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**意識が目覚めるとは**



<一部訂正があります(赤字)>
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少し前のことですが、東京中激しい飛行機雲(けむ)が空中を覆っている時がありました。

でも夜になったらあれほど撒き散らしていた(筈の)霞が全くなくなっています。
というか、高高度の上空の霧が地上まで降りる前に消えてしまったように見えました。

それと関連があるのでしょう、昼間上空を2機の大型軍用機(輸送機タイプ)が旋回していたのですが、その後に少し間をおきプライベートジェットらしき小型機がその大型軍用機を追うように同じルートを取りながら飛んで行ったのです。

あの小型機が、軍用機のミッションを後方から確認しているのかと思ったのですが、そのすぐ後に「違うよ、毒素を中和してるんだよ」と伝えてきました。

彼らスペースファミリーの擬態の小型ジェットだったのですね。
それで、昼間の霧が夜には一掃されていたのだと分かりました。

もう、本当にありがたやありがたやです!

さてでは今日の記事です。
最近時間の流れ(進み方)というか、物理世界でのあり得ない細々とした出来事とか、その変化の加速は目まぐるしさを増してきていますね。

今まで一人一人の意識の変容こそが世界を突き上げると思っていましたが、これが現実味を帯びてきている気がしてならないのです。

「ではどんな変化?」
と問われれば、それこそ物理次元での具体的な事象(目に見える世界情勢とか)ではなく、正に説明のつかない奇妙なことが多発してきている事もその証の一つかもしれません。

例えばあるはずのモノがなくなってしまったり、いきなり変な所から出てきたり、手帳やカレンダーに書いたはずの約束や時間が書き換えられていたり(そうとしか思えないということです)、時間自体が一定の流れで経過していないと感じたり、行った事もない場所の道の先に何があるか知っていたり・・・

また今回のコロナウイルスにしても、ウイルスを科学的根拠をもとに公式に「存在自体を肯定する理由なし」と回答している各自治体が思いの外ある事も、目に見え始めた変化なのだろうと思うのです。

明確な公式回答を提示した上でワクチン接種するかどうかを個人個人に任せるとしている点はまさに新しい次元を垣間見る気がするのです。
また接種を希望しない自由選択も尊重されるべきであるというスタンスを国もとっています。
さらには厚生労働省のHP上でも、副反応に関しての危惧がある可能性を記載しています。

このようにエビデンスのある回答をどう捉え、どう解釈し今後のヒントにするか。

その明確な回答を無視するのであれば、それはそれで自分の意思と責任ですべき事なので、その判断に関して(安全か危険かを含め)コメントは控えます。

ただ両方の因子をしっかりと自己判断できるチャンスがあるのですから、それを生かすか背を向けるのかも個人個人の責任と判断でしなければならないでしょう。

また、今までは「なんとなく曖昧」に感じてきた意識や感覚、感情や察知力などが「確信的」に自分の中で確固としたものに変わってきているのです。

今までは、メディア情報やSNS情報のなから何かを拾おうとしていましたが、その無意味さが「確信」を持って感じられてきたのです。

政治の世界も感染症の話題も、今までは情報自体に振り回される事もあったのですが、今はもう、そうした情報に触れても以前ほどの動揺が起こりにくくなってきている人も多いと感じています。

またこうした現実面の変化や不思議も、結局は次元変化の中で起こっているとの確信もあり、
「全く根拠なく自分の内側からの突き上げに似た心強さ」がそれを確信に変えてくるのです。

人々の意識変化こそ重要としてきましたが、今その意味を深く深く理解できてきています。

意識が変わると、例えば一つのメディア報道の裏に隠された真実が見えてくる気がします。
もちろんメディアはその「裏」を決して報道しませんし、都合が悪い事は無い事として無視を決め込みます。

または、一時期頻繁に取り上げてきた様々な「誘導情報」が、一気に減ったりするのです。

そんなことから、物理的な情報の裏から匂ってくる「真実」を察する頻度が上がってきているのです。
嘘の情報に振り回されるのではなく、嘘の情報である事に気がつくことにより「嘘のつけない時空間」とはどういう状態なのかが分かってきたのです。

嘘がつけない時空間とは、嘘をついても(むしろ嘘だからこそ)その偽の報道が逆に真実を伝えてくる。

もしこれが人類の進む大きな流れになってくるのであれば、もうある側の思惑通りに動く大手メディアは何も報道できなくなってくるでしょう。
嘘をついて人を誘導しようとしていたはずなのに、誰もその嘘に振り回されず、逆に嘘をつけばつくほどその中から見えない真実を感じ取ってしまう。

そうなったら、嘘の情報を姑息な手段で伝えようとも多くの人に真実を伝えてしまう事になり、そう遠く無い先に報道自体が崩壊してゆく気がするのです。
ただ、その嘘の報道主体であるメディアの思惑に引き込まれてしまう人も一定数(総数は多いでしょう)いる事も事実です。

今お話ししている事は、次元変化に参加するか辞退するかによって、意味不明のオカルト話になってしまうかもしれませんね。

メディアの思惑に引きずられてしまうという事は、その嘘の匂いを感じない事でもあります。
という事は、嘘のつけない(嘘がバレる?)時空間にその人は「居ない」事になるのです。

おそらくこれからその乖離(感じとる人とそうで無い人)がどんどんと大きくなって行くでしょう。

ただ感じ取れるか取れないかを善悪や優劣で見てもなんの意味もありません。

高次に行くも3次元に留まるも魂の選択に委ねられています。
3次元に止まることが残念な事では全くありません。

ただし、自分に関わる人との道が分かれてしまうかもしれませんが、それもまた全て個人個人の魂の選択なのです。
ここに関しては手出しのできない事なのだろうと思います。

でも、意識の芽生が起こってくると個人個人の魂の選択も尊重すべきものとの理解に至るので、達観する(魂の選択には不介入)事になって行くでしょう。

これは価値観の問題でもあると思います。
高次元に向かう事も3次元に留まる事も、そのどちらも尊重されるべき個人個人の価値観でもあるという事です。

意識が芽生えるということは、自分自身がどんな価値観や意識状態になるかを言います。
正しい意識も、間違った意識もありません。

自分がどこに向かうかを自分自身が明確な意思を持って決め、どちらであろうとその道を選んだ時、自分のハイヤーセルフは自分が選んだ道を進ませてくれます。

良い悪いで意識の目覚めを理解しようとすると答えに行き着けない「迷子」になってしまうかもしれません。
自分にとって何が希望なのかは人それぞれ。
そしてその希望に沿って必要な意識の芽生えが起こって来るでしょう。










# by farmemory | 2021-06-09 00:01 | ・新次元への道 | Comments(0)

**記憶の書き換えに付いて**



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何度かお話ししている事ですが、確認の為もう一度「記憶の書き換え」に関してお話ししてみようと思います。
これを記事にしようと思ったのは、自分自身もしかしたらそれを既に何度か体験しているのではないかと言う感覚がある為です。

もし自分の家族、知人、友人達と、決定的に次元の振り分けにより別れ行く場合
その人の覚醒度合いにより、別々になると言う事を受け入れられない場合、記憶の書き換えが起こって来ます。

また人だけではなく景色や風景、街並み、物、記憶、感情、感覚などあらゆるものの記憶の書き換えもあると思うのです。
今までに、私自身マンデラエフェクトに限らずこうした様々を経験してきていますので自分の時空間では既に記憶の書き換えが起こっていると確信しています。

例えば、自分には家族は無く、幼い頃から天涯孤独の身の上と記憶が書き換えられれば、家族との離別の苦しみを知ること無くそれぞれの次元に向かう事ができます。

また、自分は未だ独身で、恋人も居ないと言う風に書き換えられれば、喪失感や寂寥感に苛まれる事無く、それぞれの次元に向かえます。

私も恐らく何人かの知人が離れて行ったのではないかと「感じて」います。
自分の大切な友人達を思い浮かべてみます。

転居や死別した人は別として指折り数えても、特に欠けている人は居ないと答えが返って来ます。

でも何故か「誰かを忘れてはいないか?」
その感覚がどうしても拭え無いのです。

仮に仲間にそれを問い合わせても、きっと思い過ごしとの答えが返って来るだけでしょう。
ある人がこの仲間の内に居た様に感じるけど、でもどうやってもその人を思い出せず、その「誰か」が存在した根拠すらない。

このように記憶の書き換えは完璧に行われます。

グループの中の「誰か」であれば、皆が一律にその記憶をなくさなければならない訳ですが、当然それも完璧に行われます。

今世界の人口が70億と言われていますが、記憶の書き換えが起これば最初からこの地球には10億人の人しか居なかったと言う事となれば、自分の住む地域に思いの外、人が少なくなっていても誰もそれに疑問を持たなくなります。
むしろ70億と言う人口さえ、既に書き換えられた数字なのかも知れません。

また、誰かが住んでいた家が、家屋敷ごと消滅し、最初から空き地と言う記憶に変えられれば、そこに住んでいた幼なじみは最初から存在しない事となります。

「そんな事、物理的にあり得ない」
これは現行の物理学を是とした場合の答えです。

でもこの世界、見えているものであってもバーチャルな世界である事。

実際は存在しない「仮想現実」を思い込みにより作り上げているのだと言う事が理解出来てれば、記憶の書き換え等それ程不可思議な事ではないと言う事も理解出来て来ます。

荒唐無稽な事として一蹴しますか?
それとも根拠等あろうとなかろうと、実証出来るかにこだわらず信じる(感じる)事が出来ますか?

この質問にどう答えるかが、自分の存在する次元を知る手掛かりとなります。
そうした感覚が起こってきていれば、次元の変化に進む過程で起こっている記憶の書き換えの最中である可能性があると言うことです。

この記憶の書き換えは誰かによって作為的に行う事ではありません。
自らのハイヤーセルフが、表層の自我の精神に大きなダメージとなるのであれば、それを避けるため行う、或は受け入れる事となります。

変化に関しても同じ事が言えます。
皆が共有している時空間との思い込みから、変化は無いと感じてしまうかもしれません。

今、皆が共有すると「思い込んでいる」この時空間も、既に高次に行く人と現行の次元に留まる人との道が少しづつ離れ始めています。
これが感じられるのが著名人などの記憶
先日も家の人に「あの〇〇という芸能人、最近全然みないね」と言われたのですが、その人の名前を聞いても「誰だっけ?」お答えたのです。

「何言っているの、あんなに面白がっていた人なのに」
で、検索してもらってその字との顔を見た時「ああ、その人ね」
そんなやりとりがありました。

加齢による記憶力の低下だよ、って言われても返す言葉はありませんが・・・

このことは記憶の書き換えや、自分が向かう次元の道が離れ行くと言うことを当てはめると、また違う解釈になると思うのです。

ある人物や事象が、離れて行く3次元世界の存在であり、自分が向かう別次元と乖離してゆくのであればその対象が記憶から消えてゆく可能性があります。
今回歌人とのやりとりもその人物との次元乖離が起こり始めていて、徐々に自分の記憶の中から消えてゆく途中の出来事ではなかったかと思ったのです。

まだ完全に書き換え(消去)が起こっていない曖昧な段階でしたので、指摘されれば記憶の片隅にまだ残っているために「あああの人ね」と言うことになt他のでしょう。

でもさらに書き換え(消去)が進んでゆけば、いずれ記憶の中から完全に消えてゆくことになるでしょう。
そしてその段階になれば、それを指摘した家人もその存在には一切触れることなく、何事もなかったように書き換えが完了して行くのだろうと思うのです。

同じ光景や事象目撃しても、高次のエネルギー波動に変換し始まった方と、未だその波動に達していない人では、そこから伝えられるメーッセイージの認識度にも差異が生じ始めている様です。










# by farmemory | 2021-06-06 00:00 | ・宇宙の法則と摂理 | Comments(0)

**今日のニュースから**



**今日のニュースから**_c0319737_23430312.jpg

この2年間明らかに体力が落ちてきている事を実感しています。

それには訳があって、かなり激しい体力を使う伝統芸能のグループに入っているのですが、それがこの騒ぎで2年間活動できなくなってしまっているからです。
今はそれを取り返そうと画策中。また太極拳の道場でも行こうかな・・とかね。

グループは夏の活動がメインで、毎年夏前の最初の活動で大汗をかくのです。
そしてその1回目の汗が、ものすごく臭いのです。
一回その汗を描くとその後にはそれがなくなり、単なる汗が流れるだけ。

冬を越して溜まった毒素が、その1回目の大汗で排出されるのでしょうね。
汗は体力とは直接関係しないかもしれませんが、体にとって汗をかくことがどれほど大切かなのだと思いました。

なので、せめて暑い季節であっても暑いお風呂に入って汗かきましょうと自分に言い聞かせておりますのじゃ。


さて話変わって今日NHKの夕方のニュース番組をぼんやり見ていたら、薬に関して大手企業での接種が開始される話が出ていました。

組織にいる方にとっては極めて身に迫る内容かと思いますが、それでも自己判断は残されていることをNHKが口にしたのでとても面白いなと思ったのです。

今社会は接種ありきで進んでいるように見えますが、よくよく聞いていると、接種を促しはするものの決して法的な強制力もなく罰則もないのですね。
ただこの点には触れることなく接種する事が当然のような風潮になっています。

で、今日のニュースなのですが、アナウンサーが最後に「接種の選択の自由は守られるべきもの」「摂取を希望しない人に対する差別的な流れが生まれないようにしたいものです」というような事を明言していました。

これ
「選択の自由は残されています」
「自分で判断する事も許されているのです」
「最後は世論に流されることなく自分で決めましょう」
「今後何があろうと全ては自己責任、誰にもその責を負わせることはできないのです」
「だからこそ選択の自由が残されています、無駄にしないようにしてください」
そんな風に聞こえたのです。

この話。
台本にある言葉なのか、アナウンサーの個人的な見解なのかは分かりません。
もし台本にあるのなら、組織としての言葉として。
またもし個人的な見解であるのなら、それを感じている組織人もいる。

どちらにしても公共放送に乗せたこの言葉の意味を深く捉えました。
そして「人類は試されているなぁ」としみじみ思ったのです。

今時代は善悪も優劣も、そんなちっぽけなことなど意にも介さず新次元に向け爆進しています。

それをあのNHKが証明してくれた気さえしたのです(おめでたい甘ちゃんで、読みがズレズレかもしれませんが・・・)

ただ私にはこれが目に見える変化に映ったので記事にしてみました。










# by farmemory | 2021-06-05 00:03 | ・新次元への道 | Comments(0)