◆未知の飛行体(2)◆

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◆未知の飛行体(2)◆ [ 2012-05-04 11:59 ]

前回に引き続き未知の飛行物体に関する話題の2回目です

現在私たちが認識している未知の飛行物体が知れ渡るきっかけとなったのがジョージアダムスキーの登場が大きいかと思います。
皆様の中にもアダムスキー型円盤をご存知の方も多いかと思います。

今回はそのアダムスキー型円盤を基に、私が知覚した宇宙船の形状にまつわる話題を取り上げて行きたいと思います。

最近会話の中で不意に私が知覚した事なのですが、彼の表した円盤の形状が、同年代のプロダクトデザインの傾向、雰囲気、もっと言えばデザイン的匂いと強い類似性をもち、それが「彼ら」の意図的な出現形態なのだと言う事を知るに至りました。

以下の画像がアダムスキー型フライングソーサーと、彼が遭遇した1950年代のアメリカ車を比較したものです。

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およそ唯物的な表層の自我による人の判断と言う物は、経験的記憶を基にしている事は周知の事かと思います。
それに照らし考えれば、当時の科学技術から大きく外れた形態や雰囲気を持ち人類の前に出現すれば、そこに科学的な判断を当てるより、むしろ超常的なオカルトととして見てしまった筈です。
しかし形状的にその時代のプロダクトデザインの匂いに近い形態を有する事により、科学的な判断への道を開く可能性を持ちます。

更に時間軸を進め、同じ視点から1990年代に見られた飛行体の一部と、その時代のプロダクトデザインを比較してみます。

以下に1990年代初頭ヨーロッパで目撃されたと言う機体と、同じ年代のドイツ車を比較してみます。

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ここでも、この時代のプロダクトデザインの主流である「流線型」との相対的近似性を強く感じます。

さて、アダムスキーの登場から60年経った現在では目撃される飛行体の形状がかなり変わって来ている様です。

最近の特徴としては硬質な外殻を呈するタイプに変わり「光体」と呼べる「存在」としてのものが増えて来ています。
これは、多くの人々にUFOなるものが高い知能とテクノロジーを持った地球外生命体である事が広く知られる様になり、今までの科学力と対比させなければ容易に認識しようとしない意識から離れ、受け入れられる様になって来たからでは無いかとも思ってもいます。
それに加え1950年代に比べると時間の経過速度が明らかに速くなっていますので、それに伴い私たち人類の科学的進歩やデザイン的変遷速度も加速しており、形状的に時代に合わせ目撃させるスピードとのギャップが有るからなのかもしれません。

どういう事かと言うと、例えばメディ等で新しい商業施設やビル等が話題になっても、直ぐに次の話題に意識が移り話題の中心が次々に移動して行く。
同じ様に時間の加速に伴って人々の意識が、形状的な部分にも固着しづらくなって来ていると言う事です。

それに加え現在地球がかなりの化学汚染や、凶暴性のある国家が高い軍威力を持つに至ったため彼らも「出現」する事だけが目的ではなく、汚染除去や軍事力(大量破壊兵器)の解除等に使われるタイプの飛行体も現れている事を伺わせています。


※以下You Tubeから。
上は昨年の災害時に福島上空で目撃された光体です。
下は今年2012年、ニューヨーク上空で目撃された光体の大編隊です。






さて、これまでは近年を中心に考察してみましたが、時代をさかのぼっての考察をしてみます。
社会形態が宗教観や精神性をその素地としていた時代と、全てを科学的に解釈可能とする現代との相違がその出現形態や意図の差にも繋がっていたかもしれません。

中世以前の宗教絵画にも良くUFOらしき物体が描かれています。
しかしこれらの時代であれば人類が空を飛行すると言う事等思い至る事はなく、それらを科学的な存在であり人類と同様な意識を持つ生命体とは見る事が出来ず、神に準ずる扱いで認識していた事は容易に判断が出来ます。
つまり、この時代での出現意図は、今私たちの前に出現し、その存在を誇示し、現実的な認識を啓蒙すると言った意図とは微妙に違っていたのだろうと思っています。

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左の2点は中世ヨーロッパの宗教絵画ですが、ここでは飛行体を非常に神格化した扱いで描いていたかと思います。
それに比べると右にある2点のモノクロ絵画は江戸期に描かれた日本での目撃例です。
中世ヨーロッパの頃の扱いから比べると非常に客観的で、観測眼を持って冷静に受け止めていた事を感じます。
これを当時の社会体制と宗教との関係性、深さと比較すると非常に興味深く感じます。

江戸期の日本では宗教と国家と言うものが中世のヨーロッパに比べ、ある程度の距離が有ったかと思います、しかしヨーロッパにおいては国家の運営に関して厳然とした影響力を持っていました。。
その点日本では神仏への信頼は有るものの、信心と言う意識とは別に宗教への依存性は前者程高くはなく、生きる事に対して自身の責任である事を理解していたのが近世の日本と言えようかと思います。

この点が人々の客観的な事象判断の違いとなって現れていたのではと感じました。

しかし更に興味深い事なのですが、私が被験者の方のリーディングを続ける事で知り得た事が、その2者の違いにも大変に面白い結果を見いだす事となりました。
彼ら高度な文明をもつ地球外の生命達の科学を、リーディングを基に知る事になるにつけ、科学は概念でもあると言う事が理解出来てきました。

たとえば「光」です。
少し前の記事で個々人に当たる光がエネルギーを伝える事により(意識の目で)視認出来た事に言及しました。
そして、正に上の絵画の左にある、飛行体らしきものから照射される光がそれをかなり具体的に示していると感じます。

光は愛と言う極めて観念的な表現も、全ての人に「言語」で伝えようとするとこれらの言葉が適切であり、しかしその光にある科学的意図を「愛と言うエネルギー」と音声で発した時、現時代においては極めて観念的、概念的理解に留まってしまいます。
超科学的事象を伝えようとすればする程観念論になってしまうと言うパラドクスでもあります。

恐らくこの絵画は考え想像した以上に、この絵画を描かせたパトロンと画家が、その光に関して表層下の自我がある程度の理解をしていた証明と言えるかと思います。

こう見ますと中世ヨーロッパと近世日本の飛行体の表現も、どちらもがある一方から観測した客観的表現でもありうると結論出来ましょう。

いずれにしかしても「彼ら」の意図が、忍耐強くその存在を知らせる方法を、宗教的な出現形態を取って認識させようとする事も時代に合致した方法であったのかも知れません。
しかし時の為政者に取って神ではない生命体が宇宙に存在すると言う事実は、現代と変わる事なく疎ましいものであった筈です。

その一方、現代人にはない精神性を持つ人々も多く、何より強い宗教観が社会を構成していた筈で、逆に彼らの存在は否定せざるものとして受け止めてもいたでしょう。余程現代より人類でない知的生命体を受け入れる素地が有ったとも言えるかもしれません、しかしその前に立ちはだかったのが時の為政者が利用して来た宗教の壁であった事は間違いないかと思います。

今回はここまでに致します。次回もこの続きからとなります。








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by farmemory | 2013-12-23 16:27 | ・コンタクト | Trackback | Comments(0)

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