2015年 07月 12日 ( 1 )

◆「不思議な現象」の解釈と捉え方(1.真実の所在)◆

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◆不思議な現象の解釈と捉え方(1.真実の所在)◆


日々体験する「不思議」関して少しお話ししてみたいと思います。
一回では長くなりそうなので数回に分けてお話ししてみます。


寺社やパワースポットなどに行くと,時に指先がビリビリと痺れたり、頭がクラクラしたりする事が有ります。
また逆に背筋に悪寒が走ったり、頭痛がしたなどの経験をされた方もいるでしょう。

これはもちろんその場所が持つエネルギーの周波数に生体が反応した事により起こる極めて科学的な現象と捉えて良いと思います。
またそうした場所で写真など写すと、不思議な光や霞の様な気体が写り込んだり、時には全く何も移らない真っ暗な画像が「写ったり」する事も有ります。

私自身、そうした場所で写す画像の多くにそうした不可思議な事物が写り込む事が多々有ります。
とても面白く、何らかのメッセージを感じる事も少なくは有りません。

しかしこうした画像や経験が、新しい未来を語っている事も有るでしょうが、全ては今の科学では解明出来ないだけで、全ては科学現象と理解しています。

こうした現象があるからと言って「でもだからそれがどうしたの?」
でもあるのです。
これはオカルトを否定したり怪しむ方達の根拠の一つでもあるでしょう。

「不思議な光や音がしたとして、それがどうしたのですか?何の意味を持つのですか?」
なのです。

そうした方達の中には、聞こえ見えているのにそれは無かった事にしようと言った稚拙な意識では無く、見えていること自体は疑う事無く受け入れ、否定はしない人達もいます。

実はこうしたスタンスは極めて重要な意識状態と言えます。
不可思議な「驚き」に惑わされず、冷静にものを感じ取るためには、先ずは全ての事象に対しフラットな意識を持つ事が有用です。

「不思議な光や現象があった、目撃した」
ではだからと言ってそれが自分の生活にどれ程の変化を持たらしたのか?
それを考えると、取り立てて大きな変化など起こってはいない。

「いえ、それらの現象を見聞きする事で次元移行やスペースファミリーの存在を信じる事が出来るんです!」

そういわれることもあるかもしれません、しかしここには大きな落とし穴があります。
その言葉の中には「自分を信じる」事が出来ないと言う裏返しの言葉も含んでいます。

例え不思議な現象を見る事も聞く事も無かったとしても、自らの内側から湧き出る「真実は見えなくとも存在する」と言う意識に対し、自ら強い信頼を寄せる事がとても大切な事なのです。


例えば「メディアで周知された顔」「霊能力が有ると噂される人」がそう言うから信じる、そう言うスタンスを取っていますと危険な事さえあります。

頑に目に見えない事など信じない、受け入れない、見えていても見なかった事にすると言う方の目の前で「奇跡」を見せると、逆にそうした頑さを持つ人を簡単に逆の方向に誘導してしまう力を持ちます。

私達が触れている「報道」も、目に見える事の最たるものです。
今更メディアを信じる人も少ないのではと思われるでしょうが、知り始めた人はまだまだ少数です。
テレビや国家は嘘をつかないと言う思い込みを持つ人も決して少なくはない事でしょう。

しかしここに意図的な「欺瞞」が存在していたら、その段階で「真の報道とは中立的立場で正確に真実を伝えるもの」と言うメディアの存在意味は瓦解します。

「見えるのであれば信じます」
これを意図的に使う者がいたら、その程度の事で信じてしまう人を誘導する事は容易いと言う事に繋がってしまいます。

奇跡と言われる現象は人を驚かせ、不思議な力を信じさせるのには極めて効果的です。

「病を治す」
「仕事を成功させ、収入を上げる」
「就活、婚活を成就させる」
「手を使わずに物を動かしてみる」
「地震や災害を言い当てる」

こうした奇跡も純粋に利他意識から行われるのであれば有用な事です、実際多くのヒーラーや予見者の方が活動してもいます。

しかし、もしここに悪意のある集団が意図的に奇跡を利用しようとしていたら、これは効果的で誘導に利用出来てしまいます。

またこうした願いは分かり易い反面、執着に繋がる煩悩意識を生む事さえ有ります。
分かり易く単純で、誰にでも通じる「ありがたい」奇跡な訳です。

しかし、私達が体験しているあらゆる事は(それが喜ばしい事だけでは無く、困難な事でさえ)この肉体を持っての体験学習です。
そう解釈すると、必ずしも他力による問題の解決がありがたい事とは言い切れず、自らが体験しその事象からなにを知り、どう行動して行くかが重要でもあると言う事なのです。

メディアの誘導と言う点から見ると、例えばオカルトや都市伝説を扱い、その賛否を論議したりする番組が有りますが、あれも一つの誘導でしょう。
賛否両論を戦わせる、その双方どちらにも真実は見受けられません。
そしてその論議の焦点が、どちらも目に見え証明出来る点を題材にしています。

その前にエンターテイメントである番組に
「なんか真実って、そう感じたらそうなんだって」
「なので、証拠なんて見せられないのよ〜」
などと言う発言が有っては、番組が成立しないでしょうが・・・

そこに有るのはいかに相手を論破しどちらが勝かと言う、単なるゲームであり「勝敗を決する」と言う高次では不要な意識でもある訳です。

何故なら高次の真実は「論議し結論付ける」ものではないからです。
自分はこれが「真実」と決めれば、その人に取っての「真実」になるからなのです。

高次での有り様は緩く穏やかで拍子抜けする程の脱力なのです。

今までの次元での「真実」は目に見え、皆で共有出来る事象の必要が有ったかもしれません。
しかし高次に存在する真実は、それを真実とする個々人に任されています。

自分がそう感じ、口にした事、行動した事が真実となり、その真実を造り上げて行くのが高次元と言う事です。


今回はここまで、また次回以降に続きます。

  








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by farmemory | 2015-07-12 12:09 | ・新次元とスペースピープル | Trackback | Comments(5)