◆縄文から弥生へ、そして次のステージへ(3)◆

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◆縄文から弥生へ、そして次のステージへ(3)◆

前回、前々回からの続きです
◆縄文から弥生へ、そして次のステージへ(1)◆です。
◆縄文から弥生へ、そして次のステージへ(2)◆です。


では私たちは縄文を最良の時代とみなし、今その縄文への回帰を目指す必要があるのでしょうか?

いえ、恐らくそうではないでしょう。
縄文は自然と調和した3次元の中でも極めて高いステージに位置していましたが、その調和したステージに住む人々の魂は、この地球が低い周波数の3次元的学習の場となることは想定していなかったと思います。
縄文に生きていた人々は(次元移行を含む)魂の成長を希望してはおらず、自然と共に生き、静かな地球の楽園に生き続けることが何よりの希望だったのではないでしょうか。
そして弥生の流入がなければ調和の取れた平和が永遠を感じさせるほど続き、静かな世界が継続していただけだったでしょう。

この点では現在においてもすべての文明との接触を拒む、主に熱帯から温帯にかけての地域に生きるプリミティブな少数民族や部族の方々を見ればその一端が伺えます。
彼らの生活からは恐らく文明的進化(魂の進化)は見て取ることは難しいかもしれません、しかし彼らは自然と調和し季節はあっても時間のない生活を数千年続けてきています。

その彼らが望むことはとてもシンプルで「自然と共に生き自然という神のかなで生まれ死んでゆくこと」それがすべてです。
敢えて幸せになりたいとは強く望まないでしょう、なぜならすでに生きることに十分に満足をしているからです。
その彼らに刺激のある生活や着飾ることの価値を理解してもらうのはとても難しいことでしょう。
そして極めて安定した社会が自然と共に何千年も続いています、縄文も弥生の流入がなければさらにその文明は続いていたことでしょう。

しかし何度も言うようにプリミティブで安定した社会の中には低い3次元的学習カリキュラムは存在しません。

そこに住む人々にとっては平和という尊さには無頓着かもしれません、なぜならその平和の中に生きることがスタンダードだったからです。
しかし弥生がもたらした「煩悩と執着」から引き起こされてゆく誘惑と頽廃、争いと苦しみ、悲しみと怖れは、人々に真の平和、平穏の何たるかを知らしめる絶好の機会でもあったのです。

こうしたネガティブなエネルギーや感情は外からやってくるものではなく、自分自身の中に芽生え湧き上がってくるものです。
本来魂はそうした恐れを筆頭とした煩悩、執着は持ち合わせていません。
そのためそれを体験したいと願った時それを自身の中で湧き出させるため弥生がその役割を担ったということになるでしょう。
ネガティブな感情というものは本来どこにも存在せず、自分の中で作り出す幻のようなものです。
しかしいずれ朽ち果てる炭素体と言う肉体を着ることにより、生と死という二元性を与えられ生きることで発生してきます。

かつて遠い過去のある時期にこの地球は楽園と呼ばれる時代がありました。
ところが魂の成長と次元移行を目指すことを学習する場として、地球は一旦その楽園からステージを降りることにしました。
今から13000年ほど前のことです。
そして地球は自らが傷つく事を厭わず、人類の体験学習の場としてこの地上を提供してくれました。

しかし楽園が続こうが不条理な世界に降下しようが、そのどちらも天の慈悲における全てであったと理解した時、何一つ遠回りも寄り道もしていなかったのだと気がつくことになるでしょう。

人類が天の摂理の元、自らの魂の成長のため、3次元の中での低いステージに降りたいと願った時、天はこの地球を今までの、すべての生きとし生けるものが調和して生きる楽園から、分裂と敵対、疑心と強欲を知るという人類の体験学習の場としての地球にシフトすることを許可しました。

そして人類以外の動物も植物も皆(自らの意思で)私たち人類の学習を手助けしてくれる存在へとシフトしてくれました。
大きく地球が方向転換をし、人類と動植物との協調関係が解消され、この地球に住む学習者のため動植物はバックアップグループとなってくれたということです。

この部分、ジブリの「もののけ姫の」の中で「猪たちは狩られ肉になってゆく」と言った乙事主の言葉に通じます。
そしてダイダラボッチ(シシ神)が倒れた後、この地球が調和の楽園から、過酷で長い人類の体験学習の始まりとなる、それを描いたと受け取る事もできます。
また人類がタタラ製鉄により武器ともなる「鉄」を手に入れた事、モノをやり取りする貨幣制度のシーン(お金がなければ糧を得る事ができない)やコメの重要性なども描かれています。
アシタカの暮らす縄文の集落と、侍という腕力と貨幣経済という暮らしのある弥生が対比されています。

   ・

ただしこの映画(というより映画というメディア全般)の意図がどこにあるかは全く別です、また宮崎監督の意向も知る由もありません。しかしどのような意図があろうと作為があろうと、その中に真実があれば上手に使わせてもらいましょう。
フグのようなものです、毒のある部分には手を出さず、美味しいとこ取りで・・



今回はここまでとし、次回この縄文の最終記事となる(予定)です。
どんどん記事が長くなっちゃうので・・・










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by farmemory | 2016-07-27 00:30 | ・新次元とスペースピープル | Trackback | Comments(2)

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Commented by もり at 2016-07-27 04:31 x
“天の摂理”って、涙が出ちゃいそうです。
Commented by Keiko at 2016-07-30 06:04 x
これまで疑問に思っていたことが氷解したようです。
ありがとうございます。