◆リラ物語(リラの愛・その前に-2)◆

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このイラストは私の作品ですがロイヤリティーの生じる作品ですので流用、転載などはご遠慮ください。見て楽しんでくださいませ〜


◆リラ物語(リラの愛・その前に-2)◆

前回に続くリラの愛についての2回目です。
今回も宇宙を構成しているエネルギーの元となる宇宙的な「愛」に関しての続きとなります。

◆リラ物語(女性性について-1)◆
◆リラ物語(女性性について-2)◆
◆リラ物語(リラの哀愁 -1)◆
◆リラ物語(リラの哀愁 -2)◆
◆リラ物語(リラの愛・その前に-1)◆


愛を語る上で、甘く暖かくハートウォーミングな愛、利他に生きることが愛との認識を持っているだけでは不完全です。

真の愛を理解するため時には、苦しみさえも愛であることを理解させるため思いもよらないハードルをハイヤーセルフは投げかけてきます。
そしてその辛さや苦しさ、悲しさの意味を知ることが完全意識への道なのだと、声にならない投げかけ(体験)をしてきます。
漠然とであれ希望するということは、その体験さえありうることを受け入れることが「希望」するということになります。

しかし苦しみや悲しみ、痛みさえも愛の一部であるということが理解できた時、ハイヤーセルフはもう同じ事を自分の分身に体験させる必要なしと判断しその次にあるワンネスの意味にその人を連れて行きます。
これはこの人生だけでの体験を指すのではなく、何度もの転生において課題をクリアしてきていれば同じ設問は出されないということです。


さて、この地上に生きるものは(一部の例外を除き)必ずその命を終える時がやってきます、これは何人にも逃れることのできない天の摂理です。
そしてこの終焉は、この3次元で生きるために必要不可欠なファクターでもあり「その人生の終焉」なくして3次元を語ることはできないということになります。

一つの人生の中で体験学習をするには限りがあります、女性で生きている間は男性での体験はできません、封建君主と生きている人には圧政を受ける民衆は体験できません。
それを可能にするのが人生のリセット、転生です。
3次元での体験学習をより効果的に行うために、一つの人生の終焉を自分が設定し転生を繰り返してきたのです。


また愛するもの、大切に思うものとの離別さえも広義でいう「愛」の一つでもあるのです。
大切なものとの離別は、時として残された者にとって耐え難いほどの悲しみや痛みをもたらします。
しかしそのインパクトが大きければ大きほど、その離別を乗り越え自らの足で立ち上がり、明日を生き始めた時その人の精神性に多大な意義と強さをもたらします。

あるいは愛する者との出会いを過ごし、その間に愛おしい子を授かったとしても、やがてお互いの行き違いにより片親としてその子を育てなければならなくなった方もおられることでしょう。

また子があろうとなかろうと自ら離別を望み、それに向けた精神的な苦痛の日々を経験した方、している方も少なくはない事でしょう。
それを人生のつまずきとか、自らの因果と嘆く事は有りません。

勿論その渦中にいる時に、自分が今体験していることが魂の進化につながっているといった達観はそう易々と受け入れるのは難しいことです。
しかしだからこそその苦しさに意義があるということなのです。

「明日自分は信じていた人に裏切られる、それは自分の魂の成長なのだから」
このように最初から明日の出来事を知っていては、その事象がもたらす真の意味が薄れ、インパクトもなく心の準備さえ出来てしまい体験学習として成り立たなくなってしまうのです。

本来こうした過酷ささえも天の慈悲による愛と言う事になるのです。


また、この宇宙に普遍に存在する重要な事象である「無常」もまた愛の一つです。
無常とは常ではないということ、すべての事象・事物には永遠はなく常に変化を続け流れゆくものであるということです。
今私たちが体験しつつある次元上昇も、この変化を表しています。

この”無常”は平家物語にある「祇園精舎の鐘の音」の一文が象徴する、栄華盛衰だけを指すわけではありません。
確かにかつてのローマ帝国も、オスマントルコ、スペイン王国、大英帝国、そして近年ではアメリカ合衆国さえもその覇権は永遠に続くものではないことを私たちは目にしています。

しかしこうした壮大な変化だけではなく、宇宙に存在するすべての生命体、その個々にさえその「無常」は適用されて行きます。

例えば自分の大切なパートナーや伴侶との時間にさえ必ず変化が訪れます。
どれほどお互いを必要とし受け入れてきた二人であろうと、最後は人生の終焉によってお互い離れゆくものです。
あるいは、相手の心が離れて行くことも無常の一つの有り様でもあります。

私たちはその無常をどこかで知っているため、恋人たちは永遠の愛を求め、伴侶とは永遠を誓う契約書に神父や神職の前で署名をしてきました。
宇宙の摂理において永遠の”誓い”は無効でもあるということ、だからこそ法的な拠り所でもある結婚”契約”制度に人は希望を託してきたのかもしれません。

しかし失うことを恐れることが、やがて執着となって行き、それが高じて行けばエゴという意識を知るようになります(その時点では自分の持つエゴには気がつきません)

相手を過度に想いすぎてしまい、失うことを恐れて行けば、その恐れによって自らの周波数に混乱を生じさせ、それによって起こってくる苦しみという体験を私たちは学習して行きます。
恋愛というものの最大の学習効果は、まさにここにあると言えるかもしれません。

ここで知る恋愛の苦しみや体験さえも重要な体験学習という理解をすれば、周波数に不調和を生じさせねばその経験ができないということであり、エゴもまた重要な3次元での体験というカリキュラムでもあることも理解に及ぶことでしょう。

しかし
「どうせ人の心など変わりゆくもので信じることなどできないよ」
と言った決して投げやりな、後ろ向きで投げやりな意識ではありません。
留まることなく全ての事象は変化して行くと言う至極単純な天の摂理を多くの人との出会いと別れから理解して行くということに他なりません。

人の体は物理的に拘束することはできても心(魂)は自分の手中に握ることはできません、しかもすべての魂は何人からの拘束を受けるものではなく自由であるということを理解していれば、例え心から敬愛し愛するパートナであっても、時として永遠は存在しないという事もまた天の摂理のうちでもあることも理解に及ぶでしょう。

逆に言えば
「今、私はあなたを愛しています」
「昨日でもなく、明日の約束でもありません」
この意識にこそ全てが集約されるでしょう。

明日を憂い、明日の不安の中に生きるのではなく、今という刹那を精一杯生き、そこにある幸せを享受することが真の幸福であると言う事になりましょう。
明日のことなどわかりません、しかし明日を想像することはできます、そしてその明日は「自分」の明日です。
この人生はあくまで自分個人の時空であり、その流れに例え家族であってもその時間軸に組み入れることはできません。

生涯を仲睦まじく終えた夫婦であっても、個という時空はそれぞれに存在しています。
相手のすべての時空にはに踏み込まないという不文律を理解して行くことが、仲良く暮らす夫婦の秘訣なのかもしれませんね。


今回も宇宙における愛のお話をさせていただきました。
次回もまた天の摂理としての愛をお話することとなります。

それ以降、リラの「愛」についてのお話に入って行きますのでもうしばらくお付き合いください。

では次回また。









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by farmemory | 2016-02-18 11:03 | ・リラ物語 | Trackback | Comments(4)

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Commented by TMK at 2016-02-18 12:23 x
深く納得のいく内容に本当に穏やかな意識になりました。
Commented by きな子 at 2016-02-18 23:24 x
まるで、この15年ほどの間に私が経験してきたことそのまんまです。今になると、ああ、そうなんだな、とわかります。すべてはそうなるべくしてなっているんだと。でもその渦中にいるときはいったい自分がどこへ向かっているのか全然見えなくて、深い暗闇の渦の中でモミクチャにされているかのようでした。去年、「緑の星」の映画を見て、ああ帰って来たんだ、と感じました。つまり、こういうことだったんですね。
Commented by まっく at 2016-02-19 12:54 x
福岡でのリーディングを再現して頂いたように感じました。
ありがとうございます。心が震えています。この文章から、いっぱい愛を受け取りました。
Commented by ユカエル at 2016-02-20 00:42 x
目に映らないことが、とても重要になってきましたね。
内面的なもの、見えない世界が大きく影響するようになってきました。

とても古い時代の人物が夢に出てきたり、自分がその人物だったりする。歴史は苦手な上に、調べた所で結局知りたいことは分からない。私の思い込みかも知れないけど、色んな時代の色んな人生、その、あるポイントへ訪れてアクションを起こしていたり、体験のし直しと思い直し、のようなことをしている気がします。
だとすると、今現在の私がそれにどう向き合えるのかがとても重要で、彼等(過去世の?)共々、私が担って行くんだな、って思ったりしています。
全ては今にあるのですね、やっぱり。