2016年 10月 06日 ( 1 )

◆静かに緩やかに、そして着実に◆

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◆静かに緩やかに、そして着実に◆

前回の続きとなる記事です。

停滞感は停滞を意味せず、後退感も後退を意味しません。
自分の立ち位置に迷いが出た時こそ、進化の過程ににいることを再認識してください。

4年前の2012年、高次への進化を自らに約束した時、人の歩みは、遅れていた「世界」の歩みに比べ進化が早く訪れていました。
分かりやすく言えば、マラソンランナーである自分のスピードのほうが風景、景色より少しだけ早く、走りつつ眺める景色は後方に流れる感覚があり「進んでいる」という確証を感じていたかと思います。

しかし2016年の後半になった今、その進化のスピードに遅れや停滞感を感じる事が起こっている方もいるかもしれません。

これは決してランナーとしてのスピードが遅くなったからではないのです。
今までは止まっていた自分以外の部分(景色や風景)がスピードを上げてきたから感じられる事なのです。

お話ししたように景色(景色君)も風景(風景さん)も、そして地球も個々の「魂」を持った次元の旅行者であることに違いありません。
私たち個人と地球との間に優劣も上下もありはしません。
皆等価値の魂として目指すべき次元ステージの進化の中にいるのです。

今までしっかりとした足取りで進んでいたと感じた理由は、その自分以外の部分の遅さにあったのかもしれません。
人は慣れに弱く、今までと違う環境やスピード感に出会うと、自分の力の低下を感じたりスピードの低下を感じてしまうものです。

例えば高速道路を走る車を運転している時、自分の運転する車が一番早ければ他の車を抜き去ってゆくスピード感を得られますので、確かに自分は進んでいる、速さもあると感じることでしょう。

ところが定速スピードで走っていると、今までスピードを出さなかった他の車が加速し始め、今度は自分が置いて行かれる、遅れていると感じてきます。

しかしこれは相対速度での感覚でしかありません。
路側帯で動く事なく立ち止まり走り去る車を見ている歩行者にとってはすべての車が高速で走り去っている事に違いはありません。

そうした追いつ抜かれつのカーレースのような状態になり始めているからこそ、感じる停滞感なのかもしれないのです。

ただ、車を例えとした場合は「自分は車を運転している」「自分は車に乗らず立ち止まっている」
この様に自分の状況がどちらかの状態であるかをはっきりと認識できます。
しかし次元移行という、五感では判別できない状態の中に自分が入っていると言うことを、客観的に認識することは極めて難しいことです。

また、自分の状態(高速で走っていると言う事)を客観的に判断してくれる他者は、案外旧次元に留まる人かもしれません。

「なんだか彼女、別人のようになった気がして、距離を感じる」
「彼とは話がかみ合わなくなってきた気がします」
「あの人のことに興味がなくなってきました」

旧次元に留まる人からは、客観的判断としてこんな風に言われることもあるかもしれません。

また、自分も他者に対し同じように感じることも起こってくるかもしれません。
今まではとても親密で、一緒にスピリチュアルな話もしたり、色々な勉強会にも足を運んでいたのだけど、ある時期から隔りや距離を感じるような事が起こってくるかもしれません。

さらに進むと更にスピリチュアル的なことにどんどん興味がなくなってきて、しかも社会への意識はそれ以上にわかなく、今自分はどこに向かっているのだろうと戸惑ってしまうこともあるかもしれません。

これは歩行者が車を見るだけに当てはまるだけではなく、運転している側からも同じことが当てはまります。
高速で走る乗り物から見ている外の景色、低速で走っている外の景色。
早ければ早いほど流れゆく景色はあっという間に後方に流れ去り、ついには見えなくもなって行きます。
しかし低速で走る乗り物からは外の景色は認識しやすいと言うことです。

しかも、自分一人が周りより群を抜いてスピードが速くなってゆくと強い孤立感、孤独感を感じることになるかもしれません。
しかしその時には、面白いことにその孤高であることをむしろ心地よくさえ感じてくる事もあります。

社会からの離脱とはこうしたことかもしれません。
ただし、これは紙一重のこともあり、高次元のスタンスから社会に興味を無くするのと、自ら社会に背をむけ暴力的で批判的にいる事とは似て非なるものです。

「難しい話などどうでもよく、政治も経済も国家にも興味がなく、日々を楽しく生きていることに満足している」
これが判断基準かと思います。

旧次元の不条理に興味をなくしてゆくか、まだ意識が向いてしまうかは、自分のスピードが大きく関与しているということでもあります。
加速度がついてきますと、自分の外にある世界にどんどんと無頓着になって行き、過度な正義感や使命感さえも薄くなって行き、やがて社会そのものへの興味を失ってゆくでしょう。

しかし各自のスピードを優劣で判断する事は意味がありません。
時には無理な加速を避け、自分に負担のないスピードで進むよう仕向けているハイヤーセルフの慈悲によるものであることを理解する必要があるでしょう。
進捗スピードを他者とは決して比べられない理由がここにあるということになります。

焦ることはありません。
すべては完璧な天の采配によって進んでいる次元の旅。
しっかりと目的地に向け進んでいることを「信じる」ことが肝要です。

ちなみに、今までにも折々に感じてきた事の一つに、街の人出の少なさがあります。
自宅に近い渋谷の繁華街でも穏やか天候ながら今までに体験したことのない人の少なさに驚くことが何度もありました。

この人出に関しての感覚は、恒常的にという事ではありません。
ただ徐々に、人出も少なさを感じる日が増えてきたと感じる事は確かです。

そして面白いことに、自分のその時の状態(感情値や体調)によっって差を感じるのです。
特に精神的に安定していて、緩やかで、あまり物事に執着のない日に人出の少なさを感じることが多いと記憶しています。

逆に昨日は少なかったけど、今日はどうかな?
などと、物事に集中したり、少なさを願うという執着のある時にはいつも通りの光景に戻っています。

とても曖昧なお話に聞こえてしまうかもしれませんが、その日その時の自分の次元ステージ(周波数)の高低は、まさにその刹那の自分の意識状態で変化しているということになるのでしょう。

時には新宿の日曜日、歩行者天国の最中の伊勢丹前で人の少なさや静けさを感じることも何度かあり、一瞬「ここはどこ?」と混乱してしまいそうな事さえあります。

スピード感覚(緩慢さの感覚)と街の静かさ、これが進化の一つの証なのかもしれません。
しかし、その日その日の自分の次元ステージによって目に映る景色も人も変わってきますので、同日同時刻別の人が体験した事とのズレもあり得るのかもしれません。

自分という個が体験している現実というホログラム、自分の意識によって次元ステージも刻々と変化してゆくのでしょう。

・あなたはスピードを感じる
・私は緩慢さを感じる

どちらも間違いではなく、その個々人の中での揺るぎない「正解」なのです。










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by farmemory | 2016-10-06 00:54 | ・新次元とスペースピープル | Trackback | Comments(9)