**奈良飛鳥・十津川村玉置神社イベントの報告(3)<鬼の俎、鬼の雪隠><亀石>**

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前回まで↓
**奈良飛鳥・十津川村玉置神社イベントの報告(1)<橿原神宮><高松塚古墳>**
**奈良飛鳥・十津川村玉置神社イベントの報告(2)<キトラ古墳>**


<鬼の俎、鬼の雪隠>

こちらの巨石2つ(鬼の俎と鬼の雪隠↑Top画像)は、共に対になったものが、何らかの事情で離れ離れになったのでしょう(距離的にはとても近くです)

c0319737_23552179.jpg本来はまな板の上に被せるように、覆われていた雪隠と言われる方の石が、転げ落ちてセパレートになったと見るのがいいのだろうと思います。
実際に計測したわけではありませんが、蓋をするような構造になっている事が分かります。

おそらく石棺に使われるために作られたものでしょうが、未使用の状態で放置されたのではないかと思います。
実際高松塚古墳やキトラ古墳、さらには遠くエジプトのピラミッドにも「石棺」は存在しています。

そしてその主な目的は文字通り「石の棺」なのかもしれません。


今回明日香村のあちらこちらにある巨石群を見て感じたのは、各地に点在する大石達をいずれ一つ所に集め組み上げ、古墳、ないしはピラミッド状の建造物を作るために切り出されたものだろうと言う事です。

それぞれの石の組成がバラバラなのも意味があり、複雑に組み上げられる事によって、石による3次元的な幾何学形状が作り上げられます。

そして石の組み方や配置などが、何らかのエネルギーを生み出す「装置」となって行く。
今回それが理解できました。

つまりこの鬼の俎と雪隠は未完成の巨石古墳のパーツという事です。

そして完成を前に何らかの理由により放置されたのだろうと思います。
その一番の理由にプレアデスを感じたのです。

善悪の意図は脇に置き、ある目的で作られようとしていた古墳やピラミッドを途中で放棄した理由にプレアデスが深く関わっていたこと。
しかも巨石を担当したのは明らかにシリウス文明で、その双方になんらかの理由があったのではないかと思うのです。

石舞台古墳の後に伺った酒船石にその答えがあるように思います(石舞台古墳と酒船石の回に記事にします)
いずれ全てが集められて完成した時には、ピラミッド状の建造物、もしくは土塁を被せた古墳が出来上がっていたと思われます。


<亀石>
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民家の横にひっそりとおかれた亀石。なんとも愛らしい石像です。

伝説では古い時代にこの地で激しい水争いがあり、それが原因でたくさんの亀が犠牲になってしまったために後年その供養のためにおかれたとの事。
また今頭が向いている南西方向から西北西方向の当麻に頭が向いた時に奈良盆地は泥沼にあるとの伝承もあるそうです。

これは恐らくこの石を動かしてはならない、更にはこの下を掘り起こさせない為の作話でしょう。(と言っても人がスコップで掘り起こせる様な深さではないでしょうが)

この「亀さん(と言うかカエルにも見えますけど)」に手を置いてみると若干のバイブレーションを感じましたが、それはこの石像が発する振動ではなく明らかに地中にその発生源があるように感じました。

何が埋まっているか?
皆さんも考えてみて下さい。
答えはプレアデスに聞け、という事ですね。

意味深・・・


次回に続く


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# by farmemory | 2019-01-16 00:16 | ・イベントメモリー | Trackback | Comments(0)

◇◆2019最初のイベントのお知らせです◆◇


2019年最初のイベントのお知らせです。今年は昨年までの穏やかさから
大きな変化を体験する時空間に入って行くでしょう
でも何かの準備をしたとしても、その準備も徒労に終わるかもしれません
なぜならこれから体験する変化は想定できない「新しい出来事」となるからです
その前に必要なのは、自分自身の再構築と変化への「心の準備」です



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~2019年予測~
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# by farmemory | 2019-01-15 23:53

**リラの遥かなる旅16(イランカプテアンナー2)**

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   ・

前回からの続き

さて、では恋している時や関係が深くなり始めたカップル同士での執着はどういうものでしょう。

彼の心が知りたい、彼女を独り占めしたいと願う気持ちも過度になり過ぎると、その欲が結果として自分自身を縛り付ける見えない鎖になってしまう事もあります。

いつもいつも相手の動向が気になったり、常にメールやメッセージの返信を待ち、何も手につかなくなってしまっていたら、それが独占欲や支配欲や独占欲に自分自身が縛られ始めた時かもしれません。

どれほど親しく深い関係であっても、その相手も一人の独立した魂を持った個別の人格です。
たとえ恋人同士であっても、夫婦であっても、親子であってさえ個別の魂であるということに違いはありません。

心許した間柄であっても、相手の価値観の違いを受け入れられる緩さこそが、執着から一歩引くと言う事だと思います。

恋人同士だから、夫婦だから、家族だから同じ価値観を持ち同じ言葉を話さなければならない訳ではなく、むしろその違いを面白がるくらいの余裕を持てた時、相手の心に静かに寄り添う事が出来るものです。
でもこれは相手への信頼があって初めて成り立ちます。

そのためにも相手の心のシャッターを降ろさせてしまわないように、過度な執着に入り込まない事は大切です。

たとえ恋の経験が多い人であっても、相手が初めて出会う人なら恋の経験値は役に立ちません。
だって、初めて出会った相手に対しては「初心者」なのですからね(笑)


少し余談になりますが、初めて出会った相手でも魂レベルではすでにその相手を知っています。

「袖すり合うも他生の縁」
この人生で、道ですれ違う程度の縁であっても過去世で何らかの縁があったと言うことわざです。
まして言葉を交わし、心を通わせ、愛し合うパートナー同士となる相手は、この人生を選ぶ前(生まれる前)にすでに確実に出会う事を約束して来て居る筈です。

仮に肉体(表層自我)での初めての出会であっても、魂(深層自我)では決して初めて合う相手ではではありません。

ただ3次元世界においては過去世の記憶は「思い出さない」という項目にサインをして生まれて来て居るから、初めての出会いとしての時間が始まって行きます。

私も妻に出会った時に「この人を知って居る」という確信はありました。でも当然ながらこの人生では過去世での関係の続きではありません。
全く知らない同士の新しい関係として始まって行くのです。

だからこそ初めての経験であり、相手に対しては魂での知り合いであっても表層自我では「初心者」なのです。


さてお話を戻します。

また逆に、相手への気持ちが離れ始めた自分に戸惑う事があったとしても、それにダメ出しは必要ないでしょう。
この宇宙は「無常」です、無常とは常に変化が続くものであり、常ならないと言う事。

人の心も同じように移ろい変化して行くものです。
逆に相手の心の変化にも素直に対応できるようになるという事が、言ってみたら執着からの離脱なのかもしれません。

だからと言って離れたり、別れなければと早まる事ではないと思います。
不思議なもので、出会いの頃はお互いを強く求め合うものですが、相手の心や価値観を理解し、それを受け入れて行く様にになると相手への強い執着が薄れて行くものです。

「心に触れ始める」事で、相手への疑心が薄れて行き、逆に執着から解放されて行くわけです。

マンネリなんていう言葉もあるでしょうが、そう見るのではなく相手への安心感と信頼が生まれて来ると、過度な執着から自然と離れて行くものです。

これは心が遠くなったのではなく、むしろ安定という段階に入って来たからかもしれません。

例えば子育てという大きな仕事をなし終えた夫婦が子供の独立とともに新婚のようになる夫婦もいれば、今度はお互いを大切と思いながらも意識が独身の時のように解放され始める事もあるでしょう。

長い年月を共に過ごす事で相手を徐々に理解して行き、お互いの心に「触れる」事が出来る様になって来ればそこには疑心は浮かばないのですね。

心や意識に土足で踏み込んでしまう事は、逆に相手の心を遠ざけ、また知りたいはずの相手の心にシャッターを閉めさせてしまうことになりかねません。

相手の心に触れたい、知りたい、そう思った時こそ程よい距離感と、程よい執着に留める。

この全く真逆に見える真実。
だからこそ恋はややこしいのですけどね。

異性との関係の始まりは戸惑いながら、少しの痛みや悩みを感じながらも、何を知るためにこの人生でまた出会ったかを知る事も一つの体験学習なのかもしれません。

「イランカプテアンナー」覚えておいてくださいね。











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# by farmemory | 2019-01-14 00:01 | ・リラ物語 | Trackback | Comments(1)