**どのユニフォームを着ますか?**
魂が神の横、魂の座にいるときには真のワンネスであり、区別のないグレートワンとして存在しています。
そんなある日ひとつの魂が神の承諾を得て3次元の地球に転生したいと願いをだしました。
○「次は3次元の地球という世界に生まれてみたいと思います」
すると神はそれを承諾し
●「お前は何になりたいのだい?」
○「お皿になってみようと思います」
●「お皿になって何を体験したいのだい?」
○「陶工の人に土をこねてお皿〔自分の体)を作ってもらいその中に入ります」「そしてお皿になるとはどういうことなのか、人の役に立つとはどういう事かを知りたいのです」
●「そうか、それはいいね、ではしっかりお皿としての体験をしておいで」
お皿になると決めた魂は、神様の許しを得て、晴れてお皿として3次元の地球にお皿として生まれ出てきます。
さて、お皿には種類がありますね。
庶民が日常使う、民具としてのお皿。
茶の湯や、通人が大切にする湯呑や花器。
美しさや華やかさを演出するための飾りの役割を持つお皿。
それぞれに役割が違います。
お皿の魂も、きっとそれぞれのお皿がどんな扱いを受け、どう使われ、そんな思いを人間たちが自分に向けてくれるかもその興味の対象なのでしょう。
さて、お皿に入る魂と人に入る魂、私たちはそれを同じ目線で扱うには少し戸惑いがあるかもしれませんね。
「人間とお皿の魂が同等で、しかも同じ価値を持つの?!」
そう、魂自体の価値はお皿に入ろうが人の体に入ろうが、神の御座所にいる時には魂だけの存在ですので、それが等価値ということは理解できるでしょう。
でも一旦「何か特定のモノ」に入った段階で、人の価値判断でそれが等価値と受け入れるのに抵抗が生まれてしまうかもしれません。
それでもやはり魂は等価値なのです。
お皿という体験をしたいと願う魂。
人として生まれ、地球人類という体験をしたいと願う魂。
この両者にはどれほどの違いもないのです。
さて、それでもこの3次元に入る魂はお皿や人間に入る段階で、ストレートにそのモノにスルリと入るわけではないようなのです。
お皿に入るときにはお皿の、人間に入る時には人間のブースターに一旦入り込んでから、そのものに入るようなのです。
少し難解ですね。
例えて言えばこう
ある人が乗り物に乗るためにユニフォームを着るとします。
ある人はレースカーに乗りたいとすれば、レーシングスーツを着てレースカーに乗りますね。
もう一人の人は客船のクルーを選んだとすれば、船員服を身につけて乗船しますね。
こんな解釈でお分りいただけるでしょうか。
魂がいきなりその対象物に入るのではなく、その物体に入るためのユニフォームがあり、それを着て入ると言う事なのですね。
肉体・・炭素体で出来た物理的肉体(レースカー)
アストラル体・・目に見えないエネルギー体(レーシングスーツ)
魂・・本質の自分(ドライバー)
そんな感じです。
以上アストラル体を解釈する参考にしてください。
実は私たちの魂はこのアストラル体だけではなく、まるで重ね着をするようにいくつかのエネルギーを着込んでいます。
これについては少し長くなるのでまた機会を見てお話しましょう。
今自分が何に従事し、何を目指し、何をライフワークとしているか。
それによって着る制服も違ってきます。
この人生を選ぶ時、何をするためにこの体を選びましたか?
そのためにどんなユニフォームを着て、この肉体に乗り込んだのでしょうね?
・
先日お話ししました奈良にある「益田岩船(ますだのいわふね)」のお話しをサブブログの方にアップしてあります。
ぜひご覧ください!。
●Blog【フォロンの台所】>>
by farmemory | 2019-05-10 00:01 | ・魂とツインソウル | Comments(3)