◆縄文から弥生へ、そして次のステージへ(1)◆

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◆縄文から弥生へ、そして次のステージへ(1)◆

3次元の中でも極めて高い位置(周波数ステージ)にあった縄文時代。
10000年を超える縄文の意識が続いていた地球は、極めて平和な楽園だったと見ることができます。
しかしそれは安定した次元が続く場所(地球)として存在することにもなるわけで、進化(宇宙の摂理としての無常)とは対極にあります。

また安定した次元が続くということは、低い周波数の中での人の営みと、その中で体験する様々な感情という、学習としての3次元教室は生まれなかったとも言えます。

おそらく地球の意思と天の意思によってこの地球を3次元の体験学習の場として機能させようとの遠大な天の計画のプロジェクトが発動した時、変化を促す人たち(中でも煩悩や執着といった3次元に不可欠な要素をもたらしたネガティブ側の地球外生命体、私たちが神々と呼称している一部の者たち)の出番となったのです。


c0319737_11521431.jpg縄文の安定していた時期の人々は精神性も高く、次元周波数もかなり高い所にあったためポジティブ側の地球外の生命体も(危険な低い周波数でない)縄文に接触することが容易かったはずです。
つまり彼ら地球外の生命体たちは縄文人たちと極めて近いコンタクトを日常的に行っていたということです。
例えば生きるために必要な情報を、天の許可のもと人々に伝えたりしていたと思われます。
残念ながら文字情報としては今に伝えられてはいませんが、遮光器土偶を筆頭とする土偶類にそのヒントが見て取れます。

日本に焦点を当てると、長い安定した縄文時代に富と争いをもたらした弥生の稲作文化は、同時に持てるものと持たざるもの、統治するもの統治されるものという新しいヒエラルキー概念をもたらしました。
そしてそれ以降争いと執着、欲という低い周波数ステージの体験学習が始まることとなります。

最新の考古学では今から3000年ほど前(紀元前10世紀頃)弥生文化(文明)が大陸から半島を伝って北九州を中心とした西から入り始め、やがてその流れは東に向かったということがほぼ確実視されています。
しかしその流れは2400年前(紀元前6~5世紀)頃、諏訪を目前とした中部高地に到達すると、そこから進むことができなかったということが分かってきました。
おそらく八ヶ岳を中心とした諏訪の地域が、弥生の流入を阻止したためでしょう。

そこで停滞した弥生の流れは福井県あたりから一旦日本海に抜け海路を通って東北地方に向かい三内丸山を席巻し、(北海道には手を伸ばさなかったようです)諏訪を挟み撃ちにして、ついに縄文を制圧したとされていますが、その攻防戦は凄まじいもので巨大な閃光を伴う爆発シーンなど複数の方の過去世リーディングで見ています。
この攻防戦は地球のいたるところで(時期は様々ですが)起こっていたようで、インドの叙事詩であるラーマーヤナやマハーバータラにもそれらしき記述も残っています。
もしこの激しさが現実であれば、その当時の人類の戦いでは到底ありえず、まさにオリオン大戦のスピンオフとして地球で繰り広げられたと見ることもできますが、今回の内容とはかけ離れてしまうので、余談程度に聞き流しておいてください・・・

何れにしても八ヶ岳、諏訪地域は縄文の最後の砦だったのでしょう。

これは古事記の記載にもある「弥生の神、建御名方命(タケミナカタ)と縄文の神、洩矢神(モレヤ)」との攻防として描からていますが、これは私がいくつかのリーディングで確認してきたこととも高い確率で合致しています。
また、これを神々と見るのではなく、地球外の生命体に当てはめると「オリオンとプレアデス、シリウス連合」という図式も浮かんできます。

また建御名方を祀る諏訪大社、そこで行われる縄文の流れを示す神事である「御柱祭」という構図は古代のエジプトでも見て取れます。

当初シリウスのポジティブ側の協力により繁栄した原始王朝時代、湿潤だったエジプトにオリオンが手を伸ばし始めます。
そしてあのギザのピラミッドが現れるのと同時に、湿潤だった地が急激に乾燥して行き、オリオンの三ツ星と同じ配列の3基の巨大ピラミッド群が作られました。
まさに威厳を誇る人工的建造物です。

初期エジプトには深い森があり、暖かく湿潤な地でしたので、そこには耕作を必要とせずとも多くの食料を手にできる環境があったでしょう。

しかし乾燥を始めた地ではどうしても小麦の耕作をせざる得なくなって行き、統治者として君臨するファラオたちが台頭してきます。
まさに縄文から弥生への移行に酷似しています。
しかしエジプトでは3000年前にはすでにエジプト第3中間期となっており、とうの昔に3次元の低い周波数帯となってしまっていたのでしょう。

人間のためだけに存在する農耕、耕作をもたらそうとした弥生。
片や自然と調和し全ての命に神が宿ることを熟知していた縄文。

縄文は最後まで、稲作を中心とした農耕を拒み続けたと言います。
これこそが効率や有利さ、快適さをもたらす文明を拒否し、不便であろうと自然と共に静かに暮らすことを願った縄文の意識に他ならないでしょう。

縄文の精神性は弥生のそれをやすやすと凌駕するほどの高さがあったのは確実です。
しかし、この精神性の高さ(周波数エネルギーの高さ)は文明度の高さと必ずしも一致はしません。むしろ ”過度” で高度なテクノロジー(文明)は、同時に破壊的な意識を内包していることが弥生の好戦的な意識からうかがい知ることができます。

人類も動物たちも植物も全てが等価値の魂であることを理解していた縄文の人々であるのなら、土地を耕すということがその地の安定を破壊する事だと理解したのでしょう。
時には飢えに苦しむことも、疫病の蔓延も、狩りをして得た獲物に次は自分たちが獲物とされることも、いわば自然と共に共存するものの宿命であり、すべての命が調和を持ってバランスを保つ世界すべてを受け入れるということが縄文だったということなのでしょう。

この人生は生まれる前にすでにスケジューリングしてきています。
いずれ終わる命、それがどういう形であろうと、魂の希望通りであれば決して痛ましいものではないと理解できた時「不幸」は存在しなくなります。
また高い3次元ステージに生きていた縄文人達は、現在生きる人々に比べたらはるかに高い危険回避能力を皆が持っていましたので「リスク」などという言葉など存在しなかったはずです。

そしてその高い精神性と周波数を持つ文化の中には覇権やイデオロギー、宗教や欲、執着からくる争いを生むことはありませんでした。

縄文は自然界にあるものを神と認識してきました。
そしてこの地球には地球の神経であるレイラインが縦横に走り、そのラインが交わるクロスポイントには山や森林、湖や川といった自然の造形物が存在しています。
縄文の人々はまさにそうしたレイポイントに存在している自然造形物を神としてきました。

しかし弥生は神を人為的に描き「自然の造形物ではない、人が作り出した寺社、教会という建造物」を神の座所としてきました。

ここにも大きな違いを見ることができます。
自然の造形物に神を見てきた縄文。
片や人によって創り出された神に畏敬を持たせ平伏させた弥生。

縄文が続いた10000年の間、日本は3次元の中でも極めて高いステージに位置した場所でしたが、それでも3、4次元を突破して更にその上の5次元6次元を目指してゆくという体験学習を望んだ文明ではなかったのでしょう。

ちなみに世界(他国)の別の場所では既に13000年前から弥生のエネルギーの芽が発芽し始めた地があります。
アトランティスのネガティブエネルギーを添付し受け継いだシュメールをはじめとした今の中東からヨーロッパです。
ユーラシアの西でネガティブが席巻し始めたのが13000年前。
しかし数千年を超える間、縄文は弥生の元となるエネルギー覇権から日本をプロテクトしてきたということになります。

しかしやがて縄文は弥生に陥落します、ここからこの国も低い周波数次元からの体験学習の場を解放し始めたということになります。


今回はここまでとし次回に続きます。

次回はなぜその精神性の高い縄文が、粗野な弥生にこの地を明け渡したのかを考察してみたいと思います。
そしてそれこそが次元移行(上昇)に触れることになと思います。










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by farmemory | 2016-07-20 01:05 | ・新次元とスペースピープル | Trackback | Comments(2)

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Commented by のっぽひで at 2016-07-21 17:43 x
遥か太古の昔の人々の生き様に想いを馳せ、ワクワクしながら一気に読みました。
次回は更に深いお話をされるとのこと。楽しみにしてます。
Commented at 2016-07-21 22:27 x
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