2015年 07月 20日 ( 1 )

◆ゴッサムシティからの旅立ち◆

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◆ゴッサムシティからの旅立ち◆

未来(高次)を目指す今、過去へ意識を戻す必要はなくなって来ました。
まして自身が成してしまった失敗や、人を傷つけてしまった事を悔いる日々より、明日にフォーカスして行く事が大切です。

今までの次元の中に生きて来た私達が、その旧次元に留まって生き「先に進む」と言う時、時間は大きな意味を持ちました。
反省し後悔し、懺悔し贖罪する。
これが今までの旧次元での進み方でした。

しかし高次では既に時間自体曖昧なものとなって行きます。
全てが「今」に集約されるので、既に過去と言う概念は希薄、或はなくなって行きます。

高次と言う場所は今この時間、この場所から始まって行くものです。
日常のなかで、日々の生活の中で、自分では気が付かない間にも徐々に徐々に変化し、移行して行きますので高次元にいる、もしくは高次元に進んでいるかをなかなか知る事は出来ません。

しかし心静かに、5年前、10年前に意識を戻し今を観察してみると、思いの外変化は起こって来ている事を思い起こせるものです。
今自分は高次元への移行をしている最中なのだと信じてみて下さい。

さて、今まで(次元移行の始まる前)は、私達はこの3次元と言う閉ざされた都市に住み、人々との関わりの中で生きて来ました。
そこはまるでハリウッド映画のバットマンに出て来るゴッサムシティの様な場所です。

人々の愛と喜び、怒りと憎しみ恐れの渦巻く体験学習の場として用意された空間でした。

この空間の中で私達は人類として生きる事を自らの魂の契約として幾度もの転生を繰り返し、多くの有用な体験学習をしていました。

しかし、地球は新しい次元に舵を取りました。
次元上昇が始まったのです。

そして、その未来への道は、今までの閉ざされた旧次元の壁の外に広がります。

バットマンと言うヒーローはゴッサムシティと言う旧次元に留まり、そこで自身の使命を果たすと決めました。

しかし自分はバットマンでは無く、背中に生えた白い羽根で飛ぶ事の出来る天使であると意識し、次の高次に向かい旧次元から羽ばたくと決めたのであればもう後ろを振り返る事は「出来なく」なります。

いずれ線形の時間の旅が終わるからです。

そして離れ行く友や事象の全てを留め置く必要もなくなって行きます。
皆それぞれの道を自由意志で選択しなければなりません。
自分さえも流れ行くまま、自分の意思と希望に従い、自らの想いに正直に自らを偽らずに進む事を促されて行きます。


この意識は古代への意識回帰も余り意味を持たないと言う事にも繋がります。

超古代文明で私達は多くの過ちを繰り返し、二度とその轍を踏むまいと誓って生きて来ました。
これが私達の旧次元での体験学習の一つだったのです。

自身が成して来た事が、どう自分に帰って来るかの「3次元での因果律」の体験です。
しかし歴史が語る様に、この世界を圧政から解放する英雄が現れようと、決起する人々が生まれようと、結局また新しい抑圧と圧政の中に人々は引き戻されて行きました。

見方を変えればそこでの学習は、何度もの繰り返しを体験する学習でもあったのです。
「忍耐」を試す場所だったのかもしれません。

古代に想いを馳せ、そこで何が起こったのかを知る事は興味の対象として知ろうとするだけで十分です。
既に終わった時間がそこには有るだけです。

神社や遺跡、寺院や遺構を尋ね回るだけでは未来への道は開く事もなく、見つける事も容易ではないでしょう。
神を慕い、仏の声を聞く場所だったそれらの地は、旧次元に生きる人々の指針となり心の拠り所となった場所でした。
しかし高次では人々の寄り集まる場所はもう寺院や教会ではなくなり、権威的ではない場所となって行きます。

フランス映画「美しき緑の星」に出て来る、草原や山の頂上と言った場所(ここも自然界に存在するレイポイントである事に違いは有りません)などです。


しかし、では寺社や遺跡群は何の意味も持たないのかと言えば、それも違います。
これらの建造物のある場所は地球のレイラインが交差するレイポイントに建てられて来ました。
言わば地球の神経節に当たる場所に存在しています。

古来より人々は権威的な構造物にすがり、神仏と唱えつつ執着による願いを行ない、そのレイポイントを煩悩という想念で押さえつけ地球を拘束する役目を担ってしまっていました。

今新しい次元に進むために、その人々の「願い」と言う重し、封印を解き本来の寺社、遺跡群の本来の力を解き放す必要も有ります。


もし自身がそうした遺跡や寺社等に「呼ばれた」と感じた時こそ、その地があなたを必要としたと言う事なのです。

※「超古代への回帰と離脱」は長くなりますので、機会を見て別途お話ししてみたいと思います。

しかしそれでも未来への道がそこに有る訳ではありません。
その地の解放と言う置き土産ミッションをするに過ぎません。
その地に赴いた事により、人々により投げられて来た執着と言う想念からその地を解放し自由にする事となり、それが言わば一つのミッションともなって行きます。

置き土産としてのミッションは、物理的な行動を伴う事も多いでしょう。
だからこそ、物理的な行動と言う極めて3次元的なミッションは置き土産なのです。

次の高次でのミッションは、3次元意識の中で解釈するにはあまりにも朧げで、曖昧で、観念的です。
しっかりと「これ」と認識出来るまでしばらく時間がかかる事でしょう。
知る(認識する)と言う事は知識としての学習を意味しません、体験を通し「感じ取って」行くものです。

私自身もちろん完全では有りませんが、感覚的に感じ取る事は出来ています。
しかし残念ながら今の私が持つ表現力や語彙では伝え切れるものでは有りません。
それでも出来る限り、自分の出来る範囲内で表現して行きたいと思っています。
そうする事が自分の希望であり、それが幾つか有るミッションの一つなのだと理解しているからです。


先を急いでも自分のスピードは自分だけのものです。
焦る事無くマイペースで進み(知識や学習、書籍や他者の言葉に従いその地に向かうのでは無く)自身の内から沸き上がる強い意思と希望に従い行動して行きたいと思っています。

過ぎ去った時間(一秒前も既に遠く過ぎ去った過去です)に捕われる事無く、世情から聞こえる、あらゆる現実的情報から離れ、新しい道に歩を進め、閉ざされたゴッサムシティからの旅立ちを希望してみて下さい。

  








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by farmemory | 2015-07-20 00:17 | ・ミッション | Trackback | Comments(13)