**相撲神事とイベント**

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大相撲の11月場所が始まっていますね。

さて、この相撲が神事というお話はとても有名なことです。
力士の「しこ」は地固めで、その場所の地鎮の役割をすると言われています。

同じように様々な地域で行われている、たくさんの祭り行事もまた、その土地への畏敬や神へのリスペクトを意味しています。

先日八ヶ岳のイベントの時に井戸尻遺跡のお話をしましたが、この遺跡では毎年縄文のイベントを行なっているそうです。
またこうした縄文の遺跡のある地域ででは、全国各地でも同じようなイベントが行われていますね。

子供達への歴史教育としては役に立つことでしょう。

でも、今回思うことがあり、こうしたイベントのもう一つの意味に思い至ることがありました。

今は縄文回帰の意識の高まっている時代で、各地で縄文を知ろう、縄文の意識を学ぼうとイベントが開催されています。

ただ、こうしたイベントで縄文に思いを馳せる事は良いとして、今回井戸尻遺跡で感じたのですが、こうしたイベントが縄文の解放を阻止していると言う事に気がついたのです。

前にもお話しましたがこの井戸尻遺跡では古い縄文の時代、人々が弥生によって虐殺を受けた地であることをビジョンで見てきました。

そして弥生により縄文を封印するため「弥生のクリスタル」をこの地に振り撒き、縄文のエネルギーを封印してしまいました。

弥生は現代に通ずる意識を持つ文明です。
つまり人間優位であり、自然との共存をしてきた縄文とは真逆な、自然を制圧しコントロールしようと言う意識で成り立つ文明です。

そして今私たちはその弥生の文明社会の価値観を持って生きています。

例えば農耕がそうです、土地を耕すと言う事は他の動物のためにするのではなく、人間だけの利益目的で土地を耕し、耕作地を荒らす動物たちを害獣として排除しています。
しかし縄文は全ての動物たちと共に生きる共生の意識を持った文化です。

そうした縄文をどれほど理解しているかが、そうしたイベントの意味にも大きく関わってくると気がついたのです。

弥生の価値観を持つ人々が、どれほど縄文に憧れていても、縄文の意識をしっかり理解していなければ、それは縄文の回帰には程遠くなってしまいます。

弥生人が、井戸尻遺跡や様々な縄文遺跡の上を歩くと言う事は、まるで相撲のシコと同じように閉じ込められて来た縄文の解放を阻止してしまい、弥生の価値観によってさらに踏み固められてしまうなと思うのです。

むしろこうした縄文回帰のイベントは、時に縄文封印の手助けをしてしまうと懸念したのです。

命は皆等価値、熊に襲われ自分が食べられたとしても、熊を害獣とは思わない。
その価値観を持つことが縄文を理解する事なのだと思うのです。

もちろんあくまで「理解」です、熊に食べられましょうと言っているのではありません。
私も熊に出会ったら逃げますし(笑)

そうでなければ相撲のシコと同じという事になってしまう。


相撲は神事として扱われていますね、シコによってその地を踏み固め盤石な土地に変えて行く。
自然霊の封じ込めを行い、人類の(人類だけの)幸福に寄与すると言う「神事」

もしかしると、相撲を行う「国技館」と言う場所もアイヌの祭場である「イナホ」と同じ場所だったのではないの?
なんて穿った見方をしてしまうのです。

最近、相撲界が揺れ動いていますが、何か象徴的な事なのじゃないかなとも思えるのです。

そうそう、家を建てる前「地鎮祭」をしますね。
その土地に住むためにその土地に「私たちに悪さをしないでね、悪いエネルギーは排除してね」と願います。

これが、その地に仮住まいする為に許しを得ると言うのなら未だしも「ここは自分の土地で、自分の財産なのだから」と言う意識を持っての地鎮祭は、まさに弥生意識ですね。

片や縄文は、その地が自分たちが住むのに適しない場所であったら、その地に呪詛をかけてでも自分が住むと言うことは決してせず、黙って立ち去っていた筈です。

「ああ、この土地は私を受け入れないんだ、ならばそれを尊重して別のところに移動しますね」と、土地への執着を持たずスルリと移転してゆく。

狩猟採集は土地に拘りません。
弥生がもたらした耕作は、土地を自分達に都合の良いように強制的に作り変えます。

弥生の価値観ってなんでしょう?

・人類優位、この地球は人間のためにあるという意識。
・土地は人だけのものであり、お金を払って自分のものにする権利があり、不動産と言う価値を持つ。
・経済が何より大切であり、幸せでいるためにはお金は無くてはならないモノ。
・権威や国家、権力、伝統、社会ルールに自ら従い、本来の自由を放棄する代わりに権力という保護を受けようとする事。
・教育は真実を理解するためのものではなく、誰にも出し抜かれないための「武器」なのだという考え。
・死を恐れること。


こうした意識は現代の社会では「当然」と言われるかもしれません・・
でも「いや、でも、よく分からないけどなんとなく何処かおかしい気がする」
そう感じた時、縄文を思い出す道に続いて行くと思うのです。

でもこれは弥生を否定している訳では勿論ありません。

むしろ人と人との関係性の中で傷ついたり支えあったり、敵対しながら労わりあったり、そうした不可思議な行動を取る人類と言う、この宇宙でも極めて特殊な生命体の存在はとても重要なのです。

なぜって、他にはないユニークな存在で、何より弥生を受け入れ、呼び込んだのも私たち人類の総意としてですから。


今は、ただただ縄文がなんだったのか、弥生とはなんなのかを「理解」する事だけで十分だと思うのです。

しっかり理解し腑に落ちさえすれば、深く考えるよりも前に自分の行動に変化が起こってくるはずです。
今まで意識を向けていた事に疑問を感じるようになったり、急に興味が薄れてきて足を運ばなくなったり・・

その理解の上で、この地球上で生きて行けば、自然の流れで地球と共に生きる道に向かって行く事になると思うのです。
また、イベントなどの母体が、バックボーンも知名度もないヘタレでグダグダの草の根企画だといな~と思います。

そしてイベントへの参加はあんまり深く考えず「自分にとって必要なイベントであれば気がついたら参加していた」で良いかなと思っています。

自分ごとですが、考え過ぎてから行動に移すと、かなりの確率で失敗することが多いように記憶しているのです(笑)

面倒臭い事から距離を置き、楽しいと感じる方に舵を切り、勘を頼りに、決め事しないで緩くゆる~くですね。

相撲神事も縄文イベントも、新しい次元に進もうとしている地球をしっかり理解した上での企画であったらいいなと願うのです。











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by farmemory | 2018-11-16 00:01 | ・新次元への道 | Trackback | Comments(0)

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