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**神田巡り(神田明神編)**

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前回の鰻に続くお話です。
こっちがメインですよ。

鰻を堪能した後に、近くにある神田明神に伺いました。
こちらの宮司は私の高校時代、弓道部が初めて出来た時の初代先輩で、うんと年は離れていますがかつてOB会でご挨拶させて頂いた事があります。
その時は確か神田明神のお社務所でOB会を開いて頂きました。

通った高校大学の関係上、友人や同級生にもたくさん宮司さんがいますが、皆さんもう次の世代に代替わりしているんでしょうね。

さて、本当に久しぶりに伺った神田明神では今、文化交流館と言う新施設を建設中です。
ですのでロケーションが少し残念でしたが完成すれば、神田明神らしい近代的な風景になるのだろうなと思いました。

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なぜ近代的が神田明神らしさにつながるかと言えば、この神田明神、名の通り明神様で狐を祀る神社です。
つまり稲荷な訳ですね。

お金や人間の欲望を司る稲荷ですので、近代的で経済的な繁栄の守り神。なのでむしろ狐らしいと感じたからです。

この神社は正月2日になると、道路には黒塗りの高級車がズラリと並び、名のある大企業の社長・会長がどっと押しかけてくるので、初めてその光景を目にするとドン引きします。

経済優先の現世的な欲を祈願する場所なんだなと、しみじみ思うのです

で、今回初めてこちらの拝殿に向かって意識的な質問をしてみたんです。

「お祭りされているあなたは、どなたでしょうか?」

と投げたところ、間髪を入れずに
「我は天狐(てんこ)なり」と答えてきました。

数ある狐(稲荷)の中でも最高位にある狐の総元締めですね。
少し驚きました。

そういえは少し前に京都の伏見稲荷に伺ったおり
「あれ?ここにはもう正一位のお狐さん、いない!?」

とビックリしたことがあるのです。

狐達の故郷(オリオン)への帰還が加速していますので、伏見に関しての感覚はよくわかるのです。
では神田明神の天狐さんは、なぜまだここ留まっているのかを聞いたんです。
そうしたら
「まだ経済を崩壊させるわけには行かないのだよ」
「人々の生活が崩壊し、路頭に迷う人々の姿を我らオリオンは望んでいる訳ではないからね」

そう答えてきました。
その意味はわかるのですが、でもある部分、今の経済活動は天の意思とかけ離れているのでは?

と聞いたところ
「そう、そのためにもまだ帰る訳には行かない責任あるグループも残っている」
「天の摂理に則らない経済活動の行く先がどうなるか(カルマの適応の事でしょう)それも見届ける仕事が残っている」
「私はその任に当たっているのだよ」

と答えてきました。
なんとも興味深い会話ができて、少し嬉しい気持ちがしました。

全国の稲荷社には様々なエネルギーがあり、その中のいくつかには確かに重さや寒さを感じる事があります。
でもここ神田明神の明るさと軽さは天狐さんがどういう存在なのかを良く伝えていると感じました。

かつてこの神田明神は「将門の首塚」近くにあり、それを祀る神社と言うことになって居ましたが、1616年将門塚から現御茶ノ水に移転されました。
一説には江戸城の鬼門守護が目的との事ですが、それは表向きのような気がして居ます。

古くは縄文を継承してきた平家を監視し、封印するために建てられたのが神田明神だろうと思うのです。
それが証拠に各地の大社、神宮の片隅には必ずと言っていいほど「稲荷社」が置かれて居ます。

この1616年の大きな出来事は家康の死去です。
そして8月にキリシタン警戒が始まったのもこの年とあります。

宣教師を送り出してきたバチカンはオリオンと繋がります。
そしてキリシタン警戒と神田明神の移転、このリンクは単なる偶然ではないように思ったのです(もちろん証明の手立てはなく、感覚だけです)

江戸が将門によって守られて来たのであれば、将門を押さえ込んで居た神田明神がその場所を離れることで、封印が解け本来の守護ができたのかな、と感じるのです。

次回「将門の首塚と湯島天神」のお話です。











by farmemory | 2018-10-09 13:06 | ・今日の日記 | Comments(0)

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