◆母を選択しなかった人生、そして自らの使命(母ではないこと-1)◆

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このイラストは私の作品ですがロイヤリティーの生じる作品ですので流用、転載などはご遠慮ください。見て楽しんでください

◆母を選択しなかった人生、そして自らの使命(母ではないこと-1)◆

今の若い方達に見られる事ですが(経済的な事や社会的な理由と言う点から見るのではなく)結婚や出産に強い関心が無いと言う方達が増えて来ているように感じています。

私の子供時代、古い時代の夫婦や家族を見てきた世代なので「経済的な安定がなくとも夫婦で力を合わせ生きていけばいい。子供は宝なんだから」
そうした価値観を知っています。

しかし今はそれを良しとしてもそれこそ時代は変わっています、今は今でしかありません。古い価値観はありがたく思いつつ今に意識を向ける必要もあるでしょう。
また確かに今の若い人たちには、働ける環境自体厳しさもあるようです。
そうした見方からすると、今は自分が生きることで精一杯なので子供は言うに及ばず結婚さえも諦めている。
そんな声もあるでしょう。

しかしこの世界にある ”縁(えにし)”とは、そうした常識的見方を超え、全て必然で成り立っています。
夫婦になる、子供を授かるという、一見偶然にも見える人生でも、そこには生まれる前に決めた個々の魂の強い意志と希望が反映されているものです。

・社会的な自分のスタンスから見た「子がいない理由」
・天の摂理という判断からする「子がない理由」(今回は次元移行に関わる次元ステージ)

この二つには少しの違いがあります。
後者は見方によると新しい次元を意味しているのかもしれません。
もちろん、年齢を問わず、古い時代から子を意識しない方も決して少なくはなかったでしょう。
(子供を願っているが今はまだ来ていない、来なかったということもありましょうが、これはまた別の機会にお話しします)

地球に生きる多くの生命体は雌雄の別があり、種の保存、継続は生殖によってなされて行きます(これを仮に結婚とします)
しかし今地球には70億人という人類が(統計学上)存在しています。
もともと生物には(人類もそのカテゴリーです)ある環境下では種の絶対制限という見えない(表層では感じない)共有意識を持ち合わせています。
地球という閉じられた環境下(これは国籍や国境という低レベルの概念ではなく)に存続できる人口には限りがあり、それに近くなると生物群は主に食料の供給と生物的テリトリー意識から、その数を自ら制限しようという意識を持ってきます。
ある国で出産人口が減ったとしても別の国では減ることもなく増えており地球の総人口には大きな変化はない、そういう見方です。

地球という閉じられた環境下でのバランスを保つため、すべての生物が繋がったニューロン的意識共有もあるのだという解釈をして行くと、そこに行き着くかもしれません。
ただしこれはその個人が地球という生命体とともにこの地球とともに生き、地球という全てとコンタクトする連鎖意識に反応する部分です。
これは意識的繋がりであるワンネスという見方ではなく、地球環境における生物学的に見た、子を望まない方の理由の一つと言うことです。

しかし、今回の記事ではではそうした科学的解釈ではない、別の理由を考えてみたいと思います。

子供が親を育てるというお話を前々回お話ししましたが、育ててもらう必要のない人たちが増えてきている、と言う解釈が一つです。
人生の体験学習はこの人生(今生)だけで行うものではありません。すでに子供を育てるという経験を過去世で幾度となくこなし、そこから得られることの多くをすでに身につけてきていれば、今回は別の人生を希望するという解釈もあります。

また次元移行に伴いそれを希望する魂にとっては「家族で学ぶ」と言う時空から「ワンネスを学び始める」高次元の時空に入り始めて行きます。
これは家族であろうと、血の繋がりのない関係性であろうと全ての魂は当価値であると言う意識を理解する時空間への進化を意味します。

家族という特別の “絆” は(ちょっと厳しい言い方になりますが)別の見方をすると3次元的執着に繋がって行きます。
さらにこれが拡大して行くと宗教的な異教徒とか、国家、民族といった排他的意識につながってゆきます。

*以下は私がリーディングで見てきたことを参考にしています。

今よりはるかに高い時空(周波数)として存在していたアトランティス、レムリア、ムーと言った超古代の高い文明では家族という繋がりは極めて希薄でした。
愛する二人がともに生活して行けば(夫婦という概念も同じように希薄でした)当然のように二人の間に子供ができます。
ここまでは今の夫婦、家族と同じです。

しかし子供がある年齢に達すると「自分の強い意志と希望」で、寄宿舎のような場所に入って行きます。
この辺りが今より進んでいた時空なのでしょう。
今の年齢でいうと小学校低学年7歳くらい。ただしこの時代は今より人類の寿命が長く300歳を超える人もいたようですので、この7歳が今の小学校低学年に当てはまるかは定かではありませんが・・

ここ時点で愛し合うカップル二人は子育てという仕事が終了してしまいます。
またこの時代には結婚という制度や概念がありませんでした、その時々で今するべき体験学習の相手と時を過ごす、これがパートナー同士の有り様だったのです。

今私たちは自分の子を守ろうとする本能と、強い義務感と正義感を持っています。
これは裏を返せば、子供が育つ環境に危険があるということにもなります。
子を守り保護し、見えない社会の弾圧や不条理から守らなければならない。今でしたら食品の添加物の危険や不道徳な誘惑もあるでしょう。

しかしこの超古代では、そうした人為的な危険が皆無と言っていいほどありませんでした。

真夜中に幼い子が野生動物のいる場所を一人で歩こうが、繁華街に行き遊ぼうが、不良もいなければ危険ドラッグを売る売人もいません。
繁華街と言っても、今の私たちが見たら郊外の閑静な住宅地にある昼間の児童公園ほどの平和さです。

当然のこと自分の子供であろうがなかろうが、全ての大人たちが子どもたちの独立した魂に敬意をもって接し、何かあれば惜しみなく手を差し伸べ、時には社会的な指導をしていました。

そうした社会で子育てをするということは「苦労」というものが今の子育てに比べたら無いに等しいことです。
就職の心配も不要、経済的な不安も無し。あるのは愛しい子どもと触れ合っていればいいという、体験学習というにはいささか拍子抜けしてしまうほどの子育てがあるだけです。
また子供達が早くから覚醒していますので、人様に迷惑が・・などという躾さえ不要です。
まして自国の文化や伝統を「過度」に誇るような民族意識も希薄でした。

今の私たちの体験学習は人との関係性の中で行われるものです。
ですから一つの家族だけで出来る体験学習には限りがあります、そのため別の家族やパートナーと別の人生を体験する場合、生まれ変わって別の人となって別の人と出会い家族となって別の人生を送るという必要もあるかもしれません。

また決して離婚を推奨するものではありませんし、生涯を一人の相手と全うする暖かさもとても美しいく、老夫婦がお互いを労わりながら手をつなぎ歩く姿を見ると神々しささえ感じます。
しかしやむなくお互い別々の人生を送ることになる事もあるでしょう。しかし制度としての婚姻では離婚は反社会的な事と見なすよう仕向けています、それは結婚制度が魂的拘束を別の側面として持ってしまう事にもなります。

ところがこの超古代文明では、夫婦、家族という、いわば拘束がとてもて緩く、一つの人生の中で別の人との人生を何度か経験するということに社会は寛容でした。
また寿命も長いので、一つの人生で出会える人の数も多くなります。

また高い周波数を持っているということは、どれ程愛する相手であっても「魂は拘束できない自由な存在である」と言うことを十分に理解していましたし相手への執着や欲という意識も低いものでした。

今私たちは次元移行を迎えようとしています。
この超古代の周波数を超え、さらなる高次に向かう旅が始まりました。

しかしその契約があろうとなかろうと生涯を一人の相手と「共白髪」として生涯を送るカップルも当然ながら古代文明にもたくさん暮らしていました。
しかし彼らには口約束も紙切れの契約書も存在しません。
「君と過ごす事が嬉しく、幸せなので共にいたいのです」「あなたも私と同じ思いなのね」
と言うことだったのでしょう。

この点では今も古代も変わることなく、天が微笑みを持って温かい眼差しを送ってくれることに違いなどありません。

今回の記事は超古代の結婚観に触れましたが今回はここまでとし、また次回以降記事を続けます。

   ・

さてここから今回の記事のスピンオフである「リラ」のお話を少しだけさせて頂き終わろうと思います。

子供を作るということは、例外を除き(人工授精や里親になるということ)性交渉によります。
しかし子供を持つためだけに性愛があるわけではありません。

ここは極めて重要な人類としての男女間の意味なのです。
子供を作るためだけに私たちは性交渉をするのでしょうか?
もちろんそんなことなど無いことは誰でもがご理解いただけるでしょう。

ではなぜ快楽があるのか、至福を得られるのか・・・?

性交渉は、子供を作る大きな目的以上に人類に与えられた極めて重要な「ミッション」として位置付けられるものなのです。
愛する相手とのSEXで私たちは、至福感のある快感を知ります。
子を欲しいと願うだけであれば快楽は不要です。
実際人類以外の別の生物たちには(一部を除き)快楽という副次的なものを持ち合わせていません。

なぜなのでしょうか?
これも子供を持つという(持たないことも含め)事と深く関係しています。

この点に関してはリラという天体の意識と深く関わります。
今まで続けてきましたリラ物語はまだまだ完結していませんし、むしろ完結することなく続いて行くでしょう。
今回の一連の「母である事」との対にある「リラの愛」でまたこの点をスピンオフとして記事にして行きます。

しかしこの内容にはセクシャルな内容も含みますので、全てを記事するにはまだ次元ステージとして早いと判断していますので徐々に次元移行のスピードを判断しながら記事にして行こうと思っています。

ではでは今回はこれにて〜
なおこの記事のシリーズ(母であること)も完結していません、まだ続きます。










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by farmemory | 2016-06-05 21:51 | ・ミッション | Trackback | Comments(1)

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Commented by のっぽひで at 2016-06-07 18:12 x
私達夫婦にも子供がいません。私の強い希望でそうなりました(家内には辛い想いをさせました…)
今回、そうした深い理由があることを知り、成る程と思うと同時に、こんな自分勝手な自分に付いてきてくれた家内を、より愛おしく思うようになりました。