2015年 01月 14日 ( 1 )

◆意識の解放(自分勝手の勧め)◆

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◆意識の解放(自分勝手の勧め)◆

今まで約束や予定を破る事は出来るだけしない様心がけて来たつもりです。
これは生真面目にそうでなければと思っていた訳では無く、単に約束を守らなければ自分自身落ち着かなくなり気持ち悪いと感じるからでした。

※社会人として仕事をしている自分ではありません。社会にいる自分は忍法「処世術」の技を使って波風立てずにやり過ごしている(つもりです)

ところがここに来て、社会人から離れた一人の人間として約束を守らなければと言う意識がどんどん薄れて来ています。

変化が加速している今、それに身を任せて行くと人のドタキャンなどに関して寛容、と言うかどうでも良くなって来ました。
その人にどれ程の深い訳があろうと、約束を単に忘れられて待ちぼうけを食わされようと、最早そうした事に対し「まあいいや、身が危険に晒される訳でもないし」と言う(決して投げやりではない)意識になって来ているのです。

そうなると、逆に今まで自分に課して来た約束や決め事も急激にタガが緩んで来てしまいます。
今までは、自分がして欲しくない事や嫌だと思う事、困る事は人にはしないと言う意識を、さも人格的と言わんばかりに自分の中に持っていたのですが、その意識自体もう3次元に置いて行くべき古い意識だと気が付き始めたのです。

自分を解放すると言う事は、人の目を気にし意識する事や、人の価値観への介入や同期をしないと言う事なのです。

もちろん約束を守らなければ人が困るだろうと言う思いは、それ自体「人に親切に」から来るものであれば高次の意識として当然の事でしょう。

「迷惑をかけるべきではない」と言う事と「迷惑をかける事は嫌だ」と言う事は、結果として迷惑をかけない事ではあっても、その意識の出所が全く違うものです。
内から湧いてくる「感情的」判断が重要だと言う事です。

また、あまりに強い使命感や責任感、人格的意識を持つことにより自分に送られて来る有用な高次からのメッセージを受け取り損ねてしまう事もあります。

ここが今回の記事でとても重要な部分です。

日々の中で約束を違えるにはそれなりの理由があることでしょう。
分かり易い所では「出かけに子供が熱を出した」「車が動かない」「電車が遅延した」「家人が奇禍に遭った」等々、そうした物理的な説明の出来る理由が第一に挙げられるかと思います。

しかし中には「急に何となく気乗りがしなくなった」「めんどくさくなった」「胸騒ぎがするから」と言った、立証出来ず(現実社会では)人に同意してもらい難い「自分の中だけの理由」もある筈です。

今まででしたらこうした理由でキャンセルする事を「無責任」とされて来たと思います。

しかし、この感覚は物理的な理由を超え、重要な自分へのメッセージであり重要な約束反故の「理由」でもあると理解しても良いと言う事です。

皆さんの中には、「ある約束をして、後日その約束がとても気が重いと感じ、出来ればそれをキャンセル出来ればと思う」その様な経験をした方も多い事でしょう。
そう思っていた所、何らかの外的要因(当日に台風が直撃し交通機関がストップしたとか、逆に相手の都合が悪くなったりとか)によって中止になったときの開放感など、どなたでも経験して来た事かと思います。

また、もし本当にその約束が自身に取って「危険」を伴う事でしたら恐らく自身のハイヤーセルフがその約束を何らかの共時性(シンクロニシティ・・・意味ある偶然の一致)によって強制的に約束解消を起こしす事もあります。

先ずはその強制的行動阻止の前に、意識に問いかけて来ます。
それが「気が乗らない」「意味なく行きたくなくなった」「体が重い」「胸騒ぎ、心がザワザワする」等と言った感覚です。

それでも、その感覚だけで約束を破るのは信義に悖ると言った強い責任感により従わない場合、次の手である強制的な行動阻止を仕掛けて来ます。
これが車のパンクや、交通機関の混乱、急ぎの仕事やトラブル等偶然を装う物理的介入です。

「危険」とは単に物理的な危険(例えばそこに向かう道で事故にあったり、想いも掛けない奇禍にあったり等)だけを指す訳ではありません。
もちろんそうした危険が一番分かり易いのですが、それ以外にも例えばあるパーティに出席する予定があり、そこで始めて出会うある特定の人物とのエネルギー的食い違いにより自分に強い精神的ダメージを与えてしまう恐れなども「危険」の一つです。

実はそうした見えないリスクの方が物理的な事象を超え、エネルギー的な危険となって自分に大きなダメージとなってしまう事もあります。
そしてエネルギー的危険は即効性を伴わず、しかし確実に緩慢に自分に影響を浸透させて来ます。

小さな怪我は一過性のものですが、エネルギー的ダメージは極めて長く留まってしまう事が多いものです。

今私達は高次元への旅の途中にあり、ある試練(と言う程大仰ではなくお試し期間と言う様なもの)の中にいます。

それが「責任感や使命感に振り回され、押しつぶされる事無く自分を解放して行けますか?」なのです。
そして少し乱暴な言い方をすれば「自分勝手に生きる事を推奨する」となるのです。

礼儀や社会性、責任感を前面に生きてしまうと本来持つ自己保護プログラムが起動しなくなる事もあるのです。

心の命ずるまま、あるパーティに出席する約束をドタキャンした事で自分は何も危険な事を経験しない事になります。
そして更にそのパーティは何の問題も無く無事に終了し、自分が感じていた様な問題は一切起こる事はありません。
起こる事が無かったのは「自分が行かなかったから」何も無かったので、もし自分が参加していたらそこに参加する人を自分のタイムスケジュールに巻き込んでいたかもしれないのです。

ここには「もし行っていたら」どうなるかと言う答え等存在せず「行かずに全て事も無し」なのです。
そしてそのキャンセルが自らの心を解放し「気楽で心が軽くなる」見返りを得る事になります。

エネルギー的違和感を感じたために理由無くドタキャンする事もやむなしと理解すると、そうした不道徳な行動をする人(自分さえも)に対し「それは単なる社会的な不道徳行為に過ぎない、重要な事は自分が感じ行動した事によりリスクから自らを遠ざける事が出来た」と言う事が理解出来て来ます。

自分への評価低下と、見えない危険からの離脱。
どちらを選択するかは自由意志です。

心の命ずるままに行動している時は、その正しさや答えは求めない、知ろうとしないと言う事も大切です。
又、知ろうとしても複雑に入り組み絡まった真実を完璧にひも解き、理解する事は不可能な時も多々あるものです。

これから先予想される大きな変化の中で自分を守るためには、更に自己(自分)の内面に意識を向ける必要があります。

今までは「協調」とか「和合」と言った意識を美徳としていた3次元でした。
これから向かう高次は「個」と「独自性」の世界に入って行きます。

しかし他者の苦境を無視すると言う事では全くありません。

温かい心を獲得したものが高次に向かう事になりますので、その新しい世界では
「自分だけを大切にする」と言う事が
「他者に手を差し伸べない」と言う事とイコールなのでは無いとご理解頂けると思います。

「温かい心を持つ事」「人のために生きる事」
高次ではそれが当たり前な事なので、それを敢えて口にしていると言う段階で出来ていない事を露呈してしまう事でもあります。

※この天の言う「温かい心」とは、必ずしも勧善懲悪の意識でも、お涙頂戴の自己満足の意識でもないと言う事を、いずれ触れたいと思っています。


「独自性の中で生きる」「自分勝手な生き方をする」
と言う事が無法地帯や、無政府状態の混乱を作り上げる事などあり得ない世界が高次元です。

高次に向かう人は緩やかな「利他意識」は既に獲得し兼ね備えています。
ですからどんなに手前勝手に生きようが人を踏み付け、引きずり下ろす事など最初から出来ないと言う最低限の学習単位を取った者が向かう世界ですので、例え自分勝手に生きたとしても、危険な世界などにはならないと言う事なのです。










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by farmemory | 2015-01-14 16:14 | ・今日を生き明日に向かう為に | Trackback | Comments(12)