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**魂の青写真(体験と縁)**

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私たちはこの人生を始める前、まだ母の体内に宿る遥か前に、多くの約束を自分自身にしてきました。
人との出会いも、体験する様々も、見聞きする全ての事象も・・

そしてすれ違う風景も、街ですれ違う誰かも、何一つ偶然はなく皆自分の人生の舞台を構成する大道具小道具です。

でもその約束は単に体験する事象だけが必要な訳ではありません。

自分が約束して(願って)きた青写真は、行動や出会う相手、体験する困難や喜びにより自分の中に何が生まれ、何が湧き上がって来たかを知ることの方がはるかに重要なことなのです。

様々な体験をすることにより、自分自身が何を知り、何を感じ、何を理解したかが重要で、それこそが(離れて行こうとしている)3次元での大切な青写真だったと言えるのです。

そう考えると、出会う相手が違っても、同じ感情や同じ思いや、同じ感覚を得られる相手であれば、その相手を限定する必要もない場合もあります。

ただしこれはあくまで考え方ですので、多くの場合共に生きる相手や家族、友人知人ももちろん偶然の出会いではなく、生まれる前の魂の青写真に沿って出会って行く人々であることに違いはありません。

今回お話ししたいことは、青写真をなぜ決め、そそこにどんな目的があるのかを知っていただくためのお話です。
でも可能性としては十分あり得ることでもあるという事も覚えておいてください。

これはタイムラインの選択や時空間の歪みによって、今から先、人は別の次元の道に進む事もありえます。
そしてその選択も道が変われば出会う相手が変わる可能性もあります。

例えばある出来事に挫折を感じ、その理由が誰かに裏切られたとします。

その時人は
なぜこんな目にあうのだろ?
なぜあの人は私を信頼を裏切ったのだろう?
その出来事は一体何を自分に伝えてくれているのだろう?

そんな事が心に浮かんできます。
そしてその体験によってもたらされる様々な感情こそが、魂の青写真のとても重要な部分なのです。

とすると、自分を裏切る相手が別人に変わったとしても「裏切られ挫折する」と言う部分の変更はなく「感情の体験」としては約束を果たした事になります。

仮に生活に困るほどの裏切りを受けたとしても、生活に困る事以上に「裏切られた」と言うショックが自分にとって大きな衝撃であれば、出来事自体は二の次になります。
魂の青写真は、確かに人生のスケジュールではあっても「出来事」以上に、その体験がもたらす精神面へのインパクトスケジュールの方が大きなウェイトを占めるのです。

この点はカルマ(因果律)と同じ解釈なのです。

例えばAさんは過去世でBさんを裏切ったとします。
これを因果律(カルマ)に当てはめる時、思い違いをする事があります。

今回の人生ではその反対でBさんがAさんを裏切る、そんな風に思う事もあるかもしれませんが、その点が思い違いなのですね。
裏切ると言う行為のリターンでは無く、裏切られた事で受けるショックや痛みが重要なのであって、そのカルマのリターンが必ずしもBさんからである必要はなく、CさんでもDさんでもいいと言う事になります。

このお話はあくまで青写真が何をスケジュールし、そのスケジュールの目的は何かを理解するためも例えとして受け取っておいてください。

   ・

自分と共に進む人、共に時を過ごす人はかけがいの無い相手です。
そしてこの人生を選ぶ前、お互いこの人生で「どんな役割で、どんな立場で、でどんな条件下で」出会うかは既に約束してきている筈です。

でも、生まれ出た時人はその約束を「全て忘れる」と言う項目にOKのサインをして来ましたので、偶然を感じてしまうのですね。

今3次元の地球は次の次元に変容しようとしています。
その時には「忘れる」と決めた約束もまた、解除されてくると思います。

「あ!この人知ってる、初めて会った人だけど知ってる!」
そんな感覚が起こる頻度が高くなってくるでしょうね。

そして、それが進んで行けば、何を約束してきたのかも理解できてくるでしょう。
今、目の前にいる大切な人との魂の青写真も、近い将来思い出せる時空間に入って行く筈です。

そしてこれから出会う新しい出会いでは、その約束を知った上での出会いになるのかもしれません。
だったら面白い事になりますね。









by farmemory | 2018-11-20 00:17 | ・意識の自立と進化 | Comments(3)

Commented by リラ紫 at 2018-11-20 00:44 x
近頃、以前から何かわからないけれど気になると思っていた場所の地図や地名を目にすると、過去世でここに住んでいたな。と疑うことなく静かに確信することがあります。
当時自分の立場はどうであったか。そこにまで確信は及ばないのですが、歴史上で考えるとおそらく・・・(これは思考ですが)
次に、その状況だとしたら感情はどうであったかと想像します。
こういう感情を想像してみる作業のような事が、今必要で起こっているのか?
疑問に思っていたところです。

Commented by farmemory at 2018-11-20 02:10
前世に生きた自分の感情が本当に今必要であれば「その時」に自然と理解に及んでくると思います。
むしろ過ぎ去った過去の事はあまり重要ではなく、今が全てですので、今の(日々の)感情の動きに意識を向ける方が有用かと。
Commented at 2018-11-22 18:38 x
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