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2019年 03月 05日 ( 1 )



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これから向かう高次元では「モノ」の役割もまた大きく変わってくるはずです。

今まで自分たちが生きるために様々な道具「モノ」を利用し、頼ってきました。

例えば農家の方が農機具を使うと言う部分では、今後も大きく変化する事はないでしょう。
物理的な活動は直ぐには無くなる訳ではありませんので、稲の刈り取りを鍬やコンバインが担当するという事は変わりません。

でも今後次元移行の過程で変化して行くと思われるのが「農薬」「化学肥料」と言うモノです。

稲は自然界で自生していたイネ科の植物で、その実を茹でて食べ始めたのが始まりです。
本来稲は品種改良で作られた様々な種類の元となる原種の「稲」が存在していてました。

原種の稲は文字通り自生していた野生種です。
でもその後、人類は品種改良を続け、全く新しい植物「米」を作り出してきました。

今後次元移行が進んでくると稲との会話が成り立つようになり、病気や不足する栄養素、日照不足に弱い稲の開発という部分に科学とともに「稲の声」をダイレクトに聞き取り対応して行く事になって行くように思います。

でもこれ、実はすでに今までも農家の方の中には作物の声を聞き取れる人は決して少なくない事でしょう。

「モノの声を聞き取る」

今あらゆる世界(社会)で、人類が持つ様々な能力の目覚めが次元変化に伴って起きて来るので、今後農業に関しても農薬や化学肥料という「モノ」の変化が、確実に起こって来ると思います。

これは農業に限らず私たちの生活面でも、もちろん変化は起こってくるでしょう。

少し話が移りますが、今リラ星の人々が遠くアンドロメダまで新しい地球に必要な植物の種を受け取りに行っていると話してくれました。

事によると、この植物の種子が今後の人類の食性に大きく関係してくるのでは無いかと思ったのです。

農薬を使う事は確かに病害虫の発生を抑制します。
でも農薬を使わなくても病気に強い植物が存在すれば、その時点で薬剤の有用性が消えて行くことになります。

それに焦りを感じる勢力がいるとしたら、それを阻止し農薬を使い続けてもらえるような管理されたひ弱な種子を農家に配布して行きたいと言う意図もあるのではないかと感じたりもしています。

でもきっと次元の変化は、そんな作為など意にも介さない強烈な進化を全ての生物に促して行くでしょうから、なんとなく楽観しています。

話を戻します。

一般に生活する人々にとっては「道具が無ければ商品が作れない、始まらない」と言う職人さんの世界とは違い、それほどこだわりを必要とする道具はそれほど多くは無いはず。

にも関わらず今私たちの生活にはありとあらゆる「モノ」が溢れ返っています。

シンプルライフとか断捨離とか、そうした意識面での見方でなくても、本当にそんなにモノが必要なの?
と考えれば、実際はそれほど必要でもない様々なモノに囲まれて生きていることに気が付きます。

そうした見方で必要最低限のギリギリまで減らして行くと、きっとずっとシンプルな生活環境になるでしょう。

最近ネット上でのフリーマーケットが勢いを増してきていますね。
そこでは「こんなものも売れるの?」と思うモノまで一般の方たちが取引をしています。

中には半分ほど使った洗濯洗剤を、輪ゴムで封をしただけの商品が売り買いされたりもしています。

必要な人にとっては「必要だし安いから買う」と言う、極めてシンプルな意識で取引をしているのでしょう。

ここにはその商品を印象付けるための「広告」が全く意味を持ちません。
つまり資本主義経済の牽引役である広告ビジネス(広告代理店)の入り込む余地がないのです。

パッケージデザインやキャッチコピーと言った(表層だけの)商品イメージに振り回される事なく、必要な物だけを手に入れると言う極めてシンプルな意識の台頭を感じるのです。

また中にはそうしたやり取りが、売買目的以上に一種のコミュニケーションツールとしての側面も持っているようなのです。

時にはそのコンタクト(やり取り)が進み、情報交換の場にさえなっているようにも思うのです。
例えば趣味の商品のやり取りから、情報交換が始まるとか・・・

ここには経済という側面以上に、顔を突き合わせてはいないものの、人と人との感情を持ったコミュニケーションが生まれてきます。
これ、よくよく考えると「市場(いちば)」に似ている気がするんです。

市場(しじょう)などと言う胡散臭い経済用語ではなく、人々が集い誰にもコントロールされない個々人同士のコミュニティーが生まれる本来の「いちば」がネット上で誕生し始める瞬間を目撃しているのかしら?
なんて、そんな風にも感じたりするのです。

モノが人と人とを繋げ、モノが情報交換としてのツールとなって行く。
それは、一部のマニアックな閉鎖された趣味の世界なんかではなく、日常誰でも使う「物」が持つ可能性を見る思いです。

道具としてのモノではなく、ステータスと言う無用の長物としてのモノでもなく、また人々に本当に必要とされた時、モノに「意志と感情」が生まれる気がしているのです。

これ「全ての物にも魂が存在する」と言う古いネイティブアメリカンの概念「マニトゥ」だ、なんて思うのです。

次回に続く。










by farmemory | 2019-03-05 00:00 | ・新次元への道 | Comments(0)