2014年 10月 08日 ( 1 )

◆継続しない繋がり、継続させない繋がり◆

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◆継続しない繋がり、継続させない繋がり◆

朝一日が始まり、夜一日が終わると言う一日を一つのサイクルと考えてみます。
このサイクルは誕生と涅槃に置き換える事が出来ます。

ある一日、とても良い事があり、幸せを感じたり喜びを感じたりしたとします。
私達は明日もこの幸せや喜びの日々が ”続いて” 欲しい、そう願って来たかと思います。

しかし1日を誕生と涅槃のサイクルに置き換えると、それは継続するものではなく新たに次の一日の中で「また起こった」喜びと言う事になります。

「今日は奇跡の様に喜ばしい1日だった、これが明日も続いて欲しいな〜」
「でもたいがいそれが続く事がないんだよね」
「私の癖?」

そんな事を思う事もあるでしょう。
この意識は「明日も続いて欲しい」と願う、どちらかと言うと消極的で他力を願う意識に見えてしまいます。

そうでは無く、
「昨日は昨日、今日も同じ喜びを新たに私は感受する、感受したい」
と、少し強く、積極的に願う事により、その奇跡は起こる確率も高くなります。

これは喜びだけでは無く、困った事やあまり喜ばしい事でなくても同じ様に
「今日は昨日ではない、全ては続かない。今日新たな一日を迎えよう」
そう意識する事により、問題解決に進む事も多々あります。

前日の喜びは継続させるものでは無く、朝にまたその幸せを受け取る、作る、引き寄せると言う事でもあります。
漫然と過ぎ去り終わった時間に意識を向け「昔は良かった」と口にした時、その一日のサイクルは狂い始めます。

これは人との関係性にも当てはまります。

この宇宙には変わる事のない一つの真理があります、それは私達が「無常」の世界に住んでいると言う事です。
永遠は無く、停滞も無く、時も事象も流れ、人の心さえ揺れ動き変化して行くもの,それが留まる事無く変化して行く「無常(常では無い)」と言う事です。

人と人との繋がりも、至福を感じる一日も、漫然と昨日から繋がるものと思うのでは無く、今日も又新しい繋がりと喜びを創造して行く。
森羅万象を持続継続させる事は、無常の世界では難しい事なのです。

それを私達の魂は十分理解しています。
人の心が変化する事は天の摂理に反しません、だからこそ夫婦は「共に白髪の生えるまで」「おしどり夫婦」を美徳として来たとも言えるのでしょう。
そして「永遠」と言う言葉に願いを込めて来た訳です。

パートナーとの関係だけではありません、友人同士の絆もいつか解消される可能性を魂は否定しません。
「絆」と言う言葉は美しい意味を持つ反面、相手を拘束し繋ぎ止めると言う意味も持ちます。

全ては移ろい行く(事象も、物理的現実世界も、人の心や想いも)と言う真実を受け入れて行けば、永遠と言う意識が重要に感じなくなり、結果執着からの解脱に繋がって行きます。


今日1日、いえこの一瞬を大切に生き、今日の喜びは昨日の続きでは無く明日に持ち越す事はしない,出来ない。
これこそが一期一会の真意と言う事であり、刹那の重要性を説いているとも言えます。

昨日と同じ様な喜びを今日感じたとしても、それは今日の喜びであり昨日の喜びとは似て非なる喜びでもあります。

私達は今時間の概念の大きく異なる次元に進もうとしています。
時間は収束に向かいます、つまり時間の消滅です。
昨日も無く明日も無く「今」が全てになって行く訳です。

既に時間は崩壊を始めています、今私達が体験している時間の流れは過去があり未来があると言う「思い込み」によるものなのです。

例えば台風が日本に向かっているとします。
いつもの通り気象庁の進路情報が示されていますが、翌日その進路情報を見ると昨日発表された進路とは明らかに違う方向に向かい始めている。
或は昨日とは全く違う位置に台風が移動し、そこから新しい進路情報が始まっている「なにこれ?」などと感じたり。

これは私事なのですが、今回の御嶽山の噴火。
この山が有志以来始めて噴火したのは私の記憶ではせいぜい17、8年程度前だと極めて強く記憶していたのが、実際は1979年、今から35年も前に噴火していた事を確認しその時大きな違和感を感じました。
「ああ単なる思い違い、記憶の混乱なんだ」ではすまされない
「そんな筈は無い!もっと最近だった」
と言う強い確信の様なモノがあり、時間の混乱を感じました。

これは「私」においての時間軸の変化(他者には影響しない)や、過去の時間の消滅から来るのだと何となく感じています。
昨日の記憶は、今日に繋がらないと言う事です。

もっと小さな例え話。
昨日使っていたハサミを間違いなく引き出しに入れた筈。でも今日引出しの中にはなく離れたテーブルの鉛筆立てにあった。
「誰かが使って動かした?」
「いやいや、私は一人暮らしです」

この様に昨日という過去が、今日と言う現在に繋がっていると思うから感じる混乱も、昨日は昨日で完結し今日又新たな時間を目にしていると理解すると、時間は継続していないと言う事が分かって来ます。
「昨日確かにここにハサミを仕舞った」だから誰も触っていないのなら「ここにある筈」
これが時間は継続すると言う「思い込み」なのです。

しかし刹那刹那で時間が途切れ、継続しないのであれば「ここにある筈」と言う答えは無効となって行きます。

私自身、まだ完全にその理解を得ている訳ではありません。だからこそ消えた物品の謎や記憶の混乱を感じる訳です。
次元移行は継続しています、その中で起こる時間の混乱は更に加速して行く事でしょう。
今はいずれ来る時間の収束に慣れておく期間なのかも知れません。


昨日からの繋がりではなく、今目にしている事は新しい「今」を目にしている、これをご理解頂ければと思います。

少し難しかったかもしれません、また折に触れお話ししなければならない重要な事ですので、これからもこの時間の変化に関する話題は取り上げて行こうと思っています。









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by farmemory | 2014-10-08 01:04 | ・今日を生き明日に向かう為に | Trackback | Comments(23)