カテゴリ:・リラ物語( 17 )

◆リラ物語(リラの愛・その前に-3)◆

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このイラストは私の作品ですがロイヤリティーの生じる作品ですので流用、転載などはご遠慮ください。見て楽しんでくださいませ〜


◆リラ物語(リラの愛・その前に-3)◆

◆リラ物語(女性性について-1)◆
◆リラ物語(女性性について-2)◆
◆リラ物語(リラの哀愁 -1)◆
◆リラ物語(リラの哀愁 -2)◆
◆リラ物語(リラの愛・その前に-1)◆
◆リラ物語(リラの愛・その前に-2)◆

過日あるプロスポーツ選手が薬物所持(乱用)により、自分が愛してやまなかった(と信じますが)スポーツ界を去らねばならないこととなりました。

一般的に見ればこの方が堕落し、自らを闇に落としてしまったと見えるでしょう。
しかし見方を変えるとこの出来事にさえ愛を見出すことができるのではないかと思います。

確かに簡単には成し遂げられないプロの世界に入ることができた彼ですが、ではそのスポーツ世界自体がどんな世界だったかを考えてみますと一般の人々の意識からかけ離れた「風変わりな価値観」の存在する世界でもあります。

幼くも初々しく清々しい高校選手達が、このプロスポーツ界に足を踏み入れ時を過ごすうちにそれほど変化してゆくか、それを彼の顔つきや雰囲気の変化が身をもって私達に示してくれたように思います。

そして今回彼は自身の慢心や傲慢から道を外してしてしまったと見えるかもしれません。
しかし彼の魂が、そのプロスポーツ界から足を洗わすため、思いもしない強制力を伴って彼の所属する表舞台から引き下ろしたと見ることもできるのです。
おそらく拘置所という不自由な場所で持て余すほどの時間の中、いやでも自らとの対話の時間を与えられたはずです。

もしここで、彼がその大切な時間を天の心理を理解するための内向をし、少しでも目覚めへの道を歩め始めるのであれば、彼の今回の事象すべてに間違いなく「愛」が存在することを見ることができるでしょう。

しかし、その時間をどう使い、自身がどこに向かうかは自身で決めねばなりません。
自由意志もまた愛の一つです。

目覚めることなくさらなる深みに向かうのか、それとも真実のなんたるかに向かい階段を歩き始めるのか。

※この真実とは「社会が決めたルールを遵守する人になる」「清廉潔白な聖人君子を目指す」こととは全く違います。
犯罪を犯した自分を律して断罪するより前に、自分と言う「者・物」を真っ直ぐに見つめ、自分が今この3次元で何を体験するために存在しているかをしっかりと見つめることを言います。
人からの教えや教育を超え、自らの中に存在する自由と慈愛にどれほどたどり着けるかということに他なりません。
そして自分が成してきたすべてのことに対し、目を背けることなくしっかり見つめ、その体験をどう魂に記憶させていくかが重要なことなのでしょう。

さらなる深みに行くか、宇宙的真実の探求に向かうか、そのどちらの道を選ぶかもまた自由意志であり、それを何人もジャッジなどできるものではありません。
全能なるこの世界(宇宙)に「間違った道」は最初から存在などしてはいないのです。

いわば人生はあみだくじです、その人生の時々で岐路に立つ者がどの道を選択し、その先にある体験をしてゆくのか。
全ての道は天の愛のもとに敷かれた慈悲深い光の道であることに間違いはありません。

今回社会的制裁を受けてしまった彼が一般的に見れば目も当てられないと感じる出来事にさえ、いえむしろだからこそそこには天の愛が存在しているということになりましょう。

愛とは過酷であればあるほど、その慈悲は光り輝いてくるものです。
「この世界に神も仏もいやしない!」
そう悪態をつき天に唾しようとも、天は慈悲深い眼差しを送ってきてくれるものです。

どれほど反社会的に生きようと、アウトローの世界にいようと天は決してその人をジャッジなどしません。
中にはその世界に生きなければならない深い深い理由もあるでしょう、この社会がいかにおかしな世界かを感知してしまう高い感受性を持つピュアな魂の持ち主達が、社会に迎合できず外れていってしまう人生もあるでしょう。
そして絶望の中で生きる人々にさえ天は手出しせず、しかし愛のエネルギーを送り続けてくれるものなのです。

ギャング達が闊歩する絶望の様に打ち捨てられたダウンタウン、その中にある崩れ落ちそうな教会の中で慈悲のなんたるかを静かに語る名もなき神父の言葉に「真の愛」があるのかもしれません。

     ・

ミュージックコメディ映画「ブルースブラザース」にその真実の愛が描かれて(散りばめられて)います。
お気に入りの映画です、よかったらご覧ください。

余談ですが、この映画には若き日のレイヤ姫役の「キャリーフィッシャー」が出ています、そして彼女が出演したスターウォーズエピソード5と同じ年にリリースされています。
彼女は私生活で一時ドラッグに溺れていた時期が有り、そこからカムバックしその時の体験を記した自伝的小説『崖っぷちからのはがき』を発表していてとても興味深いです。
今現在彼女がドラッグから完全に手を切ったかどうかは・・本人しか知ることはできないでしょう。
またその体験が彼女に何をもたらしたかもまた彼女自身だけが知り得ることです。

そして彼女は間違いなく「リラ」を故郷に持つ魂と確信します。

過剰なドラッグやアルコールに絡め取られてゆく理由の一つに、現行社会の冷酷さや不条理、無理難題の社会的ストレス、その苦痛に耐えきれなくなり走ってしまう事もあるでしょう。
そしてこの社会に蔓延するエネルギー的意識操作(マインドコントロール)を無意識に感知してしてしまう感受性、ピュアさを持つのが若年世代です。
その不条理をどう受け止め、消化していけばいいか分からない世代にとっては薬物の誘いに入りやすくもなっても行くでしょう。
全ての真実の開示である「ディスクロージャー」が今喫緊のライトワークです、そしてそのための解放ワークが今後も重要と心得ます。

     ・

小綺麗に生きている者、品行方正に生きている者だけが高次に向かうのではありません。
いかなる者、いかなる事物にさえ平静の目を向け慈悲を持てるかが高次に向かう者の有り様でしょう。
そして高次に向かおうと希望する者は長い転生のどこか(この人生かもしれません)で深い闇に落ち込み、もがき苦しみながらも何人にも依存せず「自らの力」で這い上ってきた者でもあるはずです。

綺麗な言葉や見てくれに迷わされることなく、がれきの中で咲く一輪の花、その花が出す小さな光こそが真の次元上昇の場でもあるでしょう。


***

今回の事件の当事者に関しては天(宇宙)は静かに見守っていることでしょう、しかしもう止めることのできなくなったこの次元上昇を望まず、激しく阻止しようとするグループに対しては天の直接的な意思が施行され始めています。
なぜならこの次元移行は宇宙の摂理における事象ですので、天の総意としてそれを受け入れることが求められているからです。

恐らくすべての魂は遠い太古の昔のある時点で地球の次元移行があることを悟り、受け入れたはずだったのですが、土壇場にきてその受け入れ(約束)を自ら反故にしてしまった者たちがいるということです。
もちろんそれをそそのかした地球外の生命体が存在したことは間違いないところですが、彼らは地球由来の肉体を持たないいわば「よそ者」です、今次元上昇が加速し地球自体の周波数も上がってきたことから彼らは地球を離れて行っています。

今駄々をこねデタラメな政治や経済活動を行うもの達、平和の名を冠しながらその実暴力破壊行為を先導しの糸を引くもの達(解放、改革の名の下であろうと、そこに少しでも怒りや暴力の芽があればおそらくそれらは画策された暴力行為の糸が入っているでしょう)、それでも彼らもまた地球由来の肉体を持ちながら、未だ地球を去った者たちが敷設したマインドコントロールから目覚めていない人類たちです。

変化を受け入れず高次に移行する地球と希望者達の足を引く人たちへは、天は静かに忍耐強く目の前で始まっている移行を受け入れるように緩やかに語りかけてきました。それでも聞き入れない場合には静かに退場を促し始めています。
高次に向かう地球自体の周波数上昇は止まりませんので周波数の違う人類同士はいずれ分離してゆく事となるでしょう。
この天の総意だけはこの宇宙で体験学習をする者の避けられない一つのルールでもあるということです。

その時点で、高次を目指すことのない魂は3次元に戻り留まっていなければ、その道(帰り道)がふさがり次元の隙間をさまよう迷子となってしまう恐れがあることから天は彼らにすべてを受け入れるよう忍耐強く声にならない語りかけをしているのでしょう。
そしてこれは天からの叱責ではなく慈悲からの想いに他ならないはずです。

***

今回のお話はここまでです。
次回から異性同士(パートナー同士)の営む「愛」についてのお話に入って行きます。

恋愛、結婚、SEX、出産
これも一つの愛の形です、そしてこれらの「愛」がリラの担当する大きな部分でもあり、パートナー同士の愛がどれほどのエネルギーを持ち、この次元以降に関わってくるのかのお話につなげて行きたいと思っています。











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by farmemory | 2016-02-29 01:16 | ・リラ物語 | Trackback | Comments(8)

◆リラ物語(リラの愛・その前に-2)◆

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◆リラ物語(リラの愛・その前に-2)◆

前回に続くリラの愛についての2回目です。
今回も宇宙を構成しているエネルギーの元となる宇宙的な「愛」に関しての続きとなります。

◆リラ物語(女性性について-1)◆
◆リラ物語(女性性について-2)◆
◆リラ物語(リラの哀愁 -1)◆
◆リラ物語(リラの哀愁 -2)◆
◆リラ物語(リラの愛・その前に-1)◆


愛を語る上で、甘く暖かくハートウォーミングな愛、利他に生きることが愛との認識を持っているだけでは不完全です。

真の愛を理解するため時には、苦しみさえも愛であることを理解させるため思いもよらないハードルをハイヤーセルフは投げかけてきます。
そしてその辛さや苦しさ、悲しさの意味を知ることが完全意識への道なのだと、声にならない投げかけ(体験)をしてきます。
漠然とであれ希望するということは、その体験さえありうることを受け入れることが「希望」するということになります。

しかし苦しみや悲しみ、痛みさえも愛の一部であるということが理解できた時、ハイヤーセルフはもう同じ事を自分の分身に体験させる必要なしと判断しその次にあるワンネスの意味にその人を連れて行きます。
これはこの人生だけでの体験を指すのではなく、何度もの転生において課題をクリアしてきていれば同じ設問は出されないということです。


さて、この地上に生きるものは(一部の例外を除き)必ずその命を終える時がやってきます、これは何人にも逃れることのできない天の摂理です。
そしてこの終焉は、この3次元で生きるために必要不可欠なファクターでもあり「その人生の終焉」なくして3次元を語ることはできないということになります。

一つの人生の中で体験学習をするには限りがあります、女性で生きている間は男性での体験はできません、封建君主と生きている人には圧政を受ける民衆は体験できません。
それを可能にするのが人生のリセット、転生です。
3次元での体験学習をより効果的に行うために、一つの人生の終焉を自分が設定し転生を繰り返してきたのです。


また愛するもの、大切に思うものとの離別さえも広義でいう「愛」の一つでもあるのです。
大切なものとの離別は、時として残された者にとって耐え難いほどの悲しみや痛みをもたらします。
しかしそのインパクトが大きければ大きほど、その離別を乗り越え自らの足で立ち上がり、明日を生き始めた時その人の精神性に多大な意義と強さをもたらします。

あるいは愛する者との出会いを過ごし、その間に愛おしい子を授かったとしても、やがてお互いの行き違いにより片親としてその子を育てなければならなくなった方もおられることでしょう。

また子があろうとなかろうと自ら離別を望み、それに向けた精神的な苦痛の日々を経験した方、している方も少なくはない事でしょう。
それを人生のつまずきとか、自らの因果と嘆く事は有りません。

勿論その渦中にいる時に、自分が今体験していることが魂の進化につながっているといった達観はそう易々と受け入れるのは難しいことです。
しかしだからこそその苦しさに意義があるということなのです。

「明日自分は信じていた人に裏切られる、それは自分の魂の成長なのだから」
このように最初から明日の出来事を知っていては、その事象がもたらす真の意味が薄れ、インパクトもなく心の準備さえ出来てしまい体験学習として成り立たなくなってしまうのです。

本来こうした過酷ささえも天の慈悲による愛と言う事になるのです。


また、この宇宙に普遍に存在する重要な事象である「無常」もまた愛の一つです。
無常とは常ではないということ、すべての事象・事物には永遠はなく常に変化を続け流れゆくものであるということです。
今私たちが体験しつつある次元上昇も、この変化を表しています。

この”無常”は平家物語にある「祇園精舎の鐘の音」の一文が象徴する、栄華盛衰だけを指すわけではありません。
確かにかつてのローマ帝国も、オスマントルコ、スペイン王国、大英帝国、そして近年ではアメリカ合衆国さえもその覇権は永遠に続くものではないことを私たちは目にしています。

しかしこうした壮大な変化だけではなく、宇宙に存在するすべての生命体、その個々にさえその「無常」は適用されて行きます。

例えば自分の大切なパートナーや伴侶との時間にさえ必ず変化が訪れます。
どれほどお互いを必要とし受け入れてきた二人であろうと、最後は人生の終焉によってお互い離れゆくものです。
あるいは、相手の心が離れて行くことも無常の一つの有り様でもあります。

私たちはその無常をどこかで知っているため、恋人たちは永遠の愛を求め、伴侶とは永遠を誓う契約書に神父や神職の前で署名をしてきました。
宇宙の摂理において永遠の”誓い”は無効でもあるということ、だからこそ法的な拠り所でもある結婚”契約”制度に人は希望を託してきたのかもしれません。

しかし失うことを恐れることが、やがて執着となって行き、それが高じて行けばエゴという意識を知るようになります(その時点では自分の持つエゴには気がつきません)

相手を過度に想いすぎてしまい、失うことを恐れて行けば、その恐れによって自らの周波数に混乱を生じさせ、それによって起こってくる苦しみという体験を私たちは学習して行きます。
恋愛というものの最大の学習効果は、まさにここにあると言えるかもしれません。

ここで知る恋愛の苦しみや体験さえも重要な体験学習という理解をすれば、周波数に不調和を生じさせねばその経験ができないということであり、エゴもまた重要な3次元での体験というカリキュラムでもあることも理解に及ぶことでしょう。

しかし
「どうせ人の心など変わりゆくもので信じることなどできないよ」
と言った決して投げやりな、後ろ向きで投げやりな意識ではありません。
留まることなく全ての事象は変化して行くと言う至極単純な天の摂理を多くの人との出会いと別れから理解して行くということに他なりません。

人の体は物理的に拘束することはできても心(魂)は自分の手中に握ることはできません、しかもすべての魂は何人からの拘束を受けるものではなく自由であるということを理解していれば、例え心から敬愛し愛するパートナであっても、時として永遠は存在しないという事もまた天の摂理のうちでもあることも理解に及ぶでしょう。

逆に言えば
「今、私はあなたを愛しています」
「昨日でもなく、明日の約束でもありません」
この意識にこそ全てが集約されるでしょう。

明日を憂い、明日の不安の中に生きるのではなく、今という刹那を精一杯生き、そこにある幸せを享受することが真の幸福であると言う事になりましょう。
明日のことなどわかりません、しかし明日を想像することはできます、そしてその明日は「自分」の明日です。
この人生はあくまで自分個人の時空であり、その流れに例え家族であってもその時間軸に組み入れることはできません。

生涯を仲睦まじく終えた夫婦であっても、個という時空はそれぞれに存在しています。
相手のすべての時空にはに踏み込まないという不文律を理解して行くことが、仲良く暮らす夫婦の秘訣なのかもしれませんね。


今回も宇宙における愛のお話をさせていただきました。
次回もまた天の摂理としての愛をお話することとなります。

それ以降、リラの「愛」についてのお話に入って行きますのでもうしばらくお付き合いください。

では次回また。









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by farmemory | 2016-02-18 11:03 | ・リラ物語 | Trackback | Comments(4)

◆リラ物語(リラの愛・その前に-1)◆

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◆リラ物語(リラの愛について-1)◆

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◆リラ物語(リラの哀愁 -1)◆
◆リラ物語(リラの哀愁 -2)◆

今回から「リラと愛(愛のエネルギー)」についてお話を進めて行きます。
愛に関してもとても一回で書きれることではありませんので、数回に分けじっくりお話ししてゆきたいと思います。

その手始めにこの宇宙を構成しているエネルギーの元となる宇宙的な「愛」に関して触れておきましょう。
これは本題となる「リラの愛」のお話の前に知っておきたい内容です。

一般的に愛という言葉は極めて広義で、曖昧で捉え所のない言葉でもあります。
ここで「愛」をあるベクトルを持った「エネルギー」と置き換えて解釈してみます。

例えば隣人への愛や、敵への愛、愛を持っての行動、言葉の愛・・・こうした相手に対する思いやりが示す「愛」。
また愛の中に生きるという言葉が象徴するように、自らの状態をそうした温かい状態に保ち続けることが自らの持つ周波数を高次に向かわせる為の方法としての「愛」
また無償の愛と言う言葉が示す親子愛や家族愛、友愛、世界の子供達や動物達への暖かい眼差しといった緩やかで穏やかな慈愛も同じようなベクトルを持っています。
(男女間、あるいはパートナー*同性同士も含む*との愛に関してはリラの「愛」と深い関係がありますのでこちらに関しては別途お話させていただきます)

これらを周波数の上昇や降下に影響する物理的なエネルギーと理解してみると分かりやすいかもしれません。
温かく緩やかで自然体の愛が持つ「エネルギー」で、その対極にあるのが冷たく厳しく教義的に語られる「エネルギー」と言う事になります。

そして前者の生み出す温かいエネルギーは緩慢で、薬で言えば漢方薬のように世界の体質改善に役立つエネルギーと言っても良いでしょう。
即効性というより、多くの人の心の中に、こうした他者への思いやりや優しさ、受け入れなどを向けることにより、それが見えないエネルギーとなって緩やかにこの地球全体をベールのように覆って行き、この地表にある尖ったエネルギーやネガティブなエネルギーをゆっくりと氷解させて行き、着実にポジティブなエネルギー状態に変換してゆく。

そうした種類の「愛のエネルギー」が極めて緩やかで、曖昧な表現の「効能」と言えます。
漢方的な効能ですがら、忍耐強く、しかも途切れることなく継続してゆくことが肝要です。

この一連の「愛」は天の摂理に則った普遍のエネルギーを語っています。
いかなる世界、次元、生命体、行為といった森羅万象に遍くもたらされ、如何なる者(物)にも甘受でき、そして与えられるべき天の温かさと言えばいいでしょう。

宇宙はこの愛のエネルギーが、その存在の基盤となります。
つまり愛のエネルギーの上に構築された存在こそが宇宙そのものといことにもなります。

しかしここで大きな疑問が生まれます。
この宇宙(神と同義の存在)が愛を起点として存在しているのであれば、なぜ私たちが認識する「穏やかで平和で慎ましやかで人を思う」意識とはかけ離れている、暴力や欺瞞、執着や物理的我欲、怒りや苦しみと言った事象が存在するのかという事です。

ここが重要な事で、それらネガティブと思われる事さえも宇宙の愛の範疇であるという理解に及べば「宇宙=愛というエネルギーで成り立つもの」が理解できてきます。

実際先にお話ししましたように「敵への愛」と言われても、自分に対し好意的でない相手に簡単に無償の愛など送れるものではなく、嫌ったり怒りを向けてしまう。
むしろそうした意識を持つことの方が一般的かもしれません。

右の頬を打たれたら左の頬を差し出す。
そのような宗教的な意識を簡単に持てるわけはなく、それを口にする人は欺瞞であり偽善だとお感じたとしても無理からぬことでしょう。
しかし、だからといてそう感じることが必ずしも愛に背をむける事になる訳では有りません。

今私たちが体験し始めた次元上昇は少しづつ少しづつ、悠久の中で仕掛けられて来た怒りや恐怖、痛みや苦しみから離れ行くことが実は次元上昇の一つの側面でもあるのです。
いきなり聖人のような意識になることなどにわかにできることではありません。

今までにもお話ししてきましたように、この次元上昇はある日いきなり新しい次元にジャンプして飛び移るものではありません。
遥かな階段を日々登って行く、それが次元上昇です。
そして私たちがいずれ獲得してゆくであろう「完全意識」への到達の段階と同じことなのです。

「善なる心と善行こそが次元上昇の必須要件」と言った巷にあふれる宗教的教義に惑わされることなく、今の自分を信じ(例え今自分を裏切った者への怒りや悲しみに囚われていようと)自分は遥かな次元上昇の中にあることを信じることが、天の愛というものへの理解に辿り着く旅なのでもありましょう。

そして今の自分が聖人君子でないことを残念に思うことなく、それでもいつか天の「完全意識」を理解できるようになれたらいいなと願う漠然とした希望を持ちつつ日々を暮らして行けばいいことなのです。
漠然であっても完全意識を理解したと希望することによりハイヤーセルフはその願いを聞き届け、今はまだその理解に到達できていなくとも「自分なりのスピードとルート」であなたをその理解のステージに誘ってくれます。

その遥かな旅を、自分を信じ、裏切り裏切られながらも、本来人が持つ善性を信じ旅を続けて行くことが高次への道をたどる方法となります。

また私たちには赤ちゃんや幼子と言った優れた教師がいてくれます(自分の子たちでなくても)
彼らは自分の行動に表層上の指針等持ちませんし、人の善悪に関しても概念すら持ちません。
肌の違う同士、言葉の通じない同士、イデオロギーも宗教も別々の国で生まれた同士であっても、幼子達が共にいれば先ず相手を受け入れ仲良くして行く事から始めます。
小難しい事など口にする事もせず(できませんし)そこに平和の輪が生まれて行く事を私たち大人は見ている筈なのに忘れてしまいがちです。

この純粋でピュアな意識への回帰もまた高次への旅の有用なメソッド(方法)の一つとも言えます。

長くなりますので今回はここまでとします。
次回以降も続きます。











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by farmemory | 2016-02-10 00:49 | ・リラ物語 | Trackback | Comments(5)

◆リラ物語(リラの哀愁 -2)◆

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◆リラ物語(リラの哀愁 -2)◆

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このイラストは私の作品ですがロイヤリティーの生じる作品ですので流用、転載などはご遠慮ください。見て楽しんでくださいませ〜

前回からの続きです。

◆リラ物語(女性性について-1)◆
◆リラ物語(女性性について-2)◆
◆リラ物語(リラの哀愁 -1)◆


前回副題としてつけた「哀愁」と言う言葉が示す通り、リラの人々は集まり、グループ、集団、付和雷同、所属、そうした言葉が表す様な生温い感性を持ち合わせていません。
今回はその「哀愁」に関してお話しし、後半で意識の解放の仕方について少し触れてみたいと思います。

遥かな太古リラが崩壊する時、そこを故郷としていた人々はいくつかの選択を迫られました。
この天体が3次元の周波数から5次元を超え7次元あたりに差し掛かる頃、天体の終焉を迎える時となったようです。

彼らは故郷が無くなる、帰る場所が消滅してしまうという想像もできない程の悲しみの中に追いやられることとなりました。
しかし天の摂理の前に、避けることの出来ない非情なまでに過酷な現実として人々はそれを受け入れました。

そしてあるグループは(このグループはリラの中でもやや過激で、この現実を極めて不条理との思いを持った人々でした)同じ琴座のヴェガに移り住むことを希望し、それが受け入れられました。
しかし彼ら過激なグループはヴェガの中のダークサイトと繋がってしまい、やがてオリオン大戦にダークサイドとして関係してしまうこととなりました。

さて残りの大半の穏やかで、女性性のエネルギーを持つ人々は彼らの高度なテクノロジーにより、月より大きな惑星ともいえる人工天体を作り、そこを故郷として宇宙の流浪の旅に出ることとなりました。
しかしその過酷なまでの試練は並大抵のもではなく、女性性を持ちながらも彼らは鍛えられ、試練をくぐり天の摂理に従い生きてきました。

そのため流浪の民の哀愁、切なさがリラの人たちの持つ一面となって行きました。

やがて地球の創成期に太陽系にたどり着き、いずれ来る次元移行に備えこの地球で人類として生きることを選択し、その日々が始まりました。
しかしその人口惑星に住むすべての魂が地球人類として転生することはもちろん不可能です、また暗く重いこの3次元地球に人類の肉体を着て生きることの不自由さから、おいそれと地球に降り立つわけにもいきませんでした。

まずはこの地球の地質に対し、自分達の出来ることで貢献しようと願い、そうしました。
しかし天空からそれを行うだけでは不十分でしたので、人類として地上でそのワークに従事する人の参加を募り、それに応募した人がこの不条理な世界に降り立ってきたのです。

地球に降り立った彼らは高い女性性を持っていたため暴力や過激な行動に出ることができません。そのため今までにいくつもの魂がネガティブエネルギーに晒され倒れてきました。
それでも相手に対する憎しみや怒りを向ける事なく、静かに自らの気配を消し去り、苦悩の日々を(何世代にもわたって)生き抜いてきました。
自分を攻撃しようとするもの、阻害し鞭打つものであっても決して反撃や防御、怒りを見せることはしません、できなかったのです。

そうした日々を送ってきたリラの人たちは、外に助けを求めることをしませんし出来ません、優しさや温もりを求めようともその方法も知らず、それよりも自分からそうした思いを抱く術さえ持ってはいませんでした。

グループを作ることもなく、集団を避け、仲間を探すこともなく孤高の日々の中にあります。
暗く狭い、寒い穴蔵のような場所であっても、忍耐強く、声も上げす、しかし絶望や自暴自棄には決してならず、まるで人も通わない高い山の奥にひっそりと佇む湖の底で息を潜めるように、この社会の中で人に見られないよう、探されないよう、知られないよう生きています。

こうした過酷な日々を生き抜いて来たリラの魂を持つ人々は、この3次元で行われている体験学習が時には生ぬるく、時には子供じみて見えてしまうため、どうしても学習者が抱く痛みにや思いに寄り添うことができません。
しかし、そう感じたとしても、それもその人の体験学習とわかっていますので、決して人を低く見ることもなく、ましてジャッジや批判などできようはずもありません。

「人はいずれ死ぬものです、何故それほど生にしがみつくのですか?」
「名を上げ人に褒められること、我欲を持つこと、野心的でいることに何の意味があるのですか?」
「一人っきりで生きることを何故それほど恐れるのですか?」

こうした意識は天の摂理を理解したからこそ持てるわけです。
そして魂を鍛え、過酷な日々を送ってきたものが獲得した”真実”でもあります。

しかし体験学習の場で生きる人々にとってリラの人たちのその ”達観” は理解を超えています。
だからでしょう、リラの人たちは人から情の無い冷たい人と思われたり、人に対して強い興味を示しません。ですので時には疎まれたり怪しまれたりもしてしまいます。
しかしその哀愁の日々をすごしてきたリラの人たちは真の愛(全てではなく愛の一つの側面として)とは過酷で、厳しく、切ないものであることも理解しています。
哀愁の先にある真実に辿り着いたのが、この地上で生き抜いてきた彼女たち(彼ら)なのです。

しかし決して人生を、生きることを諦めてなどいませんでした。
やがて来る時(この次元移行が引き返せないところまで来る時)を気の遠くなる日々の中で待ち続けていたからです。
そして今、その時となりました。

今まで眠っていたリラの人々の中にある真の情熱と願いに気がつき始めています。
女性性の解放は新しい次元の有り様を示しています、ですからそのために生き抜いてきたまさにリラの悲願です。

その解放は、集団で行うものではありません。
一人一人個として独自に行ってゆくものです。

   ・

さて「リラの解放」などというと高いハードルを想像してしまうかもしれませんので、そのプレ段階で行える簡単な意識覚醒のについてヒントになるお話を少しだけして、今回は終わりにしたいと思います。
それは何かとても特別のように思われるかもしれません。
確かに今まで眠っていた意識を揺り起こすということですので覚醒を意味することは確かです。
しかしその覚醒ということも必ずしもサイキックな能力をいきなり発揮するということではありません。

――――――――――――――――――――――――
◎方法はわからなくても意識を解放しようと希望する。

◎シリウスのエネルギーに触れるイメージをしてみる。

リラはシリウスととても深い関係にあります。
この2つの関係は姻戚関係、またはパートナー関係にあるようなものです。
シリウスのエネルギーは穏やかで静かな男性性のエネルギーも少なからず持っていますので、そのシリウスに触れることでバランスを取れるようになって行くからです。

天空に輝くシリウス星を実際に目視してみる(シリウスは真冬の天空に青白く輝く一番明るい恒星です)
シリウスのエネルギーを持つと思われる知人友人に触れてみる
またシリウスの影響下にあるこのブログを読んでいるという事も同じ意味合いを持ちます

◎胸の奥にしまっていた火の消えたロウソクに小さな火を灯すことをイメージしてみる。

◎森の中の小さなログハウスのベッドで、たった一人で眠り続ける幼い自分をイメージし、その子を大人になった自分が優しく起こしてあげるイメージをしてみる。
――――――――――――――――――――――――

先ずはこのような小さなことを想像、実践してみる事から始めてみてください。

しかし時間が加速している今ですので、こうした些細なイメージからでもいったん起動し始めると、その覚醒は思いの外早くお起こってくる可能性があります。
今まで目には写っていても見えていないと思い込んでいた様々なことが、急にその意味を理解し始めたり、グレートーンだった事象が色彩を帯びて感じられたりすることもあるでしょう。
とても観念的な伝え方ですがこうしたことを感覚的に理解し始めてくれば、解放につながってきていると判断できます。

そして何より、自分はこの世界に一人孤高に生きていたと思っていたが、少ないながら自分を理解し、自分も相手を認識できる人がいるのだという真実に気がつき始めます。
しかしだからと言って群れることをし始めることではありません、まして今まで近付こうとしなかった”社会”に足を向けることでもありません。
すでに離れて行こうとしている古い社会には、やはり距離を感じ続けて行くことには違いないでしょう。
苦手と思うことに無理やり意識を向ける必要はありません、ストレスを感じないように自分なりの緩さで行ってみてください。

今回はここまでです。

次回以降に続きます。










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by farmemory | 2016-01-04 00:16 | ・リラ物語 | Trackback | Comments(10)

◆リラ物語(リラの哀愁 -1)◆

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◆リラ物語(リラの哀愁 -1)◆

少し間が空きましたが今回はリラそのものに話を移して行きます。
リラ物語の一連の記事は以下にございますので参考になさってください。

◆リラ物語(女性性について-1)◆
◆リラ物語(女性性について-2)◆

リラは琴座に属した天体でした、でしたというのはこの天体がすでにこの宇宙から消滅してしまってるからです。
地球から2200光年の場所にありました。
その天体の崩壊に伴い故郷を離れ、様々な星に移住したリラの人々がいました。
中には同じ琴座のヴェガに移り住んだが人々も居た様です。

しかし全ての人がチリジリに様々な星に分かれたのではなく、高いテクノロジーを持ち高次元の存在であったリラの人々は人工天体を作りそこを故郷とし、言わば宇宙の放浪の旅に出た様なのです。

放浪と言うのは正確ではないかもしれません。
常にこの人工惑星に住むリラの人々の想念で、行く先や未来さえも決め実に高い精神性を持って宇宙を旅しています。

この地球が誕生した時、ここを3次元の体験学習の場として天が認定した時から、ここに住まう知的生命体の誕生を迎えることとなりました。
太古の地球に生命が生まれ、やがて高度な細胞を持つ生命が生まれ始めた頃、主にシリウス、プレアデスの人々の干渉により個々の人類が誕生しこの地球の歴史が始まりました。

しかしこの地球という惑星の誕生に大きく関与したのが実はリラの人々でした。
彼らは、人類誕生のカギではなく、この地球という惑星そのものを作る時地質学的な影響力を持ったのです。
具体的に言えばマントルを管理しているのがリラのエネルギーということになります。
彼らはそれからもこの地球そのものの健全化を願って見守ってきました。

今回地球の次元上昇に当たり、この人工惑星に住む人々は自らの意思でこの地球のアセンションを手助けする事を希望し、今地球に多大な影響と干渉を与えてくれています。
またこの地球にも、リラを故郷としながらも人類として地球に転生をして来た人々がいます。

私自身、今はシリウスの影響下にありますがリラ星が崩壊する前の遥か遥か古代に、リラに転生していた記憶も有ります。

その頃のリラは、まだ次元自体がそう高くは無く(リラも何度となく次元上昇を繰り返して来ました)争いや人々の心の荒廃も存在する低い周波数の場所でした。
私は今の3次元である地球での体験学習の前は、どうもこのリラで多くの3次元的な体験をして来た様です。

この地球に来る人々の多く(80%ほど)は体験学習組ですが、それ以外の20%程は既に他の天体でかなりの3次元を体験して来ています。
その人々は、この地球を体験学習の場として利用するのではなく、今私達がリアルに体験し始めた次元上昇を目撃、バックアップするために来ています。

その方達は既にどこかの天体で、かなりの3次元学習を終えて来ている筈です。
私の3次元学習の地球以外の場所が、このリラだった様です。

次元上昇のおかげでリラはとても強い女性性のやわらかなエネルギーを持った星となりました。
ですからリラを故郷とする方の特徴もやはり「女性性」なのです。
また私達が女神と言って崇め祀る女神達の多くが、このリラの人の呼称となっていました。

※古代エジプトでシリウス人の総称を「オシリス」とし、彼らを神と扱っていたのと同じです。

木花咲耶姫、ハワイのペレ、イシス、アテナ、アフロディーテ、ヤクシャ、ヨーギーニなどなど・・
特に例を挙げた最初の二人(木花咲耶姫、ハワイのペレ)に共通するキーワードが有りますが、それが「火山です」
ご存知の事と思いますが木花咲耶姫を祀る神社は浅間神社です(ここには2つの火山が関係しています)一つが浅間神社のある富士山、そして名の通り浅間山です。
そしてペレはハワイのキラウエアに住む女神です。

火山は静かな時には、人々に多くの安らぎと恩恵を与えてくれます。
温泉も、火山灰に含まれるミネラルも、母なる地球を常に息づかせる造山活動も、マグマの移動、大陸の移動も火山と深い関係にあります。
しかし一旦噴火すると、手がつけられない程の破壊的エネルギーで、今度は人の生活を翻弄してしまいます。

リラの持つ特徴こそ、穏やかな時には慈悲を見せ、感情が高ぶった時には誰にも止められない程の激しさを見せます。
リラ星人の特徴がこの「火山」なのです。

さてこのマントルを司る女神として伝えられてきたリラを故郷にする人々もシリウス、プレアデスに比べれば少数ながら、この地球に人類として転生してきています。
今地球は悲願だった次元上昇という宇宙的イベントに入り始めています。
しかしこの次元上昇をなんとかして阻止したい勢力が存在し、太古の昔からこの次元上昇が始まることを阻止し続けていました。
天の摂理において地球の次元上昇は、必ず起こるというスケジュールになっていましたが、そのタイミングは今回が初めてではありませんでした。
地球の歴史において何度かのチャンスがありましたがその都度、それを阻止され潰されてきました。

このイベントには地球だけの力ではなく、それを人類としてバックアップする人々の力も重要でした。所謂ライトワーカーたちです。
しかし過去のタイミングにおいて、まだ強大な力を持っていた抵抗勢力はそのライトワーカー自体を殲滅することにより、阻止することに成功してきました。

例えば近い歴史の中では魔女狩りもその一つの例でしょう。
この地球の次元上昇に大きく関与するリラのエネルギーを持つもの(ここでは女性を指します)を戒め、低いものとして押さえつけてきました。

リラの人々には争いや攻撃、自己防御という破壊的な意識がなく、また実際身を守る術さえ持たないのです(女性性の象徴の一つは平和です)
そのため簡単に圧政の中に落とされ、魔女狩りなどという不条理を甘んじて受けなければならなかったのです。

シリウス、プレアデスの人々は身を守る「腕力」も持っていましたので、抵抗勢力に対し実力で対抗しうる術も持っていましたが、リラのエネルギーを持つ人はそれができません。
そのため彼女達が選択した自己防衛が「隠れる」ことでした。
木花咲耶姫は自分の名前を語らないでほしいと願う奥ゆかしい姫と言われてきましたが、それは奥ゆかしさではなく、自分という存在を語らないでほしいという切なる願いに基づくものでした。
同じようにアマテラスも「隠れる」女神として語られてきました。

その意識を持つリラの人々、そこを故郷にもつ人類は皆自分が前面に出ること、目立つこと、人に知られることを極端に避けて来ました。
陰で息をひそめ、気配を消し、目立たず静かに暮らしてゆくことで、身を守ってきたのです。

今、こうして目立たず静かに暮らしていたいと願う人の中にはリラを故郷に持っている可能性があります。
彼女達は決して良い子でいたいのでも、奥ゆかしいと褒められたいのでもありません。
自分の存在を人に知られたくないとさえ思うほど臆病で覇気を見せないその理由が、身を守ることに由来してきたのでしょう。
遠い昔からの魂の記憶です。

しかし、とうとう次元上昇はその時を迎えました。
しかも次元ポータルである2012年12月を過ぎた今、その上昇は後戻りできないところまで来ています、そのため抵抗勢力の力は落日を見るほどに衰えてきています。
リラの人々はもう逃げ隠れする必要が薄れてきています。
そこでリラ星を故郷にもつライトワーカーの目覚めの時を迎え始めているのです。
しかしリラが目覚めるということは、今まで押さえつけられてきた地球自体の目覚めも同時に起こり自然が「動き始める」ということになります、既にその兆候が各地での気象に現れ始めているかと思います。

今後それに呼応してリラの覚醒イベントなども企画しようと思っています。

さて今回の副題としてつけた「哀愁」と言う言葉が示す通り、リラの人々は集まり、グループ、集団、付和雷同、所属、そうした言葉が表す様な生温い感性を持ち合わせていません。
考えてみれば、自らの故郷である天体そのものが無い、帰る場所が無いと言う感覚は想像するに余りある程の哀愁を感じさせます。

次回のリラ物語はそれを中心としたお話から、女性性の象徴である「愛」に関してお話ししてゆきたいと思います。


では今日はこの辺で。








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by farmemory | 2015-12-28 11:31 | ・リラ物語 | Trackback | Comments(14)

◆リラ物語(女性性について-2)◆

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このイラストは私の作品ですがロイヤリティーの生じる作品ですので流用、転載などはご遠慮ください。見て楽しんでくださいませ〜


◆リラ物語(女性性について-2)◆

前回に引き続きリラ物語の前段である女性性に関しての続きとなります。

女性性の一つの特徴は母である意識
子供たちへの慈愛が象徴するマリア意識、慈母観音意識と言えるものでした。
もう一つの特徴が目の前にある「事象へのミクロ的フォーカス」があります。

男性性の世界では天下国家を論じることが、さも優れた意識、世界のための重要な視点と捉えてきました。
これが今までの3次元的意識の基礎となるものでした。

一方女性性の意識は大局に(あるいはグローバルに)意識を拡散するのではなく目の前にある自分の世界だけへのミクロな視点です。
自分を取り巻く狭い世界への視線を重視するのが女性性の特徴でもあります。

ニュースは見ません、新聞は読みません、今世界でどんなことが起こっっているのかはあまり知らないのです。
こうした状態がとても重要なお話なのです。

なぜなら今までの世界には作為と悪意を持った報道が蔓延していました(まだまだそうした偏向姿勢が大勢ですが)
また宗教や教育の名の下に、いかに偏向し変質させられた啓蒙や情報が伝えられてきたかを知れば、世界の情勢や社会事情を知らないということがすなわち無知と言えることではないとも見ることができるのです。

報道の中に、教育の中に、悪意を持ったエネルギーが注がれていても、論理性を前面にそれを受け取る時、そこにある負のエネルギーは理解できません。
しかし、まるで「勘」を頼るような判断や、無知ともいえるその場だけの判断は、逆に言えば報道に添えられた意図的な負のエネルギーから知らず知らず内に自らを守る方法でもあるのです。

なぜ新聞を読まないのでしょうか
なぜニュースを見聞きしないのでしょうか。

その理由は語れなくとも「興味がないし、面白くない」という最強の理由(プロテクト能力)を発揮しその負のエネルギーに近寄らない。
これが女性性の能力の一つでもあります。

「だってつまんないんだもん」
「怖いし、気持ちが萎えるんだもん」
ここに秘められた、自らを守る力をご理解いただけたらと思います。

逃げるが勝ちのリスク管理です。


今まで世界を良くしようとするために天下国家を論じ、時事について見識を極め、論客として人々に啓蒙をしてゆく。
一見優れた行動に見えるこの男性性の行動。
しかし長い目で見れば卓上の論理であり、またそれをこの1万年以上もの間声高に伝えてきていても、そうしたことがこの世界を変える力にはならなかったということを私たちは嫌という程知っている筈です。

報道自体、社会の構成自体、作為ある何者かにコントロールされているのであれば、その社会性の上に成り立った時事など虚像でしかないということです。


また仮に社会の不条理を唱えようと、自らの世界(家庭や身の回りの環境)にもしっかりとフォーカスして行けるかが実に重要なバランスでもあります。
全ての人は皆まだ次元移行の過渡期にありますので、お花畑のような日々を送っているとは限りません。
自分だけの問題は皆抱えて生きているでしょうが、だからと言ってそれを抱えていることが、必ずしも周波数の高さに影響することではありません。

周波数の判断は、大きさの大小はあれ自分を取り巻く環境内に問題があることで判断するのではなく、またさっぱり早急に解決でききることが肝要なのでもなく、自分がそれらに向かった時の自分の有り様(どう解釈し、どう意識を向ければいいか)が、自らの周波数に影響して行きます。

また権威や名声に固執する男性性は、どうしてもこの世界にヒエラルキーを形成しようとしてきました。
人というもの価値を決める指針ともなるこのヒエラルキー意識が基準となってきたからです。
そのため一旦権威の場所から自分が離れた時、自分という存在をどのように見ればいいかがわからずうろたえ萎縮してしまうことにもなってしまいます。

他方、目の前の事象。
家族や自分を取り巻く人々、環境にフォーカスをして生きる女性性は、そうしたヒエラルキー構造の枠から離れていますので、判断基準も極めて私的です。
まだ体験もしていない危険や、恐怖、不合理に心奪われることなく、目の前にあるリアルな事象にフォーカスし、それを解決して行こうとします。

しかしその行動こそが世界の変化に続いてゆくのだと理解する必要があろうかと思います。

自らの世界、目の前の世界の幸せは、更にその周りに波及しそこに幸せを送り、さらなる大きな幸せの輪を広げてゆき、やがて自ら住む社会も世界へもそのエネルギーが伝播しえ行く。
この概念を身をもって理解できた時、自らの世界がその思い通りの世界に変わってゆきます。

リラのエネルギーには「戦い、争い、排他、殺戮」という概念自体ありません。
つまり女性性のエネルギーを高めることによりこの世界に、それとは真逆なお花畑エネルギーを作り出して行ける。
これこそが真の女性性の有り様の一つでもあるのです。

これまでの長い歴史において、こうした女性性のエネルギーを恐れた時々の為政者や権力者、宗教指導者は女性を蔑視し、低く劣ったものとして押さえつけてきたことは明白です。
恐らく中世ヨーロッパで行われてきた「魔女狩り」も、精神性の高い女性や、覚醒を迎え始めた女性たちを排除するための行動だったことは間違いないことでしょう。

よく言われることに「女性が元気で明るいところは、栄える」と言われています。
この栄えるということは、必ずしも金品を意味するのではなく、まさに心の平穏や地域の平和、安らぎと笑顔という掛け替えのない財産を意味するはずです。

争いや諍い、恐怖や怒りのある世界で語られる「平和」など唇寒い虚言でしかありません。

真の平和とは、誰もが「平和って何?、どういう意味ですか?」と言う世界こそが真の平和が構築された世界を言います。
その世界では平和が一つの基盤となる世界ですので、その時には誰も平和を願う必要もなく、口にすることなくその世界に生きる事でしょう。

その世界に向かうためにはリラの持つ

○慈悲(子への慈しみ、生きとし生けるもの全てへの慈愛、自然や動物たちに寄せる温かい眼差し)
○愛(文字通り目の前にいるパートナーと共に心身ともに愛を語る事を意味します)

これが、新しい世界でのスタンダードとなって行きます。


ただし誤解なきよう今一度付け加えますが、こうした慈愛は表面的な仕草や言葉使いを意味しません。
生き方やライフワーク、その人の嗜好や趣味、言動で判断するものではありません。
喧嘩っ早い人であろうと、口が悪く辛口であろうと、女性であっても男前であろうと、真の慈愛はそうした表層で判断するものではありません。

これからの日々、真の女性性の目覚め(この世界のエネルギーが女性性に目覚めてゆくということ)こそが新しい次元への一つの指針となって行きます。


今回は女性性についての2回目のお話となりました。

次回以降もお話は続きます。
ではでは。









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by farmemory | 2015-12-11 13:12 | ・リラ物語 | Trackback | Comments(5)

◆リラ物語(女性性について-1)◆

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◆リラ物語(女性性について-1)◆

リラ星は地球から2200光年離れた場所に有りました。
しかしこの星は既に遠い遥かな昔崩壊し、その星系に暮らしていた人々は、その運命に従い「故郷を持たない宇宙の旅人」となって暮らしています。

リラは、シリウス、プレアデスと共にこの地球に極めて強い影響力を与え続けて来ました。
そしてリラの人々は慈悲深くこの地球に「マリアと女神達の愛」を送り続けてくれています。

さて2012年12月地球(テラ)は新しい次元への扉(ポータル)を潜り、次元上昇のただ中にいる今、リラの持つ高い女性性の目覚めを促す様、高次からのコンタクトを受け始めています。

今回はこのリラに関わるお話をしたいと思います。
少々長いお話となりますので、何回かに分けてお話しして行く事になります。
途中で様々な記事が割り込むかと思いますが、時間を掛けてでもしっかりと完結するまでお伝えしたいと思っています。


●さて、先ず始めに今回はリラの主たるエネルギーである「女性性」についてお話してみます。

女性性と言うと「女らしさ」と捉えがちですが、表面上の女性らしさや柔らかさを指すのではなく、例えばある事象を見る時、どのような意識を持ってそれに対峙するかと言う事に女性性を垣間見る事が出来ます。

女性であれば見た目のしとやかさとは裏腹に、その内に強い男性性を持つ方も居れば
見た目が男前で、辛口の言動をする人でも高い女性性を兼ね備えた方もいます。

男性でも見た目が粗野で厳つい人であっても、その心のうちに女性性の一つである強い慈悲の心を持つ方もいます。
逆に見た目だけは紳士で優しそうに見えても、その目の奥に物事を論理と腕力で解決しようと言う意思を持つ方もいるでしょう。

女性性と言うのは、その人が持つ持つエネルギーベクトルの様なものです。

かつて人類の歴史には洋の東西を問わず政治は男性が執り扱うものであり女性は後で控えているものと言う時代がありました(今でもこうした化石の様な意識を持つ方も決して少なくは無いですが)
またあらゆる宗教において神事は男性が司るもの、そのサブ(補佐)として巫女やシスター、尼僧と言う位置づけで、女性の地位を低く見ています。
また女性自体能力が低く、低俗で卑しいものとして扱う男尊女卑の世界がこの1万年以上の永きに渡って続いてきました。
この歴史は、宇宙的に見ても特筆すべき「珍事」だった様です。

これは裏を返すと、この世界を管理し牛耳ろうとする側に取っては女性が持つ真の力が如何に優れているかを理解しているため、その解放を阻止し、押さえつける目的があったからなのです。

では女性性の力とはどう言った事なのでしょう。

私達人類を含めあらゆる生物を見ても分かる様に、全て母なるものから生まれて来ています。
その点から見ても女性と言う存在はこの世界を作り上げる始祖となるものな訳です。
この日本においても、神の最高位は天照皇大神宮、つまり女神と言う事になります。

そして女性の持つ優位性の一つがそこに有ります。
母である者の、子に対する慈しみの形こそ神の持つ慈愛そのものです。
これは教育され伝えられるから持つ様なものではなく、野生動物でさえ兼ね備えている真の愛の形。

それに比べ男性性は短絡的で、物事の解決を暴力や腕力で行い相手をねじ伏せ、言う事を聞かない時には戦争を持って解決して行こうと言う極めて粗野で単純な発想をしてしまいます。
実に稚拙で子供じみた意識です。

しかし女性性は物事の解決(政治的であれ極めて個人的な事であれ)を相手を殺害してまで解決して行こうと言う意識は希薄です。
もちろん男性性を強く持つ女性もおられますし、男性では思いもしない執念と意地悪をする事もある様ですが・・・
また極めて個人的な恨みや我欲のために殺傷に及ぶ事もあるかも知れませんが、それに関しては感情が左右する事象なので男女の差は余り開きません。

しかし戦争と言う行為は、個人的な怨恨も我欲も無い相手に対して銃口を向け引き金を引くと言う極めて常軌を逸した異常な殺戮行為です。
こうした無益な血は、その地に殊の外深いカルマを生じさせてしまいます。
つまり土地を血で汚してしまうのです。

また、女性性は「大義のための小さな犠牲」と言う意識は男性に比べれば少ない筈で、逆にその意識が結果として戦争を肯定してしまいます。

いかに真実であろうと数の論理でねじ伏せると言う、真の意味から逸脱した現行の「民主主義」と言う周波数帯の低い3次元のイデオロギーに依存しています。
本来の民主主義は主義主張を口頭や文章で表現する必要も無く、全ての人のニューロン的意識の繋がりに依存しますので、言葉は不要になります。
次の次元では政治もリーダーも不要な真の民主主義が執り行われることでしょう。

この世界、女性が政治であれ文化面であれ全面に立っていたのであれば、少なくとも物事の解決にミサイルも核兵器も使わずに済ます事が出来たでしょう。

その逆に統制とかルール、規律とか秩序と言う部分では極めて緩く、自由で曖昧な世界になっていたかもしれません。
しかしその「自由で曖昧」と言う事(意識)が、実は高次での在り方なのです。

管理し管理される社会も、厳しいルールも決め事もなく、自分の想いのまま生きる事の出来る意識も「女性性」と見る事が出来ます。

もちろん今までにも歴史を見れば女性の宰相は存在していましたし(その史実が作為的に曲げられ虚偽でさければ)戦を望む女性が居なかった訳ではありません。
しかし相対的に見て女性が全面に立っていれば、少なくともお腹を痛め大切に育てた子を戦場に立たせる様な「愚行」を人類はそう簡単に犯しては来なかったでしょう。


次回以降またリラのお話を続けて行きます。
では今日はこれにて。









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by farmemory | 2015-12-01 15:35 | ・リラ物語 | Trackback | Comments(7)