◆意識の解放(自分勝手の勧め)◆

*前世からの旅立ち・遥かなる再会、お問い合わせメールフォーム
*前世からの旅立ち・遥かなる再会、お問い合わせメールフォーム(スマホ・携帯用)
スマホ・携帯からお問い合わせの方は yahooからのメール(パソコンからのメール)を受信出来るよう設定お願い致します



◆意識の解放(自分勝手の勧め)◆

今まで約束や予定を破る事は出来るだけしない様心がけて来たつもりです。
これは生真面目にそうでなければと思っていた訳では無く、単に約束を守らなければ自分自身落ち着かなくなり気持ち悪いと感じるからでした。

※社会人として仕事をしている自分ではありません。社会にいる自分は忍法「処世術」の技を使って波風立てずにやり過ごしている(つもりです)

ところがここに来て、社会人から離れた一人の人間として約束を守らなければと言う意識がどんどん薄れて来ています。

変化が加速している今、それに身を任せて行くと人のドタキャンなどに関して寛容、と言うかどうでも良くなって来ました。
その人にどれ程の深い訳があろうと、約束を単に忘れられて待ちぼうけを食わされようと、最早そうした事に対し「まあいいや、身が危険に晒される訳でもないし」と言う(決して投げやりではない)意識になって来ているのです。

そうなると、逆に今まで自分に課して来た約束や決め事も急激にタガが緩んで来てしまいます。
今までは、自分がして欲しくない事や嫌だと思う事、困る事は人にはしないと言う意識を、さも人格的と言わんばかりに自分の中に持っていたのですが、その意識自体もう3次元に置いて行くべき古い意識だと気が付き始めたのです。

自分を解放すると言う事は、人の目を気にし意識する事や、人の価値観への介入や同期をしないと言う事なのです。

もちろん約束を守らなければ人が困るだろうと言う思いは、それ自体「人に親切に」から来るものであれば高次の意識として当然の事でしょう。

「迷惑をかけるべきではない」と言う事と「迷惑をかける事は嫌だ」と言う事は、結果として迷惑をかけない事ではあっても、その意識の出所が全く違うものです。
内から湧いてくる「感情的」判断が重要だと言う事です。

また、あまりに強い使命感や責任感、人格的意識を持つことにより自分に送られて来る有用な高次からのメッセージを受け取り損ねてしまう事もあります。

ここが今回の記事でとても重要な部分です。

日々の中で約束を違えるにはそれなりの理由があることでしょう。
分かり易い所では「出かけに子供が熱を出した」「車が動かない」「電車が遅延した」「家人が奇禍に遭った」等々、そうした物理的な説明の出来る理由が第一に挙げられるかと思います。

しかし中には「急に何となく気乗りがしなくなった」「めんどくさくなった」「胸騒ぎがするから」と言った、立証出来ず(現実社会では)人に同意してもらい難い「自分の中だけの理由」もある筈です。

今まででしたらこうした理由でキャンセルする事を「無責任」とされて来たと思います。

しかし、この感覚は物理的な理由を超え、重要な自分へのメッセージであり重要な約束反故の「理由」でもあると理解しても良いと言う事です。

皆さんの中には、「ある約束をして、後日その約束がとても気が重いと感じ、出来ればそれをキャンセル出来ればと思う」その様な経験をした方も多い事でしょう。
そう思っていた所、何らかの外的要因(当日に台風が直撃し交通機関がストップしたとか、逆に相手の都合が悪くなったりとか)によって中止になったときの開放感など、どなたでも経験して来た事かと思います。

また、もし本当にその約束が自身に取って「危険」を伴う事でしたら恐らく自身のハイヤーセルフがその約束を何らかの共時性(シンクロニシティ・・・意味ある偶然の一致)によって強制的に約束解消を起こしす事もあります。

先ずはその強制的行動阻止の前に、意識に問いかけて来ます。
それが「気が乗らない」「意味なく行きたくなくなった」「体が重い」「胸騒ぎ、心がザワザワする」等と言った感覚です。

それでも、その感覚だけで約束を破るのは信義に悖ると言った強い責任感により従わない場合、次の手である強制的な行動阻止を仕掛けて来ます。
これが車のパンクや、交通機関の混乱、急ぎの仕事やトラブル等偶然を装う物理的介入です。

「危険」とは単に物理的な危険(例えばそこに向かう道で事故にあったり、想いも掛けない奇禍にあったり等)だけを指す訳ではありません。
もちろんそうした危険が一番分かり易いのですが、それ以外にも例えばあるパーティに出席する予定があり、そこで始めて出会うある特定の人物とのエネルギー的食い違いにより自分に強い精神的ダメージを与えてしまう恐れなども「危険」の一つです。

実はそうした見えないリスクの方が物理的な事象を超え、エネルギー的な危険となって自分に大きなダメージとなってしまう事もあります。
そしてエネルギー的危険は即効性を伴わず、しかし確実に緩慢に自分に影響を浸透させて来ます。

小さな怪我は一過性のものですが、エネルギー的ダメージは極めて長く留まってしまう事が多いものです。

今私達は高次元への旅の途中にあり、ある試練(と言う程大仰ではなくお試し期間と言う様なもの)の中にいます。

それが「責任感や使命感に振り回され、押しつぶされる事無く自分を解放して行けますか?」なのです。
そして少し乱暴な言い方をすれば「自分勝手に生きる事を推奨する」となるのです。

礼儀や社会性、責任感を前面に生きてしまうと本来持つ自己保護プログラムが起動しなくなる事もあるのです。

心の命ずるまま、あるパーティに出席する約束をドタキャンした事で自分は何も危険な事を経験しない事になります。
そして更にそのパーティは何の問題も無く無事に終了し、自分が感じていた様な問題は一切起こる事はありません。
起こる事が無かったのは「自分が行かなかったから」何も無かったので、もし自分が参加していたらそこに参加する人を自分のタイムスケジュールに巻き込んでいたかもしれないのです。

ここには「もし行っていたら」どうなるかと言う答え等存在せず「行かずに全て事も無し」なのです。
そしてそのキャンセルが自らの心を解放し「気楽で心が軽くなる」見返りを得る事になります。

エネルギー的違和感を感じたために理由無くドタキャンする事もやむなしと理解すると、そうした不道徳な行動をする人(自分さえも)に対し「それは単なる社会的な不道徳行為に過ぎない、重要な事は自分が感じ行動した事によりリスクから自らを遠ざける事が出来た」と言う事が理解出来て来ます。

自分への評価低下と、見えない危険からの離脱。
どちらを選択するかは自由意志です。

心の命ずるままに行動している時は、その正しさや答えは求めない、知ろうとしないと言う事も大切です。
又、知ろうとしても複雑に入り組み絡まった真実を完璧にひも解き、理解する事は不可能な時も多々あるものです。

これから先予想される大きな変化の中で自分を守るためには、更に自己(自分)の内面に意識を向ける必要があります。

今までは「協調」とか「和合」と言った意識を美徳としていた3次元でした。
これから向かう高次は「個」と「独自性」の世界に入って行きます。

しかし他者の苦境を無視すると言う事では全くありません。

温かい心を獲得したものが高次に向かう事になりますので、その新しい世界では
「自分だけを大切にする」と言う事が
「他者に手を差し伸べない」と言う事とイコールなのでは無いとご理解頂けると思います。

「温かい心を持つ事」「人のために生きる事」
高次ではそれが当たり前な事なので、それを敢えて口にしていると言う段階で出来ていない事を露呈してしまう事でもあります。

※この天の言う「温かい心」とは、必ずしも勧善懲悪の意識でも、お涙頂戴の自己満足の意識でもないと言う事を、いずれ触れたいと思っています。


「独自性の中で生きる」「自分勝手な生き方をする」
と言う事が無法地帯や、無政府状態の混乱を作り上げる事などあり得ない世界が高次元です。

高次に向かう人は緩やかな「利他意識」は既に獲得し兼ね備えています。
ですからどんなに手前勝手に生きようが人を踏み付け、引きずり下ろす事など最初から出来ないと言う最低限の学習単位を取った者が向かう世界ですので、例え自分勝手に生きたとしても、危険な世界などにはならないと言う事なのです。










[PR]

by farmemory | 2015-01-14 16:14 | ・今日を生き明日に向かう為に | Trackback | Comments(12)

トラックバックURL : http://dimension5.exblog.jp/tb/23333628
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by misaki at 2015-01-14 19:38 x
日本の昔からの<道徳><美徳>には、多くの魔法がかけられています。人の精神を育てるのは、教育だとつくづく感じるのですが、世界の国々で起きている宗教戦争に見られるように、教育(洗脳)によって、心底人としての道に正しいと思い込んでいるのです。すべてとは言わないまでも、日本の人としての美徳、道徳、人道的・・・・というワードの中にもそれがあります。かの聖徳太子が残した、<和をもって尊しとなす>の真意は、ワンネスの意味とは真逆の、「高官や支配者のいうことを聞きなさい」ということだったようです。記事にあったように、協調、和合にこだわることなく、個々の世界観に従いながら、魂の共有する<自由、創造>で結びつく姿こそ、ワンネスであり、すでにそれを知った者たちの新しい世界であると、わたしも思います。
Commented by ユカエル at 2015-01-14 22:38 x
ある80代のお客さんが、習い事の後に皆でお茶をしたけど本当はご飯をそこで済ませたかったという話をしていたので、「今時の若い世代は同じテーブルで食事する人、ドリンクだけの人、何もとらない人と皆自由に同じ時を共有するのがわりと普通な事ですよ」と話したら、「我々の時代は何でも周りに合わせて同じでなくちゃいけなかったから。でもいいわね。」って。物に不自由した時代からのお互いを縛り合う暗黙のルールでしょうか。
その後暫くしてお会いした時、「あなたが言ってたみたいに、失礼して食事していいかしら?って一言添えてランチ食べたら、周りの人も、私も今度食べようかしら?なんて言ってたわ~。」って。

皆違ってて良いも悪いも何もないけど、
たまにハートが弾けるような一瞬を共有出来るのはとても貴重で素敵なこと。
駆け引きや計算高さのない自分の心に正直なワガママは、我慢してるよりずっと魅力的。
だからワガママも大事ですね!
Commented by 妖怪ウォッチ at 2015-01-14 23:19 x
元々、自分勝手です。
前置きしますが結構ひどいです。仕事も昔は眠いが理由の為、よくずる休みをしましたし、自分が機嫌損ねたら相手の事お構い無しに全て放棄します。
結構厳しい性格です。
毎回数時間遅刻の常習犯の友人が、今回もまた時間通り現れず、私は堪忍袋の尾が切れて連絡なしで立ち去りました。長年の縁が些細な事で終了しました。
譲歩する余地もなく終了で成り立ちました。許せないのは許せないでいいのです。
Commented by 赤の土 at 2015-01-15 08:40 x
戦後、海外から入って来た「支配と隷属」「正義と悪」という事を教育を通し見えない形で日本人に刷り込まれているので、私も含めてなかなか抜け出せませんね。
支配と隷属という観点で日本の歴史を見てしまうと、正しい日本の姿は見えてきません。日本はすばらしい国ですよ。ワンネスと言うのは皇紀2600年の土台の上で理解できることだと思います。
Commented by こと at 2015-01-15 10:20 x
具体的な支障が無くて、連絡もらえるようなら、理由なくドタキャンされても特に気になりませんが、今回の記事のような問題で葛藤する人は結構多いんじゃないかと思います。こうあるべき自分、こうあるべき相手みたいなものに縛り付けられているような感じでしょうか。結局は自分の感情の問題なのでしょうね。
Commented by TMK at 2015-01-15 12:27 x
ビックリするほど、タオムリーなメッセージを毎回頂いているのです。
心にもやもやするものがあると高橋さんのブログを開きます。すると必ず更新されていて、内容がピッタリなのです。信じられないくらいです。
Commented by waka at 2015-01-15 14:57 x
昨年まで、まさに約束をやぶることに、かなり抵抗と罪悪感と共に葛藤がありました。自分も相手に、家族も親友にも、親しき中にも礼儀ありって思い込んでいたからです。
だいぶ、マイペースに生きることに寛容になってきた私ですが、今回の高橋さんのブログによって、さらに解放感が進んだ気分になりました♪ これでいいのだ〜(^O^)
Commented by クリスタル at 2015-01-15 21:08 x
“自分勝手”に生きたいなあ~ToT
気の置けない近しい人達には“自分勝手”なんですけれど
(あっ、あと、farmemory様のブログのコメントも“自分勝手”です^^;)、やはり『向かうべき先』が同じように見えていないと、かなり無理(farmemory様の言われている“自分勝手”が通用しない)なのではないでしょうか?
今日も、上司と仕事上のことで色々話をしていましたが、『ああ、全然ダメだ…。お互いに、全く違う次元の話をしているんなんだなあ…。』と思ってしまいました。何だか、体中に楔を落ちつけられたようで、「チャンネル」を変えていたつもりでしたが、見事に引っかかってしまいました^^;
でも、雨が降ろうがヤリが降ろうが~、行かなければなりませんので行きますよっ^^“自分勝手”にねっ☆
Commented by ヒコーキ雲 at 2015-01-16 00:35 x
ここ最近は本当に考え方が緩くなったというか、いい意味での”どうでもいい”感が強いです。
そして、自分を信じて自分の好きなように生きる、という思いも強くなってきたと感じています!
他人と争う気持ちも全くないので、争い事など起きようがないですよね!本当に平和を愛しています!
Commented by 志保 at 2015-01-16 06:16 x
自分勝手って自分の気持ちに素直になって心のおもむくままに動いてみる…

それは本当は素敵なことで、いつも楽しくいられて周りにも色々求めないから何だかハッピーって事ですね(と自分勝手に解釈)

みんながそうだともう自分勝手ってなんだっけ?あなたが自分勝手だと私も嬉し
いってなりそう


どうやら私は自分勝手な人をうらやましいって思っていたみたいです
Commented by AS522 ハル at 2015-01-17 22:57 x
自分勝手な人、実は、羨ましいと思っていました。
自分勝手=我儘=我が心のまま?=心に素直♡

我がままな友人が周りにいます(^^;

私の上司の彼女は、20日程の仕事について指示や約束しつつ、当日には忘れてしまって平気でいます。
なので、当日は予定とは違うので、ぶっつけ本番で対応です。
最初は憤りがありましたが、最近は、時間と共にお客様の状況も変わるのだから、合わせて対応したら良いのだと思うようになりました。
他の方で、ボランティアグループの中での有識者ですが、強烈な個性で状況に合わせず、言いたい放題なので回りをヘトヘトにさせる人がいます。
しかし彼女はとても突飛なアイデアを出してくれて、会の新しい大きな一歩に貢献してくれました。

相手をするのは実際疲れますが、自分勝手や我がままな人って、実はとても素晴らしいなぁと思います。

自分勝手に言えず、様々な人を「そうね、そうね」と受け入れてしまう自分って、、。
周りの反応や評価を気にせず、自由に思ったことを言える人になりたいです。





Commented by ぴの at 2015-01-19 00:44 x
今回もタイムリーな内容でした。
もともと、私であろうが、他の方であろうが、皆と意見が違っても悪意がないのだから、
しかも単に意見を述べているだけのことだから自然に素直に話をしても良いはず、と思っていました。
しかし、周りはそうでもなかった事を思い出しました。
悪意がなければそれでいい、悪意があっても別にいいや、って思えます。
ある子供さんをお世話した時に、価値観や、物の捉え方が変わりました。
今回の内容も、よく理解できます。このような気持ちで良いんだ、とまた確認できました。