2016年 09月 18日 ( 1 )

◆イランカラプテ・アンナー◆

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◆イランカラプテ・アンナー◆

この世界は全てホログラム、自らの魂の意思の反映が現実として存在しているマトリックスの世界です。
自分という個の願う体験をするための世界が存在している、その事実は紛れも無いことではあります。

では私たちはこの宇宙でたった一人でマトリックスの世界で生きているのでしょうか?

いえ決してそうではありません。
私たちが固有名詞として認識する全てに「魂」があります。
ネイティブアメリカンの言う「マニトウ」がこれです。

その魂こそが実態であり、個々の魂同士が完璧な天の意思の下、自由にそれぞれの魂の体験学習のため完璧なリンクをしつつマトリックスの世界を作り上げ生きているのです。

体験する物理的事象は、それぞれ個々の自分が作り上げているホログラムであっても、見えない糸で繋がり接していいる魂は紛れも無い「実態」として私たちとともに時空を体験しています。
ですので決して一人で生きているわけではありませんが、五感で感じる「見え、聞こえ、触れている(と思い込んでいる)」部分のみがマトリックスという解釈となります。

お話ししてたように全てのものに魂は存在しています。
固有名詞として存在する全てにです。

人や動植物を擬人化し、そこに魂が宿るということは容易く理解できるかと思います。
それをもうすこし拡大してみると、古来より山や岩、川や湖を神格化し祈りを捧げてきた点から見ればそれらにも当然「魂」が宿っています。

さらに固有名詞で言えば
社会、会社、企業、故郷、母の胸、愛する人の手の温もり、イエスの教え、釈迦の説法、祈り、想念・・・
そうした観念的でとらえどころのない(実態のない)ものにさえ魂は宿っているのです。

「言葉や文字には言霊が宿る」
正にそういうことです。

それら実態のないものにさえ意思があり、願いがあり、そして力があります。
私たち一人一人が心に思うことが現実化してゆく。
自ら投げたボールは自分にも返ってくる、この因果律は実態のない「観念」にさえ適応されるものです。

そして、その心に思い描いた「観念」にも魂が宿っくるのです。

私たちが別の人と対峙した時(家族、友人、知人、時にはライバルさえも)間違いなくその相手の肉体の中には魂が存在しています。
しかし肉体そのものはあくまでこの3次元を起きる上で必要な物理的存在として自らの「世界」に造り出したものです。

絵画を例にとってみます
私たちはある画家が描いた絵を見て
「なんて美しいのでしょう」
「その絵から受ける印象はとても優しさがあるね」
そんなことを口にすることがあります。

その感想を聞いた別の人が「確かにそうですね」
といえばその二人は、その絵が同じものと眼前にあると疑いもなく信じています。

しかしその絵を見ている本人と別の人が見ている絵が同じとは限りません。
何故ならその絵に描かれた作品が別のものであっても、見ている人の目に映っている画像を別のものだと証明することはできませんし、別の人が見ている「現実と思い込んでいる」絵画がどう映っているかはその本人でなければ分からないからなのです。

しかし、その相手の魂に同期することはできます。
その絵が見ている二人にとって、実は全く別の絵であったとしても、その絵が語りかける印象は同じであれば、紛れもなく「同じ絵」なのです。

このように私たちは現実という物理現象を見ているようであっても、真に見ているのは実態を超えた「印象」を見ていることになります。
まさに絵画でいう「印象派」はここが起点となって興ったものでしょう。

目に映る全てはホログラムであっても、その対象から受ける「感情や印象」は決してホログラムではなく、それを認識している魂は正に「同じ印象、感覚」と言う体験をしているということになります。

もっと言えば、その感情こそが私たち魂にとっての「実態」に他ならないのです。
目に映るものだけに意識を集中していては、真の実態(魂としての実態)を見ていないことになります。

先にお話ししたように固有名詞のあるもの全てに魂が存在するのであれば、それは生きているものだけではなく、それこそ「全て」です。
そして私たちは宇宙という魂の中に住んでいるのです。

宇宙は意思も感情もある「魂」と仮定しそこに同期してみると、この宇宙そのものの成り立ち(存在意味)さえうっすらと理解できてくる不思議があります。

自分にとって関係のある相手を知りたいと思った時、その表層の「肉体」である3次元的意識から離れ

「その人の魂に触れてみよう」

そう意識を向けた時、ホログラムの相手の姿は脳裏から消え、感情という実態を持った真の相手「魂」が見えてきます。
現実に触れ、見ることのできる相手をあえて見ることをせず、目をつぶり(遠く離れていてもいいので)相手の魂に触れるイメージを心に描いてみてください。

もし「魂」に触れてみると言っただけでは難しいとお感じでしたら、こんなイメージを思い描いてみてください。

まず静かに目を閉じ、相手の姿を思い描きます。
そしてその人の胸の場所、ハートチャクラ辺りに光る球体があると想像し、その光の球体にそっと触れる、あるいはその光を見るイメージを持ってみます。
魂に意識を向けていると、最初はその相手の外形がイメージできていても、魂に意識を向けてゆくにつれ徐々に相手の表層の姿が薄れてきて、やがて魂の光の強さを感じるようになります。

そこまで来れば相手の魂との同期が始まっている状態です。
その魂に聞きたいことを問いかけてみると思いもかけず、答えが返ってくるかもしれません。

これは人と言う相手だけではありません、社会も組織も、故郷も擬人化し、そこに魂があると想像しても同じことなのです。
一度試してみてください。


「縄文」のエネルギーを強く持つアイヌの挨拶言葉に「イランカラプテ・アンナー」という言葉があります。
一般的には「こんにちは」と訳されますが
「謹んでお伝えします、あなたの心にそっと触れさせてください」という意味も持つと聞き及んでいます。

彼らの挨拶は表層の肉体に対して行うのではなく、その奥にある真の本人である「魂」に挨拶するということです。
今までの3次元では社会性を重んじてきました(道徳的行動、モラル、常識、義理、デモクラシー、プライド、人の目etc.)
しかし真に相手を知るということは立ち居振る舞いや身分、言葉、纏っている衣服だけでは全てを理解などできません。

どれほど宗教教義が違おうと、イデオロギーが違おうと、価値観にズレがあろうと、表層だけ繕った挨拶ではない「イランカラプテ・アンナー」の挨拶を知ることにより、表層の向こうにある真の相手を知ることができます。

それを拡大して行けば、今私たちが住むこの地球の魂に触れることができ、明日の真実を知るにも至ることでしょう。











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by farmemory | 2016-09-18 00:22 | ・ハイヤーセルフとガイド達 | Trackback | Comments(4)