**守り刀**

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今年の初めに父が逝き、遺品の整理をしていたのですが、押入れの奥から日本刀が出てきました。
すぐに警察に届け、その後教育委員会の審査を受け、美術刀剣としての登録をしました。

南北朝の頃の刀でとても出来のいい一振り。
今回この刀を登録した時に思うことがありました、というかこの刀の声が聞こえたと言ったらいいでしょうか・・

すでに遠い昔に他界した私の祖父は皇宮警察の警察官で、ライフワークで刀剣の鑑定をしている人でした。
この刀はおそらく父が祖父から受け継いだ遺品だったのでしょう。

刀に興味のなかった父ですので管理も悪く表面にうっすらと錆が出ていたこの刀、私が初めて手にした時その所在なさといったらありませんでした。
自分という存在の曖昧さというか
「僕は誰?何者?ここにいていいの?」
とでも言わんばかりにオドオドした思いが刀から伝わってきたのです。

遠い昔、武力がモノを言う南北朝時代に刀として生まれた自分(刀)が、長い年月を過ぎ武器として大切にされた時代が終わった今、なんのためにこの世界に自分が存在し続けているのか。
この刀自体が自分の存在意味を持てずにいると伝えてきたのです。

どのようなもの(生きて居る者、物)でも形あるものには、目的を持った存在として誕生した時に魂が宿ります。

刀は農具や調理道具などとして生まれたのではなく、紛れもなく「武器」として作られたものですが、単なる鉄の塊でもありますね。
玉鋼を刀匠が鍛錬を繰り返し、一塊の鉄が刀として生まれ変わった時そこに魂が宿り刀という「自分」を意識し始めます。

でも人類以外の魂を持つ者(物)たちは動物も含め私欲のために相手に牙を向けることはありません。
人間以外の「魂を持つもの」は、感情としてのネガティブ意識は持ち合わせてはいないはずです。

それを人類がどう言う目的で手にするか。
刀を手にした人の意識が、刀なり物なりに影響を与えてゆくことは想像に難くありません。
きっと刀になる前の玉鋼自体人を殺傷することを喜びとして生まれたとは信じ難く思うのです。

さてこの刀剣登録証は、国と行政が決めたルールに従って発行されます。
かつて終戦時、GHQによる「昭和の刀狩」という歴史から日本刀の登録システムが生まれたという経緯は知ってはいます。

その上で登録証には何らかの作為的な裏があるのか?
それとも武器としての存在ではなく、美術品として新たに生きる道を刀に与えようとする善意の社会がそこにあるのか?

全ては、それをどう捉えるか個人個人に託され、試されている気がしてなりませんでした。

そんな中で、私が今回のこの刀の登録証を取得したことを ”刀自身” とても喜んだということを感じられたのです。

平和の時代、その本来の仕事である武器の役割を終え、人々に美術品として受け入れられたことが何より嬉しく、自分という存在を生み出し使用してきた人類が、武器を不要と思うように変化してきたことも同時に心から喜んでいると、そう伝えてきました。

刀をどのような理由であれ人前で抜き、振り回す必要など、もうこの世界にはありはしないでしょう。
今回、善意において発行された(と私は解釈しました)登録証を社会から与えられたということを、この刀自身ががとても喜んだことがわかるのです。

裏読み的な見方をすれば、社会というものは人の思惑と作為で成り立った、エゴから生まれるシステムという側面を持っています。

その点では社会から承認されることに、どれほどの意味と価値があるのだろうと、疑問も生まれなくはありません。
でも、時空が変化し始めた今、社会そのものも進化し始めていると感じ始めまているのです。


新しい時空に到達してゆく人類には、もはや刀剣そのものへの興味もいずれ薄れてゆくのかなとも思っています。

静かに刀身に向かった時、間違いなく刀との会話が成り立つことを私は経験しました。
縄文杉は4000年の長い人類の歴史を見てきました、同じように南北朝に作られたこの刀も650年間人類の歴史を見てきた生き証人でもあるのですね。

春日大社に奉納された刀は神殿に納められた瞬間から鞘から抜かれることはないと聞きます。
手入れも一切しないので、いずれ鞘から抜くこともできないほどに錆びついてゆくでしょう。

いかなる場合でも人を切るために抜かれた時その刀は守刀から、殺傷力を持つ武器として自分を認識することになります。
刀にもう二度と「武器になんかなる必要なんかないんだよ」と伝えてあげたい、父の形見を手にしてそう思いました。

そして世界に存在する全ての武器が
「もう僕たち今日から武器になることをやめます」
って思ってもらうために
「もういいよ、人を傷つけ殺してしまうために作られた君たちの役割を解除します」
そう伝えてあげようと思います。









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by farmemory | 2017-09-03 00:36 | ・新次元への道 | Trackback | Comments(4)

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Commented by きな子 at 2017-09-03 13:34 x
何十年かの忘却のなかにあった古の刀が、長い眠りから揺り起こされれて目覚めたのは戦いを求めない新しい世界。武器としてではなく、美しい工芸品として受け止めてくれる世界。刀さん、どんなに驚き、感動したことでしょう。うるうるしてしまいました。世界の変化を体現するような素敵なエピソード、ありがとうございます(^^)
Commented by 金木犀 at 2017-09-04 21:44 x
いつもありがとうございます。♡
目頭が熱くなりました。ウルウル。
日本刀は美術品として、世界中の武器は、過去の歴史の資料として博物館に飾られる。
そんな世界はもうすぐそこまで来ていると信じたいです。

>全ては、それをどう捉えるか個人個人に託され、試されている気がしてなりませんでした。

ホント、そう感じることが多くなってきています。(^_^)

Commented by 杏仁 at 2017-09-07 12:52 x
いつも拝見してます。様々な気付きをもたらして下さりありがとうございます。
今日もこの記事を読んである気付きに確信を得ました。
去年からアニメ「ガールズ&パンツァー」にハマっています。
内容説明は省きますが、女子の行う「戦車道」という武道のある意味清らかな世界(絶対に死なない、誰も傷つかない)のアニメです。
戦争は嫌いなおばさんがなぜ大戦期の戦車アニメに釘付けになるのか自分でも不思議でした。
アニメの中で、旧日本軍の戦車だけを使用している知波単学園の女子たちが、95式、97式の戦車を操り無茶な突撃を決行するシーンを初めて見た時(BGMは雪の進軍)は、自分ではない誰かの代わりではないか?と思う程、体中から感情があふれ出て号泣し続けました。
そして、作中に登場する、全く興味がなかった大戦期の世界の戦車に興味を持ちました。
戦争は嫌い、なのになぜ戦車が好きに?
心の中は葛藤でした。
でもある時に腑に落ちたのです。
このアニメの中で戦車達が凄くすごく喜んでる!と。
可愛らしい乙女たちの戦車道の愛車として思い切り駆け巡りみんなに愛されていることに喜びを感じているんだと。
その解釈から、私自身も戦車やこのアニメ自体も楽しんでいるのだなと納得していました。
喩え戦争の為とはいえ、多くの人々が苦労をして急ピッチで開発製造した戦車達。
アニメの女子たちが愛をもって天国へ送ってくれたんだなと思います
戦車の純粋な喜びを感じていた私には、今日の刀のお話はとても深く心に響きました。
内容は全く知りませんが、刀の擬人化アニメもあるようです。
アニメなどは、「おくりびと」としての役割もあるのかもしれませんね。
長々と失礼いたしました。
今日もすべてに感謝して愛して暮らします。
ありがとうございました。
Commented at 2017-10-02 22:24 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。