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**現実逃避の勧め**



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パラリンピックの聖火、すごい炎の上がり方でしたね。
まるで都市部で起こると言われている火災旋風の様でしたね・・・
何を表現しているのでしょうかね。(穿ち過ぎ?)

さて今日の記事です。
この世界(現実世界)は自分の意識が作り上げるもの。

だとしたら現実の世界に私たちは迷い込んだのではなく、自ら作り出したバーチャル空間に自分の意思で立っていることになりますね。

つまりこの現実世界は虚像なわけです。

イヤなものは見ない様にしよう、心が沈む話や報道から距離をおこう、楽しいことを考えてにこやかに生きて行こう。

この世界が虚像なのだとしたらそんな生き方を「現実を見ないで現実逃避をしている」と言う戒めは、なんだか馬鹿馬鹿しくなりますね。
だって現実の様に見えていても虚像の世界なんだから。

だったら見ない様にすることも、楽しいことばかりを考えることも、現実逃避なんかじゃないってことになりますね。

すげぇ論理かもしれないけど、それも真実だと思うのです。

ボヤボヤしていないで現実を見ろとか言われたって、この話は根拠あることなので逃げずに目を向けろとか・・・
なんかそんなこと言われてもめんどくさいだけですよね。

ならば「夢見る夢子ちゃんで日々生きていたっていいじゃん!」
だと思うのです。

真実も現実も自分の中にあるもの。

その自分から逃げる事さえしなければ、人にバカにされたってグダグダの役立たずと言われたって「うふふ」って微笑み返しして相手にされない人の方が楽ちんです。

真実を追求し自分としっかり対峙している人とお友達になれればいいじゃん。
てな感じ~










# by farmemory | 2021-08-24 23:03 | ・新次元への道 | Comments(0)

**現実領域と意識領域**



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なんやかやとぐだぐだしていたらあっという間にオリンピックも終わり、長い夏休みになってしまいました。
皆様お変わりありませんでしょうか。

富士山噴火させるなんて脅しのオープニングのオリンピックも、日本選手の活躍にかき消され、おバカなパフォーマンス程度となって忘れ去られるでしょうね。

さてコロナも連日猛威(情報猛威)を奮っているようで、そんな情報にストレスを感じている方も多いと思いますが、これもまた未来へのトンネルという事なのでしょう。

厳しいと取るか、未来への道ととるか、結局は全て自分の意識次第ということになるでしょうね。

このグダグダ期間に私も現実領域と意識領域について少し考える事がありました。

現実領域とは肉体を持って体験している、この現実世界のことです。
人は皆往々にしてこの現実世界こそ実態であると認識していると思います。

でも現実とは自分の意識が作り上げたホログラムであるとした時、その現実はあくまで自分という映写機が映し出す「自分劇場、もしくは自分シネマ」なのだということであり、如何様にも変化するバーチャル世界が現実領域なのですね。

意識が作り出す現実世界は、意識が台本であり脚本であるわけで、その台本を描き替えることで、現実というバーチャル世界はあっという間に変化してしまうわけです。

そしてそのシナリオを描く者こそ意識そのものなのですね。
ですから真の現実世界は「意識領域」そのものということになります。

そしてその意識領域こそ自分自身のハイヤーセルフそのもの。

今までも自分の意識や希望が具現化する世界が新しい次元とお話ししてきましたが、それも全て自分の意識がどうかにかかっているのだなとお思っているのです。

現実領域で具現化するのは自分の願いや意識が作り出す副産物という見方は決して的外れではないのですが、現実領域を作り出す「意識領域」というものの重要性をさらに深く感じてきたのです。

自分は確かにこの現実世界に実態を持って存在しています。
その現実の中で自分の意識が作り出す世界が「現実」と認識していたのでしょうが、それはあくまでオマケ(現実はおまけ)で、作り出すべきものはあくまで意識そのものなのだという確信が深まりました。

現実領域から一旦離脱して、真の自分である意識領域に目を向ける事ができたとき、自分の願いや意識が魂が望む希望に沿っているのかを知る事ができるという事です。

全ての執着やエゴから逃れることは今までの3次元世界では大層難しい事でした。

だからこそこの3次元で自分の願いが具現化しない苛立たしさや諦めも生まれてくるのだなと。
でも全ての執着を超えた意識領域に入り込む事ができたとき、自分の魂の真の希望は何なのかを知る事ができるのではないかと。

そんな禅問答の様な事を考えていました。

自分の願いを具現化するためには、逆説的ですが現実世界での変化ばかりに目を向けていてもそれが魂の望む世界であるとは限らないわけで、自分の魂は何を望みこの時空間に存在(生まれてきたのか)しているのかという、いわば究極の答えが意識領域にあるということなのだと思うのです。

次の次元への進捗時間は人によって大きく違ってくるとは思いますが、いよいよ目の前に迫ってきている次元上昇が待ったなしなのだと強く感じているのでございます~










# by farmemory | 2021-08-22 23:43 | ・新次元への道 | Comments(0)

**穏やかな世界**



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オリンピックが無事に始まりましたね。
開会式のセレモニーの中には面白いアート表現なんかもあり楽しませてくれました。

でも最後の聖火点灯には苦笑いでしたね。
あれはまさしく「富士山噴火」
なんか画策しているものたちが見え隠れして、それもまあ一つのオリンピックの意味なのかもしれませんね。

富士山は今後絶対に噴火しないわけではないと思います。
地球が生きているのであれば、その息吹のような火山活動は無くなることはないのです。

でも今回のセレモニーで「噴火させるぞ!!」という、人為的な富士の動きはスペースファミリーたちの手で必ず阻止されるはずです。
なので、あのシーンも事前告知なんて受け取ることなく、無視していればいいと思います。


さて話変わって、新しい未来に行く為、今の自分が穏やかさの中に居る事が大切ではあります。
でも、この「穏やかさ」は必ずしも物静かな状態を指すとは限らないでしょう。

音楽に例えれば環境音楽、ヒーリングミュージック、など静かな音楽こそ穏やかと答える人もいるでしょう。
でもそれとは対照的なメタルやハードロックが自分にとっての心安らぐ音楽なのだと言えば、その人にとっては安らぎはその音楽に触れている時なのですね。

穏やかさとは、人それぞれの定義が有ってしかるべきものです。

「今、今日この時」自分が穏やかで、どれほど小さかろうと幸せを感じているのであれば穏やかな筈です。

宇宙人と手を取り彼等の宇宙船に乗れる日が来ようと(私は心から希望していますが)
闇と言う存在が全て消え去り、優しく穏やかで静かな日々となろうと。

それを望む前に今の自分の日々が穏やかさに包まれ、美しいものを見、聞きその日々を楽しめている事が、既に高次元のフィールドでなのです。

また穏やかな「状況」や「有り様」ももちろん人によって大きく違って当然です。

美しい自然の光景の中、自然の音に身を預け心地よい時間を過ごす。こうした状況を思い浮かべる事も多いかと思います。
しかしそれはあくまでも、その状況、状態を好みそこに穏やかさを見る方の答えです。

でも、全く真逆な状況を自分の穏やかな状況と見る人もいるはずです。
無機質なコンクリート空間に、多くの人々が暮らす大都会を安らぎの場所と感じるのであれば、その人にとって穏やかな場所なのだとも言えるのです。

古い次元の特徴は、多様性に厳しい事でした。
答えを求め画一され、マイノリティーは排除され追いやられる世界でもありました。

しかし、今新しい世界に向かいつつ有る今、特に若い人達の中では、多様性への寛容がとても感じられます。

「私はそれを好まないし、その答えは私の中には無い」
「でもそれによりその相手を排除等考えず受け入れる、しかし近付く事はしない」
「みんな自由に生きれば良い」

この意識が進んで行くと統一概念と言う言葉も薄くなり、ある意味まとまりのない社会に進むかもしれません。
しかしその根底には、皆が宇宙(天)の摂理の理解さえあれば決して混乱やエゴによる社会は生まれません。

そここそが真の自由という事になるのでしょう。
自分にとっての穏やかな暮らしが、次の次元では確実に保証されているのですね。


**しばらくの間個人的な理由で申し訳ありませんが、更新が遅れ気味位になると思います。ご了承くださいませ。










# by farmemory | 2021-07-25 00:00 | ・宇宙の法則と摂理 | Comments(0)