**男鹿のなまはげに涙したお話**

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録画したまま見ていなかった秋田県男鹿半島の「なまはげ」を見ました。

見るからに素朴な、古来から伝わる暮れの風習で、おそらく日本人で知らない人はいない有名な神事ですね。
今までこの神事が一地域だけのものと思っていましたが、いくつかの集落ごとにそれぞれ特徴のあるお面があることを知りました。

この風習は節分に似て邪気を家から祓い、子供達の健やかな成長を願う、温かい想いから生まれたのですね。
日本各地の伝統や地域を扱うノンフィクション番組が好きで、最初は興味本位で何気なく見ていていたのですが、途中で涙が溢れてきました。

映像では、ある地域の青年(団)たちが、暮れの神事のため集まり毎年作る装束や、お面の手入れをしている姿は、気のいい村の青年たちと目に移りました。

しかし当日その面を被った途端、彼らはもはや彼らではなくなり、鬼神となって行きます。
これは何も、地域をリスペクトする文化的なセンチメンタリズムではなく、心底そこに神なるものが宿る瞬間を、映像でありながら目にしたと確信できたからです。

面を被った彼らが恐ろしげで大きな声を張り上げているからではなく、あの物静かな気のいい青年達が面を被った途端「神が降りてきた」と表現してもいい神々しさを放つのです。

本来この宇宙に「神」は一人、というか絶対神としての神が一つ存在しているだけです。
そしてその姿は、姿を持たない「意思、意識、概念」という目に移ることのない、実体のない存在です。

この宇宙そのものが神ですので、私たち一人一人も神の懐の中に、もしくは神の一部(細胞の一つ)として存在しています。
つまり神はそんじょそこらに八百万(やおよろず)おわしますのではなく、この世界全てが神という事です。
ではなぜ私たちはこうした人々が行う村の小さな神事に神を見るのでしょうか?

私たちが神の一部であれば、私たち自身も神の意志を本来持っています。

でも3次元を(それより高いどの次元も皆同じことなのですが)生きる人類が、完璧な神の意識に戻ってしまうと、ここに生きる理由がなくなってしまいます。

執着や煩悩といったややこしい意識を持つからこそ、逆に人の心の温かさや優しさに気がつくという「この次元に生きる意味」がなくなるということです。
私たちはこの面倒くさい次元を、自分から選んでここに生まれてきています。
そして自分の中にある神性を自らで封印してきたのです。

でも人が鬼神の装束をまとった時、その神事に従事する青年団の人達は、完全に日常から離れ、それこそ執着を持たない神の「意思」を思い出すことになります。

鬼神となった彼らは誇らしげに各家庭を周り、子供達を脅かして大泣きさせながら彼らの成長を祈り、老いた者たちだけで暮らす家に行っては彼らの身を案じ、その家の安らかなことを祈る。
彼らはその時、自分の事(エゴ)を天に預け神の使いとなるのです。

お面と言うものは時に自分を覆い隠し、本来持たない力を呼び込むと言われています。
古い映画ですがジム・キャリー主演の「マスク」もそのいい例ですね。



いつもは自分を隠す事なく生きてきた人が、一旦自分を隠すことができるお面(マスク)をかぶることで、いわば変装願望を満たすことになります。
そうするとこの次元では使う事を封印してきた力が呼び覚まされて普段の自分では有り得ない能力を発揮してしまうと言うことなのかもしれません。

でもこれってちょっと危なっかしいところがあります。
なまはげの面を被った青年たちは自分の願いではなく他者への祈りのためですね
これは「利他」です
ところが自分の希望や自分のために、見えない力を発揮すると言うことは「利己」な訳です。

神は全てですのでポジティブもネガティブも、そのどちらも持っています。
利他と利己、どちらがどちらのエネルギーを呼び込むか・・・
変身願望にはこの側面も持っているかもしれません。

神とは何?

その答えは「慈愛」そのものなのかもしれません。

でもこの愛は時に恐ろしいほどの厳しさを見せる事もあります。

ただただ優しい、温かいと感じるだけが慈愛ではないのでしょう。
実際神は私たち人類にいくつもの厳しい慈愛を今まで嫌という程見せつけてきました。

この番組を見ていて、古い古い時代、生死につながる厳しい生活を送ってきた人々が神に祈りを捧げてきた事を執着や煩悩と簡単に切り捨てられるものではないと思いました。

肉体の命はいつか尽きる時が来ます。

古来「死という反面教師」に怯えながらも1日1日を精一杯生きてきた人々が生み出したこの神事は、依存や執着心からではなく、子のため、村のため命を張って生きた人々の「誇り」なのだなぁと、重慶飯店の黒胡麻月餅をかじりながら番組を見て涙流ちゃった、というお話でした。

でも、観光用の人寄せ「なまはげ」や、バラエティ番組に出演する芸能「なまはげ」には、残念ながら本来の神を見ることは難しいのかも、かも。
私もある伝統芸能(と言うほどではありませんが)に足を突っ込んでいるので、なんとなく思うのです、そこんところ・・・

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by farmemory | 2017-04-27 00:08 | ・ハイヤーセルフ・天使・ガイドたち | Trackback | Comments(6)

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Commented by rainbow 33 at 2017-04-27 16:53 x
5回も読んじゃいました。幼少より神を意識し、その存在を求め続け、その神が「意思・意識・概念」という実体のない存在だとおぼろげに知ったときは驚きでした。その後、そうだとすれば納得できることを積み上げていますが、ブログにある、神とは「慈愛」そのものなのかもしれません。ここまでは、まだまだ感覚も理解も及びません。『愛』という言葉の前では、平伏すしかない自分を長年抱えてきました…
しかし、重慶飯店の月餅を食べながら涙する姿は、乙女ですね! 私は番餅(ばんぴん)も好きですけれど!
Commented by しほ at 2017-04-27 17:09 x
黒胡麻月餅をかじりながら番組を見て涙したお話をシェアしていただきありがとうございます。
各地で長く伝わる伝統神事ですが、私の地域にもあります。神事当日は選ばれた13歳前後の男子が馬に乗ってやぶさめをし、馬にまたがって各家庭を回ります。その男子は当日は顔にお化粧をし、神様が宿るとされているので一日土を踏みません。お手洗いに行くのでさえかつがれて入ります。
今の時代では考えられませんがかたくなに守っています。その荘厳さは現代の若者も「なんでこんなことするの?」なんて質問しないほどです。
たぶん「なんででも!」っていう理由です。
でもゆいいつ一年で絶対的なものを感じられる一日だと思っています。

Commented at 2017-04-28 00:02 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2017-04-28 09:31 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ONSKGK at 2017-04-28 12:55 x
「執着を持たない神の意志を思い出す」、「エゴを天に預け神の使いとなる」…素敵だなぁと思いました。きっと神の一部でもある人(人間だけじゃないけど)は皆それぞれに、そういう瞬間を、可能性を秘めているのでしょうね。
「なまはげ」のお話を読んで、「オリオン」(←私たちの成長を促すための悪役、満身創痍らしい..)とイメージが重なります。(なまはげは負け知らずだけど)
とすると私たちはさしずめ、大泣きしている子供ということになるのだろうか?
もう本当に、どうもありがとうございました、もう充分です、どうぞお帰り下さい…と、言ってみる。
Commented at 2017-04-30 08:04 x
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