◇役割と使命 ー 見えない理由◇

◆役割と使命 ー 見えない理由◆

d0165401_14471918.jpg 皆さんは古い汲み上げ式の井戸をご存知でしょうか?
画像にあるレトロな井戸の事です、この井戸はボーリングした穴から水源までパイプを通し汲み上げる器具を末端に設置したものです。
構造は実にシンプルですがとても優れた性能があります。
しかし井戸はしばらく使用していないとポンプから水源までの間のパイプから水が抜けて汲み上げる事が出来なくなってしまいます。
その為再使用する時にパッキンから空気が漏れない様にする為ポンプの中に水を充填しなければなりません。
それを「呼び水」と言います。

これと同じで私たちはアカシックレコードと言うデータベース(水源)にアクセスできるパイプは既に兼ね備えているのですが、私たちのスピリチュアル的なパイプも長い間使用していない、場合によっては生まれてから今まで一度も「意図的に」水を汲み上げた事が無く水涸れ状態なだけなのかもしれないのです。
水源となる知識と記録の宝庫(アカシックレコード)には満々と情報と言う水が貯えられている、そう想像してみて下さい。

この「意図的」と言うのか今回のポイントでもあります。

少し矛盾する事かもしれませんが、実は私たちは自ら気付く事無く常にそのパイプを利用している様なのです。ただ私たちが認識していないだけなのでしょう。
今回は「意図的」なパイプの使用に焦点を当ててみようと思います、恒常的に利用していると言う話はまた後日に譲りたいと思います。


以前私が前世を見る事が出来る様になったいきさつを「私の過去世」カテゴリーの中でお話ししました。
一度ヒプノセラピーを受けた事により眠っていた「力」が覚醒したと言う話です。
これこそが「呼び水」だった訳です。

しかし呼び水を流し込んだとしても誰でも直ぐに水を汲み上げられるとは限りません、その理由はその人の覚醒度合いや自分が感じられる事象に懐疑的であったり、明確な答えをえられない事へのもどかしさであったり、体調の不備であったり様々です。
またある種の「力」は、それをコントロール出来るか、或はその「力」を認識できるかにも大きく関係します。
制御できない力は時にご自身に不具合を起こさせる事にもなりかねません。
私たちの本質が魂とするなら、その魂によって不具合を起こす前にその力を制御している事も十分に考えられる訳です。

コントロール可能になる事とその制御の解除の為に必要なのが「覚醒」であろうと思っています。
覚醒への道は今後お話しして行く課題としたいと思っています。



以下は過去のリーディングからの話となります。

今まではあまり多くはおられなかった様なので覚醒誘導は行っていませんでした。
しかし私の所に来られる方の中にも覚醒までもう一歩、或は既に始まっているもののご自身で感じ取れていない、そう言う方が増えて来ている様です。
そこでそう言った方には前世に戻るドアの所までの覚醒誘導を行ってみる事にしました。

すると、必ずではありませんが「覚醒に近づいている方や既に始まっている方」はかなりの確率でドアノブに手を掛け開く所まで誘導できる様なのです。そしてそう言った方がかなり増えて来ている事も実感しています。

しかしこれはあくまで呼び水ですのでそのドアの先にはご自身で踏み込んで行かれる様にも誘導をして行きます。

経験からお話しします。
ドアを開けた瞬間は皆さん一様に強く白い光を見られる様です、最初は霧がかかった様な光景が徐々に晴れて行き、ご自身が過ごされた時代が見えて来ます。
そしてその時には第三者の目ではなく、その時代のご自身の体にシンクロして見えてくる様です。

「今何が見えていますか?」の問いに
「黄色い衣装を身に着けています、手には斧を持っています」「川のほとりに立っています」
概ねこの様なやり取りで進んで行きます。

私も被験者の方が進まれる場面を感じ見る事もありますので、その内容の答え合わせをする事もあります。

時に地を踏みしめ歩く景色であったり、大海原を航海する帆船の舳先で水平線を眺めている光景であったり、稀ですがご自身が現在関わられている方を見つける事もある様です。
縁のあった人達は違う性別であったり年齢や立場もまちまちな事が多いのですが、一番にその人を断定できるのは「目」と「顔の輪郭」です。これはビジュアル的な認識ですが、それを超え直ぐに相手が誰であるかひらめきと共に理解する事もあるようです。

見えます光景は夢に等しい感覚と言えばご理解頂けるかと思います。
それが理由なのでしょうかその人生から戻ると、時に寝起きの感覚すら覚える事もある様です。
誘導は催眠などの施術は一切致しませんので被験者の方がその人生から離脱するのはご自身の意思で簡単にできる事でもあります。
また被験者の方の中には、恐らく私が送っているのであろうパワーを感じられ体が熱く感じられたりする事もあるそうです。

ただしリーディングでも覚醒誘導であっても人の人生には「不可侵」が基本、そう言うスタンスで私は前世リーディングをしています。

リーディングの場合は私が見えました内容をただ客観的にお伝えするにとどめ、ご一緒に探るお手伝いは致しますがその中から人生のヒントを感じ取って頂くのはご自身の力でと言う事です。
覚醒誘導の場合にはご自身で入られた前世で戸惑われたり、見える光景が曖昧に感じられる場合には少しの力をお貸しするだけにとどめてもいます。

何度も繰り返す転生の大きな理由の一つは学習にあると思います。
そして学習とは、その問題の解決方法を学ぶ事が本来のあり方です。
しかしそれを飛ばし、答えだけを提示してしまっては、或は自分の力で導きだす事をしなければ何の役にも立ちません。
それどころか他者の人生に立ち入って安易にその答えを提示する事は「罪」にも等しい場合があります。

その為にも「心の目」でご自身の魂の記録をご覧頂けたらと願っている所です。

今回は呼び水の話をしました、ご理解頂けましたでしょうか。
ではまた次回お会い致しましょう。










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# by farmemory | 2013-12-23 00:03 | ・ライトワーカー | Trackback | Comments(0)

◇役割と使命 ー アンテナとしての肉体◇

◆役割と使命 ー アンテナとしての肉体◆

皆さんの前世を読んでいますとこんな方がおられました。
その方は異常にある土地にこだわり、遂にはその地に移り住むことになりました。
それには何かその土地との因縁が過去に有ったのではないかと質問をされました。

もう一つ、これとは関連しないと思われるご質問をされました

ご自身は今生生まれて来た事で、この世に何の使命を持って生まれて来たのか、それを知りたいと言われます。

さて、上記の2つの内容。
前記の「土地」は感覚からすると、その地に関わる前世からの因縁が有るのではないかとお考えになるのは至極もっともだと思います。
そして後の「使命」これは前世の記憶を知る事より今生のその方の問題だと思われます。

しかし、関連性が薄いと思われるこれらが実はその方の「使命」に深く関係していました。
その方は大変古い文明からの転生でした。
そして、それを遡ると、やはり予想していた通りこの惑星以外の遠い星からこの地球を目指し転生してこられた方でした。
むろん前世においてもその「土地」には深い関わりを持ってもおられたことも追記しておきます。


しかし、数万年以上の時を、その全てでこの惑星で地球人として何度も転生されてきました。
むろん新しい人生では直近の前世でさえ記憶は遥かに遠いものとして、魂には記憶されつつも表層の記憶としては消え去って転生しますので
ご自身が遠い文明からの転生である事は、今はお忘れになっている様でした。

しかし、リーディングを続けるうちに何故その土地に執着し、そしてその執着が結果として役割、使命となっている事も見る事が出来ました。

その方は生まれた地を一旦離れましたが、様々な人生の末また生まれ故郷にお戻りになりました。
ご本人は、ご自身の意思以外の何かの力を感じていたとおっしゃいます。

そして何故その地に戻られたかが分かりました。
その方をその土地と他の文明が必要としていたようなのです。

私たち人間は炭素の集合体として存在しています。
炭素体であるという事はすなわち電気的な信号の受動体でもある訳です。
例えば地震の前に体の変化を感じる方がおられます。
地震は時として地中深くで岩盤に歪みを生じさせ、強い圧力で岩石に亀裂を作ります。
その岩石の破壊時に強い電磁波が出る事が近年分かってきました。

私たちが炭素体で有ればその微弱な電気信号を感受したとしてもおかしくは無い筈です。
大きな地震の前に原因不明の頭痛や不安感を感じるという方が多くおられますが、恐らく何らかの電気信号が、私たち生体受動機に作用していたのではとの推測もあながちあり得ない事ではないと思います。

私たちの体が一種のセンサーとして自然界を流れる様々な電気信号に晒されて居る事は周知の事です。
しかしセンサーと言っても、必ずしもその精度が一律ではないとも考えられます。

私たちには個性があります、これは肉体的にも言える事です。
陸上競技で短距離が得意な方、長距離が自分には合っているという方、様々です。
受動体の感知性能や用途もこれと同じく人様々なのではと推測します。

こう考えますと私たちの生体が受動体であったり、個々の生体が一種の電子回路或はICチップの一つであり、集団で居る事である種の回路基板を形成している、そしてその地のエネルギーを利用して信号を変換増幅しているなどの仮説も立てられそうです。


さてこの方の話に戻りますが、その地に「存在する」事がすなわち、既に役目を果たしているようなのです。
つまりご自身の肉体が一種のアンテナとなり、自分では全く知覚のないまま、主に情報の相互疎通の為そこに「生きる」
それこそがその方の今生での重要な使命の一つだった様なのです。

そしてその情報を扱っているのが「現在」私たちの直ぐ近くに居る(であろう)、遠い天体から来られている知的生命体であるとの確信を「感じ」取る事が出来ました。

そして、意識の表層では全く知る事もないのですが魂の部分では、本人も十分にその役割を理解し、進んでその役目を負っている様です。

その土地が持つパワーも同時に感じられました。
正確にはその土地に近接した、いわゆるパワースポット的な「象徴的な建造物のある場所」を感じたのです。
それは神社でした。
場所は割愛しますが、その土地が持つ一種のエネルギーが、アンテナであるご自身に増幅の為のエネルギーを与える場所でもあった様です。
同時に情報の疎通の為にはその地でなければならない何らかの「科学的」理由がある様でした。



私たちは使命を考えるとき、何か自分でも手応えが有り自覚できる「行動」と思いがちなのですが
決してそればかりではない様なのです。

これを考えますと、私たちが健やかにこの人生を充実して生きるという事がどれほど重要かを伺い知る事にもなります。
受動体である私たちが不健康に生き、日々ストレスを感じていたらその機能に支障が出る事は考えるまでもない事です。

今まで私たちは良き人生を生きる事は大事だと観念的に諭されてきました。
時に宗教の力を借り、時に道徳の時間に先生から聞かされて来ました。

ところが健やかに生きる事がすなわち、物理的に役割を果たす為だったと知ればとても分かりやすいと思います。

私たちの科学は日進月歩しています。
100年前でしたら素粒子物理学や量子力学の概念など存在しなかった筈です。
同じように脳波の存在も140年前でしたら、口にすれば笑い話程度にしか取られなかった事でしょう。

今では「感情」と言う曖昧な事象を、脳波の測定により数値化し可視化出来るようになりました。
現在の科学の進歩は、過去の数千年に比べれば驚異としか形容できないスピードで新しい発見が有ります。

恐らく近い時期に私たちより遥かに進んだ文明との交流が始まると感じています。
その時を境に、私たちの科学のスピードは今よりまして加速度的に進歩して行くものと思います。
もしかしたら、私たちの科学概念や物理学のパラダイム変換さえ起こるかもしれません。

非常に楽しみな今日この頃です。


今回は役割を、肉体が受動体との観点から探ってみました。
「役割と使命」
このサブジェクトは次回以降も何回かに分けて、また違った側面からお話しして行こうと思っています。

ではでは今日はこれにてごきげんよう。











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# by farmemory | 2013-12-22 23:22 | ・ライトワーカー | Trackback | Comments(0)

◇日本刀にまつわるお話◇

◆日本刀にまつわるお話◆

日本刀を大変忌み嫌う方、或は大変お好きで、その黒金の輝きを美しいと感じる方。そのどちらでもなく興味を持たない方がおられます。
この感覚は日本刀と特定する事無く西洋の剣であったり、イスラムのククリナイフであったりと、武器としての刃物のに対する感情が人によって大きく違う事があります。

さて今回は特に日本刀に関するお話を過去のリーディングを交えお話したいと思います。
私も刃物の中でも日本刀が大変好きで、たまに代々木にある刀剣博物館や上野の博物館に行く事があります。
間違いなく自身帯刀していた武家の時代があったと、うっすらとした記憶として残っています。
しかし侍としてはどちらかと言うとヘナチョコ侍であった様で、武芸に打ち込むよりは歌舞音曲、特に謡曲などを楽しむお気楽武士だったように感じています。

私はかなり多くの転生をしている様で、武士であった事も1度や2度ではないようです。
しかしいつの時代でも争い事は避け、刀を抜く事は非常に少なかったと感じていますし、見えても居ます。腰抜け侍のレッテルも頂戴したかもしれません。
そう言った事からも日本刀の真の恐ろしさ、怖さを身を以て知らないが為に、職人技である鉄本来の持つオブジェとしての美しさに惹かれるのではと思っています。

また、一方では日本刀は自分の分身、刀有っての自分だと言う誉れ高き屈強の武士もいました。
中でも剣に生き剣とともに、その一生を捧げた剣客達としての転生をされた方も数多くおられ、また何人かそう言った方々をリーディングさせて頂きました。
人生に幾度と無く立ち会いや、戦を経験し相手を切り捨ててこられ、自身も敵の刃に倒れる事もありました。
しかしそう言う方に共通する感覚なのですが皆さん日本刀の怖さを肌身で感じておられたであろうに、現世でもまた日本刀に愛着を示されるのです。

恐らく(仮説です)
剣に生き数度の立ち会いで相手を倒し、或は自身も相手の刃にかかり果てたとしても、剣豪、剣士、武士、あるいは騎士、戦士として己より腕の立つ相手の刃にかかる事はむしろ納得し名誉、本望ではなかったかと思うのです。
そして、短い武士としての一生であろうとも、その人生は納得の一生、満足の一生だったのではと思うからです。

つまり私が工芸品として日本刀を愛でるのとは違い、自分の命そのものとして日本刀を肌身離さず過ごされた過去世をお持ちの方に取ってはその思い入れはまた格別のものだったろうと推察出来るのです。

ここで一つ申し上げておきますが、私は人を殺めるに、いかなる理由からもその行為を擁護する気は更々ありません。しかしその行為を断罪、ジャッジする事はそれ以上にするつもりは有りません。
己の罪を裁く事が出来るのは己のみと心得ているからです。



さて他方、
日本刀を見ると怖いと感じる人。
理由は分からず見るのさえ避けたい、嫌だと拒まれる方。
自分が手にしたら使ってみたいと思ってしまう、試してみたいと思ってしまう。そんな自分を知っているので恐ろしいと感じてしまう方。

日本刀を忌み嫌う感情の種類は経験上この3つが一番多く感じます。

そう言った過去世をお持ちの方は、命令とは言え幼子の命や非戦闘員の女性達を手に掛けた人生を悔やんでいたり
また領主であった自分が、大変荒い気性から物事を力で解決する傾向があり、隣国のと争いを和議ではなく攻め込む事で解決した過去世を持つ方々はそのあまりにも短絡的な生き方を自分の死の瞬間大変後悔し、その時に人を殺める最大の武器であった日本刀を嫌います。
もちろん戦ですので戦闘員の多くは戦での死を覚悟はしています、しかし自らの意思ではなく徴兵された兵士、巻き添えになった平民達にとっては覚悟どころかたまったものでは無かったでしょう。

良く首の後ろが痛い、重いと言う方がおられます。
専門機関で調べてもその理由が分からず難儀している方が、何人かおられました。
そして共通する事として武器としての刃物を大変恐れている傾向が有りました、リーディングの結果やはり何人かは前世で斬首にあっていた方でした。
そしてそれを知る事でそれ以降徐々にその痛みが消えた方もおられます。

実は私もそうでした、過去胸に受けた銃弾で命を落としていますが、正にその場所が子供の頃より痛みを感じる場所でした。
しかしその過去世を見てからは徐々に痛みは消えて行き、半年程で痛みが消えました。
むろんそうではない方もおられます(つまり前世リーディングから理由を読み取る事は出来なかったと言う事です)


***
これは余談なのですが、体の不調が前世からの因縁と言う事は十分に考えられる事です。
だからと言って全てそれで解決しようとされるのは避けられた方が良いかもしれません、体の不調は体からの何らかのメッセージでもあります。医師にかかる事もこれもご縁と心得、信頼の置ける医療機関にも行かれる事もお勧めします。

医療に関しての知識は全くありませんのでその観点からのお話は避けます。
しかし、人を助けるとの確固たる意思とそのポジティブなモチベーションをもたれる医師の方々は、大変強いエネルギーもお持ちです。
そのエネルギーに触れる事はとても効果があると感じます。
診療に当たり医師に暖かい笑顔で「どうしましたか」と問いかけて頂いただけで良くなってしまった経験、ありませんか?

リーディングにより理由を知る事、専門医に相談する事、是非バランスの良い方法をお取り下さい。
***


さて、日本刀を忌み嫌う人の多くは
ご自身が日本刀によってその人生を終わらせられてしまった恐怖と無念さから、大変忌み嫌っておいでです。
戦国の習いで、敵方であれば5歳にも満たない幼子であろうと、お付きの女官であろうと容赦なく首を落とされたはずです。
非戦闘員に取って刃にかかる事は大変無念であろう事は想像に難くありません。
そう言った過去世をお持ちの方に取っては日本刀は恐ろしく忌み嫌うものとして魂に刻まれているのだと思います。

武器としての日本刀の恐ろしさを身を以て経験していると言う事ですね。

最後に、少し話がそれるのですが。。
日本刀そのものをご神体とし、それを祀る神社が有ります。
三種の神器のうちの「草薙の剣」を奉る熱田神宮が筆頭です(厳密には日本刀では無く両刃の剣ですが)
また、死の床に着かれれた方を邪気から守る為に胸に短刀を載せる風習も有ります。
神そのもの、或は守り神として古くから刀は尊ばれていました。

その反面、「村正」と言う刀工が室町から江戸初期にいました。
この刀工が作る刀は徳川家に仇すると忌み嫌われていました。
また、今でも日本刀は人を切ったかもしれない、日本刀には血が染み込んでいるので手にしない方が良いなどなど
大変に不吉なものとされる傾向もあります。

正に表裏一体を成しているとも言えますね。

これはどちらが正しいのか?
どちらも正しく、どちらも間違っていると感じます。

森羅万象いかなる事象にでも深淵なる意味が有り、どちらか一方のスタンスでものを判断してはいけないその良い例だと思います。

ものは生まれた瞬間から魂を持つと言います、古くネイティブインディアンの宗教観に「マニトゥ」と言う考えが有ります。
いかなるもの(それは有機物、無機物の区別無く陽子と中性子レベルにまで当てはまります)にも魂が有ると言う教えです。
これをふまえますと日本刀にも魂が有ると言う事になります。
魂、これはエネルギーでもありましょう。

その刀に込められる持ち手のエネルギーがいかなるもので有ったかで、或はその刀を打つ刀工の意識でもその刀の持つエネルギーも変わって来るのではとも思います。
いわくの有る刀にお祓いをするのは邪を払うのではなく、その日本刀の持つエネルギーを対局にあるエネルギーに変換させる事なのではと思うのですが、いかがでしょうか。。。

今日はスピリチュアル的なアイテムとして取り上げられる事の多い「日本刀」に焦点を当ててみました。
ではではまた次回、ごきげんよう。







[ 2010-08-10 15:57 ]


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# by farmemory | 2013-12-22 23:18 | ・前世リーディングと覚醒誘導 | Trackback | Comments(0)