。前に進みます!」

そう覚悟を決めて、見えない剣を胸に自分の戦いに戻って行かれます。
そんな方達にお会いすると「本当に素敵だな~」とシミジミしてしまうのであります。













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by farmemory | 2018-01-31 00:20 | ・ハイヤーセルフ・天使・ガイドたち | Trackback | Comments(0)

**目の前にいる天使たち**

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先日地下鉄の駅で見かけた何気ない日常の光景。

先日地下鉄の新宿駅で電車を待つある若いファミリーを見かけました。
とても優しげなお父さん。ず〜っとにこやかなお母さん、
どちらも30代前半くらい?

そして2歳くらいの女の子。

本当にどこにでもある、普段なら気にもとめない光景。

その時父親を見ていてふと感じたことなのですが、彼から受ける印象の中に、社会人としての覇気のようなものが全く感じられなかったのです。
つまり「戦う人、戦う男」ですね、その感覚が皆無だったのです。

どちらかといえば、社会人としての信用度という面からは、あまり高い評価を受けない人だろうなと・・・

離脱はしてはいないでしょうが、社会というものからある程度の距離を彼は取っているなと、直感的に感じたんですね。

またお母さんは、夫が社会人として頼れる人であろうがなかろうが、彼女から不安やイラつきのようなものが全く感じられなかったんです。

もちろんこの家族がどんな暮らしをしているかは、見てきたわけではないので、私の勝手な思い込みかもしれません(でも確信のようなものはあったんですけどね)

彼らに社会人としての評価について私が感じたことを伝えたら、彼ら自身がどう思うかはわかりません。
でもそこで強く感じたのは、この家族が社会の拘束から離れ、とても自由に生きているんだろうなと言うこと。

普段なら気にも留めないことなのでしょうがこの時
「もしかしたら彼らは別の次元から来た人?」
とさえ思えたのです。

彼は社会の不条理と面と向かって戦うことを避け、覇気がないと言われることを甘んじて受け入れている人なんじゃないかなと、そう感じたんです。

戦わずに家族と安らかな日々を送る。
「いいよね〜〜」

実は私自身この日少し「ムっ」とする事があり、心がトゲトゲしていたんですが、彼らがその棘をすっかり抜き去ってくれました。

まるで、天使のようにさえ感じたのです。
今この記事を書いていて「いや、きっとそうだったんだ!」って思い始めています。

なぜなら確かに彼らは私の中に安らぎのような、癒しのような思いを湧き上がらせてくれたのですから。

こんな何気無い日々の中に天使やガイドたちが、人の姿をして私たちの前にホログラムとして現れてくれるのかもしれませんね。

   ・

少し話が飛びますが「戦う」という事でスピンオフ的に・・

ずいぶん前のことですが坂本龍一さんがこんな事を口にした事を覚えています。
(正確な言葉ではありませんが、ニュアンスとしてこんな感じのこと)

「社会の不条理を自分は感じているんだけど、社会に面と向かって攻撃的にそれを口にしない」
「だって怖いじゃない、はっきり言ったら」
「でもその代わり、音楽に乗せて、判りにくく自分の思いを伝えています」

それを聞いて思わずニヤニヤしてしまいました。

自分の出来る範囲内で「無理せず」自分を表現していけばいいって事なんですよね。

オホホホ









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by farmemory | 2017-11-25 02:18 | ・ハイヤーセルフ・天使・ガイドたち | Trackback | Comments(4)

**アゲハ蝶が教えてくれる**

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自分の思いや考えを確認したい時ってありますよね。
誰かに判断してもらいたいって時もあります。

先日もあることを思って、その判断はどうだろうかな?

なんてことを思っていると、どう考えてもありえないように都会のど真ん中、たくさんの人が行き交う渋谷の雑踏、人混みの真上をなんどもなんども何種類かのアゲハチョウが飛んで来ては、離れて行くのを目の前で繰り返し見ました。

そうなんです、私の場合いつも黒っぽいアゲハ蝶なんですよね。

これは私にとっての「判定」として受けてめています。

他には・・
そうですね、視界の端の方に「キラリッ!」と小さな光が見えることがあるんです。
これも判定として受け取っています。

皆さんもそういうことありませんか?

私は疑問や考えを口にすることは多くはありません。

じゃあ誰に聞く?
はい、自分自身にです、自分のハートに問いかけるんです。

すると、少し間を置いて蝶々や小さな光が答えてくれると言う経験が何度もあります。
これ、ハイヤーセルフが蝶や光に姿を変えて、にこやかに答えてくれた、そう信じて疑いません。

先日もこれとは違う方法で答えが返ってきたんです。

あることを思いながら人通りの少ない道を歩いていた時、大音響のヘリの爆音だけが聞こえ、本体のヘリがどこにもいないのです。
で、上空を探していたら、視界の中に擬態らしき飛行機が3機同時に同じ方向に飛んで行くのが見えました。

「しょっしゃ!」

って思いましたとさ。









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by farmemory | 2017-08-30 00:00 | ・ハイヤーセルフ・天使・ガイドたち | Trackback | Comments(8)

**男鹿のなまはげに涙したお話**

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録画したまま見ていなかった秋田県男鹿半島の「なまはげ」を見ました。

見るからに素朴な、古来から伝わる暮れの風習で、おそらく日本人で知らない人はいない有名な神事ですね。
今までこの神事が一地域だけのものと思っていましたが、いくつかの集落ごとにそれぞれ特徴のあるお面があることを知りました。

この風習は節分に似て邪気を家から祓い、子供達の健やかな成長を願う、温かい想いから生まれたのですね。
日本各地の伝統や地域を扱うノンフィクション番組が好きで、最初は興味本位で何気なく見ていていたのですが、途中で涙が溢れてきました。

映像では、ある地域の青年(団)たちが、暮れの神事のため集まり毎年作る装束や、お面の手入れをしている姿は、気のいい村の青年たちと目に移りました。

しかし当日その面を被った途端、彼らはもはや彼らではなくなり、鬼神となって行きます。
これは何も、地域をリスペクトする文化的なセンチメンタリズムではなく、心底そこに神なるものが宿る瞬間を、映像でありながら目にしたと確信できたからです。

面を被った彼らが恐ろしげで大きな声を張り上げているからではなく、あの物静かな気のいい青年達が面を被った途端「神が降りてきた」と表現してもいい神々しさを放つのです。

本来この宇宙に「神」は一人、というか絶対神としての神が一つ存在しているだけです。
そしてその姿は、姿を持たない「意思、意識、概念」という目に移ることのない、実体のない存在です。

この宇宙そのものが神ですので、私たち一人一人も神の懐の中に、もしくは神の一部(細胞の一つ)として存在しています。
つまり神はそんじょそこらに八百万(やおよろず)おわしますのではなく、この世界全てが神という事です。
ではなぜ私たちはこうした人々が行う村の小さな神事に神を見るのでしょうか?

私たちが神の一部であれば、私たち自身も神の意志を本来持っています。

でも3次元を(それより高いどの次元も皆同じことなのですが)生きる人類が、完璧な神の意識に戻ってしまうと、ここに生きる理由がなくなってしまいます。

執着や煩悩といったややこしい意識を持つからこそ、逆に人の心の温かさや優しさに気がつくという「この次元に生きる意味」がなくなるということです。
私たちはこの面倒くさい次元を、自分から選んでここに生まれてきています。
そして自分の中にある神性を自らで封印してきたのです。

でも人が鬼神の装束をまとった時、その神事に従事する青年団の人達は、完全に日常から離れ、それこそ執着を持たない神の「意思」を思い出すことになります。

鬼神となった彼らは誇らしげに各家庭を周り、子供達を脅かして大泣きさせながら彼らの成長を祈り、老いた者たちだけで暮らす家に行っては彼らの身を案じ、その家の安らかなことを祈る。
彼らはその時、自分の事(エゴ)を天に預け神の使いとなるのです。

お面と言うものは時に自分を覆い隠し、本来持たない力を呼び込むと言われています。
古い映画ですがジム・キャリー主演の「マスク」もそのいい例ですね。



いつもは自分を隠す事なく生きてきた人が、一旦自分を隠すことができるお面(マスク)をかぶることで、いわば変装願望を満たすことになります。
そうするとこの次元では使う事を封印してきた力が呼び覚まされて普段の自分では有り得ない能力を発揮してしまうと言うことなのかもしれません。

でもこれってちょっと危なっかしいところがあります。
なまはげの面を被った青年たちは自分の願いではなく他者への祈りのためですね
これは「利他」です
ところが自分の希望や自分のために、見えない力を発揮すると言うことは「利己」な訳です。

神は全てですのでポジティブもネガティブも、そのどちらも持っています。
利他と利己、どちらがどちらのエネルギーを呼び込むか・・・
変身願望にはこの側面も持っているかもしれません。

神とは何?

その答えは「慈愛」そのものなのかもしれません。

でもこの愛は時に恐ろしいほどの厳しさを見せる事もあります。

ただただ優しい、温かいと感じるだけが慈愛ではないのでしょう。
実際神は私たち人類にいくつもの厳しい慈愛を今まで嫌という程見せつけてきました。

この番組を見ていて、古い古い時代、生死につながる厳しい生活を送ってきた人々が神に祈りを捧げてきた事を執着や煩悩と簡単に切り捨てられるものではないと思いました。

肉体の命はいつか尽きる時が来ます。

古来「死という反面教師」に怯えながらも1日1日を精一杯生きてきた人々が生み出したこの神事は、依存や執着心からではなく、子のため、村のため命を張って生きた人々の「誇り」なのだなぁと、重慶飯店の黒胡麻月餅をかじりながら番組を見て涙流ちゃった、というお話でした。

でも、観光用の人寄せ「なまはげ」や、バラエティ番組に出演する芸能「なまはげ」には、残念ながら本来の神を見ることは難しいのかも、かも。
私もある伝統芸能(と言うほどではありませんが)に足を突っ込んでいるので、なんとなく思うのです、そこんところ・・・

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by farmemory | 2017-04-27 00:08 | ・ハイヤーセルフ・天使・ガイドたち | Trackback | Comments(6)